前回からの続き
宮崎県日南市で地域のマーケティングを担当する筆者は、都会と地方の違いを、経済の多様性の有無と指摘する。都会には経済の多様性というものがなく、「貨幣経済」に依存しがちだ。一方、地方には「貨幣経済」の他に少なくとも、「物々交換経済」「貸し借り経済」「自給経済」という3つの経済がある、と。どれも、地域社会との密接な関係によって成り立つものだ。
・ 貨幣経済・・・・・貨幣を介して商品やサービスが提供される一般的にイメージされる経済。
・ 物々交換経済・・・農家と漁師が野菜と魚を交換するといった物々交換から生まれる経済。
・ 貸し借り経済・・・誰か大事な人を紹介してくれたとか、トラブルに遭遇したときに助けてくれたとか、「恩」に紐づく貸しと借りで成り立つ経済。世代を超えて家系で引き継がれていくこともあり、「彼のおじいさんには大変お世話になったから、彼にはなんでも協力しろ」みたいに100年単位で続くこともある。
・ 自給経済・・・自分の家で畑を持っていて作物ができるとか、家で味噌や醤油を作っているとか、物を購入しなくても自給でまかなえる経済、というものです。
筆者は言う。「仕事が残っているのであれば、残業してでも終わらせるべきだ、というのは貨幣経済中心の東京では当たり前の論理ですが、物々交換経済、貸し借り経済、自給経済も並列している地方の経済であれば、例え貨幣を得るための仕事が終わっていなくても、その他3つの経済にも対応するために、残業せずに同級生との飲み会や地区の会合を優先するという選択肢も妥当になる。」
確かに、「貨幣経済」に支配された都会では、貨幣が尽きることは死に直結する。私たちはこれまでも、アパート内から腐臭がするから、管理人が中に入ったら住人が餓死していた、などのショッキングなニュースも度々目にしてきた。
しかし、自然豊かな土佐町では、お金が無いから食べられないということはまず考えられない。多くの家庭では、家で食べる米や野菜を、自分か家族の誰かが作っているし、春になればフキノトウやタケノコなどのありとあらゆる山菜が芽生え、鮎やアメゴ以外の川魚は漁業組合の鑑札を買わなくても取り放題、秋になれば収穫もされない柿の木がたくさんあり、冬は採れすぎた白菜や大根が地域中をぐるぐる回る。だから、そんな土佐町では、いくらお金がなかろうと、相当強い意志がないと餓死すらできない。
また、田植えの時期になると、どうしても人手が必要になるから、あちらこちらで人が借り出されて、晩には宴会が催される。コンバインやトラクターなどの機械だって、高価なものだからみんなが買えるわけではない。役場の補助を受けてグループで購入したり、一人が購入して、その人の手伝いをすることで自分の田んぼに機械を入れてもらったりする。
田舎暮らしを満喫しようと思った僕は、土佐町に来てすぐに地元の消防団に入った。ポンプ車操法大会の年は週2で練習があるため、その期間は残業できない。しかし、練習の時はもれなく「反省会」という名の飲み会がセットでついてくるから、夕飯を用意する必要も晩酌用のお酒を買う必要もない。また、定職のない友人に家周りの色々な仕事を頼んで、その代わりにお金を渡すなんてことも珍しくない。もちつもたれつ。そんな信頼経済が田舎の豊かさを支えている。
先ほどの記事の著者はこう説明する。「地方では確かに平均所得は東京よりも低くなりますが、その低くなっている金額部分を数値化出来ないその他の経済パターンで穴埋めしているわけです。これが平均所得や地域経済の数字からでは見えてこない地方の経済の実情なのです。」
確かに、土佐町には貨幣が少ない。しかし人々は、福寿草の開花や山を彩る様々な山菜に春の到来を喜び、時期をずらして生えてくる様々な種類の筍を食べ、7月の鮎漁の解禁を心待ちにし、夏になると鹿肉、冬になると猪肉と、季節ごとに山や川の恵みを美味しく戴き、支え合いながら、慎ましく、そして逞しく生きている。
[i] 田鹿倫基(2016年10月17日)『なぜ地方の人は残業しないのか』ニュースイッチhttps://newswitch.jp/p/6457
雑誌『教育』2019年6月号より抜粋




