
田井山 | 竹政奏汰
梅雨の終わり頃の田井山。空気はしっとりと湿っていますが、緑は元気。本格的な夏に向けて水分を蓄えているような印象です。
田井山は田井の町の南側に位置する山。田井の市街地から歩いてすぐ写真のような山道が始まります。
日常生活の中にこのような自然があることに豊かさを感じます。
緑の中を元気に走っているのは竹政奏汰くんです。普段から陸上競技をやっているそうで、走りが逞しいです。
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掲載開始日
図らずもTPP。あっちのTPPではありません。
土佐町在住の写真家、石川拓也がひと月に1枚のポストカードを作るプロジェクト。
2016年11月から始まり、たまに遅れたりもしながら、いちおう、今のところ、毎月1枚発表しています。
各ポストカードは土佐町役場の玄関と道の駅さめうらにて無料で配布しています。

田井山 | 竹政奏汰
梅雨の終わり頃の田井山。空気はしっとりと湿っていますが、緑は元気。本格的な夏に向けて水分を蓄えているような印象です。
田井山は田井の町の南側に位置する山。田井の市街地から歩いてすぐ写真のような山道が始まります。
日常生活の中にこのような自然があることに豊かさを感じます。
緑の中を元気に走っているのは竹政奏汰くんです。普段から陸上競技をやっているそうで、走りが逞しいです。

南川生まれの西村民子さん。昭和5年生まれの93歳! お元気です。
南川で暮らしていた民子さんご家族、さめうらダム建設時に森地区へ移りました。
田んぼのない南川で暮らしていたご主人は、「森で田んぼがしたい!」と2反の田んぼがついたお家を購入。
その後は森でお米を作る暮らしをしていたそうです。

小笠原百合子さんは、大正15年生まれ。98歳です。お元気!
相川の高須に生まれ、現在は長らく田井にお住まいです。
農家さんをやったり、炭を作っていたこともあったそうです。
看護師の資格を使い、40歳の頃から田井内科で10年、その後老人ホームの職員として10年お仕事をされていたそうです。
田井内科時代の患者さんから声をかけられることが今でもあるそうです。

昭和11年生まれの高橋千枝さん。生まれは汗見川の上流の七戸という集落だそうです。
24歳の時に南川の方とご結婚され、26歳で田井へ移ったということです。
「ご結婚はいつ頃ですか?」 という質問に、
「24歳の2月14日です」とさらっと答えられたのが印象的でした。

稲村愛子さんは、現在99歳。お元気!
現在では田井の元気村でお住まいとのことです。生まれは大正14年、相川の白石。
23歳の時分、南泉のご主人の元へ嫁入りし、以来ずっと農家さんをされていたそうです。
結婚以前は4年間、家庭科の教師をされていて、高知市長浜の学校などで教鞭を取られたそうです。
洋裁やパッチワークが得意で、土佐町立図書館などには愛子さんが作った作品が飾られています。

前田典子さん、昭和10年宇佐生まれ宇佐育ち。ご両親は宇佐で薬局を営んでいたそうです。薬剤師のお父様は戦争に出征し、その後をお母様が引き継ぎ経営していたそうです。
22才で土佐町石原出身のご主人と高知市で結婚され、長らく市内で製材所を営んでいらっしゃったということです。
その後ご主人の故郷である石原へ移り、以来30年石原にお住まいです。
この年代の方々とお話ししていると、当たり前ですが人生に深く影響している戦争の影を感じます。
大変な時代だった、と笑顔でお話しされる方々が多いのですが、ある日突然「出征しなさい」と自身に、または愛する家族や友人に、命令が届く。
そんな当時の過酷な現実は今ではお話を聞いて想像する以外ないのですが、お話を聞けば聞くほど、少しずつ現実的に捉えられるようになると思います。

四万十町生まれ、佐川町の高校を出て、神奈川の短大に通った敦子さん。お父様のお仕事の関係で転勤が多かったそうです。
ご結婚を機に地蔵寺で住み始めたということでした。


現在は中島にお住まいの川村邦博さん。85歳だそうです。お元気!
この写真を撮影したのは上津川。邦博さんは背景に写っている家で生まれ育ったそうです。30年ほど前に中島に引っ越したのですが、今でもこうして家屋の整備をしに上津川へたびたびいらっしゃるとのことでした。
邦博さんの少年時代は、現在の舗装路もなく細い山道が家の前を通っていました。その道を辿って山を越えると大川村の白滝鉱山に着いたそうです。
そこを徒歩の人やリヤカー、馬を引いた人などが行き来して、上津川には旅人が宿泊できる旅館もあったそうです。

昭和12年生まれ。本山町の汗見川育ちの川村璋さんは、20歳のときに地蔵寺にお嫁に来られたそうです。
以来、時代の変遷とともにずっと地蔵寺を見てきた璋さんです。