2021年2月

笹のいえ

落花生

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みんな大好き、落花生。

千葉から持って来た種を毎年自家採種して、もう六年くらいになる。土佐の土質や気候と相性が良いのか、毎年よく生ってくれて、美味しいピーナツを堪能している。

田畑の作付けは、家族が暮らしていくのに必要な作物、特に子どもたちが好きな種類を多く育てることになる。米、大豆、小麦、里芋、空豆、トマトにキュウリ、えんどう豆など。落花生もそうやって年々収量を増やしてきた。

落花生に限らず、どの野菜も、育ててみると、手間暇が掛かることが分かる。

先シーズンは五畝くらい植えつけた。が、これがなかなかの作業量だった。

落花生は定植後、草取りを適宜行っていれば、実を掘り上げるまでそれほど手間は掛からない。収穫してから口に入るまでの時間が長いのだ。

まず、株を掘り起こしたら畑でしばらく乾燥させるが、ネズミやカラスなどの食害を気を配らないといけない。次に、竹竿で天日干しをしてさらに乾燥させた後、さやを株から外して収穫。この時の乾燥が不十分だと保管中にカビることがある。そして、さやから実を取り出し、炒ってやっと食べられる。

国産の落花生はそこそこ高価だけれど、自分で育ててみると、その理由がよく分かる。もちろん市販のものはすべて手作業ではないだろうけれど。

 

冬の寒い日や雨の日に殻剥きするのが、僕の好きな時間だ。

薪ストーブの横でぬくぬくしながら、好きな音楽を聴きながら、コーヒーを飲みつつ、ひとり静かに作業する、、、のが、最高だけれど、たいていは子どもの相手をしながらだったり、他の作業をしながらだったりで、少しずつ進めることになる。

取り出した落花生は、三種類くらいに選別する。実が大きいのは食べるよう、小さいのは集めておいて水で戻してから茹でてあんこにしたら美味しい。もっと小さいのやカビてるのは鶏用。殻はコンポストへ。

自家製は育てた苦労があるから無駄にできないし、全てを利用でき、土に還せるから嬉しい。

ある程度の量になったら、ストーブのオーブンに入れて炒る。何度も味見をしながら、ちょうど良い加減で冷ましてからいただく。

種まきから食べるまでの労力を考えたら、多少高くたって、買っちゃった方が楽だ。それでも、一粒口に放り込んで「美味しい!」と言ってくれる家族の一言には、お金では買えない何かがそこにある。

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私の一冊

石川拓也

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『墨攻』 森秀樹  酒見賢一(原作) 小学館

「墨守する」という言葉の語源にあたる「墨家」 は、古代中国に実在した思想集団です。

乱世の世にあって、儒家や法家などと並んで活躍した時代もあったようですが、歴史の中でいつしか消滅していきました。

その思想は古代にあってとても稀有で、「兼愛公利(けんあいこうり)」と「非攻(ひこう)」を軸にしていました。

「兼愛」は「広く愛する」、「公利」は「自己中心的にならずに互いの幸福を増幅する」という意味です。仏教の「利他」に近いのかもしれません。

もう一つの「非攻」は文字通りの「攻めること勿れ」。平和主義の非戦論です。

「非攻」という思想を軸にして、墨家には高度な守城技術や築城技術が伝承していたそうです。つまり、守りの技術。自分たちから敵を攻めることはしないが、攻められた時には徹底的に守り抜くという姿勢です。

このマンガは、墨家の一員である革離が、趙軍に攻められている梁城に単身乗り込み、趙の大軍を相手に梁城を守るために手を尽くすというストーリー。

日中韓合同で実写映画化もされたので、そちらをご存知の方が多いのかもしれません。

 

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私の一冊

古川佳代子

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「ぼくにだけ見えるジェシカ 」 アンドリュー・ノリス作, 橋本恵訳  徳間書店

コロナ感染防止対策に明け暮れた2020年。様々な事柄にコロナ禍の影響が感じられます。

なかでも子どもの自殺率が倍加したとのデータには、ただただ心が痛むばかりです。 大なり小なり、人は生きていく中で一度は「ここで命をたったら楽になれる…」と思うことがあるかもしれません。そんなとき、踏みとどまらせてくれるのは家族や友人の存在、あるいはお気に入りの本の中のひと言が、「あと一日だけ生きてみる」支えになってくれるかもしれません。

フランシスはファッションに興味がある男の子です。ところがそのことが校内みんなに知られて以来、フランシスは学校で孤立してしまいます。誰からも距離をおかれたフランシスに寄り添ってくれたのが、幽霊となったジェシカでした。見えないはずのジェシカの姿をフランシスだけは見ることができたのです。ファッションに興味があるフランシスを当たり前に受けいれ、その才能を評価してくれるジェシカのおかげでフランシスは少しずつ自信をとりもどしていきます。

そんなとき、また一人、ジェシカを見ることができる仲間ができます。ジェシカを見られる条件は?そしてジェシカが幽霊になったそのわけは?

毎日を精いっぱい生き延びている人たちにそっと手渡したい物語です。

 

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くだらな土佐弁辞典

けんつ

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 けんつ

【名】先が鋭くとがった状態のもの

 

例① 鉛筆をけんつにといじゅう (鉛筆を尖った状態に研いでいる)

例② 鼻先がけんつ (上図を参照のこと)

 

 

 

 

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私の一冊

西野内小代

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「そこにある山」 角幡唯介 中央公論新社

著者は、作家さんであり冒険家さんです。何冊か「とさちょうものがたり」でも紹介させて頂きました。

新聞でこの本の情報を見つけ早速ネット注文。ワクワクしながらページを開いた。ん?何か違う…?

私の想像していた内容とは遥か異次元のテーマでした。

「結婚」と「冒険」について哲学的に解明、結婚に至る心の動きや、北極に取りつかれてしまった現在の状況を冷静に分析、事の始まりと結果に至る因果関係を見極め、この作品において再確認しているような印象を受けました。

言葉の定義づけを理解するのに苦労しましたが、なんとなく著者の哲学思想にねじ伏せられた読後感です。

 

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笹のいえ

子どもと遊ぶ

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続き

 

僕はどちらかと言うと、子どもたちが遊んでいるのを見守ることが多い。一緒に遊ぶより、全体を俯瞰的に観察して、安全面や流れを観察している。だから特に長女と長男は、僕のことを「遊びの外側にいる人」として認識してるようにみえる。誘われることもあまりないし、「子どもたちだけでどうぞ」と断ることもある。やるべき仕事や予定があって時間が取れないことが言い訳リストの第一位だけれど、一緒に遊んだら遊んだで、やれ、それは危ないとか、それはルールと違うとか、「正しい」大人目線で場を仕切ってしまい、途端につまらなくなってしまう。だから僕が中途半端に参加するより、彼らで自由に楽しむのが一番だと考えてる。

しかしこの日のように、彼らの世界に全身で飛び込んでみると、僕は「仲間」として歓迎されることになった。ともに走り、飛び跳ね、疲れて動けなくなるまで遊ぶ。もうすっかり忘れてしまったピュアな感覚や遊びの外からでは分からない風景がそこにあった。子どもたちのエネルギーが溢れ、笑顔が輝かしい。きっと僕もめちゃ笑ってたと思う。そこには帰らなきゃいけない時間やこの後の予定なんて存在すらしていないように思える。毎回は無理っぽいけど、また仲間に入れてもらおうかな。

翌日から数日、僕は筋肉痛に悩まされることになったけれど。

 

写真:例えば、このシャボン玉遊び。部屋が汚れるから外でやりなさい、こぼれるから容器をちゃんと持ちなさい、もったいないから大事に使いなさい、終わったら手を洗いなさい、風邪を引くから服を着なさい、足が汚れるから靴を履きなさい、等々。前後の予定(ご飯やお風呂の時間など)を合わせればこの倍くらいの小言を言いたくなるので、ま、楽しそうだからいっか、とシャッターを押すだけにした。

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