7月の末。とさちょうものがたりでも連載している、協力隊でエストニア人のメリケさんが企画したツアーで、
エストニアの方々が白拍子舞を鑑賞しに来てくれた。
白拍子舞を鑑賞・体験したあとに、キッチンカーでおなじみの上江さんの創作和食が食べられるプラン。
3年前、高知に来たばかりのころに、とさんぽ(土佐町内の人は誰でもイベントを企画できて、無料で広報してくれる)で企画したイベントが成長して、
海外からの観光客の方々に提供できるプランになった。
今回のツアー公演は、お客さんに喜んでもらえるように、
思いつくだけ工夫を凝らしてみた。
パンフレットをアップグレードして、高級感が出るように和紙でくるんだり、
来てくれた感謝を伝えたくて、自作の和歌を筆で和紙に書いてパンフレットにはさんだり、
体験の内容に、お客さん参加型の公演をいれたり。
この工夫も準備も、ぜんぶ楽しかった。
こんなに身体がじんわり温かくなるような公演は初めてだった。
思い返すと、
今までの公演、どこか心に余裕がなかった。
白拍子を舞ってほしいという依頼が来ると、
嬉しいのと同じくらい、もしかしたらそれ以上に、
プレッシャーと不安が常にあった。
自分はひごろSNSで人を心の中であれこれ評論する癖に、
自分が人に評価されるのが怖い。
白髪神社での公演前日に、
「わたしはちゃんと人前で舞えるんだろうか?」
と不安になって、
突然散歩にとびだしたことがある。
気が付いたら中島観音堂にきていて、泣きながら手を合わせていた。
なるほど、神様仏様というのは不思議なもので、
手を合わせると、見守られているような安心感があった。
その時に、
「これから私に来る依頼は、ぜんぶわたしが十分とつとめられるもの、ということにしてください!」
とお願いした。
ちょっとすっきりして、当日はできることをとにかくやった。
とても温かいお客さんで、皆わたしの説明を、うんうんとうなずきながら聞いてくれて、
舞も集中して観てくれた。
終わった後も「素敵だった」「がんばってね」と声をかけてくれた。はじめてサインを書いて、と言ってもらった。一生忘れないと思う。
それからしばらくして、大好きなアーティスト、
アイナ・ジ・エンドが出したエッセイを読んだ。
そのエッセイの最初のエピソードは、
初めての日本武道館でのライブ前の話だった。
突然不安がおそってくることがよくあって、
リハーサルの後、家に帰らず
渋谷から神泉のあたりをひたすら歩いて、
たまたま見つけた喫茶店で大泣きしたというエピソードがあった。
日本武道館でのライブなんて、わたしの公演とは比べ物にならないくらい大きな公演だが、
「えー!アイナもそんな風になるの!?」と衝撃だった。
そして、その感覚がわかる自分が嬉しかった。
それが1年前くらい。
この1年で、自分でいうのもアレだが、けっこう自信がついたんだと思う。
まず、技術に対しての自信!
白拍子舞は、舞の型はすでに滅んでいる。
よく、「ずーっと受け継がれてきた伝統、素晴らしいですね」というコメントをもらうが、
これは誤解で、受け継がれてきたのではなく、数少ない資料をヒントに復元しているものなのだ。
わたしが今やっている白拍子舞の振りつけは、先生が歌に合わせて創作したものだ。
だから白拍子舞は、
舞う個々人の技量や大切にしていることによって、方向性や世界観が全然違うのだ。
先生から習った歌や舞も素晴らしくて大好きだが、
わたしは即興で自由に舞うのもやってみたかったし(当時の白拍子は実際に和歌をうたいながら即興で舞っていた)
もう少しかわいくて女性らしい雰囲気をだしたかった。
1年前は、”わたしのやってみたい白拍子を実現させるために必要なこと”
が定まりきっておらず、
先生の型をひたすらやるだけだったのだが、
わたしのやってみたい白拍子を実現させるピースが集まった!
韓国伝統舞踊・呉氏開門八極拳・直心影流なぎなたである。
伝統マニアではないが、偶然ぜんぶ伝統芸能/伝統武術になった(笑)
ぜんぶ大好きな私の宝物だ。
これらを通して、
合理的で無駄がなく力が出る身体の使い方や表現が
徐々に身についてきているからか、
わたしの白拍子舞は圧倒的に上達していた。
毎日の積み重ねのたまものだ。
自分の理想に対してやるべきことが決まっていて、
毎日練習していて、素晴らしい先生方に指導していただけていて、
日々上達している。
そんな自信がついていた。
そこで、
思い切ってInstagramに、
土佐町の自然の中で即興で白拍子を舞っている動画を発信してみたら、
思わぬ反響があった!
これがさらなる自信とアイデアにつながった。
もともと、自然の素敵な場所に行くと、
スーッと透明な気持ちになって、踊りたくなる性分で、
自分で自分のことを、変なヤツだと思っていた。
なんかスピリチュアルで変じゃない?
こんなの恥ずかしいし、わけわからん!
と思っていたのだが、
そこを開き直って、思う存分即興で舞ってみることにしたのだ。
これまで、
知り合いの棚田、三樽権現の滝、アメガエリの滝で撮影したが、
どの場所で舞うのも楽しかった。

その場の自然が、わたしの舞に呼応して最高の演出をしてくれる。
水の音や、風、日が照ったり曇ったり。
装束を着ると、その場の様々なものたちがより繊細に身体にしみこんでくる。
扇をただ風の流れに任せてみたり、滝の音の振動を装束の袖で受けてみたり。
その遊びが、ぜーんぶ舞だと悟った。
座敷で型を披露するだけが舞ではない。
ずっと、楽器がなければ舞えないと思っていた。
楽器も演出も、ぜんぶすでに場に全部あったのだ。
ちょっと赤みがかった虹色のトンボが、わたしの舞に合わせて飛んでいた。
ふと場を包んだ静寂、わたしは”真”という言葉がいちばんしっくりくるが、
その“真”に、呼吸を落としてみたら、
吐く息に合わせて落ち葉がたくさん降ってきた。
….と、精神世界で夢見てんじゃないの!?わたし!?
と冷静になって、帰ってから映像を見てみたら、
ちゃんと映像に残っていた。
その瞬間瞬間の、場とわたしの響き合いが、わたしの好きな舞で、
その響き合いに、
見た人は反応してくれるんだ、と実感した。
エストニアのツアーの準備では、自然が教えてくれたことをもとに考えてみた。
白拍子が活動した約900年前には、ヨーロッパの国の人が日本に来るなんてまずありえなかった。
それが現代、土佐町という場所にエストニアから人が来てくれて、
約900年前の日本の芸能を鑑賞する。
これは、すごいことだと思った。
この時間と空間の交差点を、わたしの白拍子を通して作ることができるなんて!
3年前に土佐神社で舞ったときに、みにきてくれた知人が「時空を超える舞だ」と言ってくれたのを思い出した。
その当時は、すごく壮大で嬉しいコメントだな、くらいに思っていたが、
その意味が今回のエストニアツアーでわかった。
この奇跡のような機会を、
一方的なものではなく一緒に楽しみたい、ということで、
今回のツアーには、舞の鑑賞だけではなく、
歌と舞のワークショップと、お客さんに簡単な楽器や足踏みをしてもらいながら、
わたしが即興で舞うという内容も入れてみた。
公演はとても緊張したが、温かい場になった。
ツアー後にアンケートを書いてもらったが、皆うれしい感想を書いてくれた。
チャットGPTに相談しながら、一文一文丁寧に推敲したパンフレットも好評だった。
エストニア語で書いたことが喜ばれたようだ。
準備から最後まで、とてもじんわり嬉しいツアーだった。
ここ数年、たくさんもがいて、試して、イヤになって、
それでもやってきたことが、
ひとつ脱皮した気がする。
土佐町にきてからの3年弱の節目。
もうすぐ地域おこし協力隊の任期も終わる。
あっという間の3年だったけれど、ちゃんと積み重ねた3年だった。
わたしを白拍子にしてくれた土佐町が、だいすきだ!
ありがとう!





