「1 日 20 時間とか会社にいるともはや何のために生きてるのか分からなくなって笑けてくるな。」
SNSでそうつぶやいた1週間後、高橋まつりさんという一人の女性が自死した。2016年のクリスマスの日だった。東京大学を出て電通に入社するという、日本における典型的な「勝ち組」だった。しかし、1ヶ月の時間外労働は130時間を超え、凄まじい過労とうつ病が自死の原因とし、労災に認定された。それを受け、彼女の母親は実名で娘の過労自殺を公表し、電通と、何人も過労死を出している会社を結果的に許してきた国の責任を社会に訴えた。
母親思いで、若く有望な彼女の死は、メディアでも大きく取り上げられ、生きるために会社で働くのではなく、会社で働くために生きることを求めるブラック企業の体質や、それを許容してきた社会のあり方を疑問視する声が高まった。同時に、これは多くの人々にとって、この社会における「成功」と「幸せ」の乖離について考えるきっかけを与えてくれたようにも思う。
社会的な「成功」は、幸せにつながるのだろうか?
日本における「勝ち組」の先に、幸せはあるのだろうか?
ただ、田舎に住む人々にとってみれば、この事件は遠い国の出来事のように思えたのではないだろうか。なぜならば、夜中をまわっても会社で残業しているような人は、身のまわりにそうはいないだろうから。
そんな時、SNSで流れて来た一本の記事に目を惹かれた。タイトルは、『なぜ地方の人は残業しないのか』[i]。土佐町のように、貨幣は少ないが暮らしは豊か、という都会感覚では理解し得ないパラドックスを読み解く鍵が、そこにあるように思った。
[i] 田鹿倫基(2016年10月17日)『なぜ地方の人は残業しないのか』ニュースイッチhttps://newswitch.jp/p/6457
雑誌『教育』2019年6月号より抜粋




