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みんなのアルバム

土佐村役場落成!

  • 日時1955(昭和30年)

  • 場所土佐町役場前

  • 撮影者上田英一

  • 投稿者

この写真は、土佐町の森地区に住む上田英一さんのアルバムの一枚です。
英一さんは現在92歳。10年ほど前まで、森地区で上田百貨店という商店を営んでいました。
1955(昭和30)年3月、地蔵寺、森、田井の3町が合併し「土佐村」が誕生しました。これは旧土佐村役場の落成の日に英一さんが撮影した写真です。
町勢要覧によると、1963(昭和38年)に写真の庁舎が落成されたとのこと。万国旗がはためき、玄関先には花輪も飾られています。ちょっとしたお祭りのようだったのでしょう。子どもたちがのぞいたりと楽しげな雰囲気です。
英一さんに「餅まきもあったのでは?」と聞いてみましたが、何しろ58年も前のこと、「ちょっと覚えてないなあ」と話していました。
2012(平成24)年、この写真と同じ場所に、現在の「土佐町役場」が建てられました。
何十年という時を経ても、「この場所」が存在する。何とも言えない不思議さを感じます。

 

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1960年代の森地区消防団

  • 日時1960(昭和40)年代

  • 場所旧森屯所

  • 撮影者

  • 投稿者

この写真は、土佐町の森地区に住む上田英一さんのアルバムの一枚です。

英一さんは現在92歳。10年ほど前まで、森地区で上田百貨店という商店を営んでいました。

若い頃、森地区の消防団にも入っていたそうで、これは操法大会で入賞した時の写真です。操法とは、消防団員がポンプ車や小型ポンプの取扱い、操作の手順を習得する訓練のこと。その操法の技術を競う大会を操法大会といい、今でも2年ごとに開かれています。(注:コロナ禍に伴い、昨年・今年度は中止になっています)

前列右端が英一さん、この時30代。

当時は嶺北消防署がなく、各地区に消防団がありました。火事が発生すると半鐘を鳴らし、町内に火事を知らせたそうです。その音を聞き、消防団員は自分の仕事を放り出して現場へ向かいました。

森地区にはポンプ車が一台あり、飛び乗って現場へ。けれども、ホースからまともに水が出ず、火を消せずに全燃してしまうことも多かったそう。

土佐町には現在も消防団が各地区にあり、町内放送が入ると団員は昼夜を問わず現場へ向かい、町の人たちの安全を守ってくれています。

 

 

上田英一(上ノ土居)

消防車

 

*現在の消防団(田井地区)です。

土佐町消防団田井分団(操法選手)

 

 

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ホワイト写真館の前で

  • 日時1950(昭和30)年末頃

  • 場所中島

  • 撮影者不明

  • 投稿者

これは、土佐町の川村雅史さんが見せてくれた写真です。

雅史さんは現在83歳。土佐町の早明浦ダムの底に沈んだ、柿の木地区に住んでいました。これはダム建設当時の話を伺っているときに見せてくれた一枚です。(当時のお話は後日、「さめうらを記す」でお伝えします)

左に見えるのは、雅史さんのお父さんが営んでいた写真屋「ホワイト写真館」。この写真屋さんは現在の中島地区・中島観音堂のそばにあったそうです。

右から二人目の男性が、雅史さんのお父さん。右の女性は雅史さんのお母さんの妹で、妹夫婦が車で遊びに来た時の写真だそうです。

なんてかっこいい車!

ナンバーは「高385」、シンプルでいいなと思います。高知県で385台目の車だったのでしょうか?

車種については詳しくないし確証もないのですが、写真で判断するにアメリカ車フォードの「ロードスター」なのかな?と思います。詳しい方がいたら教えていただけると幸いです。

道は舗装されておらず土の道。土煙をあげて走るこの車を、道ゆく人が振り向いていたかもしれないですね。

 

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地蔵寺の徳亀知さんと福蔵さん

  • 日時1950年代(推定)

  • 場所地蔵寺

  • 撮影者不明

  • 投稿者

地蔵寺西村家系譜(復刻版)からの一枚です。

地蔵寺西村家系譜(復刻版)は、タイトル通りなのですが地蔵寺の西村家の方々が編んだ西村家のヒストリー。一冊の本となって記録されています。

その冒頭に掲載されている一枚の写真。地蔵寺の、おそらく集会所で撮影されたものと思われます。

今年、とさちょうものがたりは地蔵寺の地蔵堂の阿吽の龍の木像をモデルに「土佐町オリジナルポロシャツ」を作っていますが、もしかしたら地蔵堂の改築のときの一枚かもしれません。

というのも、写っている方々の最後列右から2人目が徳亀知さん、左下が弟子時代の福蔵さん。どちらも地蔵寺の大工さんです。地蔵堂をとても大切にしていた、実際に地蔵堂の改築に携わった大工さんたちなのです。

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相川小の二本杉

写っている人
  • 日時

  • 場所

  • 撮影者

  • 投稿者

「相川小学校の本棚から」シリーズです。

この二本杉、見覚えがある方々も多いのでは?

「みんなのアルバム」は土佐町の昔の写真を発掘して、みんなの「記憶の財産」として共有しましょう、という連載です。

昔を懐かしむためではなく、この地の人々はこうして町を作ってきたという道を少しでも知るために。

しばらく情報の全くわからない写真が続きますがひらにご容赦を!

公開した写真の情報は、どんな小さなことでも募集中です。なにかしらピンときた方は編集部までご連絡をお願いします。

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若者たち

  • 日時

  • 場所

  • 撮影者

  • 投稿者

こちらも、相川小学校の古いアルバムからの1枚。

現代でいえば、年頃は高校生ぐらいでしょうか。

卒業記念なのか何なのかわかりませんが、きっと当時は一人前になるのが今よりも早かった時代。

彼らもすでに大人の仲間入りをする頃なのではないでしょうか。

娘たちの着物は絵柄が豊かで、思わずカラーで見てみたいなあと思ってしまいます。

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校庭にて

写っている人
  • 日時不明

  • 場所相川小学校

  • 撮影者不明

  • 投稿者とさちょうものがたり

相川小学校にあった古いアルバムから1枚。

校庭でしょうか、みなさんの背後に二宮金次郎像が見えます。

先生方かな?と思いますが、どうでしょう。

年代や日付、どなたなのかはまったくわかりません!

心当たりのある方がいらっしゃったら、ぜひご一報くださいね。

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小学校の卒業記念

  • 日時昭和15年度

  • 場所相川小学校

  • 撮影者不明

  • 投稿者とさちょうものがたり

相川小学校の古いアルバムより。

“昭和15年度卒業生”とあります。

 

ぱっと見て、まず子どもたちの髪型や服装に目がいき、

「わあ、サザエさんに出てくるワカメちゃんみたいなおかっぱ!」

「男の子たちの学生帽の下は、やっぱり坊主頭なんだろうな」

そして、中央に座っている先生を見て、

「あら、イケメン!」

なんて、軽々しく思ったりしますが。

 

その年の終わりには、太平洋戦争が始まります。

当時の土佐町で、戦前に漂う空気はどのようなものだったのでしょう。

その後子どもたちがどんな体験をして大人になっていったのか、思わずにはいられません。

 

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映冩機

  • 日時1940年(昭和15年)

  • 場所相川小学校

  • 撮影者不明

  • 投稿者とさちょうものがたり

相川小学校にあった、古いアルバムからの1枚です。

みなさん、キリッとしたやや緊張の面持ちですね。

映写機をのせた台に、「紀元二千六百年記念 寄贈映冩機 付属品一式 式地利吉」の文字が見えます。

一瞬、紀元二千六百年??と頭の中が「?」になってしまいますが、、、

紀元二千六百年記念とは、1940年(昭和15年)に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝ったもので、全国各地でさまざまな記念行事が催されたそうです。

これはその翌年に配給された記念映画、『天業奉頌』を鑑賞したときのものだろうと思われます。当時、日本の視聴系メディアといえば、国営放送のNHKラジオ第一しかなかった時代。映像を観ることは特別に価値あることだったのでしょうね。

ちなみに、『天業奉頌』は、youtubeでアップされていました。ご興味のある方は当時を思いながらご覧になってはいかがでしょうか。

それから、「式地利吉さん」をご存知のかたがいらっしゃいましたら、ぜひご一報くださいませ!

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生業卒度年元正大

写っている人
  • 日時大正元年(1912年)

  • 場所相川小学校

  • 撮影者不明

  • 投稿者とさちょうものがたり

相川小学校(現在は廃校)の戸棚に大切に保存されているアルバムの中の一枚。

「生業卒度年元正大」と書かれています。説明するまでもなく「大正元年度卒業生」。

当時はまだ右から左に書いていたんですね。ちなみに左から右の書き順になったのは戦後からなんだそうです。

写っている人がどなたなのか、まったくわからない写真です。当時の相川地区の子供たちなのでしょうね。

服装も雰囲気を作っているのでしょうが、子供たち一人一人の顔つきが、キリッとしてどう見てもみんな根性ありそう。当時の写真は「笑って!」とは言わなかったんでしょうね。

「これ、うちのおばあちゃんや!」なんて思った方は、ぜひ編集部までお知らせください!