上堂薗 純高

土佐町のsanchikara

ファーマーズれいほくのシゲ爺

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パワフルなシゲ爺

ファーマーズれいほく代表の重光良一さん。人呼んでシゲ爺。

幼少から青年まではれいほく土佐町で育ち、大学進学とともに東京へ。

東京で40年勤め上げたのちにれいほく土佐町に帰って来ました。

地域の様々な役職に就きながらも、基幹産業でもある農業をなんとかしようと、御年73歳とは思えないほどパワフルに動き回り、れいほくの農業を発展させようと活動されてます。

年齢の垣根も超えて様々な世代の人と繋がり、その前向きに動く姿勢は今後のれいほくの農業に必要な人と感じています。

 

シゲ爺の万次郎かぼちゃ

シゲ爺が作るのは、主に万次郎かぼちゃとパプリカの栽培です。

高知県のジョン万次郎から名前を付けられた万次郎かぼちゃ。

甘みが強くスイーツの材料等に非常に適している、ラグビーボール型のかぼちゃです。

シゲ爺の万次郎かぼちゃは標高1000m程の伊勢川山の頂上で作られています。

太陽光発電のパネルの間にある圃場、いわゆるソーラーシェアリングで万次郎かぼちゃを栽培しています。

面積は延べ四町(40ha)以上の広大な土地で栽培をしております。

しっかりとしたかぼちゃを作る為に、その広大な面積の草刈りをしたり、管理作業をしたりと、暑い夏に大変な作業をしております。

シゲ爺に大変じゃないですかと尋ねると『伊勢川山は夏でも涼しいから一日中草刈りしてても全然大丈夫!』となんともパワフルな言葉を返してくれます。

今年で4年目になる万次郎かぼちゃの栽培は決して順風満帆ではありません。

悪戦苦闘しながらも、毎年試行錯誤を繰り返し、だんだんと収量もあがってきています。

昨年からは万次郎かぼちゃをそのまま販売するだけではなく、万次郎かぼちゃ使ったジェラートやスープなども開発、販売しています。

パプリカ栽培への挑戦

近年、韓国産やニュージーランド産の海外産の安いパプリカが市場に並んでいますが、国産のパプリカを望む消費者も増えてきて、国産パプリカの需要はあがってきています。

れいほくもかつてはパプリカを栽培している農家が多くいたそうですが、今は違う品種に変えたり、農家をやめられたりで少なくなってきています。

sanchikaraも設立当初より、パプリカを東京を中心に全国に販売していましたが、年々栽培量が減っており、パプリカの要望・注文に応えられなくなっていました。

そんな話をシゲ爺にもしていると、今後のれいほくの農業をつなぐ意味でもやってみようじゃないかと言って下さり、今年からパプリカの栽培にも挑戦しています。

今年は東京の百貨店や飲食店、四国のスーパーをメインに出荷が決まり、夏場より大きい肉厚の甘味のあるパプリカを出荷しています。

 

土佐町の魅力

その他にも、餃子づくりに、イベントの出展等いろんなことにまだまだ挑戦しているシゲ爺。

失敗もする、この年での挑戦は無謀、そんな言葉も聞こえてくるかもしれません。

しかし常にチャレンジする精神、失敗しても続ける忍耐、そしてその先には自分の為だけではなく、常にれいほく、土佐町の未来を見て行動しているシゲ爺のような人がいてくれる事が、次の世代に繋がっていくと感じています。

そして土佐町にはそういった、世代を垣根を越えて、色々な事を教えて下さる先輩がたくさんいます。

世代交代ではなく、世代を超えてみんなで農業を発展させていく、各世代が得意な部分を発展させていく。

そんな素敵な土壌がここ土佐町の魅力の一つなんだなと私は感じています。

 

 

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土佐町のsanchikara

栽培イタドリという新たな取り組み

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高知のイタドリ文化

高知県では『イタドリ』を食べる文化があります。

全国でも一部の地域では食べられているそうですが、高知県民ではほとんどの方が食べた事があり、イタドリの食文化は浸透しています。

私も土佐町に移住する前までは見たこともなく、名前を聞いた事すらありませんでした。

もちろん食べた事もなく、こちらに来てから地元のお母さんが調理したイタドリを始めていただきました。

食べた瞬間『これは旨い!』と驚いたのを、今でも覚えています。

イタドリ自体は、生で食べると非常にすっぱいですが、一時加工をすると味はほとんどありません。

調理の方法は色々ありますが、油で炒めて醤油等で味付けする調理方法で食べる機会が多いです。

口に入れた瞬間のコリッとした独特の食感で、おかずとしてもお酒の肴としてもクセが少なくとても美味です。

 

『イタドリ』を広めたい

山の多い土佐町でも、春先になると山の斜面や畔などに自生のイタドリがたくさんはえています。

そのイタドリを年中食べられるようにするために、地元では塩漬けにして保存するのが一般的です。

こんな埋もれた食材をもっと全国に広めたいと、県外の商談会や出張で営業を続けていましたが、各農家さんにより塩漬けの濃度が違ったり大きさが違ったりして、しっかりとした規格が定まっておらず販売まで繋がりませんでした。

購入・使用する側からすると、塩抜きをする手間の問題や調理法・食べ方を知らない等、しっかりとした規格を統一する事、調理方法や食べ方を認知してもらう事が、販売するまでにクリアしなければならない大きな問題でした。

こんなにおいしいのになかなか販売に繋がらないとなっていた、今からちょうど4年前。

高知県としても、イタドリの県外出荷を進めていこうという取り組みがある事を知りました。

県内でも先進的に取り組みをしていたのは、土佐町の南に位置する高知市土佐山の鏡地区。

情報をキャッチした私は、さっそく地元のJAの方と一緒に視察に向かいました。

そこでは、自生では様々な亜種が存在するイタドリの苗を選別して統一した苗を育苗して、耕作放棄地や休耕田を利用してイタドリの栽培を行っていました。

また県外にも出荷できるようにしっかりと規格を統一し、トレサビリティーも強化して、栽培、加工、出荷を行っていました。

同じような耕作放棄地が増えている問題を抱えている土佐町でもなんとか普及できないかとJAさんはじめ、土佐町役場、高知県庁の方、栽培を考えている農家さん、イタドリを加工できるお母さん方に声をかけていき、多くの人の協力があり、土佐町でも3年前より栽培を始めるに至りました。

それから3年、栽培の仕方や加工の仕方など、毎年毎年、失敗、改善と悪銭苦闘しながらも、昨年度より少しずつ加工した栽培イタドリの出荷を始めております。

 

イタドリよ広がれ

一つの商品が新しくできるまでの道のりは、こんなにも大変なのかと今現在も感じています。

しかしそこには、多くの人が関わり、協力して下さり、一歩ずつ広がりをみせ、だんだんと形になっています。

今年からは新たに一般の方にも手軽に食べて頂けるように、そのイタドリを使った加工品の開発も土佐町石原地区のお母さん達と県内のホテルさんと一緒に進めております。

土佐町、れいほく地域の一つの産品に育てあげるにはまだ道の途中ですが、イタドリがいつか全国の人に知られ、たくさん食される事を目標にしています。

今後も生産者さんを増やしながら、『イタドリ』をメジャーにし、県内でも有数の生産地になる事を夢見て、皆さんと引き続き取り組んでいきます。

高知県に来た際や都市部でも食べる機会がある際は、是非高知県のソウルフード、『イタドリ』を食べてみてください。

 

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土佐町のsanchikara

秦泉寺護・操さん夫妻の『絶品干し芋』

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南国高知と言われておりますが土佐町の冬は雪も降るなど寒い地域です。

主に夏秋栽培(夏・秋に出荷物を栽培する)の地域であり、夏には米ナス、ししとう、カラーピーマン等を中心とした野菜が多く栽培されています。それに比べて冬場は寒さも厳しく生産物は夏・秋に比べて極端に少なくなります。

今回はそんな冬場でも、地元で愛されている秦泉寺夫妻の愛情のこもった手作り『干し芋』を紹介したいと思います。

 

丸一年かけてつくられる

土佐町の中心地より山を登ること15分、土佐町の南東に位置する溜井地区。

集落のほとんどは山間部斜面に位置しており、秦泉寺ご夫妻のご自宅もそんな山々に囲まれた標高500mほどの場所にあります。

護さんで3代目となる農家さんで、お米や四季折々の様々なお野菜を栽培しています。その中の冬のメインの出荷物が干し芋。

製造・出荷時期は冬場の1-4月までの約4か月です。

しかしながらこの絶品の干し芋は、商品になるまで実に一年の期間を要します。

春に旦那さんの護さんと息子さんが土佐町産のたい肥や有機肥料を使い、しっかりと土づくりをした圃場(野菜を作る場所)に紅はるかという品種のさつま芋を、ご夫婦で一本一本丁寧に手作業で定植します。

雑草対策やしっかりとした栽培管理をしながら暑さの厳しい夏を乗り越え、秋にいっきに掘り上げます。そのお芋たちを冷暗所でじっくりと2か月間寝かせます。

お芋からじんわりと芋蜜が出始める年の瀬になると次は奥様の操さんの出番です。

寝かせることで甘さが増したお芋を冬の寒さで手先がかじかむ中、地域のお母さん達と手作業で一つ一つ余分なところを切り落とし、皮を剥き、釜に入れます。

この釜の作業にも秘密があり、水以外に一切何も入れません。しかしながら芋からでる蜜が水に溶け、お芋に絶妙な味付けをするのです。釜で一晩じっくりと煮詰めたものを取り出し、手切りをして乾燥させる。

そうしてできた干し芋たちを、朝早くからの芋の加工作業で疲れている操さんが、皆さんの手に取ってもらいおいしく食べてもらう事を想像しながら、夜中に一つ一つ袋に詰めていくのです。

干し芋に込められた想い

こうして春に植えた、芋の苗たちが一年をかけ、秦泉寺夫妻の手によって『干し芋』という形になっていきます。

食感は固すぎず、柔らかすぎず、噛めば噛むほどお芋本来の甘味が広がる干し芋。黒くなった干し芋は、甘みの凝縮の証です。

地元ではお子さんから年配の方まで幅広い世代に愛されております。

ご夫妻の想いは、地域の良い商品をもっと知ってもらいたい、農業でしっかり稼いで地域の雇用を生み出し、次の世代につないでいきたい。そんな様々な想いがこの絶品『干し芋』には詰まっています。

 

そんな秦泉寺夫妻が作る、干し芋は地元の直売所や高知市内のスーパーで販売しています。県外の方には、インターネットでの購入やふるさと納税でも手に取って頂くことができます。『干し芋』を食べる機会がある際には、そういった想いも一緒に食べて頂けるとありがたいです。

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原田さんの極太スナップエンドウ

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原田正という男

今回は土佐町で、新たに農業を始めた若手農家さん・原田さんを紹介したいと思います。

原田正さん、出身は神奈川県の横浜。私の移住とほぼ同じタイミングで6年前に移住をしてきました。

20代、30代は、農業とは関係のない職業についていましたが東北の大震災を契機に農業や食について興味をもちだし、40歳も近づいたころから、農業を実際にする事を考えだして全国各地を回りながら農業をする場所を探していました。

全国の産地を巡る中で縁あって高知県の土佐町にも訪れ、この場所で農業を始めたいと思い、移住する事になります。

3年間は地元の農業法人で栽培や農業経営の勉強をして、2017年より晴れて独立しました。

農業法人では同僚であり、独立後もsanchikaraで原田さんの作った農産物を取り扱う等、6年間近くで原田さんを見てきましたが、原田さんの農業に対する情熱は半端なものではなく、農業で本気で食っていこうという覚悟がにじみ出ています。

生活の一部といっていいほど農業が暮らしの中心で、作物に対しても常々研究をしており、農業の可能性を常に追求し続けています。

この6年、地元横浜に帰郷するどころか土佐町をほとんど出ていません(笑)

その真剣な農業に対する想いには常に私自身も刺激をうけています。

こんな本気で農作物を作っているんだったら、しっかりとした価値で売りたい、もっと多くの人に知ってもらいたい。一方原田さんももっと良い売り方はないかと、会えば常に農業について話をしています。

時には私も原田さんも、農業に対して頑固な部分も多く、意見が食い違うこともあり、喧嘩のように言い合う事もありますが、それはお互い本気で農業に関わっているからこそ。本気で作って、本気で売る。そこにお互いが足りてないと思えば率直に言い合える関係は、終わって解決してみればいい刺激となって次のモチベーションに繋がっています。

 

違いを生み出す生産者の想い

普段野菜を販売する上で、やはり生産者さんの想いは野菜に色濃く反映されると思っています。

しっかりとした想いをもって、農業に対して勉強をして、食べてもらう消費者の事を考えている農家さんは、間違いなく野菜に違いを与えてくれています。

農業歴こそ多くの地元の農家さんに比べて浅い原田さんではありますが、原田さんの想いは作る野菜にその違いがはっきりと出ています。

原田さんの現在の農業スタイルは、夏に土佐甘長とうがらしという大ぶりのししとうを栽培をしており、冬から春先にかけてスナップエンドウを栽培しています。

土佐町でもスナップエンドウの栽培はずっと行われてきましたが、原田さんのスナップエンドウはまた一味違います。

写真で見て頂いてもわかるように、さやが大きく豆を限界まで太らせます。

さやが大きいことにより、食べた時のシャキッとした食感とみずみずしさ、豆を大きくすることにより豆の甘味を限界まで引き出しています。出荷や梱包に関しても、一つ一つ丁寧に行い、納得がいかない場合は出荷もしないほど。そんな最高のスナップエンドウに、熱い原田さんの想いがのるのです。

私たちが全国のお客さんに販売するとき、取引が始まる前に現地に視察に来られることが多いです。

原田さんの圃場にも年間何十件と視察がやってきます。

視察現場でこだわった野菜と出会い、原田さんと出会いコミュニケーションをとる事で、多くのお客さんはとても気に入ってくださります。

そうやってどんどん扱ってくれる県外のお客さんは毎年毎年増えており、現在では原田さんのスナップはミシェランに載るような一流のレストランや都市圏の百貨店でも取り扱われています。

また地元にもファンがどんどん増えてきており、圃場までわざわざ買いに来る人もいるとのこと。

原田さんは今後もよりいいものを栽培していくでしょうし、より多くの人に食べてもらうように生産量も増やしていくと思います。

私も負けじと、そんな若手の熱い農家が土佐町で生まれてきているんだよという事を一人でも多くの人に知ってもらい、県内県外問わず皆様にも原田さんの野菜を食べてもらえる機会をどんどん提供していきたいと思っています。

 

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はじめに、、、

自分自身の自己紹介を。

私は今から5年前2014年の春、兵庫県より土佐町に移住しました。

前職はまったく農業と関連はありませんでしたが、新しい分野で仕事をしたかったのと、学生から社会人にかけて海外に居住していた事もあり、海外の方が感じる日本の食の評価や日本を離れたところから見た自国の食文化の素晴らしさを再認識し、帰国後は『日本の食』や『農』という分野に係る仕事がしたいなと考える様になりました。

しかしながら当時は農業といっても、小学校の理科の授業でトマトやさつま芋を栽培したことがあったかなかったかというぐらい農業とは無縁であり、農業を深く知る為に生産地に住んで学ぼうとなったのが移住のきっかけでした。

そこから約1年、全国の生産地を実際訪れながら、様々な県を見て回り、様々なご縁があり土佐町にやってきました。

移住してからは土佐町の農業生産団体でお世話になりながら、栽培の勉強や販売の勉強を3年ほどさせて頂き、現在は主に農産物を東京や大阪等都市圏に販売をする事、農産物を通しての土佐町のPRする仕事を主にしております。

 

土佐町の農業の強み

土佐町を含むれいほく地域は決して農業の大産地ではありません。

森林率も8割を超え、決して農業に適した場所とは言い難いと思います。

しかし土佐町を含むれいほく地域はぜんまいやわらび等、山を資源として栽培される山菜は西日本でもトップクラスの生産量があり、原木しいたけの様に山だからこそ栽培できるものもあります。

また標高の高さや寒暖差のある気候を生かして暑い夏秋に、高知県産の野菜として出荷できる事も高知県の農業の一端を担っています。

そもそも北海道や関東・関西の平野地を始めとする大生産地のみが農業で生き残り、土佐町の様な中山間地や規模の小さい産地が後継者不足や規模感の問題等、様々な要因で生産力が失われていっている現状に、非常に危機感を感じています。

日本食は四季と北海道から沖縄まで様々な気候で作られる作物の多様性により、バリエーションがあって世界的に見ても豊かな食文化で評価されており、大きい産地のみが残りそのバリエーションが失われていく事は日本の食にとっても失うものは非常に大きいと感じています。

土佐町の様な中山間地がどうやって今後の日本の農業分野でしっかりと立ち位置をつかみ、産地を継続、維持、発展していくという事は経済的にみれば小さい規模の事ですが日本の食文化にとっては大きい問題だと思っております。

私自身、農業に関わってたった6年やそこらでまだまだ知識も経験も不足しているとは思います。

ですがここにはずっと受け継がれてきた農業の文化がありそれをいろんな方から学びながら、受け継ぐこと、新しく取り組むこと、小さい産地には小さい産地としてできることをしていきたいと思い活動しております。

 

土佐町の農業の価値を伝えたい

めちゃくちゃ固いイントロダクションになってしまいましたが、簡単にいうと、土佐町の農家さん達はこの中山間地の環境でも丁寧に栽培をしており素晴らしいものを作っているからもっと知ってください、価値を知ってもらい食べて下さいという事です。

しっかりとした価値を届けて、しっかりとした価格で商品を買ってもらう事が農業を続けていく上でもっとも大切な事だからです。

たった6年といいましたが、たった6年の間でも多くの農家さんと出会い、色々な形で様々な人と関わらせて頂きました。そんな農家さんの人となりや想いを一人づつ紹介していけたらと思っています。

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