矢野ゆかり

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

矢野ゆかり

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「14ひきのこもりうた」 いわむらしげお 童心社

こんにちは!

ゆかりです。頑張って書いてみましたよ。

随分と春めいて参りました。花粉や黄砂がすごくて、鼻を取り外して洗ってしまいたいです。去年よりも酷い気がします。はっくしょい。むずむず。飼い猫が甘えてきて、鼻がやけにしっとり湿っていて、しまさん(飼い猫の名前)も花粉症かしらなんて思ってしまいました。しまさんは気持ちよさそうに撫でられていました。

さて今回の私の一冊はまたまた絵本です。

いわむらかずおさんの『14ひきのこもりうた』です。ネズミの家族を描いた14ひきシリーズは、割と有名ではないでしょうか。母が買ってくれていたので全冊ではありませんが、シリーズであります。

私はいわむらかずおさんの、筆のタッチがとても好きです。ネズミたちの毛並みや草木の豊かな緑、夕方独特の暖かな空気。夕飯のきのめのシチューや、薪焚きのお風呂に憧れたものです。14匹の1匹いっぴきに特徴があり、シンプルな文章にそれが垣間見えます。私は以前ネズミを飼っていたのですが、絵と実物がそっくりです。手足や耳の感じがとてもリアルです。おじいさんとおばあさん、お父さんとお母さん、10匹の子供たち。14匹の大家族の賑やかな夜がふけていきます。お母さんにお話を読んでもらって、子守唄を歌ってもらって子供たちは眠りにつきます。小窓に小さな虫がいるのが、なんとも可愛らしいです。

子守唄は優しいメロディで、心が暖かくなる言葉選びです。この子守唄には思い出があります。どんな時だったか忘れてしまいましたが、妹や弟に歌った記憶があります。昼間だった気がします。母や父の真似をして背中をポンポン叩いて、ねむねむねむのき はをとじて…”。今思えばそんな歳も変わらない子供同士なのに、私はお姉ちゃんぶりたかったんだなぁと思うのでした。

またこの本は装丁をめくると別の絵が隠れています。そこも楽しいところです。手に取ったら是非めくってみてください。

ではこの辺で筆を置きます。

世界の人々がこの絵本の中身のように、家族で当たり前の幸せを得られますように。心から祈っています。

 

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私の一冊

矢野ゆかり

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「12のつきのおくりもの」 スロバキア民話 福音館書店

こんにちは!お久しぶりです、ゆかりでございます。

あっという間に3月になってしまいました。水がほどけ、硬い木の芽も緩み、日が長くなっています。もう春がそこまで来ています。とは言え、雨の日は底冷えがしますし、市内に比べて寒いのは仕方が無いですよね。さて、最近の話題と言えばなんでしょうか。やっぱりロシアとウクライナの戦争に尽きるでしょうね。我が家では毎日話題にのぼります。どうして戦争になるのでしょう?底知れぬ恐ろしさを感じます。このまま第三次世界大戦なんてなったらどうしようと不安が募るばかりです。もちろん1番不安なのはウクライナ国民だと思います。人間にとって一番大変で大切なのは平和で、どうか世界が平和になるよう祈るばかりです。

さて、私の1冊に入りましょう!

今回は東欧スロバキアの民話、

12のつきのおくりもの」です。

画像を見てお気づきかと思いますがこれ、こどものとものバージョンです。私が保育園の年中さんの時に貰った本です。(20年以上前!!)母が大事に取っておいてくれたものです。

この民話の主人公はマルーシカという働き者で美しい少女です。いつも継母と継姉ホレーナに虐げられています。彼女らはマルーシカを追い出そうとして、とうとう無理難題を言って真冬の森にお使いに行かせます。昔話の定番です。マルーシカは仕方なく、泣きながら真冬の森に行きます。そして12の月の精の焚き火に出会います。そこで彼らに助けてもらうのです。美しいすみれ、溢れるほどのいちご、驚くほど美味しいリンゴ。それぞれの月の精が、マルーシカが無理難題を出される度に助けてくれるのでした。

この本の好きなところは、素敵な絵です。カラフルで細かい柄のスカート、雄々しい焚き火、コロコロしたいちごや、真っ赤に熟したリンゴ。ついついページを見入ってしまいます。私は幼い頃夜寝る前に、絵本の読み聞かせをしてもらっていました。間接照明のオレンジの明かりと母の優しい声、ページをめくる音、今でも鮮明に思い出せます。寒くて毛布の端を掴んで、母に擦り寄っていた事も、何となく思い出されました。皆さんもこんな経験あるのではないでしょうか。母や父、祖父母に本を読んでもらったり、お話をしてもらったこと。私は食い意地がはっていたので、食べ物の出てくる話が大好きでした。私にとって、かけがえのない思い出です。

母は私達弟妹の、保育園時代の絵本をほぼ残してくれています。絵本は同じ話でも色んな作画があるので、この本たちは宝物です。私はもし子供が出来たら、同じように本を読んであげたいと思っています。

それでは今回はこの辺で。

また絵本の話を書きたいと思っています。

どうか全ての人々の平穏を祈ります。

おわり

 

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私の一冊

矢野ゆかり

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大変遅くなりました!

「私の一冊」においてのレアキャラ、ゆかりです。

煮詰まっているうちにあれよあれよと日が過ぎ年を越え、まさか1月になるとは。びっくりです。私がグツグツに煮詰まっている間、色々なことがありました。オリンピックに新型コロナの第6波、米中関係悪化に米露関係の悪化、個人的には最近起きたトンガの海底火山の噴火と原因不明の潮位変動がありますね。新型コロナによって生活が一変したことは、もはや日常とかしていまが、特に新型コロナの変異株・オミクロン株の急激な拡大は目を見張るものがあります。まるで何かが人間に試練を課しているかのようにも思えます。人間が人間以外の生き物に、常に変化や災いをもたらす事=試練と考えれば、余り変わらないかもしれませんが

さて、前座は置きまして、ラストの7巻も後半です。

前回はナウシカがシュワの墓所へ向かうところで終わっていました。続きからです。

ナウシカは隠された庭からでてくると、蟲使い達と城爺に会います。蟲使い達はナウシカについて行くため、大事な蟲達を殺してまで着いてきたのでした。ナウシカはその覚悟と犠牲に涙を流しますが、蟲使い達は「泣かないで」と慰めます。意外かもしれませんが、私はこの些細なシーンが好きです。何故なら、使命の為に自分が尊く思うものを犠牲にする精神を持つ蟲使い達と、そのようなことをさせてしまうナウシカのカリスマ性にリアリティを感じるからです。

さて、ナウシカは姿の見えないオーマの姿を探します。オーマは先に墓所へ行き、事をなそうとしているのでした。ナウシカ達は急いで後を追います。その頃シュワの墓所では、トルメキアのヴ王が墓所へ攻撃を仕掛けていました。墓所の守りは硬く、犠牲は増えるばかり。そこへ巨神兵が現れます。オーマです。彼はヴ王へ戦闘中止を要請するものの、武力を持って墓所を鎮圧しようとするのでした。大きな被害を与えたものの、ほぼ相打ちのような形になり、彼は深い空堀の中に落ちてしまいます。

全ての武力を失い、道連れは道化師のみとなったヴ王の元に、墓所から使者が現れます。墓の主がヴ王と会うというのです。時を同じくして、エンジンを損傷し墓所の上に不時着したガンシップには、アスベルとミトがいました。ミトは重傷の様子ですが、「この墓は生きている」と極めて冷静な状況判断をします。ミトは死ぬ覚悟をし、アスベルを巨神兵がつけた傷口から内部に潜入させ、自分は残って墓へ追撃を加えるべく動いたのでした。

ヴ王が墓の主と会おうとしていたとき、ナウシカは墓所へたどり着きます。そして「王以外は入れない」という墓所の住民を一瞥で制し、堂々と墓所の主の元に向かいました。

墓所の主の元で、ヴ王とナウシカは出会います。墓所の主とは、全体に文字が浮きでた肉塊でした。墓所の住民達はここで、墓所の主に、夏至と冬至に浮き出てくる文字を解読するためにヒドラとなり、何百年も生きているのでした。

墓所の主はヴ王とナウシカにあるものを見せます。それは学者と思わしき人物達の群れが、語りかけて来るものでした。「君たちは長い浄化の時にいる」「いずれ清浄の地へいける」と言葉が投げかけられます。しかし、ナウシカはもう理解していました。その言葉がまやかしであることを。ナウシカは墓所の主の言葉を真っ向から否定し「真実を語れっ」と言います。

墓所の主は返します。「………どの真実をだね? あの時代どれほどの憎悪と絶望が世界をみたしていたかを想像してみたことがあるかな?」「有毒の大気 凶暴な太陽光 枯渇した大地 次々と生まれる新しい病気とおびただしい死」「ありとあらゆる宗教 ありとあらゆる正義 ありとあらゆる利害 調停のために神まで作ってしまった」と。

ここでひとつ。思いませんか?これって今の話?と。

『風の谷のナウシカ』を初めて読んだ時はあまり感じなかった事が、最近急に実感を増してきたように思えます。新型コロナが次々と変異し拡大しているのを見たからでしょうか。数年前のエボラ出血熱の流行も頭を過ります。(極域の永久凍土は今も溶け続けていますが、その中には何百何千もの未知なる菌が潜んでいると言います。熱帯雨林もそうです。)そして、宗教対立による戦いや国家間の関係悪化、移民問題。マイクロプラスチックやCO2による地球温暖化といった環境破壊。私達はこれからどのような世界に生きていくことになるのでしょうか

本編に戻ります。あと少しですのでお付き合い下さい。

墓所の主は「人類はわたしなしには亡びる」と言い、ナウシカは「それはこの星がきめること」と返し、命を光と呼ぶ墓所の主に「ちがう いのちは闇の中のまたたく光だ」と言い放ちます。ヴ王も「朕は墓守にはならんぞ お前には仕えん 自分の運命は自分で決める」と同調します。墓所の主は彼らを殺そうと攻撃しますが、ナウシカは瀕死のオーマを呼び、主を倒すのでした。オーマも同時に力尽き、ナウシカに看取られて死んでいくのでした。

さて、ここでもちょっと。私、ヴ王が好きなんです。クシャナの敵役として「毒蛇の中の毒蛇」と称される冷酷なヴ王ですが、物語の各所には彼が王たる所以が見られます。クシャナやナウシカとは違うカリスマ性を持っている人物なのです。それを証拠にヴ王は、もっと早くナウシカに会いたかったと言い、ナウシカを庇って死にます。もしも、もっと早くナウシカがヴ王と出会っていたら、トルメキアと土鬼の戦はなかったかも知れません。しかし、この戦がなければナウシカがこの世界の真実に気付くこともなかったと思えば、運命を感じさせるものがあります。そんな物語を作る宮崎駿に、計り知れぬ何か強い意志を感じたのでした。

そして、ナウシカの「いのちは闇の中のまたたく光だ」というセリフ、深い感銘を受けました。まず初めに、私が思い描いたのは、母親の体内で羊水に浮かぶ赤ちゃんのイメージ。さらに目を閉じても、チカチカと光る太陽の残影。夜中の街灯に蛍の光。まったき光がいのちなのではなく、清と濁があり、光と闇両方抱えるものこそいのちなのだという視点は的を得ていて、様々なことに共通するだろうと思います。また、またたいている、というのが、いのちの多様性や変化を表していて素敵だと思うのです。

墓所の主の死後、ナウシカ達は彼女を追ってきたクシャナや、チチクにで迎えられます。その光景は、焼けただれた大地が朝日に照らされ金色にひかり、ナウシカの衣服は墓所の血によって深い青にそめられ、蟲使い達が喜びの舞を踊っていました。「その者青き衣を纏いて金色の野に降り立つべし」と同じだと、チヤルカ達は涙を流していました。

そしてナウシカは言います。「生きねば。」と。

辛くても苦しくても、血を吐いても、生きねばと。

そしてこの出来事は、子々孫々と伝えられてゆくことが語られ物語は終わります。

私達は現代において様々な状況に置かれています。一個人として、家族や地域社会という単位で、職場で、SNS上でといった様々な側面を持ち、そして多種多様な生き方をし、自然とのかかわりも色々です。ナウシカの言う「生きねば。」は、自分が自分でいることに疲れた時、ふと原点に戻らせてくれる、そんな言葉です。結局、私達は生き物なので、生きることが最も尊く、かつ難しいことなのだと思います。

前を向いて生きる。辛くても。

そう思わせてくれる物語が、『風の谷のナウシカ』という物語なのではないでしょうか。

長い話でしたが、これで終わりになります。

少しでも『風の谷のナウシカ』の魅力が伝えられたら、幸いです。

コロナ禍の中で働く全ての人にエールを。

闘病中の方や後遺症に悩む人にエールを。

亡くなった方に弔いを。

それでは、また。

 

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿  徳間書店

おそくなりましたー!!!!

筆を取る気になりませんでした!ゴメンなさい!

でも『風立ちぬ』見てたら書かねばと思って描きました。

自分でも遅すぎると思います、次はちゃんとやります(前も言いました)。

いやー、最近夏風邪をひきまして、びっくびくしながら発熱外来に行ってきました。心当たりがなかったのですが、陰性と出るまでは、心臓が縮み上がっておりました。皆さんの中にもちょっと熱が出て、とか、咳がひどいとか、そんな症状がある方いらっしゃると思います。もう、気が気でないですよね。もう単純に、フツーに生きるというのは、これ程難しいことだったかと考え込んでしまいました。人は1人では生きられないのは自明の理です。そこにまぁ例えば、COVID-19がやってきたら、ここまで人が細分化される。今まで1人じゃなかった人が、突然1人になる。もし私が陽性だったら1人になる。心細い、寂しい、申し訳ない、不安だ。そんな感情になるのでしょう。今自宅待機で過ごされている方々のことを思うと心が痛みます。物理的な距離というのが、どれほど孤独であるか、逆に無ければどれほど心強いか、よくわかった気がします。

さて、前座は置きまして、6巻から7巻に入っていきましょう。

ナウシカはチチクと共にメーヴェで土鬼の僧侶達の大規模な処刑場に向かいます。そこは、まさに修羅の庭のよう。チチクはチヤルカと念話をしました。僧侶の首級を蹴り飛ばし、ナウシカはチヤルカの鎖を解き放ちます。そして、チチクは己の素性を明かしナウシカは民衆に殺戮の連鎖を辞めるよう強く訴えかけるのです。これによって民衆の騒乱は大分落ち着きました。しかし、ここにはサナギ状態の巨神兵が運ばれてきていたのです。ナウシカはそれをとめようと、皇兄ナムリスの旗艦で数匹のヒドラと対峙します。その際、ナウシカは救援に来ていたアスベルから巨神兵に役立つかもしれないと秘石を渡されていました。それが結果的にナウシカの命を救います。巨神兵はナウシカをと認識し、ナウシカに従うようになったのです。かつて世界を終わらせた力がナウシカの手の内にあるのです。彼女はその覚悟とともに、土鬼の首都シュワと墓所を封じにその場から飛び立つのでした。

初めて巨神兵の登場シーンを見た時は衝撃でした。心が備わっており、精神が子どものままの強大な力を持つ生物兵器。なんと恐ろしいことでしょう。ナウシカが手綱を握ることが出来て安心しましたが、巨神兵を兵器として深く考察したことがなかったので手に汗握りました。巨神兵は現代風に言えば高度なAIを搭載した自律型兵器と言えるでしょう。ただAIと言うよりも、もっと高度な思考と思想を持っているという点において、火の七日間以前でも最高の兵器だったと言えるでしょう。私はこの点が恐ろしいと思っていて、兵器の思考や思想は変化が少ないとしても、人間は思想も善悪も1分後に変わってしまうし、集団で意思決定を行う。下手をすれば、自分が作った兵器に断罪される可能性があるということです。物語の中でも、ナウシカが巨神兵についても考察していますので後述しましょう。

この先、ナウシカは2つの出会いをします。

1つ目は父王の言いつけに背き、父王がシュワの秘密を独占しないかと高山帯を侵攻していた皇子達でした。

2つ目は隠された庭とその主達との出会いと交流です。

皇子達と直接会う前、ナウシカは斥候の兵と出会っていましたが、巨神兵は敵と判断して熱線で殺してしまいます。そこでナウシカは賭けをします。不用意に犠牲を出さないために、巨神兵に名付けを行ったのです。かくして巨神兵は古エフタル言で無垢を表すオーマとなりました。名付けを行った事により、オーマには明確な人格が生じ、もとより使命が与えられているかのような発言もします。『調停者にして戦士、裁定者』と。ナウシカは、私たちは何も知らない、オーマは人類に神として作られたのではないのか、と考えていました。

皇子達はナウシカに対して最上の対応をしますが、その下心はシュワまで最高の手勢を連れて行けるというゲスなものでした。ナウシカといえば、オーマの放つ毒の光によって体を侵され意識を失うほどに追い詰められていました。

一方その頃、トルメキアのクシャナ達と、土鬼の民の間では緊張感が高まっていました。クシャナは船を借りてシュワの墓所に行こうとしていますが、土鬼の民たちはトルメキアを信用していません。更にトルメキアに復讐するという気運が高まっていました。その中でクシャナは思い悩みます。『自分は結局血塗られた道をゆくのか、他を選べないのか、永劫の憎悪の繰り返しをここでうつのか』。お互いの駆け引きの中で、ケチャやユパ、チヤルカやチチクが必死で憎しみの連鎖を止めようとしています。しかしお互いは止まらず、ついに動き出してしまいます。土鬼の女が投げた手榴弾を咄嗟にユパは掴み、土鬼の戦士たちはクシャナを取り囲みました。そこに片腕のユパが現れクシャナを諭します。土鬼の戦士の前には人垣が出来ていました。もう戦を心底辞めたいと願い、戦士の心を鎮めようとする人々の決死の人垣でした。

それでも高まった殺意は止められず、クシャナに凶刃が振るわれようとします。その一瞬、ユパは体を滑り込ませ彼らの剣戟をその身に受け入れたのです。その時チチクが反応し、ユパの身にマニ僧正が乗り移り、人々を諌めました。ユパは致命傷を負いクシャナを支えられて彼女に「血は血はむしろそなたを清めた……王道こそそなたにふさわしい……」と鼓舞しその一生を終えました。そしてその亡骸の元で、クシャナとチチクが手を取り合うのです。

ナウシカは皇子達の船の中でテトの死とともに、ユパが逝ってしまったことを悟りオーマに外に出してもらいます。せめて木のある所に埋めてあげたかったのです。その際に船から皇子達もくっついてきてしまいました。

オーマは1000年は生きただろう木を見つけ、ナウシカをそこに下ろしました。ナウシカの目からは大粒の涙が零れます。どんなときも共に生き、時に励ましてくれたテト。オーマの毒の光にボロボロになりつつも、船で主人を守ったテト。そして、ナウシカにテトをくれたユパという偉大な師も失いました。書いている私も涙が滲んできました。

そこに人が現れます。これが2番目の出会い、隠された庭の住人です。ナウシカは先を急ごうとしますが、オーマの体にまた不調が現れてしまいました。これをきっかけにナウシカはこの場所でひとときの休息をとることになるのでした。

次に目覚めたのは薬湯浴の最中でした。この庭の住人であるケストというヤギに、新しい服や靴をもらったナウシカは、食事を取り微睡んでいました。周りの動植物は既に失われた種ばかりなことにナウシカは気づきます。しかし、まるで何かを忘れているように、思考がぼんやりとしています。そこへ音楽が聞こえてきます。ナウシカは広い屋敷を歩いてその部屋を見つけます。楽器を引いていたのは皇子達でした。しかし双方共何者なのか分かっていませんし、分からないことがわかりません。しかし2人の引く音楽の中でナウシカはテトのことを思い涙します。そしてオーマの名を思い出し、全てを思い出しました。彼はナウシカを巧みな幻影で翻弄します。心が弾けそうになった時、セルムを思います、挫けぬよう力をくださいと。するとセルムが心象風景に現れ、ナウシカを支えます。そして庭の守り人が1000年生きた不死のヒドラで特殊な個体であることを知るのです。そして。問答を続けていくうちに、ナウシカはとうとう腐海の真実を知ることになります。人体改造、生態系の急激な変化、全て人が行ったことだと見抜いたのです。ナウシカはシュワの墓所に真実があると確信し、そこへ向かうことをセルムとともに決めたのです。

さて、今回はここで筆を置きます。

私が筆を取らなかった間、沢山のことがありました。

誰がこんな世の中になると想像したでしょうか。

こんな書評でも誰かの時間つぶしになるなら幸いです。

次でラストになります。

コロナ禍の中で働く全ての人にエールを。

闘病中の方にエールを。

偏見や差別と戦う人にエールを。

それでは。

 

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

ご無沙汰しております。

久方ぶり!ゆかりでございますよ。

さて、私事ですが、

詩の部門で高知県文芸賞を頂きました事をこの場を借りてご報告させて頂きます。それもこの「私の1冊」で色々な本に触れ、思考したこと、皆様のお力がこの賞に繋がったと思います。改めてお礼を申しあげます。

さてさて~今回の前座は~

実は我が家、最近屋外に薪ストーブを導入したのです!ぱんぱかぱーーーーん!!!焼き芋さいこー!!!

もちろん、薪ストーブが導入されたということは、生活サイクルに薪割りがインするわけです。

ほっそい折れそうな母が竹を割っていたりすると、(枝が枝折ってる~(笑))と面白がってからかうのが常です。

コロナもあるので土日は完全に家で、冬の仕事をしているのです。

本日私は持病で鬱々としていたのですが、「薪割りでもしたら??すっきりするかもよー」という母の言葉と、薪割りをする父のおしりの動きが妙にツボだったので、私も薪割りをすることにしました。

ここで話の流れ的に、私が下手くそでキャーキャーするはずなんですが、昔取った杵柄、剣道していたので。面打ちの要領で、バンバン薪を作りました!父も調子を乗ってじゃんじゃん木を持ってきます。結局、相当量薪を作ることができましたが、父のアシストあっての事ですね。

そしてスッッッキリして、仕事をしようと思ったのでしたー。本当は1225日の金曜ロードショー、「風の谷のナウシカ」に間に合わせたかったんですけどね!ちゃんちゃん。

きっと風の谷でも薪割りは日々の仕事なんでしょうね。

さて、

今回の本編の前にスペクトラムという言葉について、りぐってみようかと思います。スペクトラムとは連続性という意味です。Google先生でスペクトラムと検索してみると、自閉症スペクトラムがトップに出てします。

他にあげられる言葉は性スペクトラムですね。自閉症スペクトラムは説明していたら、大学の期末レポート並になるので、割愛。性スペクトラムは簡単なのでご説明をば。性スペクトラムとは男性と女性はかっちりと区別されたものではない事を説明しています。

DNAから連続しており、限りなく女性に近い男性、限りなく男性に近い女性、両性などetc.、元来の考えを覆すものです。私も中学生のころ、私って本当にXXなのかな?女の子らしいことできないし、XXYとかなのでは?!!と思ったものです。実際にはそういう女性や男性がいる訳ですが。このような話をするのは、ナウシカという存在が一騎当千という猛々しさ、数々の武勇、それに反して思慮深く柔らかな心、全てを包む優しさ、両極端な部分があるからです。(母性もあるのではという声はまたひとうんちくあるので、今度ということで)

さて、本編は6巻にはいりました。 冒頭は、チククがナウシカの気配を察知できなくなり、チヤルカと共にナウシカがいるであろう、粘菌の集合地点に向かいます。

そこで蟲使いたちが、ナウシカのメーヴェを持っているのを見つけ地上に降ります。蟲使い達は新しい森で、新しい縄張りを決めるため、森の人の指示で13氏族メーヴェをめぐって諍いになる間際、森の人が現れます。森の人は蟲使い達に尊ばれる人々です、チククとチヤルカは何とか事なきを得たのでした。そしてチククと森の人は念話をし、共にナウシカを探しに行きます。

道中、チヤルカは森の人の不思議な青年に、あの巨大な粘菌はいったいどこへ消えてしまったのです…”と聞きます。

青年は”………粘菌もいます 中略”  もう大きな群れにはならないでしょう  王蟲の森を食べて混じり合い落ち着いたから…   ”中略”  粘菌は自分の食べた木々の苗床になって食べ尽くされます 食べるも食べられるもこの世界では同じこと  森全体がひとつの生命体だから……”  と答えます。

人間が世界の調和を崩すと森は大きな犠牲を払ってそれをとりもどします   そのためこの千年森はいよいよ広く深くなっています と続けます。

あまりの事にチヤルカは涙をうかべ歯を食いしばり、

何という愚行をわれわれは………”

と深い後悔と悔恨で涙が止まらない様子です。

チヤルカはすごい人です。ただの僧兵から王弟や国への忠臣ぶりをかわれ、今の地位にいます。臨機応変な対応や、知らない知識を貪欲に吸収しようとする姿など、理想的な上司だと思うのです。国を愛し、人々を愛し、初めは僧会の教えという凝り固まった概念がありましたが、今はただ1人の人間として命に向き合っています。この人間性が私はとても好きで、チヤルカは好きな登場人物の1人です。

さて一方、蟲使い達は森の人に集められ、新しい森(新しい腐海)の誕生を祝い、子孫に伝えるため、森に1番初めの日が差すのを待っています。

チクク達はテトの気配を頼りに、ナウシカを見つけようとしていました。ナウシカは、王蟲によって死を免れていました。王蟲はナウシカに漿を含ませ、瘴気や腐海の毒気から守りましたが、彼女に意識はありません。本当は彼女は王蟲と共に行ってしまいたかったのですから。ナウシカを何とか見つけたチククと森の人は、初日を浴び、猛烈な勢いで伸び始めた腐海の中から何とか脱出したのでした。

蟲使い達は日差しによって爆発的に緑になっていく腐海を見て、喜び、若衆達は踊ってすらいます。そこへ漿をまとったナウシカを連れた森の人が現れます。彼らはそこに神をみます。

ある部族の蟲使いは言います。

森の人よ   このお方は人の姿をした森です  両界の中央に立たれておられます  どうか私共にこの方をお与えください  部族の守り神にいたします

彼らは土鬼や諸民族から蔑まれ疎まれ、森と人との境界に立つナウシカは、そこに指した光のように見えたのでしょう。

森の人は、今のナウシカの状態を説明しました。ナウシカが王蟲と心を通わせていたこと、心の深淵に至ったこと、深淵の岸辺に今も佇み、そこからこの世に戻ってこれるかは彼女自身の力や思いであること。森の人は判ってほしい 私達に見守らせて欲しいと言います。しかし頭に血が上ってしまった状態の彼らには届きません。仕方なくその場から離脱するのです。

森の人は軽率でした 彼等に見せるべきでなかった かわいそうに 今ごろみな泣いているでしょうと哀れみ、後悔します。そう、彼は念の力や腐海との繋がり方など、ナウシカとよく似ています。そして、今後のキーマンの1人になってきます。

6巻半ば、今年はここで終わりに致します。

良いお年をお送りくださいませ。

さて、今回はここらへんで!

次回もがんばるぞ。(遅くてごめんなさ~い(涙))

次は6巻後半からを書けたらいいかなと思います。

最後に、末文になりますがお許しください。

祝いの時間もなく、先の見えない中で前を向いて走り続けている方々へ、心からの敬意と、感謝を。

いま苦しい立場にいる人々にエールを。

それでは、また。

 

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

ご無沙汰しておりました。

久方ぶりの登場のゆかりでございますよ。

いやー、なめてました。難産でした。全然スピーディーに書けなかった。ごめんなさいです。

さて前座。

突然ですが、母はのび太くんです。世界うたた寝選手権に出場したら、優勝候補筆頭です。車に乗って5分でチン。夜に今の今まで笑っていたはずなのにチン。私がいつまでたっても就寝しに行こない母を心配して、人がダメになるソファ(By無印品)で完全にダメになっている枯れ木というかナナフシ(もとい母)を、ちょんちょんとつつくと「はひっ」と母が人間として目覚めます。テレビも大抵NHKがつけっぱなしなので、アナウンサーの声がよっぽど眠りに適しているのかなとも思います。(いいのかそれで…)。ですがそのおかげで、思わぬ面白い(interestingの方)テレビ番組に出会うことがあります。

ジェリーフィッシュブルームという言葉を聞いた時、「あ、ナウシカを書かなければ!」と私は強く思いました。時々こういう時があります。何かを見たり、体験したり、感じたりした瞬間、書かなければ!

と近くにある何かに書きつけ始める。もはや衝動買いに近いかもしれません。

ジェリーフィッシュブルームとはざっくり説明すればクラゲ類の大量発生です。99日水曜日の夜半、私はぼっ~っと、(美容に気を使ってオリーブオイルをinしたここ大事)コーンスープを飲んでいました。その時に母が白目をむいて見ていたのが「又吉直樹のエウレーカ」の再放送で、テーマがクラゲでした。クラゲと言えば海水浴でお世話になりますよね。私も小学生の時に痛い目にあいまして、やっぱり川が好きだトホホと思ったことでした。それにエチゼンクラゲの大量発生、聞けばすぐに思い出すインパクトでした。定置網を埋め尽くすエチゼンクラゲ。頭の中の画像検索で、ジャニーズのイケメンを検索した時より、ずっと早くヒットしました。クラゲの中でエチゼンクラゲほど憎いものはいません(カツオノエボシは除く)。魚好きの私にとって許し難いものです。商品に毒の影響はありませんが傷を付け商品価値を下げ、漁師さん達の苦労を倍増させ、仲卸や魚屋さんにダメージを与え、日本人の魚離れをすすめたアヤツは許し難い!!!!(魚が好きすぎて、大学のインターンシップで魚屋、上町池澤本店さんに行った人なので、魚大好きです ()。またこの魚屋さん、元々IT企業に務めていた人が4代目の社長でマーケティング等学べることも多く今も親しく?させてもらってます)

ヤツの名は、日本名はエチゼンクラゲ、学名Nemopilema nomurai、英名Nomura’s jerryfishという大型で毒性の強いクラゲですが、類似のビゼンクラゲは食用になります。大量発生と激減を繰り返し、未だに謎の多い生き物です。しかし、海洋生物のその多くの生態は完全に分かっているものの方が少ないでしょう。特にクラゲ類は淡水から汽水域、沿岸域、外洋、浅瀬、深海といった場所に類似する種が無数にいます。そして単体で1つのクラゲであったり、群体でそれぞれのクラゲが役割分担をし、ひとつのクラゲの形になったりします。

そもそもクラゲ類は生態ピラミッドの下位にいるものです。それが大量発生するとどうなるか。普通に考えれば生態ピラミッドですから、順々に増えて行くのが妥当なのですが。ピラミッドの上位群が、圧倒的に数が減っていた場合は別です。ある生き物が海の生態ピラミッドの上位群を回復が不能なほど減らしてしまったのです。生態ピラミッドの下位群が上位群に適切に消費されることなく増え続けることで、生態系のバランスは加速度的に悪化します。さて、この生態ピラミッドの上位群を減らしている生き物、なんでしょうね?

お約束の前フリですから、もちろん人間です。学術的に言えばヒト学名”Homoo sapiens”。我々ヒトとクラゲは意外と似ています。増殖力、細密な役割分担で生きていると言う点、様々な環境に順応する適応力、一人では割と何も出来ないところなど。

人間は河川や海を汚染し、富栄養化してしまいました。更にマイクロプラスチック。この小さなプラスチックが、ジェリーフィッシュブルームと大きな関わりがあるとご存知で?クラゲの幼生であるポリプは、岩礁や海に漂う藻に活着して無性生殖を行い増えていきます。ポリプにとってマイクロプラスチックは非常に活着しやすくしかも様々な場所にあってえ浮遊している、まさに鴨がネギ背負って鍋抱えてきた状態です。その為にクラゲの大量増殖に一役買ってしまっているのです。更に7月1日から有料化された、ビニール袋。我が家としては部屋のゴミ袋をわざわざ100均で買うなんてという気持ちですが、海への不法投棄によって、海流に乗って多くの島々に流れ着き、更に、鳥やクジラ、ウミガメなど多くの生き物に多大な被害を与えているのなら話は別です。ビニール袋や、乱獲や気候変動等によって、生態系ピラミッド上位陣はなお減り続けているのです。

家族会議でマイバックを配っていたとき私は、「わざわざビニール有料にして、捨てる人減るわけ??捨てる人は有料でも捨てるやろ?迷惑やわ~」と言ったのですが、そこで一言父が「そりゃちがうわ、うちの国道ぶちの田んぼも毎回ビニール袋にゴミ放られちゅうけんど、ああいうのは減っていくわえ。タダやきぽんぽん捨てるがやき。」と言ったのでした。確かに国道沿いの田んぼには、よくゴミが捨ててあります。来年の代かきの時に、はっきりわかるでしょう。

さて、今までのが前フリですからここから本題に入ります。

「風の谷のナウシカ」の生態ピラミッドはどうなっているのか?やはり最上位には王蟲(草食のようですが…)が来るのが明白です。その下にその他の蟲、下位層が分厚く腐海の植物になるのでなないでしょうか。それに対して、腐海の侵食していない、旧世界の生態ピラミッドもあるでしょう。それの頂点はもちろん人間になります。総合すると王蟲を頂点とする生態ピラミッドの下位に丸ごと人間を頂点とするピラミッドがすっぽり入る感じでしょうか?複雑すぎますね。(さっぱりわかんなーーい!By心の声)森の人という例外もいますし、人類がピラミッドでどの辺にくるのかは、国や民族によって変わってもくるようです。

5巻でのキーマンは粘菌です。土鬼の研究者によって、墓所の技術により、父なく母なく産み出されました。この突然変異体である粘菌は、生まれた時から人類から敵意を向けられ、憎しみと恐怖の感情しかありません。ひたすらに不安を感じ、1つになろうとしています。ナウシカは4つある粘菌の大群体を観察し進路を割り出す最中、土鬼の人々の死体が累々と山積しているのを見てきました。ナウシカは人の愚かさと、二昼夜飛び回った疲れから寝てしまうのでした。その時虚無の影がナウシカを襲います。ナウシカは振り払いますが、それを手伝ったのは王蟲でした。すぐそこにまで王蟲が来ていることを悟ったナウシカは飛び出していきます。そして、彼らの目的が粘菌の憎しみと恐怖を鎮め、ひとつの森になる事だと気が付きました。ナウシカは王蟲と哀れな粘菌と共に、最後を共にすることを決めたのでした。

高山で休憩しているシーンが何とも静かで、1種の異様さを醸し出しています。そこに現れるのは森の人。森の人は全てを知っているかのように、ナウシカを最後のフライトへ送り出します。

腐海の胞子を撒き散らしながら進む王蟲の大軍はまさに圧巻。その中にナウシカは見覚えのある姿を見つけます。酸の海で出会った立派な王蟲です。ナウシカはこのひとに見覚えがあるといっています。彼女にとって、王蟲たちは限りなく人に近い身近な存在であることが伺えます。対して、人類の愚かさに涙を流します。己も血まみれで、死体の山に立っている一人であることに、深い虚無を抱きます。だからこそ、最期は王蟲と共に森になろうと体に舞い降りるのです。

腐海の植物の菌糸に覆われ、見えなくなってしまった王蟲の瞳。ナウシカは菌糸を剥がします。現れた王蟲の瞳は攻撃色の赤ではなく、深い青でした。

王蟲達は怒り狂っているんじゃない

大海嘯は、愚かな人間への罰でも復讐でもなかったんだ

王蟲は大地の傷口を癒そうとしているだけ

ナウシカは自然のサイクルとして王蟲たちの行うことのことの大きさに圧倒されているようでした。

王蟲の体からは腐海の植物が発芽し、ナウシカの乗っていた彼も命の光を失いつつありました。わたしもいっしょに行くね……”。大地を埋め尽くす王蟲達も外側から粘菌に捕食されてゆきます。その中で、王蟲はナウシカが、共に最期を迎えることを良しとしませんでした。まるで、まだ何か彼女に託したものがあるかのようです。

そしてナウシカは、生と死の狭間に取り残されることとなります。(超常の力を持つチチクはそれを感じとり、ナウシカのいない、震える一夜を過ごすこととなるのです)

さて、今回はここらへんで!次回も難産なよ・か・ん。(ごめんなさ~い(涙))67巻辺りを書けたらいいかなと思います。

最後に、末文になりますがお許しください。

いつまででも収束せず混乱を招いているCOVID-19更にこれから増えてくるインフルエンザやノロウイルス。医療従事者の方々、保健所の方々、教育現場の方々、各種接客業の方々、老人福祉施設の方々、戦場の最前線に立たれている皆様に心からの敬意と、感謝を。いま苦しい立場にいる人々にエールを。

それでは、また。

 

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

随分とごお無沙汰しておりました。

5月ぶりの登場のゆかりでございますよ。あいすみませんね。

学校図書館の支援員をしていると、慣れないことばかりで言語野がオーバーヒートを起こしてしまうのです。謎の偏頭痛やら、耳鳴りに耳痛に親知らずは生えるし、最近な謎のさしこみもあるし。

まぁ白々しい言い訳はさておき、我が矢野一族の華麗なる近状もご報告しなければなりませんね。

弟は真面目に苦学生やっているので割愛。妹は自由気ままに奔放にやっていいるので割愛。

認知症の祖母は、ロジカルモンスターSOHU(祖父)と、毎朝なぜかバトルをしています。

どうやらお米をどれぐらい炊くべきかの論争らしいのですが、2人とも耳が遠いので自然と話す声が大きくなり、毎朝大喧嘩をしてるように聞こえます。

そして眠りが浅く不眠症の私が驚いて、目覚めてしまい、朝から精神安定剤を飲まなければならないのは、勘弁して欲しいところです。

この米騒動は常態化しているので、矢野家の懸案事項の1つです。しかし祖母はデイサービスに行く時に「行ってらっしゃい~」と声をかけると「はーい!!いってきまーす」と子供のように無邪気な笑顔で手を振るので、ま、いっか(笑)と思えてしまいます。

母の痩身ぶりは相変わらずで、アブラゼミ(メス)が脇腹に留まって休憩していました。多分ゴツゴツした肋骨と木の枝のような腕が、彼女にとって安心出来る場所だったのでしょう。みんみん。

父は相変わらず、笑点の山田くんが持って行く座布団が無くなるぐらい、寒いおやじギャグをカマしていますが、たまに場外ホームラン打つようになりました。妙なツボにはいって、私が泣いて嘔吐くほど笑うので、本人が一番困惑しています。

ちなみに笑いすぎて、何が面白かったのか忘れてしまうので、ここに書けないことが残念です。ちなみに、台風10号が9/69/7にかけて通過していきましたが、その中で生まれたオヤジギャグは'うちの田んぼに、飛んできた椅子が居座っちゅう'でした。

ちなみに持ち主が分かるのが田舎ならではですね。土佐町に来たのが、しょーもないギャグで終わる、台風10号でよかった。停電や農家さんやら沢山被害はあるけれど、人死が出るようなことがなくてよかったことでした。

さて前座は終わりまして(スパッと)

本文へと参りましょう。

この作品の中で、ナウシカがたびたび言われている言葉があります。言い手によってニュアンスは違いますが「男だったら」というのは一緒。

ナウシカは男であったならと常に言われているのです。父王や4p16のように。しかし実際はナウシカ自身は一騎当千とも言われる猛者中の猛者。何故そこに性別が絡んでくるのでしょうか。

生理や出産といった事が理由の一つではあると思いますが、この世界で女性が権力を持つことはほぼ無いようです。

風の谷の大ババ様は少し例外的だとは思いますが、敬意を表されてもそこに権威や権力は存在していないという点で、女性が権力を持つという発想が異質であるということです。

だからこそ族長をナウシカに任せる選択をしたジルの判断は、苦痛と不安を伴ったでしょう。実際に武力と権力を持っていたクシャナは、あらゆる手を使って奪われてしまいます。

ただクシャナは男であったならと言われているシーンがありません。散々「賢い女は嫌いだ」言われていますし、白き魔女と誉れとも侮辱とも取れる異名ならありますが。

どちらにせよ、女性が権力を持つことの無いこの世界で、世界を動かす中心にいるのがナウシカ、そしてクシャナ、後述する子供のチチクなのは、かなり異質であり著者の心の深淵を覗いたようでゾッとします。

さて、この4巻では、あの冷静沈着な白い魔女クシャナが、仇を前にしてとうとう我を失ってしまいます。

この兄皇子の意地の悪いことと言ったら、まさに虫唾が走るとはこのこと。間一髪、クロトワが機転を利かして難を逃れますが、蟲の大軍の中に完全に孤立。

兄皇子は重コルベットで逃げ出しますが蟲の大軍に撃墜されます。この瞬間、クシャナは白い魔女らしさと言うべき氷のヴェールが剥がれ落ち呆然と立ち尽くします。

普段なら、この危急時には部下と自分がどう生き残るかを、走りながら最優先で考えているでしょう。それほどまでに、兄皇子に対する憎しみと怒りは強かったのか、というのが私の正直な感想です。

私はどこか、クシャナに対して温かい人間味を感じないようにしていたのかも知れません。ですからその後の場面で、クシャナが指示を出さないばかりに部下が死ぬシーンを見て、私自身の足元がふらつくような不安感を覚えました。

しかし、恐らく、彼女が感じているのも、自分を構成する一大部分が、不意に削げ落ちてしまった不安定さなのではないかと思います。

クシャナは数名の部下達と塹壕で、じっと動かず蟲の大軍を凌ぎます。彼女は、毒に侵され娘た人形の区別もつかなくなった母を、最後に見舞った時を思い出しています。ここに大きなウシアブがやってきます。

クシャナはお前が私の死か……~中略~あいつたちを殺せるならこの生命など惜しくもないとおもいつづけて生きていたものを……”と半ば諦めたように兄皇子を始末した蟲に対して愚痴を吐きます。

しかし、ウシアブは一瞥したのみで、行ってしまいました。彼女は自然と子守り唄を口ずさんでいました。私は胸がつかえてこのシーンは本当に苦しいです。

クシャナは、クシャナ自身が王都攻略、打倒父王とは掲げていても、それより最優先すべき事項が兄皇子達への復讐だったのでは無いでしょうか。

土鬼侵略諸々、トルメキア王都攻略はついで。ただ本当は、部下達には自分の復讐や自分への謀略のせいで、一兵たりとも死んで欲しくはない。今まで謀略によって失った部下達の扱いを見ても、それは痛いほど分かります。

ですから実際に、仇の1人が目の前でいとも簡単に死んだ事は、クシャナがクシャナ足るべき一部を失ったと言っても過言ではないでしょう。足るべきものが無くなれば、何かを足さなければ立ち直れません。それを足していく、それを考えていく時間。それがこのカボ基地での、大量の戦死者、虫の死骸、発芽する腐海の植物たち、生き残りの部下達との時間なのだと思います。

一方でナウシカは南下の旅を続け、古来の信仰を神殿でチチクと出会い、託されます。ここからの話は一気に進んでいきます。

変異させたの腐海の植物と突然変異の粘菌が暴走したところを、土鬼の僧正であるチヤルカと共に何とか収めます。突然変異した粘菌の増殖力と知能は凄まじく、確実に土鬼の土地を食らってゆきました。皇弟に忠実なチヤルカは葛藤しつつも、ナウシカの真摯さと持ち前の忠国心で墓所に戻らず、土鬼の民を救う道を選ぶ事になります。

5巻に続きます。5巻の中程まで自体はあまり進展しません。城オジ達とユパ、アスベル、ケチャが、カボ基地で偶然クシャナ達と合流します。

そして、この合流までの時間は、クシャナをクシャナたらしめることが出来たようです。そしてクシャナとユパが同じ船に乗ったことが、今後に大きく繋がっていきます。

一方ナウシカはチチクと共に、突然変異体の粘菌を追っていました。粘菌は5体。防衛本能に従って1つの場所に集まり、一斉に胞子を飛ばして勢力を拡大するつもりです。

蟲が狙っているのもこの粘菌たちです。古より伝わる大海嘯は、今回この粘菌たちのために起こると確信したナウシカはここで共に最期を迎える覚悟をしたのでした。

さて、今回はここらへんで!

次回はもう少し早く続きが出せそうな気がします。(ホントかな~(笑))

5巻から6巻辺りを書けたらいいかなと思います。

最後に、末文になりますがお許しください。

未だ収束せず混乱を招いているCOVID-19ですが、医療従事者の方々、保健所の方々、教育現場の方々、各種接客業の方々、老人福祉施設の方々、コロナという戦場の前線に立たれている皆様に心からの敬意と、感謝を。いま苦しい立場にいる人々にエールを。

そして、今年の豪雨や今回の台風10号で亡くなられた方にご冥福を、被災された方々にはエールを送らせてください。

それでは、また。

 

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

ご無沙汰しております、皆様お久しゅうございます。私の1冊のレアキャラ、沈黙のゆかりでございます。

COVID-19も第1波をなんとか落ち着き、薫風を背に梅雨前の湿気を肌に楽しむ日々です。ナウシカの世界でも、火の7日間の前も後も、過ぎさる季節をそれぞれの形で味わっていたのではないでしょうか。

COVID-19の緊急事態宣言により、都会ではテレワークや休業で休みとなり、普段家族と過ごす時間の少ない人も多くの時間を在宅で過ごさざるを得なくなりました。まさかまさかそれによって、DVや虐待が増加し、ネットでの誹謗中傷の件数も増えるとは、考えつきもしませんでしたが。先日はネットでの誹謗中傷により、女子プロレスラーの方が自殺に追い込まれてしまいました。心よりお悔やみ申し上げるとともに、ネットで何かを発信する1人の人間として改めて責任を感じることとなりました。

土佐町ではその頃、ほとんどいつもと変わらない暮らしがおくられていました。もちろん、保健・衛生 ・医療・接客に関わる方々等は細心の注意を払っていらっしゃいました。小中学校、高校も休校でした。私達も不要不急の外出は控え、常にマスクを着用し、手洗い・うがいと消毒を欠かしませんでした。でも普段と同じく朝を迎え迎え夜は寝る。野も山も春。山菜を取り、農床をし稲の芽は出て、田には水がはられ、田植えをする。各家庭の畑や庭に手入れをし花が咲き乱れ、八十八夜のお茶を摘む。今日は私の部屋から蛍が飛んでいるのが見えました。私はCOVID-19が、初めからそこにいたような錯覚に囚われました。確かに病というものは幾千幾万とあり、その中に人間が罹ってしまうものがある。とすると、共存していくしかないじゃないかと思うのです。そして何よりも恐ろしいのは、COVID-19といった病でなく、人そのものだと気づいた時、ナウシカの中に似たシーンがあったことを思い出したことでした。まだそのシーンは先なのですが(笑)。

さて、前回のつづきから、3巻の真ん中あたりのお話からです。ユパ、アスベル、ケチャが乗った船が墜落した場所を土鬼の戦艦が発見し、蟲使いに生死を確かめさせています。そこに現れたのは"森の人"。蟲使いにとって森の人は尊び敬う貴人のです。土鬼の上官の命令を無視して退散してしまいました。そして、ユパ、アスベル、ケチャは森の人に保護され、彼らの生活に腐海のことを知っていきます。

一方ナウシカは、トルメキア軍最南端拠点土鬼サパタ土侯国の都城の、原隊に合流します。戦場の様子は圧倒的にトルメキアが不利、進路も退路も絶たれ、籠城を余儀なくされている状態でした。この拠点に配属された兵は、元々クシャナ子飼いの最速の機動力を誇る精鋭騎兵たちです。父王と兄皇子の謀略によって、己のことしか見えていない将軍の元に配属され、最前線のこの都城の守りを任されたのでした。守りより攻めることに重点を置かれた彼らにとって、それは暗にそこで死ねという露骨な厄介祓いでした。そこにクシャナが合流したことで、彼らの目には生気が戻りクシャナ自身もまず目標への1歩を踏み出せたようで瞳に強さが漲ります。

一方ナウシカは捕虜にされたサパタの人々を目にします。トルメキア兵は、捕虜を本国で売り、奴隷として労働力にすると言います。そこにはどんな正義もなく、ナウシカはクシャナにサパタの捕虜を解放するよう直訴します。クシャナは解放する旨の書類になんの躊躇いもなくサインしますが、『手を汚すまいとするお前の言いなりになるのは不愉快だ 戦友としての忠告ならきかぬでもない』と言い放ちます。私ここで(さすがクシャナ殿下!!)と感動してしまいます。サパタの人々を捕虜にしたのはクシャナの部下たちです。そこにどんな正義があろうともなかろうとも、何かしらの代償をはらわなければ、今まで戦った部下たちに申し訳がたちません。クシャナ自身が部下2000人の命以外に興味が無くとも、戦友の忠告という大義名分が必要だったわけです。しかしながら、ナウシカの類まれなる戦闘力や不思議な力を知るクシャナが、サパタ攻略にナウシカを出陣させないはずはないので、冷酷無慈悲な"白い魔女"の異名は伊達ではないなと感心しきりです。

さて、戦闘シーンは割愛します。理由は簡単。私ごときの文章力で説明するとめちゃくちゃダサいからです。無粋です。

ただナウシカは、ここで正気のまま人を殺し(以前は怒りで我を忘れていました)、今まで共に居たカイを失い、深く傷つき心に晴れることのない影を抱くこととなります。そして4巻の冒頭で、ナウシカは深い悲しみに溺れてしまう前に、テトと共にメーヴェで舞い上がりました。ナウシカは人の醜さを自身の罪深さを知ってなお、まだ先を見すえて命と向き合って進んでいきます。王蟲の言う南の森の謎と大海嘯を鎮めるために。この先で多くの命が失われることがないように。自分の心の奥底に影を抱きつつも、前に前に飛んでいきます。

ではこの辺で、筆を置きます。また次でお会いしましょう。

何時になるかは悪しからずお待ちくださいませ(笑)

最後に

COVID-19と戦う様々な分野の方々に深い感謝を。失われた命にどうぞ安らぎを。

  

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

随分とご無沙汰しておりました。お久しゅうございます皆さま。季節の変わり目には色々と忙しいものですが、今年はより一層慌ただしさが際立っていたと思います。皆さま健やかでお過ごしでいらっしゃいましょうか。

例年の今時分といえば、なんとなしに春の陽気にふわふわと浮き足立つものです。しかし、世間は新型コロナウイルス、“COVID-19”によって別の意味で浮き足立っています。お陰様で私達は、まるで指揮系統を失った蟻の集団のよう。その中の1匹である私はとにかく目の前にある我が事を、どうにか達成する事が精一杯です。春盛りの桜の蜜を味わう余裕すらありません。こういう時、全ての判断を天才的に賢い人に委ねてしまえたら、私達は楽になれるのでしょうか。まさか。なんて馬鹿ばかしいジョーク。自分の責任を誰かに背負ってもらえるのは18歳まで。お酒タバコは20歳から。そういうことでしょう?()

さて、コロナウイルスについて調べてみますと、今までに人に感染するものは6種見つかっており、今回の発見で7種になることになります。その中でも4種ほどは基本的に風邪と呼ばれる感冒症状を引き起こします。その他の2種はSARS(重症急性呼吸器症候群)と、MERS(中東呼吸器症候群)だそうです。COVID-19はエンベロープウイルスという分類もできます。他にはエボラ出血熱、ヒト免疫不全ウイルス等が、多くの種が含まれています。これらはウイルスの最も外側に、主にタンパク質から成る膜をもち、これが人間の細胞に違和感なく侵入することで、より感染力を高めているようです。逆にその膜を壊してしまえば感染力が下がる点で、消毒用アルコールや有機溶媒、石鹸が有効なため、エンベロープを持たないウイルスよりも不活化が行いやすいのは不幸中の幸いと言えるでしょう。

COVID-19は、野生動物が保因していたものが、人への感染能力を獲たと考えられています。確定事項ではありません。しかし、野生動物が保因していたウイルスが人への感染能力を獲得する例は他にもあり、大半が未開の地の開発によって保因動物と人との出会いが引き起こしています。熱帯雨林の奥深く、永久凍土の水滴の中。開発により資源を得て、私達はより大きく複雑に豊かな産業文明社会を作り上げていきます。無作為な私達の欲望が切り開いた地に彼らはいたのです。何となく、本編に近づいてきたでしょうか。

さてさて、

巨大産業文明が亡びて1000年後の世界を描く「風の谷のナウシカ」。

今回は3巻に入っていきます。

冒頭はケチャと、アスベル、ユパがボロボロの船で逃げている所から始まります。ケチャはマニ僧正の死を嘆き泣き疲れて眠ってしまいますが、2人は操縦しながらお互いの遍歴を語り合います。しかし、雷雲をかわしそこねそし損ね腐海に遭難してしまいます。一方ナウシカはクシャナと共に南下していました。

クシャナとクロトワは戦略をねっていますが、ここでクシャナがクロトワに迫ります。クシャナは、クロトワが当初からスパイであること、自分を謀反人にする作戦であることを見抜いており、ここでしきりに友軍と合流することを勧めるクロトワが、今後使える駒か、ここで殺すべきか見切りをつけたようです。クロトワもクロトワで、平民上がりの貧乏軍人が王族の秘密を知って生きていられた試しがないのを察しており、ここでクシャナとクロトワは正式に上司と部下という形になりました。クロトワの賢さは当初から少しずつ描写されています。2巻でクシャナを助けた機転もそうです。今ではクシャナの部下たちは、クロトワのことを中央から派遣されてきた胡散臭い参謀からしがない平民出身貧乏軍人で天才的コルベット乗り殿下に忠実で上官だけど気さく、とまで好感度を上げています。クシャナもクロトワの手腕を鑑みあえて許したのでしょう。ところが、クロトワを見出し潜入させたのがヴ王自信であることを聞き、顔色を変えます。やはり、深い恨みと憎しみは隠せないのでしょう。

その後、奪われた自分の子飼いの兵である第三軍に合流すべく進みますが、途中の集落で異常な行動をとる兄王子率いる第二軍のケッチ2機を目撃し、迎撃します。集落は襲撃される前に人も動物も死んでおり、異常な状態でした。これを不審に思いながらも、敵の大艦隊を発見しそれを低く飛びながら追従します。その時でした。窓から外を見ていたナウシカは、猛烈な速さで死んでいく木を発見します。そして瘴気が来ることを確信します。本来ナウシカには命令権はありませんが、全員にマスクをつけるよう指示し、高度を上げるように言います。

実はここに面白いシーンがあります。上には土鬼の大艦隊がいる為、クロトワが『だれかあのバカ娘をだまらせろ!!』と罵声をあげているのにもかかわらず、全く無視して周りは必死で指示通りに動いているのです。その時のクロトワの顔()。しかもちゃんと指示通りに動くし、マスクもつけています。クロトワも類まれな人心掌握術をもっていますが、ナウシカは何もせずとも、人がついて行きたいと願うのです。クシャナも同じ、この人について行きたい、と思わせるカリスマ性があります。ナウシカとクシャナは全く違うように見えて本質は同じで、だから似たようなカリスマ性を持っているのかもしれません。

さて、瘴気の正体は猛毒のヒソクサリばかりの森でした。しかも腐海の蟲ですら死ぬ強毒性の異常な瘴気です。瘴気を避けるため、仕方なく敵艦隊のいる上へ出ます。そのまま戦闘になり行き着いた先は、第三軍第三連隊が守る拠点でしたが、今まさに土鬼に制圧される所でした。クシャナは怒りにかられつつも彼らを看取り、退避したのでした。その夜、クシャナとクロトワは敵地の中唯一生き残っている拠点の指揮権を奪いう作戦を立てていました。一方、ナウシカは強毒性のヒソクサリばかりの森のことを考えていました。クロトワには伝えていたようですが、人工のものではないかと推測しています。王蟲はナウシカに南の森がたすけを求めているといいました。ナウシカは思い詰めた顔で王蟲にあいたいユパさまや父上や谷のみんなにも……”と思いながら、アスベルが腕に巻いてくれた包帯も見つめています。

ナウシカはヒソクサリの森が人口であることを直感的に確信していたのでしょう。そして強い不安が襲ったに違いありません。ヒソクサリを強毒性に造り変えられるのならば、王蟲も人口で作り出すことが可能ではないか。そして、腐海に住む蟲ですら死ぬ森を作り出す技術力があるのならばその他もと、言いようのない不安に襲われていたに違いありません。命を人が作り替える。その発想に強い嫌悪を感じているようにも感じます。

ここ暫くずっと「風の谷のナウシカ」を書いていると、火の七日間の前ってこんな感じなんだろうなぁと思います。少し穿った見方というか、危機感持ち過ぎというのも分かっているのですが、世界情勢を見ていると、あながち間違いではないのでは?なんて思ってしまいます。今年1月に米科学誌「原子力科学者会報」の発表した終末時計は、残り100秒になっています。理由は核拡散と偽情報による科学的証拠への打撃なので、COVID-19とそれがもたらす社会への影響はまだ鑑みられてはいません。ヨーロッパではCOVID-19によって、民主主義体制にゆらぎが見られます。色々な思惑、正義が混在する今、不安に煽られて誰かに選択する権利を投げ渡してしまえば、宮崎駿の危惧する火の七日間を待つ世界になるのではと危惧しています。

だからこそ、ナウシカのように草木をめで、人を愛し、学ぶことを忘れてはいけないのでしょう。私達は自然の一部、野山の一部。そう思えば病も自然の一部として私達と同列です。むやみに恐れず、最適な対処をしていきたいものです。そして、COVID-19や様々な問題に対して、最善を尽くして戦う全ての人に敬愛と感謝を。

ではこの辺で一旦筆を置きます。この私の一冊、いつ終わるんでしょうね?()

また次でお会いしましょう。何時になるかは悪しからずお待ちくださいませ。

 

矢野ゆかり

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

さてさて、私の1冊「風の谷のナウシカ」第2部。随分と間が空いてしまいました。あいすみません。

前回は2巻の続きまでだったので、そこからを語っていきたいと思います。

2巻には、アニメにも出てくる有名なシーンがあります。王蟲の幼生をおとりに使う場面です。原作ではペジテ市の残党の作戦ではなく、土鬼がクシャナの軍を殲滅するために用いる作戦です。しかもこの作戦はトルメキアの皇子もしくは王から、クシャナ暗殺の為に意図的に土鬼にリークされた情報によるものです。ナウシカは犠牲を減らそうと、土鬼の戦艦から脱出し味方に伝えに行きます。しかし、怒りに猛る王蟲の方が早く、クシャナ直属軍は、コルベット1機を残して壊滅。クシャナ自身もクロトワの機転によって何とか難を逃れます。ナウシカは全ての惨状を見て、王蟲の幼生を救い王蟲の怒りを鎮めようとします。クシャナは嵌められたことに怒り、部下を失ったことに深く悲しみ、己の髪を断ち餞として上空から投げ捨てます。口元は唇を食い切らんばかり、歯を割らんばかりです。私には過剰な感情を捨て、冷静で冷徹な指揮官になろうと、更に悲壮な覚悟をしているようにみえます。そこにナウシカが王蟲を助けるため、メーヴェで乗り込んできます。土鬼の服をきていたナウシカが情報を流したのではないかと、クシャナは疑いますが、"ドルクはあなたが南下してくるのを開戦前から知っていた。時間をかけねばあの罠ははれないわ。"というナウシカの一言で考えを改め、王蟲の幼生救出に手を貸します。そこでアニメのシーン'金色の野に降り立つ~'という場面が登場するわけです。アニメでは風の谷の大ばば様が、見えない自分の代わりに子供に風景を描写させ、古の伝承を思い出し涙を流すのですが、原作では土鬼のマニ僧正と傍付きの少女ケチャがその役割を担っています。

ここで注目したいのが金色の野の下で、ナウシカを見上げるクシャナの表情です。どう表現したらいいのか分かりませんが、深く驚いているようにも、呆然としているようにも、何かの疑問に対して考えを巡らせているようにもみえます。しかし、ナウシカとクシャナが関わって行く中で、印象深い一コマでもあります。清く優しい(ようにみえる)ナウシカが金色の野にいて、それを影になった地上から見上げるトルメキアの(=血みどろの)白い魔女。相対的な構図が少し痛々しく感じるのは私だけでしょうか。でもそこに王蟲の癒しの力を持つ光る粉が降り注ぎ、私の心も少しは慰められるのです。描かれ方は違えど、話す言葉は違えど、表裏一体のようなナウシカとクシャナは、ここで強く結びつくのではないでしょうか。

さて場面は少し進んで、ナウシカは王蟲と心を通わせ、これより南の森(土鬼領)が助けを求めており、そこに王蟲が向かうことを知ります。王蟲はそれ以上のことは明かさず、"北へオカエリ"と伝え去っていきます。ナウシカはここで決めたのでしょう。このままクシャナに従軍し、何が起ころうとしているのか確かめると。土鬼は囮に王蟲の幼生を使っていましたが、ナウシカの見立てでは推定12回は脱皮している王蟲の幼生を腐海から奪ってくることは不可能であり、そこに何かがあると確信していました。そして腐海中の王蟲たちが動き出していることは、『大海嘯』の予兆ではないかと推測します。

ナウシカは1人で従軍し、ミトたち城おじは風の谷へ戻りました。ミトはナウシカの推測と意思を、族長であり父のジルに伝えます。また、辺境諸国の族長が集められ、そこで『大海嘯』の詳しい説明が、辺境いちの大年寄りである、大ばば様からなされます。

・『大海嘯』とは突如として腐海が沸きかえり押し寄せることを言う。王蟲を始めとした蟲が主に怒りを理由に我を忘れ、大集団となり襲いかかる。飢餓を理由に死ぬと、体に付着していた腐海の植物たちが一斉に発芽し、新たな腐海を形成する。

・『大海嘯』は『火の7日間』のあと3回おこり、最後は300年前内紛状態であったエフタル王国を滅ぼした。それは20日間エフタル王国全土に及び、多くの命、住むことのできる場所、伝わっていた奇跡の科学技術が失われた。今腐海のほとりに住む辺境諸国の人々は、その末裔であり王を頂かずトルメキアの同盟国(属領)になった。蟲使いたちは内戦時に王蟲を殺し、硬い外皮を調達していた武器商人の末裔であり、『大海嘯』のあと腐海に暮らすようになった。

この説明通りであれば、『大海嘯』が起きれば蟲もヒトも動植物も多くが死にます。ジルはナウシカの為にガンシップを使い、師であるユパを探すよう、ミトに命じます。そして"おろかなやつだたったひとりで……世界を守ろうというのか……ナウシカ……"とその身を案じながら息を引き取るのです。その表情は少し誇らしげにも、また少し後悔しているようにもみえます。腐海に生きるものは石化の病にかかります。もしかしたらジルの表情は、長い間に染み付いた表情なのかもしれません。

場面は変わり、ユパはセラミック鉱山の街で腐海に向かう船を探しいていました。セラミック鉱山といっても、宇宙船の残骸を切り出して使用しており、今はトルメキア戦役のおかげで特需状態です。ユパは、何故か蟲使い達が鉱山に出入りし、土鬼皇帝貨を使っていることに疑いを持ち彼らを船に潜入します。そこで見たものは、培養液らしきものに浸されたなにかの欠片でした。蟲使いたちの本拠地に潜入したユパは、土鬼僧正たちの密会と蟲使い達との商談を目撃します。(その中にはマニ族もいました。)更に王蟲が培養されていることを確信し、戦慄します。しかし、蟲使いの蟲に見つかり、密会の現場に躍り出てしまいます。土鬼と蟲使いがた襲いかかってくる中、マニ族のなかから1人の戦士が立ち会いを臨んできます。戦う中、マニ族の戦士が自分はペジテのアスベルであり、助太刀すると耳打ちします。2人は戦いの途中でうまく培養層を破壊し機械を壊し、マニ僧正とケチャと共に脱出しようとします。しかしそこに王弟ミラルパが登場します。マニ僧正は勝てないと悟りながらもミラルパを相手取り、念動力で戦いユパ達を逃がします。そしてマニ族に虐げられてもめげず生きることを説き、古き予言にある青き衣の人が大地との絆を結び人々を導くだろうと激励します。ミラルパはその者の名を知ろうと更に攻撃を仕掛けますが、マニ僧正はナウシカの名を言わずその身を楯にしてユパ達を逃がします。マニ僧正の強い思念は、遠くナウシカの心に届きます。"僧正さま!?お別れ……なぜ!?"突然のことにナウシカはマニ僧正の元に思念をとばそうとしますが、そこには超常の力をもつミラルパがいます。ミラルパにからめとられそうになったその時、マニ僧正の最期の力がナウシカを守ったのでした。ナウシカは王弟ミラルパの思念体を'生きている闇'と評しました。

今後ナウシカはその闇と光、蟲と人間、生と死の狭間を歩んでいきます。

それではまた3巻が書き終わるまで、今しばらくお待ち下さい。

 

矢野ゆかり

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