「野生の思考」 中沢新一 NHK出版
「構造主義の父」と呼ばれるクロード・レヴィ=ストロースの著書「野生の思想」を、NHK「100分de名著」が取り上げた際の、これはテキストに当たる一冊です。
この「100分de名著」シリーズ、多くの場合解説にあたる方々が、机の上の話だけに終始しないところが、意図してそうしているような気がしますが、素晴らしいと思います。
「野生の思考」自体はなかなか難解で読みづらい本ですが、この回の解説員は中沢新一さんで、とてもわかりやすく解説されています。
レヴィ=ストロースが中心となって打ち立てた、いわゆる「構造主義」ですが、これは1960年代に現れ、現在の世の中を形作った思想的土台を担っていると言えます。
その時代、それまでの主流としてあったのは「実存主義」。レヴィ=ストロースはこの「実存主義」をこてんぱんに論破し、その思想的生命に終止符を打ったそうです。
具体的にいうと、「実存主義」が、人類の歴史を直線上に進化・進歩していくものと捉えていたことに対し、レヴィ=ストロースは真っ向から批判します。
歴史を「直線上に進化・進歩していくもの」と定義した場合、そこには必然的に「進んだ西欧と遅れた後進国」という概念が生まれ、それは啓蒙主義(遅れた未開人には教えてやるべき)とか進歩主義(進歩や成長至上主義というもの)の根拠になります。
「構造主義」はその歴史観を一旦全て否定し、そうではなく、人類は新石器時代から変わらない構造の脳を持ち、人類に共通の「構造」のもと文化を育んでいると主張しました。
そう考えると、一見進んでいるかのように見える欧米社会も、遅れているとか未開とか言われてきた先住民の社会も、共通の「構造」によって作られた土台を、表面上の味付けだけを変えて繰り返しているにすぎないということになり、そこに本質的な優劣は存在しないのです。
むしろ人間の本質に沿っているのが実は未開と呼ばれる社会の方なのでしょう。
この考え方が1960年代以降、世界を動かすエンジンオイルのように染み渡ります。先住民文化の再評価という世界的な動きや、オーストラリアの首相がアボリジニの人々に公式に謝罪したこと(2008年)なども大きく捉えるとその一環としてあるとも言えます。
だいぶ長くなってしまって恐縮ですが、翻って考えてみれば、日本ではとても顕著な「進んでいる都会」と「遅れている田舎」という二項対立は果たして本当でしょうか?
レヴィ=ストロースの「野生の思考」というメガネをかけて見てみれば、「人間の本能や本質を発揮しにくい場所」と「人間の本能や本質に沿った暮らしがしやすい場所」という考え方もできるかもしれません。
「野生の思考」という言葉は、「とさちょうものがたり」が土佐町でやってきたこと、やろうとしていることにもどこか深いところで直結しているもののような気がします。