2020年4月

笹のいえ

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ここ数日、山で筍を掘ってる。

あのツンとした穂先が地面から顔を出しているのをみると、気分が高揚し、筍狩りモードに入る。DNAに刻まれている採集民族の本能が呼び覚まされるのかもしれない。
笹の周りには筍が採れる場所が三ヶ所くらいあって、そこを日替わりに巡回しつつ、収穫してる。
今年は当たり年なのか、あちこちに生えてる。

「む、あそこにあるな、あ、むこうにも!」

専用の鍬で足元の筍を掘りながら、次の獲物を探す。目印の少ない山の中では、目を離すと二度と見つけられなくなるから、最近乏しくなってきた僕の記憶力をフル回転させ場所を覚える。

収穫できるのが嬉しくて、後先を考えずに掘りすぎてしまう。採りたてのは水分を多く含んでいて重く、厚い皮がかさばる。

リュックいっぱいになった筍を、よっこらせいと背負って帰ろうとした目線の先に、また筍を発見。
放っておけばいいのだけれど、いつもの貧乏性か、「もうひとつだけ」と、鍬を振り下ろす。もうリュックには入らないので、両手に抱えて、ふうふう言いながら山を降りる。

一息ついたら、今度は下ゆでだ。

包丁で皮に切れ込みを入れて、水を張った寸胴に筍を詰め込んで、かまどで一時間ほど煮る。米糠や唐辛子は使わない。
一晩置いて灰汁抜きできたら、皮を剥く。茹でた後の皮は柔らかく、子どもでも簡単に剥くことができる。散らばった皮に鶏が集まって、盛んに突いてる。裸になった筍はさっと洗って、水に晒す。

中華風筍粥
筍キムチ
揚げ筍ボールのあんかけ
筍とわかめの煮物
タケノコスルメ*

毎日毎食、奥さんがバリエーション豊かに料理してくる。
一部はスライスして、天日で乾燥させ保存用に。

旬の食材として重宝する筍だけど、体質によっては体調に影響が出ることもあるから注意が必要。口の中が腫れたり、便秘になることもあるとか。

とは言え、この時期限定の新鮮な筍。噛んだときのあの歯触りに負けて、今日も食べすぎてしまうのだった。

 

*タケノコスルメ 食感がスルメみたいで、おやつやおつまみにオススメ。人参や大根でも。

【材料】
・筍 作りたい量。けっこう小さくなります。
・タレ 生姜醤油を水と本みりんで割ったもの。出汁醤油でも、麺つゆでも塩麹でも、お好みの漬けタレでお試しを。

【作り方】
1. 下ゆで、アク抜きしたたけのこを5-8mm幅でスライス
2. お好みのたれに約10分漬け込む
3. この地点では味が薄く感じるかもしれませんが、ザルやバットに移して広げ、お好みの堅さまで天日干し(天気によって1日から3日くらい)*残った漬けタレは煮物などに利用できます

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私の一冊

西野内小代

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「私が日本に住み続ける15の理由」 ケント・ギルバート 白秋社

親切心・世界一の食・都会と隣り合わせの美しい自然・歴史的遺産・治安の良さ等々よく言われる日本の良さが挙げられています。

それと共に外国の方ならではの激しい論調もあります。

それはひとえに日本を愛するが故の心配でもあります。

政治や老後について等広く論じられていて、反省したり、そうなのかと気づかされたり…。

西野内小代

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4001プロジェクト

上田隆俊 (相川)

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お住いは相川の上田隆俊さん。嶺北観光のバスのドライバーをされています。

この写真を撮影したのは、朝6時55分、黒丸からバスが出発する間際の時間です。

このバスは毎朝黒丸を出発し、南川などを通りながら乗客を載せ、田井、そして本山町まで走ります。

嶺北観光のドライバーさんは前日の夕方に黒丸に到着し、宿泊所で一泊、そして翌朝こうして黒丸の乗客を迎えます。

町の人の大切な移動を支えている方々の一人が上田隆俊さんです。

 

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とさちょうものづくり

新型コロナ予防

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4月7日に政府から緊急事態宣言が出され、続き16日に全国に拡大された動きを受け、とさちょうものがたり編集部も今、土佐町や高知県のために何ができるのか考えていました。

本当に小さなものばかりなのですが、ちょうど編集部で新たに3Dプリンターを導入したタイミングでもあり、これまでに作ったものをご紹介します。

 

*以下に紹介する製作物を必要な方は無料で差し上げますので、お気軽に声をかけてください。(メールでもFBでも何でも可です) 編集部にはまだ在庫がありますし足りなくなったら作れます。

 

これが3Dプリンター

フィラメントと呼ばれるパスタ状のものが原料です。

 

このフィラメント、いくつも種類があるのですが、写真のものはPLAという、デンプンを原料としたものだそうです。編集部ではPLAとABSという2種類を使用しています。

 

それで作ったものが以下のもの。

これ、マスク不足の折に作ったもので、キッチンペーパーを使い捨てマスクにできるという代物です。

 

ぱっと見、どういう使い方をするのかわかりませんが‥

こうすると使い捨てマスクになります

 

現在ネット上では、3Dデータを共有できるウェブサイトがいくつもあります。おもちゃやフィギアなどのデータが多いのですが、コロナの影響が全世界的に拡大したタイミングで、世界各国の3Dデザイナーたちがこういったコロナ予防に役立つデータを公開し始めました。

編集部にはまだ3Dデータでデザインする力がなく、今後身につけていきたいと思っていますが、現時点でここに紹介するのは全てそういった共有サイトからダウンロードしたものです。

 

以下のものもマスク関連。医療従事者など、マスクを長時間着用する必要のある方達のために、カナダの少年がデザインしたもの。

耳が痛くならないように、という優しい気持ちが伝わります。

このイヤーガードのデータも公開してくれています

少しでも楽しいものにしたい、ということで色を塗ってもらいました笑

 

 

上のこれは、ある日本人医師が世界的な人工呼吸器不足を解決するために、3Dプリンターのユーザーに製作を呼びかけたもの。

これも指定のURLからデータをダウンロードして製作します。これ自体は人工呼吸器そのものではなく、3Dプリントの精度を確認するためのモックアップ。作動はしません。

命に関わる医療機器でもあり、現在プロジェクトチームが医療機器認証化を目指しているとのことです。

夏あたりを目処に認証化が叶った時点で、3Dプリンターによる製作を協力できる人を今のうちに募っている段階なのだそう。そのために作った一個です。

 

とさちょうものがたり編集部は、小さくても自分たちにできることから実現していく姿勢でいます。「こんなことができるんじゃないか」等のアイデア、あればいつでも伝えてくださいね。

繰り返しになりますが、ここでご紹介したもの(特にマスク関連)は、必要な方に全て無料で差し上げます。町内の方も町外の方も、メールやFBで編集部までお知らせください。

 

 

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

随分とご無沙汰しておりました。お久しゅうございます皆さま。季節の変わり目には色々と忙しいものですが、今年はより一層慌ただしさが際立っていたと思います。皆さま健やかでお過ごしでいらっしゃいましょうか。

例年の今時分といえば、なんとなしに春の陽気にふわふわと浮き足立つものです。しかし、世間は新型コロナウイルス、“COVID-19”によって別の意味で浮き足立っています。お陰様で私達は、まるで指揮系統を失った蟻の集団のよう。その中の1匹である私はとにかく目の前にある我が事を、どうにか達成する事が精一杯です。春盛りの桜の蜜を味わう余裕すらありません。こういう時、全ての判断を天才的に賢い人に委ねてしまえたら、私達は楽になれるのでしょうか。まさか。なんて馬鹿ばかしいジョーク。自分の責任を誰かに背負ってもらえるのは18歳まで。お酒タバコは20歳から。そういうことでしょう?()

さて、コロナウイルスについて調べてみますと、今までに人に感染するものは6種見つかっており、今回の発見で7種になることになります。その中でも4種ほどは基本的に風邪と呼ばれる感冒症状を引き起こします。その他の2種はSARS(重症急性呼吸器症候群)と、MERS(中東呼吸器症候群)だそうです。COVID-19はエンベロープウイルスという分類もできます。他にはエボラ出血熱、ヒト免疫不全ウイルス等が、多くの種が含まれています。これらはウイルスの最も外側に、主にタンパク質から成る膜をもち、これが人間の細胞に違和感なく侵入することで、より感染力を高めているようです。逆にその膜を壊してしまえば感染力が下がる点で、消毒用アルコールや有機溶媒、石鹸が有効なため、エンベロープを持たないウイルスよりも不活化が行いやすいのは不幸中の幸いと言えるでしょう。

COVID-19は、野生動物が保因していたものが、人への感染能力を獲たと考えられています。確定事項ではありません。しかし、野生動物が保因していたウイルスが人への感染能力を獲得する例は他にもあり、大半が未開の地の開発によって保因動物と人との出会いが引き起こしています。熱帯雨林の奥深く、永久凍土の水滴の中。開発により資源を得て、私達はより大きく複雑に豊かな産業文明社会を作り上げていきます。無作為な私達の欲望が切り開いた地に彼らはいたのです。何となく、本編に近づいてきたでしょうか。

さてさて、

巨大産業文明が亡びて1000年後の世界を描く「風の谷のナウシカ」。

今回は3巻に入っていきます。

冒頭はケチャと、アスベル、ユパがボロボロの船で逃げている所から始まります。ケチャはマニ僧正の死を嘆き泣き疲れて眠ってしまいますが、2人は操縦しながらお互いの遍歴を語り合います。しかし、雷雲をかわしそこねそし損ね腐海に遭難してしまいます。一方ナウシカはクシャナと共に南下していました。

クシャナとクロトワは戦略をねっていますが、ここでクシャナがクロトワに迫ります。クシャナは、クロトワが当初からスパイであること、自分を謀反人にする作戦であることを見抜いており、ここでしきりに友軍と合流することを勧めるクロトワが、今後使える駒か、ここで殺すべきか見切りをつけたようです。クロトワもクロトワで、平民上がりの貧乏軍人が王族の秘密を知って生きていられた試しがないのを察しており、ここでクシャナとクロトワは正式に上司と部下という形になりました。クロトワの賢さは当初から少しずつ描写されています。2巻でクシャナを助けた機転もそうです。今ではクシャナの部下たちは、クロトワのことを中央から派遣されてきた胡散臭い参謀からしがない平民出身貧乏軍人で天才的コルベット乗り殿下に忠実で上官だけど気さく、とまで好感度を上げています。クシャナもクロトワの手腕を鑑みあえて許したのでしょう。ところが、クロトワを見出し潜入させたのがヴ王自信であることを聞き、顔色を変えます。やはり、深い恨みと憎しみは隠せないのでしょう。

その後、奪われた自分の子飼いの兵である第三軍に合流すべく進みますが、途中の集落で異常な行動をとる兄王子率いる第二軍のケッチ2機を目撃し、迎撃します。集落は襲撃される前に人も動物も死んでおり、異常な状態でした。これを不審に思いながらも、敵の大艦隊を発見しそれを低く飛びながら追従します。その時でした。窓から外を見ていたナウシカは、猛烈な速さで死んでいく木を発見します。そして瘴気が来ることを確信します。本来ナウシカには命令権はありませんが、全員にマスクをつけるよう指示し、高度を上げるように言います。

実はここに面白いシーンがあります。上には土鬼の大艦隊がいる為、クロトワが『だれかあのバカ娘をだまらせろ!!』と罵声をあげているのにもかかわらず、全く無視して周りは必死で指示通りに動いているのです。その時のクロトワの顔()。しかもちゃんと指示通りに動くし、マスクもつけています。クロトワも類まれな人心掌握術をもっていますが、ナウシカは何もせずとも、人がついて行きたいと願うのです。クシャナも同じ、この人について行きたい、と思わせるカリスマ性があります。ナウシカとクシャナは全く違うように見えて本質は同じで、だから似たようなカリスマ性を持っているのかもしれません。

さて、瘴気の正体は猛毒のヒソクサリばかりの森でした。しかも腐海の蟲ですら死ぬ強毒性の異常な瘴気です。瘴気を避けるため、仕方なく敵艦隊のいる上へ出ます。そのまま戦闘になり行き着いた先は、第三軍第三連隊が守る拠点でしたが、今まさに土鬼に制圧される所でした。クシャナは怒りにかられつつも彼らを看取り、退避したのでした。その夜、クシャナとクロトワは敵地の中唯一生き残っている拠点の指揮権を奪いう作戦を立てていました。一方、ナウシカは強毒性のヒソクサリばかりの森のことを考えていました。クロトワには伝えていたようですが、人工のものではないかと推測しています。王蟲はナウシカに南の森がたすけを求めているといいました。ナウシカは思い詰めた顔で王蟲にあいたいユパさまや父上や谷のみんなにも……”と思いながら、アスベルが腕に巻いてくれた包帯も見つめています。

ナウシカはヒソクサリの森が人口であることを直感的に確信していたのでしょう。そして強い不安が襲ったに違いありません。ヒソクサリを強毒性に造り変えられるのならば、王蟲も人口で作り出すことが可能ではないか。そして、腐海に住む蟲ですら死ぬ森を作り出す技術力があるのならばその他もと、言いようのない不安に襲われていたに違いありません。命を人が作り替える。その発想に強い嫌悪を感じているようにも感じます。

ここ暫くずっと「風の谷のナウシカ」を書いていると、火の七日間の前ってこんな感じなんだろうなぁと思います。少し穿った見方というか、危機感持ち過ぎというのも分かっているのですが、世界情勢を見ていると、あながち間違いではないのでは?なんて思ってしまいます。今年1月に米科学誌「原子力科学者会報」の発表した終末時計は、残り100秒になっています。理由は核拡散と偽情報による科学的証拠への打撃なので、COVID-19とそれがもたらす社会への影響はまだ鑑みられてはいません。ヨーロッパではCOVID-19によって、民主主義体制にゆらぎが見られます。色々な思惑、正義が混在する今、不安に煽られて誰かに選択する権利を投げ渡してしまえば、宮崎駿の危惧する火の七日間を待つ世界になるのではと危惧しています。

だからこそ、ナウシカのように草木をめで、人を愛し、学ぶことを忘れてはいけないのでしょう。私達は自然の一部、野山の一部。そう思えば病も自然の一部として私達と同列です。むやみに恐れず、最適な対処をしていきたいものです。そして、COVID-19や様々な問題に対して、最善を尽くして戦う全ての人に敬愛と感謝を。

ではこの辺で一旦筆を置きます。この私の一冊、いつ終わるんでしょうね?()

また次でお会いしましょう。何時になるかは悪しからずお待ちくださいませ。

 

矢野ゆかり

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土佐町のものさし

ブータン農業の父・西岡京治

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*この記事は2019年12月に発行した雑誌「とさちょうものがたり zine 05」にて掲載したものをウェブ上にて再掲載したものです。「幸福度」による国作りを行う先輩としてのブータンの、価値観や文化を少しでも伝えるために執筆したものを、ウェブサイト上で公開します。

 

 

現在でも多くのブータン国民に愛され尊敬されている日本人がいました。

その名をダショー西岡京治といいます。

西岡氏は海外技術協力事業団に所属しブータンで活動した農業技術指導者であり植物学者です。1964年から亡くなる1992年まで一貫してブータンの農業開発分野で指導的な役割を果たしました。

そのブータンでの28年の間に、日本米品種の導入や、高収入が期待されるリンゴやアスパラガスなどの栽培の開始、農業機械センター・種苗センターの整備など、西岡氏の活動は多岐に渡ります。

そしてその活動のスタート地点にはいつでもブータンの人々と徹底的に対話し討論する西岡氏の姿があったそうです。 このページの写真はどれもパロ近郊の旧西岡邸のもの。

とても慎ましやかな、土と共に暮らした西岡氏の生き方が偲ばれます。 別の章にも書きましたが「ダショー」というのは「最高に優れた人」を意味する尊称です。

西岡氏は1980年に第4代ワンチョク国王から授与されました。普通はブータンの「だいぶ偉い人」に授与される尊称で、ブータン人以外に授与された人は、後にも先にも西岡京治氏ただひとりなんだそうです。

 

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私の一冊

古川佳代子

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「しろいうさぎとくろいうさぎ」 ガース・ウィリアムズ文・絵,  松岡享子訳 福音館書店

この絵本に初めて出会ったのは、中学1年生のころだったように記憶しています。

ちょっと背伸びして『風と共に去りぬ』や『パピヨン』、『ペスト』などを読んでいたのですが、図書館の絵本コーナーに立ち寄ったとき、面展示されていました。

愛らしいふわふわの毛並みの二匹のうさぎのなんて幸せそうなこと!読み終えるのがさみしくてじっくりゆっくり時間をかけてページをめくりました。

その時からずっと大切な本の1冊だったのですが、 或る日、想いも書けないところで絵本と再会。なんと高校時代の友人の結婚式の引き出物が『しろいうさぎとくろいうさぎ』だったのです!

大好きな友人でしたが、私の中で彼女の株がますます上がったのは言うまでもありません。 今でもこの絵本を読み返せば中学生の時の自分のことや、結婚式での幸せいっぱいの友人の笑顔が思い出されます。

古川佳代子

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4001プロジェクト

西村郁也 (地蔵寺)

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地蔵寺出身の西村郁也さん。この日は、郁也さんのお父さんである福蔵さんのお話を伺いに地蔵寺にて会っていただきました。

郁也さん自身も大工さんですが、福蔵さんは地蔵寺の宮大工を勤められていた方。

とさちょうものがたりがどんぐりやファーストと一緒に作っている土佐町オリジナルポロシャツ、今年の背中の絵のモチーフになったものが、福蔵さんが作った地蔵堂の阿吽の大龍です。

福蔵さんが長年住まい、郁也さんも育った地蔵寺のお家の前で撮影させていただきました。

 

土佐町オリジナルポロシャツは以下の記事から。販売中です!

土佐町ポロシャツ2020販売開始です!

 

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私の一冊

田岡三代

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「寂聴 九十七歳の遺言」 瀬戸内寂聴 朝日新書

「私なんか何もない」などと思わないで下さい。
全ての人にその人にしかない才能が、必ず授かっています。
何もなくても、笑顔は作れます。

「和顔施」 和やかな顔を相手に与えなさい。
「忘己利他」 自分のためじゃなくて、自分以外の人の幸せのために生きなさい。
人間は苦しんだ分だけ、愛の深い人に育っていくのです。

などなど、生きる極意のような言葉がちりばめられています。

97歳になってもなお、文筆活動が楽しくてたまらないという寂聴さん。その穏やかな悟りに至るまでには、さまざまな苦しみや悲しみ・楽しみを昇華させてきたのでしょうね。

久しぶりに、「生きていくという事」への想いを見つめてみました。

田岡三代

 

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ほのぼのと

なかよし遠足

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昭和30年代後半から40年代前半、旧森小学校の春の遠足の定番コースは吉野川の沈下橋だった。

春の遠足は「なかよし遠足」との別称があった。移動手段はもちろん徒歩。

旧森小学校から現在の早明浦ダム直下の橋まで(当時ダムはなく長い沈下橋だった)2列でテクテク…。

道中、6年生が1年生と手をつなぎ、エスコートして歩きます。旧道ですから狭いクネクネ道路です。トラックも通れば、ボンネットバスだって通ります。きっと先生方は大型車の比較的少ない時間帯を調べ入念な準備をしていたことでしょう。

 

沈下橋を渡り目的地です。

河原で少し遊び、お弁当、そしてお待ちかねの「宝探し」です。引換券を探し出し先生に持って行くと景品と交換してもらえます。

「宝探し」は、特命を帯びた6年生数人のミッションでもありました。前日、先生と一緒に河原に引換券を隠しに行かなければならなかったのです。

春を歩いた記憶と沈下橋を目の前にして足がすくんだ記憶が、長い時を経た今も映像として浮かんできます。

 

 

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