
土佐町の夏祭りは、中島観音堂の祭り「十七夜(じゅうしちや)」で始まり、「野中祭」で終わる。
これが、私が物心ついた頃からの、我が家の、そして町の決まり事のようなものだった。
※正式には「十七夜祭(じゅうちやさい)」と、ポスターにはある。恐らく土佐町民は縮めて「十七夜(じゅうしちや)」と呼んでいるだろう。
中島の観音様は、急勾配の階段を登りきった先に鎮座している。階段には赤いぼんぼり提灯が灯り、ノスタルジックな思いにとらわれる。
まずイカ焼きの匂いを鼻に吸い込み、一歩敷地に足を踏み入れると「夏祭りが始まった」という独特の情熱と熱気に包まれるのだ。
この観音様は雨乞いにご利益があるらしく、不思議と当日に夕立が降ったり、祭りそのものが雨に見舞われたりすることもよくあった。今年は珍しく降らなかったが、来年はどうだろう。
そもそもなぜ「十七夜」というのか、全くわからなかった。そのため責任者に問い合せたところ、『昔は旧暦の6月17日に開催されていたからではないだろうか。』との事である。※もし他に理由を知っている方がおられたら、ぜひ教えて欲しい。
小学生の頃の私は、この「十七夜」の日をまだかまだかと、心待ちにしていた。
観音様にお参りを済ませたら、友達とかき氷を頬張りながら奉納相撲を眺め、屋台を回ったあと階段に座ってよもやま話に夢中になる。これこそが、待ちに待った夏の最初のお楽しみだった。
やがて少し年頃になると、お祭りの楽しみ方も変わってくる。夕立が去った後の少し湿った空気が浴衣にまとわりつき、歩くたびに下駄の隙間に砂が入ってざらつく。「髪型、崩れてないかな……」祭りの途中で、飾りをさした髪を気にするのは、この時期ならではの苦労だった。「アイツ、来てないかな…?」と周りを探す。そんな年もあったように思う。
未成年は22時以降の外出が禁止されているため、21時を過ぎる頃になると学校の先生やPTAの方々が補導のために巡回を始める。
私たちは見つからないように、そして少しでも長くこの特別な空間にいたくて、22時ギリギリまで粘るのだ。そしてタイムリミットが来ると、まるで蜘蛛の子を散らすように各自の家へと帰っていく。
大人になった今、あの追われるような帰り道さえも愛おしく思い返される。もう二度と戻ることはできないけれど、私はあの場所で、間違いなく子供時代というかけがえのない時間を存分に味わい尽くしていたのだと思う。
今回、私1人祭りに足を運んでみたが、昔のような気持ちは抱かなかった。子供たちが親に連れられて、歳上の子供たちは、友人たちと浴衣姿でホットクを食べていた。金髪にピンクの浴衣の外国人の姿も、昔は想像もつかなかった。その時代だからこそ、味わえる楽しみ。
酷暑の薄暮の祭り会場には、私の懐かしく愛おしい思い出だけが漂っていた。




