2020年4月

笹のいえ

こっこ

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我が家に鶏がやって来た。

友人宅を訪ねたとき、「ニワトリ、持ってく?」と聞かれ、「ほしい!」子どもたちは二つ返事した。いやいやいや、小屋もなければ、餌もない状態で、鶏もらってきてどうする、と言いたいところだったが、これもご縁なのだろう。まあなんとかなるか。いつもの根拠ない楽天的思考で、雄一羽雌二羽合計三羽を連れて帰って来た。

幸いなことに、友人経由でもらえる鶏小屋があったので、運び入れて、飼いやすいよう少し手を加えた。餌はうちにある豆や野菜のくず、コイン精米機からもらえる糠で賄うことができる。定期的な産卵に欠かせない栄養素であるカルシウム分はホームセンターで牡蠣殻を購入した。

鶏を飼う最大の目的は、卵取りだ。

うちの子たちは卵が大好き。卵料理のお手伝いなら進んでやってくれる。市販の卵は滅多に買わないので、これまでは養鶏している友人に頼み込み、くず豆や米との物々交換で卵をゲットしていた。だから、今まで卵は超貴重食材だった。卵の自給のため、いつかは鶏と一緒に暮らしたいとずっと考えていた。それが急展開で現実となったのだ。

飼いはじめてまだ数週間だが、鶏のいる生活は想像以上に心地よいものだった。

子どもたちは餌をあげたり、水を取り替えたり、毎日甲斐甲斐しく世話をしてくれる。小屋の前を通る度に中を覗き、卵が産まれたかチェックを怠らない。産み落とされたばかりの温かい卵を見つけたときは、「うまれたよ!」の叫び声とともに、大事そうに手の平で包み込んで見せに来てくれる。その表情を見るだけでも、飼ってよかった、と思う。鶏たちは、遊び相手となってくれる。末娘は「こっこ、こっこ」と彼らの後ろをついて回ってる。

子どもだけでなく大人も、彼らの存在とその癒し効果の恩恵を受けている。

家の周りを鶏が歩き、餌をついばんでいる姿は、どういう理由なのかリラックスする。コッココと鳴く声も耳に馴染み、BGMとして最高である。奥さんも僕も、小さな生き物を身近に感じて毎日ほっこりしてる。

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土佐町ポストカードプロジェクト

2020 Mar. 中島観音堂

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中島観音堂 | 町田碧峰

 

撮影地は、中島地区にある中島観音堂です。

ある小春日和の午後、町田碧峰(へきほう)くんに座ってもらい撮影しました。

コートもいらないくらいポカポカな日で、その場の空気も清涼で気持ちの良い時間。

中島観音堂は、折しも通夜堂修復のためのクラウドファンディングに役場の若手職員たちが挑戦中。(というよりもクラウドファンディングの写真を撮る際にこの撮影もさせてもらったのですが)

こちらもぜひ応援のほどよろしくお願いいたします!

 

 

 

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私の一冊

西野内小代

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「アフロ記者」 稲垣えみ子 朝日文庫

何年か前「アフロ記者」の密着取材をテレビで観た事を思い出し、表紙の写真を見て即買い。

シンプルライフ、省エネ生活を日々目標とし実践している。田舎での住環境だったら可能かとも思われますが、あの大都会東京で実行している所にとてつもなく強い意思の力を感じます。

社説を担当していたという経歴が示すようにルックスとは180度違い、基本の確実な積み重ねによって社会を見つめている目を感じます。

「それでもマスコミで働きたいですか」という章では必死の覚悟について述べられています。

どのような仕事でもきっと同様に必死な姿勢が求められるのでしょうね。

西野内小代

 

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山峡のおぼろ

茶碗を狙って

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小学校の4年生か5年生の頃、アメゴ釣りに行き、瀬で釣っていた。

その時、対岸から伸びている柳の枝が邪魔で、瀬を渡ってナイフで切った。すると、

「柳を切ったらいかん、いかん」

川の上を通る道路から、声が降ってきた。見ると近所のおじさん・大崎清道さんだった。

“いかん、いかん”というように手を左右に振り、そして川を指さして、“そこへ行く”というしぐさをして下りてくると、

「柳の下はアメゴが隠れる所じゃきに、切ったらここから逃げて、釣れんようになるぞ」

と言った。

「テグスが柳に掛かって切れるきに」

と、柳を切った理由を言うと、

「柳をよけて放ればええ。貸してみ」

と私の釣竿を取り、それを振って餌を飛ばした。テグスがするすると伸び、餌がみごとに柳を避けて水面に落ちた。驚く私に、

「練習して、練習して、そうして慣れていくしかない。そうせざったらテグスを切らすだけじゃ。こっちへ来てみ」

と言われ、広い河原へ連れていかれた。そこで清道さんは目立つ色の石を1つ拾い、10メートルほど先に置いて、

「あの石を、餌を放り込む場所じゃと思うて、色々の角度から放り込んでみ」

と言って帰りかけたが足をとめて振り返り、

「帰ったら庭に茶碗を置いて、それを狙うてやったらええ」

と言ってくれた。

家に帰るとすぐ、欠けた古茶碗を探した。そしてその日からすぐ、庭で茶碗を狙って、上から、斜めから、横から竿を振った。

もちろん最初からうまくゆくはずもなく、餌代りの重りは茶碗の右や左や向うや手前に落ちた。

それでも毎日やっているうちに、重りがカチンと音をたてて茶碗に入る回数がふえていった。その音がすると、独りで手を叩いて喜んだ。

この練習は高校の頃まで、折りにふれてやった。練習という堅苦しい感じのものではなく、趣味を生かした遊びだった。

ただ、清道さんに言われて庭でやった頃は、懸命に取り組んでいた。これは本当に真面目な練習であった。その結果、柳などに引っかけてテグスを切らすことも減っていった。戦時中、戦後の物資不足の折りだっただけに、釣り具の損失が減ったことは嬉しかった。

 

撮影協力:茶碗・藤田純子さん 釣り道具・近藤哲也さん お二人ともありがとうございました!

 

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私の一冊

川村房子

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「なりたい」 畠中恵 新潮社

ファンタジー時代小説。愉快で愛嬌たっぷりな妖(妖怪)が繰り広げるファンタジー。しゃばけシリーズ第十四弾。

江戸有数の廻船問屋の跡取り息子。限りなく病弱な離れで暮らす一太郎。

亡くなった祖母が大妖であった故、一太郎も少しはその血をひいており、店で働くもの、離れに陣取っているもの、世話をするものと妖たちに囲まれて過ごしている。

そんな一太郎の元に、どこから聞いたのか助けをもとめてやってくる。

消えた死体を捜せ、猫またの長をきめろ、おまけに来世でなりたいものを決めろと無理難題。一度出かければひと月も寝込んでしまう病弱さでありながら、屏風のぞきや貧乏神、鳴家、おしろに小鬼等に助けを借りて解決に導いていく。

妖たちはお菓子や料理、お酒をお供えしてもらえば文句なし。

「妖になりたい」「人になりたい」「猫になりたい」「親になりたい」「りっぱになりたい」。

願いをめぐる5つの物語。

川村房子

 

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土佐町のものさし

ブータンの家

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※この記事は2019年12月に発行した雑誌「とさちょうものがたり zine 05」にて掲載したものをウェブ上にて再掲載したものです。「幸福度」による国作りを行う先輩としてのブータンの、価値観や文化を少しでも伝えるために執筆したものを、ウェブサイト上で公開します。

 

 

ブータンの伝統的な家屋は、想像以上に大きな2階建て。

2階に居間や寝室の住居スペースに仏間があり、1階には台所や牛舎が配置されています(近年では衛生上の理由から牛舎と住居を分離させる場合が多くなっているそうです)。

ブータンの家屋を新たに建設する場合には、木材と土壁による伝統的な工法で建てることが政府によって推奨されており、それは伝統的な民族衣装を着用することを(公務員などは特に)義務付けている動きと同様のものです。

そのようにしてブータン人の文化とアイデンティティを大切に引き継いでいこうとするブータン政府の姿勢が現れています。

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本日4月15日より、中島観音堂クラウドファンディングが始まります!

 

昨年9月に土佐町を襲った台風17号の強風により、土佐町にある中島観音堂の樹齢1200年の金木犀が倒れ、近くの通夜堂と石灯籠を直撃、石階段の手すりも大きな被害を受けました。

中島観音堂には約1200年前に作られた高知県有形文化財である「木造十一面観音像」があり、毎年7月末に行われる中島観音堂夏の大祭の日に年に一度だけ開帳され、土佐町の人はもちろん県内外からも多くの人が参拝に訪れます。夏の大祭の日には、観音堂へ向かう石段の途中にある「通夜堂」の戸も開かれ、揺れる赤い提灯のあかりのもと、飲み物などを振る舞いながら訪れた人を迎えます。

壊れてしまった通夜堂や石灯籠などを修復するには大きなお金が必要です。地域の人たちは何とかしようと町に相談をしたそうですが、資金面でなかなかうまくいかなかったそうです。

それならば「クラウドファンディングに挑戦しよう!」と土佐町役場の若手職員が立ち上がりました。

左から:石川咲・高橋英理子・川村五博・山崎宏樹・町田健太・島﨑祐企(敬称略)

クラウドファンディング(以下CF)に挑戦するこの6人のメンバーは、中島観音堂のある地区を担当する役場職員であり、この地区に住む住民でもあります。

観音堂のある地区は土佐町の中でも人口が多い地区ですが、若い人が少なく、地域のお祭りや行事を担う後継者がいないという問題を長年抱えてきました。中島観音堂夏の大祭の運営も年々厳しくなっているのが現状で、お祭りの存続自体も危ぶまれているそうです。

今回、このCFを成功させて通夜堂や石灯籠を修復することで、再び地域がひとつとなってお祭りを開催し、継続していくきっかけになれたらと彼らの奮闘が始まりました。

夏の大祭の日、観音堂へ向かう石段には赤い提灯のあかりが灯る。写真左にある建物が通夜堂

 

中島観音堂にある「木造十一面観音立像」

 

観音堂から下の広場で踊る人たちの姿が見える。きっとこの風景をこの地の先人たちも見つめてきたことだろう

3月のある日「とさちょうものがたりにぜひ協力してほしい」というお話をいただき、とさちょうものがたり編集部は撮影や文章、返礼品としてシルクスクリーンの商品やとさちょうものがたりZINEなどを提供するかたちで協力させていただくことになりました。

 

このCFのために、メンバーたちは地域の人たちに理解と協力を仰いでもらえるよう説明をし、地元の人に金木犀にまつわる昔話を聞いたり、土佐町ならではの返礼品に知恵を絞り、地元の職人さんの元へと足を運んでいました。なぜこのCFをするのか説明する文章を夜遅くまで考えたり、金木犀を祈祷してもらう住職さんへの連絡がうまくいかず涙を流していたメンバーもいたといいます。他の業務も抱える中で自分の役割を全うしようと汗をかく彼らの向こうに、彼らが大切に思う人たちの姿や守りたい風景が見えるようでした。

とさちょうものがたり編集部はその現場のところどころに立ち会わせてもらい、中島観音堂が地域の人たちの心の拠り所であることをあらためて知ることとなりました。

左:観音堂のある中島地区長の山中泉夫さん。土佐町の文化財保護審議会委員も務め、中島観音堂の歴史にも詳しい

中島地区長である山中泉夫さんは「若い人がこうして動いてくれるのはとてもありがたい。若い人たちは働かないといけないから大変やろうけど、できるだけ参加してもらって、先輩たちと一緒に地域のことを勉強してもらえたら」と話します。

 

金木犀が倒れたことで屋根が壊れてしまった通夜堂。石段も壊れ、手すりも曲がってしまった

彼らはこのCFを成功させることで、毎年行われる中島観音堂夏の大祭の運営の仕方や後継者不足の問題も解決したいという思いがあります。20代・30代の彼らが地域の将来を見つめ、この地で引き継がれてきたものごとを守りたいという強い思いを持っていることにあらためて驚かされました。

 

通夜堂の下にある石灯籠もこのような姿になってしまった

引き継がれてきた伝統と人間関係の中に身を置くことには責任が伴い、その地域を構成する一人としての意識と役割を求められます。それはコミュニティを築き、守っていく上でとても大切なことだと思う一方、この地でずっと大切にされて来た地域との繋がりやコミュニティの中に深く入っていくことをどこか躊躇してしまう気持ちが私にはありました。子どもの頃から人口が多い場所で生活してきた私は「その土地で生まれ育つ」ということを意識したことがなかったのです。でも、その意識と役割を当たり前のように持っている彼らのことを、どこか羨ましいと感じる自分もいるのでした。

 

金木犀の根元にお神酒をお供えする。お神酒はもちろん土佐町の銘酒・桂月。

4月5日、桜吹雪の舞う中、この地を見守ってきた金木犀に感謝の気持ちを伝えるため、隣町の本山町金剛寺の住職である越智栄鐘さんがご祈祷をあげてくださいました。参加した子どもたちも地域の人たちも手を合わせ、金木犀を見つめていました。その光景は、どんな時代も地域の人たちの祈りによってこの町は守られてきたのだということを感じさせるものでした。

 越智さんはこう話してくれました。
「金木犀は1200年も前からこの地を見守ってきてくれました。1200年前とは、弘法大師空海が高野山を御開創された頃です。その頃からずっと金木犀は土佐町のこの場所に存在してきた、日本の歴史そのものです。今日、桜が満開ですがこれは生命の息吹そのもの。生きとし生けるもの全てに魂が宿っています。花を咲かせ、散って、また来年花を咲かす。金木犀は倒れていったが、また新しい命が誕生する時でもあると思います」

 

金木犀が元気だった頃、秋の満開の時には隣町の本山町までその香りを運んでいたそうです。集まった地域の人たちの笑い声が響く中、倒れた金木犀の切り株の脇からは新しい小さな芽が育っていました。

 

この日の帰り道、倒れた金木犀が置かれている森林組合に立ち寄りました。強風で根こそぎ倒れてしまったのでしょう、太い幹の根元には、いくつもの枝分かれした根が乾いた土をつけたまま行き場を無くしたように広がっていました。

 

ふと見ると、幹の根元に寄り添うように紫色の小さなすみれの群が花を咲かせていました。去年9月に金木犀が倒れてから、すみれの種はずっとここにあって、暖かい春になるのを待ちわびていたのでしょう。生きとし生けるものの命の営みが静かに繰り返されてきた先に、今、私たちが生きるこの時が存在しているのだと思います。

 

中島観音堂の前に集まった中島地区の皆さん。「クラウドファンディング、成功させるぞ!」のポーズ

 

 

倒れた金木犀の木は、クラウドファンディングの返礼品として生まれ変わりました!

 

金木犀の枝に寄付してくださった方のお名前を刻印し、夏の大祭当日、赤い提灯と共に飾らせていただきます。

 

金木犀のコースター。寄付してくださった方のお名前を刻印させていただきます。

 

返礼品として、とさちょうものがたり編集部が製作したものもご用意しています。

今まで製作した「とさちょうものがたりZINE」。現在05号まで発行されています。

寄付してくださった方にはただいま製作中である「とさちょうものがたりZINE06」をお送り致します。06号では今回のCFのことも取り上げ、寄付してくださった方のお名前を掲載します。

 

シルクスクリーンで印刷したトートバックもあります。デザインは土佐町の緯度・経度を表しています

 

トートバックには金木犀の手づくりストラップがついています!

 

他にも、土佐町ならではの返礼品が色々ありますので、ぜひこちらをご覧ください。

このクラウドファンディングの先に、また新たな道と歴史が拓けていくことと思います。

みなさん、応援よろしくお願いします!

 

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こうしてできあがってきた土佐町ベンチ、いかがでしたでしょうか?

2020年4月現在は、製作した40個全てを町のあちこちに設置済みです。

土佐町の大工さん、職人さん、林業の方々や製材、そして焼印を押してくれたどんぐりとファーストのメンバーさんが暖かい気持ちで関わってくれたおかげで、このプロジェクトは無事完了することができました!

‥なんてついつい書いてしまいましたが、実はこのプロジェクト、本当の意味での完了はまだしていません。

そう、この土佐町ベンチプロジェクトの目的は、「このベンチを町中に置くことで、町の方々がベンチに座って過ごす時間が増え、ということはコミュニケーションの量と質が上がり、より豊かな時間をもつことに繋がるのではないか?」という少々長ったらしい仮説を証明することにありました。

ということはこのプロジェクト、町の方々がそこに座り、より豊かな時間を過ごすことが実現した時に初めて完了するのです。

製作陣、関係者一同、このベンチの上でみなさんの満開の笑顔が咲くときを、心待ちにしています!

※最後にもう一度、ベンチ設置時に座っていただいたみなさんの写真。それから一番下には土佐町ベンチプロジェクトのマップです。設置したベンチの場所はこちらから確認することができます。

 



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笹のいえ

端境期

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寒さと暖かさが交互にやってきてはいるけれど、日一日と春の気配が濃くなる今日このごろ。

暖かさで畑の冬野菜がとう立ちしはじめ、食感も味も落ちてくる。去年12月に定植したそら豆や絹さやの収穫はもう少し先。収穫できる野菜が少ない今の時期は、端境期と呼ばれる。この期間を少しでも短くしようと、より長く収穫できる種を選抜したり、品種や技術の改良をして、昔から農家さんたちが工夫してきた。

一方、端境期に合わせるように、山では野草や山菜の旬を迎えることになる。

ヨモギ ユキノシタ ツクシ フキなどの野草は、近所を歩くだけでたくさん採れる。もう少ししたら、イタドリや筍もよく見かけるようになるだろう。

この日は、友人家族たちとお外で野草ランチ会。

まずは食材を探しに、その辺を散歩。

これ食べられる?あの草、美味しそう!普段見向きもしない道端の草も、「美味しいかも」と思いはじめると、途端に興味が湧く。食べられる野草を食べられるだけ採って、ついでに可憐な花や小さな虫たちも観察して、いのち溢れる春先の自然を楽しんだ。

戻ってきたら、皆で下処理。これが少し手間なんだけど、美味しいご飯のためなら頑張れる。泥や根っこ、固い部分を落として、天ぷらにする。

揚げたてサクサクの天ぷらと自家製たくあんなどの常備菜、持ち寄ったサラダなどをあわせて、はい出来上がり。盛り付けると、見た目も春らしい、色鮮やかな一皿になった。空腹も手伝って、どの野草も美味しい。ただ、アザミの葉っぱはトゲがあって、食べにくかったので、次回は気をつけよう。

野草独特の苦味は、この時期に無性に食べたくなることがあって、身体に必要なんだなと分かる。

畑に野菜がない季節には、山で野草や山菜が育つ。日本の風土が育んだ食文化は、僕らの心身も育ててるのだ。

山菜の旬は短い。時期には、山で山菜を収穫する人をよく目にするようになる。ただ、生えているからと言って、勝手に採ってはいけない。どの山にも持ち主がいるし、そこで毎年採っている方がいるかも知れないから、確認が必要だ。

 

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私の一冊

西野内小代

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「長宗我部」 長宗我部友親 バジリコ

野本先生(土佐町中学校)の幹勇記念館でのお話を拝聴し、しまってあったこの本を引っ張り出し再度読み直してみました。

時には類推も入りますが、筆者が中興の祖「元親」の弟の末裔という事もあり、思い入れ強く系譜を丹念に辿っていく構成となっています。

血筋を絶やさない事を宿命として背負い、ひたすらに生き抜いてきた名門の誇りを感じます。

嶺北地方と深く関わる一族ですから一読をお勧めします。

西野内小代

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