
例年になく早い梅雨明け、例年になく早い夏の始まり。
土佐町もすっかり夏の風景です。ついこの前まで植えたばかりのように思っていた稲が撮影時(6月末)にはもう青々としています。
夏の田んぼの風景の中で、生き物を見つけては立ち止まり、小石を川面に投げて遊び、見るもの全てが楽しいもののように動き回っていた二人の後ろ姿。
3歳の上田青くん、宙くんの双子兄弟です。
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図らずもTPP。あっちのTPPではありません。
土佐町在住の写真家、石川拓也がひと月に1枚のポストカードを作るプロジェクト。
2016年11月から始まり、たまに遅れたりもしながら、いちおう、今のところ、毎月1枚発表しています。
各ポストカードは土佐町役場の玄関と道の駅さめうらにて無料で配布しています。

例年になく早い梅雨明け、例年になく早い夏の始まり。
土佐町もすっかり夏の風景です。ついこの前まで植えたばかりのように思っていた稲が撮影時(6月末)にはもう青々としています。
夏の田んぼの風景の中で、生き物を見つけては立ち止まり、小石を川面に投げて遊び、見るもの全てが楽しいもののように動き回っていた二人の後ろ姿。
3歳の上田青くん、宙くんの双子兄弟です。

西内理さんは土佐町中島生まれ。高校卒業後、役場職員になるも四国電力に勤める方とご結婚されたことで転勤生活が始まります。
土佐山田→梼原→吾北→高知市、そして高松に落ち着いたそうです。現在は土佐町に戻り中島に暮らしています。

「95年間のキヨ婆さんの思い出」でいつも素敵な文章を寄せてくれる近藤潔さん。今年100歳!!
美容師(当時は髪結いと呼んだ)や道路工事などいろいろなお仕事をされていた潔さんは、高知新聞での電話交換手をされていたこともあったそうです。
ところが空襲で全てが焼け、故郷の相川へ戻ってきたそうです。その後、栗木の方とご結婚され、今でもお家は栗木にあります。

森岡浅子さんは中島育ち。現在86歳。
役場に長く勤められていたそうです。とんからりんの立ち上げから関わり、「楽しく生きることを生きがいにしています」と楽しそうに仰っていました。

川の水がとてもきれいに輝いているように見えました。春の日差しになってきているからでしょうか?
仲良く岩の上に座っているのは、竹政望乃ちゃんと那央くんの姉弟です。

土佐町北境育ちの森幸子さん。土居小学校から森中学校へ通いました。
6人兄弟の長女で、19歳の頃結婚。小学校の時に終戦を迎えますが、実家は農家さん。「後で言われるように、あの頃ひもじい思いをしたことは一度もなかった」と言っていました。

中町禮子さんは土佐山村育ち。現在88歳。土佐山村のお百姓さんの家で育ち、子供の頃はお米はほとんど食べたことなかったと笑っていました。
土佐山村からだと高知市の空襲の時は上から見渡せて、空が真っ赤になり怖かった、忘れることはできん、と言っていました。

本山町山﨑生まれ。89歳の矢田美佐子さん。木能津小学校から本山町立中学校で学びました。当時、同級生は13人だったそうです。
9歳の時に終戦。一度だけ校庭にジープに乗ったアメリカ兵が来たことがある、何か話しかけられたんだけど、その時は怖くて屋内に飛び込んだと言っていました。

西村民子さん、昭和5年生まれ(1930年)。現在は大谷に住われている民子さんは、元々は南川生まれ。
同じく南川のご親戚に子供がいなかったため、子どもの頃に養女になったそうです。
南川の方と結婚し、お子さんも4人育てられたそうです。北泉で田んぼを持っていたのでそちらに引っ越し、その時代はさめうらダムがちょうど着工の年だったと言います。

大川村で生まれ育った伊藤千代野さん。15歳まで大川村の学校に通い、卒業後は岡山の織物工場で働いたそうです。時代は1960年頃。
6,7年岡山での暮らしをした後に、一度大川村に戻り、その後22歳で土佐町の方の元に嫁いできたそうです。
当初のお住まいは柚木。バスで中島の縫製工場に通い、縫い子としての仕事を17年続けました。
松島被服、タカラ繊維といった大きな工場が中島にあったそうで、70人もいる社員とともにスキー服の縫製などをされていました。