以前「かまちを守る人々」でも少し触れたが、今回は「野中祭」についてお話ししたい。

このお祭りは、土佐藩の家老・野中兼山の名を冠している。「新井堰」と”かまち”の工事に取り組んだのが、野中兼山なのだ。町史に詳しい川田勝さんにお話を伺うと、もともとは新井堰水利組合が「鏡峯寺(きょうほうじ)」で野中兼山と先祖への法要を行い、奉納相撲を催していたのが始まりだそうだ。しかし時代の変化とともに組合単独での開催が難しくなり、当時の森小学校区(現在は廃校)の実行委員会が引き継ぐ形で、今の野中祭へと発展していった歴史がある。
野中兼山は江戸時代、藩政の舵を取り、各地で新田開拓や用水路・漁港の整備を推し進めた人物だ。だがその工事は、想像を絶する過酷な労働だったと伝わっている。私が子どもの頃に教わったエピソードで強く記憶に残っているのは、「あまりの仕事の辛さに、『大便に行ってくる』と言い残し、そのまま走って逃げてしまった人がいた」という話だ。
重機など当然なかった時代。猛暑や極寒のなか、ただ人力で土を固め、石を組み上げていく作業はどれほど過酷だったのだろうか。真冬の冷たい地蔵寺川の水量を止める工事で、どれだけの苦しみや犠牲があったのかと思うと胸が痛む。
現在は、兼山と工事に尽力した先祖たちの功績を称え、昼間に鏡峯寺で「兼山祭」という法要を執り行ったあと、夜には「野中祭」として盆踊りや福引、打ち上げ花火で賑わう祭りとなっている。
お祭りに向けて地元の人々は朝早くから、旧森中学校のグランドに集まり、ボランティアで清掃作業を行うのだ。そして祭りが終わった次の日も後片付けを行う。「野中祭」は街の善意で成り立つお祭りだ。
夏は田畑を潤し、冬には防火用水として町を守るこの“かまち”を、未来へ残していくことを誓い合う。今、田んぼの稲はちょうど出穂(しゅっすい)の時期を迎えている。どうか豊かな実りをもたらす天候に恵まれますようにと、私たちの祈りが届くことを願うばかりだ。
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……と、少し堅い話になってしまったが、ここからガラッと雰囲気が変わる。野中祭の最大のお楽しみといえば、間違いなく「福引」である!
18時50分の福引券配布開始の時刻には、すでに盆踊りの会場を1周取り囲もうかという、長蛇の列ができる。配る福引はおおよそ700枚に対し当たりは180以上。何しろ、下1桁の数字が合えば当たるのだ。下1桁の賞品はボックスティッシュ5箱パックだが、当たればやっぱり嬉しい。この写真では撮りきれないほど列が並んでいる。

中でも主婦層の熱い視線を集める一番の人気商品は、意外にも「町指定ゴミ袋半年分」である。皆さんそれを虎視眈々と狙っているのだ。
野中祭の福引のコンセプトは、ズバリ「浅く広く、痒いところに手が届く」。特に今年は「酷暑、防災」がメインコンセプトだ。派手な液晶テレビや最新家電などはないが、非常食になるカップ麺1箱や簡易トイレ、防災リュックパックなど、「もらって困る人は絶対にいない」絶妙なラインナップばかり。
何を隠そう、私の父は長年この福引係を務めている。小学生の時、買い出しで懐中電灯を30個ほど買い出しに行った記憶もあるが、今となってはどれも懐かしく温かい思い出だ。
そして、福引抽選会の司会も父である。困ったことに絶妙なオヤジギャグをかますものだから、私たち家族は微妙な気持ちになる。だが、お祭りの真ん中、盆踊りのサークルの中央にやってくる当選者は「あの人が当たっちゅうねぇ」という周囲の視線を一身に浴びることになる。そう考えると、父のあのフランクで場を和ませる態度は割といいのかもしれない、と最近思い始めている。あと、子供が当選して、おっかなびっくりやってくるのを見るのは、なんとも微笑ましい。この写真は下一桁に当たった人々の列である。一等は自転車だ。エコである。


そして、お祭りの夜を彩る「盆踊り」も忘れてはならない。
私が小学生の頃、森地区には熱心な踊りの先生がいた。そのため、他の地区の盆踊りに比べて演目が随分と本格的で、難しかったのだ。練習は夜、1か月前ぐらいから行う。保健福祉センターのあじさいホールで先生を中心に練習するのだ。花笠音頭、ソーラン節、土佐町音頭など、そしてもちろん、よさこい踊りも。
よさこい踊りはなんだか勝手に踊れるのでいいのだが、他の踊りはそうもいかない。今でも花笠音頭のワンフレーズが頭に浮かぶ。両手に花笠を持ち、
「ちょんちょんくるりんぱ、ちょんちょんくるりんぱ」
心の中でそう唱えながら、大人たちの身振りを真似て必死について行ったものだ。
そして本番の踊りの合間、休憩時間に配られるキンキンに冷えたジュースの、なんと美味しかったことか! これこそが、私の忘れられない小学生の夏の思い出だ。

「ど田舎のお祭りだから年々参加者が減っていく……」と思われがちだが、野中祭の参加者は結構多い。最近は技能実習生と思われるお姉さんが、色鮮やかな民族衣装を身にまとって参加してくれていたのがとても印象的だった。「とさちょうものがたり」にエッセイを寄せているメリケさんも、盆踊りに参加されていたりと、国籍も世代も超えて輪が広がっている。
なんにせよ、高知県民はお祭り騒ぎが大好きなのだ。
私はこの野中祭が、ずっと残っていて欲しい。子供が光るおもちゃを光らせて走り回り、親に叱られる。でも本気で怒ったりはしない。どこかお祭りに来た人々は、夜店の明かりの非日常感にウキウキとして、浴衣をひらめかせる。様々な色のかき氷を食べる、おめかしした女の子たち。日焼けして真っ黒で、ギャーギャー言いながらたむろする男子集団。まさに、青春!
大人たちはそれをゆったりと眺めながら、キンキンに冷えたビールを飲む。私の世代は、みんな可愛らしい子供を連れてやってきていた。
そしてこれからも先祖の偉業を忘れることなく、”かまち”の豊かな流れを享受する。
この老いも若きも楽しめる、ド田舎のお祭り。できる限りずっと続いて欲しい、そう願うばかりである。





