メディアとお手紙

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朝日新聞全国版「ひと」に掲載されました。

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朝日新聞全国版「ひと」に、とさちょうものがたり編集長石川が掲載されました。

朝日新聞記者、浜田奈美さんが6月に行われた「石川拓也とさちょう写真展」開始前日から高知入りし、取材に来てくださいました。ありがとうございます!

 

土佐町の人ひとりひとりのもとへ訪れ、出会い、『「記憶」を地道に積み上げていく』 4001プロジェクト。

この記事をきっかけに、「土佐町」の記憶が、多くの人に届きますように。

 

 

ひと  高知県土佐町で町民全員の撮影にとりくむ写真家  石川拓也さん(43)

雪の山道を笑顔で歩く老婦人。原っぱでにっこり笑う少女。早朝のバスをまつ姉妹ーー。高知県の山あいの土佐町で、約4千人の町民全員の撮影に挑戦している。
人々の自然な表情と暮らしを写し、町公認のウェブマガジン「とさちょうものがたり」に掲載する。人口にちなんで「4001プロジェクト」と名付け、「全員もれなく撮影する」と宣言した。

東京でレディー・ガガや桑田佳祐ら数々の著名人を撮っていた。だが、出版社などからの「依頼仕事」だけでは何かもの足りない。
撮影で全国を回った際、「断トツに人間がユニーク」と高知に魅了された。2年前、「地域おこし協力隊」として土佐町に移り住む。町民の暮らしを写真などで発信する仕事に手応えを感じた。

超高齢化という地方の現実にも直面した。「今度撮らせて」と声をかけた人を再訪すると、すでに亡くなっていた。そんな経験から、撮影とは、一人ひとりを歴史に刻む作業であると考える。

互いの距離感が近い暮らしの中で被写体との向き合い方も変わった。「目の前に笑顔で立つ人の存在感と、その場の空気感が伝わればいい」。技法にこだわらず、隣人へのあいさつのようにシャッターを押すようになった。

まもなく100人。撮影ペースを上げ、人と町の「記憶」を地道に積み上げていくつもりだ。

(浜田奈美)

 

 

・朝日新聞社に無断で転載することを禁じます

・朝日新聞2018/7/15掲載(18-3421)

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「土佐町の人、空気切り取る」高知新聞掲載!

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2018年6月13日、ただいま開催中の「石川拓也とさちょう写真展」の様子が高知新聞に掲載されました。

高知新聞嶺北支局 森本敦士さんが書いてくださいました。ありがとうございます!

この記事をきっかけに、高知市などからお客様が会場に足を運んでくださり、あらたなテレビの取材も受けました。

この新聞の写真は、6月2日の写真展オープニングイベントの様子です。布に印刷された写真が風に揺れ、来てくださった人たちが作り出していたあの日の「空気」が確かに写っています。

 

土佐町の人、空気切り取る

【嶺北】
土佐郡土佐町土居の青木幹勇記念館で、写真家で町地域おこし協力隊の石川拓也さん(43)による「土佐町写真展」が行われている。町民や景色、その場の雰囲気まで切り取ったような写真を布に印刷。つるされた48作品が風に揺れている。30日まで。

石川さんは世界各地を旅し、雑誌や広告で著名人らの撮影もしてきたが2016年に同町に移住。昨年6月からは町の魅力を発信すするプロジェクト「とさちょうものがたり」を立ち上げ、写真や記事を掲載している。

写真展には、全町民の肖像を撮る「4001プロジェクト」や、町広報誌の表紙に使われた景色などの写真を縦120センチ、横80センチの布に印刷。洗濯物のように上からつり下げ、外からの風で揺れるように展示した。

撮影された筒井政利さん(91)と重子さん(89)夫妻=地蔵寺=は「普段着のままの素顔が写っている」と笑顔。訪れた町民は「当たり前と思っていた町がこんなにすてきだと驚いた」と話していた。

ほかには四季の動画「キネマ土佐町」を上映。町内の障害者就労支援事業所と共に作るロゴ入りポロシャツなども販売している。

(森本敦士)

 

写真展は6月30日まで。多くの人に、土佐町の空気を感じていただけたらうれしいです。

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「とさちょうものがたり」高知新聞掲載!

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2018年5月28日、高知新聞にとさちょうものがたりの取り組みが掲載されました。

高知新聞嶺北支局の森本敦士さんが書いてくれました。ありがとうございます。

この記事は高知県だけではなく愛媛・香川・徳島、四国4県の新聞にも掲載されました。

どんぐりとの取り組みが多くの人に伝わっていくといいなと思っています。

この記事を読んで、どんぐりのメンバーさんもとても喜んでいたとのこと。

これからも小さな一歩を積み重ねていきたいと思います。

 

【地域を創る 四国を拓く  四社連載企画】

町の魅力を再発見  とさちょうものがたり(土佐町)

 

「あなたの町はどんな所?」と問われたらなんと答えますかー。

豊かな自然、人のぬくもり…。土佐郡土佐町のプロジェクト「とさちょうものがたり」が伝えようとするのは、一言では言い表せない町の魅力だ。それを映像や文章、デザインなどあらゆる手法を用いて、町内外に発信している。

仕掛け人は、まちが2016年に地域おこし協力隊として雇用した写真家の石川拓也さん(43)=千葉県出身。世界を旅し、雑誌や広告の世界で活躍していたが、「自分の見たい世界がここにある」と、人口約4千人の土佐町に移住した。

石川さんは「田舎には何もないと住民は言う。だけど、東京都は違う価値観があり、それからそれが大事になってくる。まず住民に自分の町を再発見してもらいたい」とし、「とさちょうものがたり」を始めた。自身や住民が書いた様々な町の記事をウェブサイトで発信する。

町内の美しい景観を撮影し、ポストカードや動画「キネマ土佐町」として公開。全町民の写真を載せようという「4001プロジェクト」も継続中だ。

住民が寄せた記事も味がある。1950年代生まれの執筆者によるリレーコラム、母が受け継いで来た料理の作り方、古い写真にまつわる人の記憶、好きな本の紹介ーなど、読み進めると土佐町民の暮らしの息遣いが感じ取れる。

活動はウェブサイト上にとどまらない。国内外で活躍する画家や歌手を招いたイベントを開催。町の魅力が彼らを通してロゴや絵、歌などに形を変え、町に残っている。谷川俊太郎さんの絵本の挿絵などを担当した下田昌克さん(50)=東京都=の来町は、新たな事業創出につながった。

下田さんの絵をプリントした服などをイベントで販売したところ好評で事業化することに。今年4月から町内の障がい者就労支援事業所「れいほくの里どんぐり」にプリント業務を委託し、絵と町のロゴが入った衣類の受注生産を始めた。

作業する利用者の反応も上々で、事業所管理者の上田浩子さん(40)は「(利用者の)工賃アップになり、職員以外の人とも関わることができる。協力して事業を大きくしていけたら」と期待を寄せる。

石川さんは「自分たちが面白がって、町の人が喜んでもらえることをやりたい。(町の魅力のような)輪郭のないものは、小さな話を集めると見えてくる」と話す。土佐町の物語を紡いでいくプロジェクト。今後、ストーリーがどう展開していくか、まだ誰も知らない。

(嶺北支局・森本敦士)

メモ:

「とさちょうものがたり」は2017年6月にウェブサイト(https://tosacho.com/)を開設。記事をほぼ毎日掲載している。今年4月から編集部の母体として任意団体「風」を立ち上げ、土佐町から委託を受けている。衣類プリントの注文はウェブサイトか、町役場総務企画課(0887-82-0480)へ。

 

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『日常写し 物語発信』 読売新聞に掲載されました

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とさちょうものがたり編集長・石川の記事が、読売新聞高知版に掲載されました。

2018年4月15日、読売新聞高知版「人あり」に掲載されました。
福田記者が土佐町に来て取材し、記事を書いてくださいました。
ありがとうございます!

人あり  『日常写し 物語発信』 土佐町移住の写真家 石川拓也さん

県北部、豊かな自然に囲まれた人口約4000人の土佐町に、写真家として世界中を旅し、雑誌「SWITCH」などで、人気歌手のレディー・ガガさんや桑田佳祐さんら著名人の撮影も手がけた石川拓也さん(43)が移り住み、町の情報発信に取り組んでいる。「『何もない田舎によく来てくれて』」とみんな言うけど、何でもあるよね。この町のすごさを町の人たちに気づいてもらうことも、大きな目的」と熱く語る。

広報誌デザイン

千葉市出身で、大学を中退し、世界中を旅する中で、写真を撮り始めた。紛争中のボスニア・ヘルツェゴビナで報道写真を撮っていたこともあるが、「極限状態よりも、日常のなかで違う視点を提案するとか、誰もが気づいていない美しさを表現する方が性には合ってるんじゃないか」と、ニューヨークや東京を拠点にして活動を続けた。

高知は何度も訪れたことがあったが、同町に初めて足を運んだのは2016年春。役場職員から「町の広報がうまく機能していない」という話を聞き、「それだったら、俺やるよ」と即決。その年の8月に移住し、「地域おこし協力隊」の隊員として働き始め、町の広報誌の表紙をデザインするようになった。

■新しいサイト

昨年6月には新たな町のウェブサイト「とさちょうものがたり」を開設した。広報誌とはひと味違った視点で町の魅力を発信しようと、自ら撮影した写真付きで町民の「人となり」を紹介したり、町民オススメの書籍をメッセージを添えて共有したり。また、町の広報活動だけでなく、イベント企画やフリーペーパーの発行、町内で開催されたライブのCD化など活動の裾野を広げている。

「『そもそも、生きるってなんだっけ』というような深いところから表現すれば、都会にいる人も、他の地域にいる人も誰しも共感できる物語がある」

■意識を変えたい

豊かな自然のなかで夏に川遊び、庭先で作っている野菜の驚くほどのおいしさ。町民にとってはあたりまえのものでも、町外から来た人にとっては魅力的なものはいっぱいある。

「でかい話になっちゃうけど、ちょっとずつ町の人の意識が変わっていくといいなって。町民が外に出て『うちの町ってこんなにすごいんやで』と言うのか、『何もない田舎ですわ』と言うか。その差は大きい」と目を輝かせる。

 

 

【取材後記】 感性もたらす心の変化期待

田んぼや渓谷などの風景を切り取った写真に、「こうほう とさちょう」というタイトルと町のロゴを加えたシンプルな表紙。「こんなオシャレな広報誌があるんだ」と手に取り、どこか懐かしい風景だなと思いを巡らせた。

やっと手がけた本人に会うことができた。世界中を旅していた頃の痛快なエピソードを振り返り、「バカじゃないとできない。世の中を知らなくて。すっごいバカだったのが、40歳過ぎて、ちょっとバカくらいになった」と明るく笑う。

一転して、真剣な表情から紡ぎ出される言葉は、「人間が生きていく適正な共同体の大きさとは何か」「肩書とか人間が身に着けているものは記号」など、生きることに対しての本質的な問いだ。

「世の中に垂れ流されている都会の価値観に巻き込まれて『都会はかっこいい、田舎はダメ』になっちゃう。おしゃれなカフェなんてなくても、何千年も人間は生きてきた。『カフェがない田舎はダサい』というのはすごく表面的。何が、本当に必要なものかという問いかけこそが大切」と語ってくれた。

世界を旅し、いろんな人の暮らしを見て、たどりついた境地だろう。石川さんの感性が、町内外の人の心にどんな変化をもたらすか楽しみだ。

(福田友紀子)

 

 

たくさんの人に読んでいただけたらうれしいです!

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高知新聞に掲載していただきました!

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2018年3月7日、高知新聞に掲載していただきました。

とさちょうものがたりが制作した「とさちょうものがたりZINE」と「Live in 土佐町 西村ユウキCD」についての記事です。

この記事を読んで、販売場所の一つである土佐町の青木幹勇記念館に足を運び、CDを買い求めてくださった人がいたことを、記念館にお勤めの田岡三代さんがうれしそうに教えてくれました。

 

土佐町の風物、笑顔凝縮

【嶺北】土佐郡土佐町の魅力を町内外に発信する町のプロジェクト「とさちょうものがたり」にちなみ、町民らの似顔絵をまとめた冊子と「土佐町のうた」を収録したCDが出来上がった。似顔絵は「絵描き」として活躍する下田昌克さん=東京都、曲はアコースティックギターの弾き語りで知られる西村ユウキさん=横浜市=が手掛けており、アーティストの手で輝きを増した人々の笑顔や町の風物に心が和む。

2人は昨年10月に相次いで来町し、数日間滞在して、人や自然と触れ合いながら作品を制作した。
下田さんの似顔絵を収めた冊子は、プロジェクトの活動報告として不定期発行する予定の第1弾で、タイトルは「とさちょうものがたりZINE」。今回はA4版46ページに37人の笑顔が並び、下田さんの滞在中の様子が伝わる写真と文章も添えた。
CDには、ミュージシャンの西村さんが町内の旧平石小学校で行ったライブ音源を収録した。西村さんが滞在中に作った「土佐町のうた」も入っている。
町地域おこし協力隊で「とさちょうものがたり」編集長を務める写真家の石川拓也さん(43)は「アーティストと町民で作ったもので、町の魅力が伝わると思う」と話している。

冊子は嶺北地域の役場や図書館などのほか、高知市の金光堂書店本店や高知龍馬空港でも配布。CDは1枚千円で、土佐町の青木幹勇記念館などで販売している。問い合わせ先はメールinfo@tosacho.com

森本敦士

 

そして高知市にある金光堂書店本店からも連絡が!

「新聞記事を読んだとのことで、高知市民図書館から『とさちょうものがたりZINE』と西村ユウキさんのCDを購入したいと連絡があった。納品してほしい」とのこと。

金光堂さん、高知市民図書館さん、ありがとうございます!
多くの人のもとへ届きますようにと願っています。

 

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下田さん新聞記事

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  下田昌克さんが土佐町に滞在したことが高知新聞の記事に掲載されました。

下田さんが土佐町へ来たきっかけは、とさちょうものがたり編集長の石川と下田さんが旧来の友人であり、そのご縁で実現したことでした。

下田さんに土佐町の人たちの絵や風景の絵を描いてもらい、土佐町にある「当たり前のような」ものごとをまた違った角度で見つめることで、町のよさを再確認することができたらと考えました。

下田昌克さんは2017年10月2日から9日、土佐町に滞在し、土佐町の人たちや風景の絵をたくさん描いてくれました。

 

その前後を通じ、高知新聞嶺北支局の森本敦士さんが3回にわたって記事を書いてくれました。

 

・1回目  2017年9月29日

「絵描き」下田昌克さん 土佐町を描く

【嶺北】
土佐郡土佐町教委は10月2~8日、谷川俊太郎さんの絵本で絵を担当するなど「絵描き」として活躍する下田昌克さん(50)
=東京在住=を招き、住民や風景をモチーフに制作してもらうイベントを行う。
写真家で町地域おこし協力隊員の石川拓也さん(43)が下田さんと一緒に仕事をしたことがあり、その縁で実現。下田さんは世界各地を旅しながら描きためた肖像画を日本の雑誌で連載したり、布で恐竜の骨格標本を作って話題を呼んだり、多彩に活躍している。
下田さんは土佐町に滞在中、各地区に出向いて絵筆を振るう予定で、4日はみつば保育園の年長26人、5日に土佐町小学校2年生24人と一緒に絵を描く。
最終日の8日午後1時から同町土居の青木幹勇記念館で、下田さんと町民が制作した作品を展示し、午後3時からトークショーも予定。入場無料。町教委は、今回の作品を基にしたグッズ製作も計画している。

 

 

・2回目 2017年10月11日

土佐町 笑顔輝く肖像画 下田さん町歩き描く

【嶺北】
「絵描き」の下田昌克さん(50)=東京都=が1~9日、スケッチブックとクレヨンを手に土佐郡土佐町を訪れ、保育園や街角、棚田など町内を回って住民の絵を描いた。下田さんが人懐っこく「にっ」と笑うと向かい合った人もつられて「にこっ」。仕上がった肖像画はみなカラフルに笑っている。下田さんは「楽しかったよ。また来たいね〜」と言い残して町を後にした。描きためた絵の展覧会が、土佐町土居の青木幹勇記念館で29日まで開かれている。

下田さんは神戸市出身。26歳から中国やチベット、ヨーロッパなどを訪問し、旅先で出会った人の肖像画を帰国後、雑誌で連載。また、谷川俊太郎さんの絵本の絵を担当したほか、布で恐竜の骨格標本を作って話題を呼んだり、舞台芸術を手掛けたりと、多方面で活躍している。写真家で町地域おこし協力隊の石川拓也さん(43)と仕事をしたことがある縁で町教委が招いた。

下田さんは滞在中、町内のみつば保育園と土佐町小学校に出向き、子どもたちと共に高さ2.7メートル、幅5.5メートルの紙いっぱいにクジラや怪獣など、思い思いの絵を描いた。保育士の山下志保さん(48)は「下田さんの色使いをまねて、子どもの絵が変わった」と話す。

下田さんが肖像画を描く姿は圧巻。対面するとすぐにクレヨンを取り、笑顔で相手をさっと見てはどんどん手を動かす。描きながら話もする。「僕、ほんとはサラリーマンになりたかったんだあ。チベット人に絵を褒められてなかったらやってなかったかもー」。黄色で輪郭をつくり、ピンクを重ねると絵の表情は一気に立体感を帯びる。緑も紫も使う。

「調子いいときは、色が粒になって見えるんだよな」。肖像画は15分ほどで出来上がり、隠された色が、表情が、下田さんの手によって浮かび上がる。

展覧会は8日に開幕し、約30人の肖像画や滞在中の様子を収めた写真や動画が並んだ。訪れた人は見知った顔を見つけては「いい表情」などと感心しきり。下田さんが描いたアケビやシイタケの絵をTシャツとバッグにプリントした町オリジナルの品も完成した。                                          (森本敦士)

 

 

・3回目  2017年10月26日

魅力再発見

なぜ笑顔の絵ばかりなのか。

先日、土佐町で町民の肖像画を描いた画家の下田昌克さん(50)=東京都=に問うた。
すると、「みんな笑顔なんだもん」。

自分も描いてもらって理由が分かった。それは下田さんの無邪気な笑顔が目の前にあったから。恐らく誰もが頰を緩めてしまうのだろう。出来上がった自分は自分でも気付かない新鮮な表情だった。

下田さんが製作した肖像画は町内で29日まで展示されている。初対面で描くのは得意ではないそうだが、今回「(人との距離が)壁がなくて近い。超楽しかった」とモデルの魅力を存分に引き出していた。

下田さんを招いたのは、町の魅力を発信するプロジェクト「とさちょうものがたり」を立ち上げた地域おこし協力隊の石川拓也さん(43)。写真家として世界を旅し、レディー・ガガさんらを撮影した華やかな経歴もあるが、「生きていくための全てが土佐町にある」と昨夏移住した。

石川さんは町民性や文化もブランド化できると信じる。下田さんらプロの感性を通じ、住民が町の魅力を再確認するきっかけにしてほしいと願う。当たり前を誇りや強みに変える“再発見”の取り組み。必ず発信できるものが見つかるはずだ。

(嶺北・森本敦士)

 

下田さんが描いた絵とその時の出来事の様子は、土佐町のフリーペーパー「とさちょうものがたり ZINE 01   下田昌克、土佐町を描く」に詳しく掲載されています。ぜひ多くの人に読んでいただけたらと願っています。

 

[創刊号] とさちょうものがたり ZINE 01

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佐々井秀嶺さん新聞記事

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2017 年6月 21日、インド仏教徒の指導者である佐々井秀嶺さんが土佐町で講演をされました。

 

佐々井秀嶺さんが土佐町に来てくださったのは、この新聞記事がきっかけでした。

2016年11月28日の高知新聞。

土佐町在住の写真家、石川拓也の新聞連載『インド!インド!インド!』。
その中の一話です。共同通信社から配信され高知新聞はじめ多くの地方紙に掲載されました。

この記事を読んだ石川の知人が、2017年6月に佐々井さんが日本に帰国することを教えてくれました。「土佐町に来てもらえませんか」と南天会を通じて連絡を取ったところ、佐々井さんは快諾してくださいました。

石川がインドで佐々井さんを訪ねたこと、新聞連載に書いたこと、それを読んだ友人が連絡をくれたこと、来てほしいと伝えたこと。
そのひとつひとつの出来事がつながって、実現した講演会でした。

インドに生きる日本人僧侶・佐々井秀嶺

インドのナグプールは、「インドのヘソ」と呼ばれている。インド亜大陸のほぼ中央に位置しているからだ。

この街は、インド仏教信仰の中心地。ヒンズー教徒が圧倒的に多いインドだが、一説では仏教徒も1億人以上存在しているという。商売や人間関係のために表立って言えない「隠れ仏教徒」を合わせると2億人にも達するとも。

人口も定かではないこの国で、正確な仏教徒の数を把握するのは無茶な話らしいのだが、「とにかく多い、そして増え続けている」ということのようだ。そしてそのインド仏教界のリーダーを、なんと日本人僧侶が勤めている。その名を佐々井秀嶺さんという。大勢のインド人から絶大な尊敬を受ける人物だ。

佐々井さんは、インドに来てすでに50年近く。このナグプールで仏教徒のため、そして不可触民(ダリット)と呼ばれカースト制度により差別を受ける人々のために活動してきた。信者たちの寄付によって建った小さなお寺を本拠地に、仏教徒の代表としてインド国中を飛び回るような生活をしている。

約束もなく訪れた私を、佐々井さんは近所の友人でも迎えるかのように招き入れてくれた。

1988年から国籍上はインド人の佐々井さんも、日本のことはとても気にしているという。

特に福島第1原発の事故がどのような状態になっているかを聞きたがった。日本がインドに対して原発を輸出する計画が進行中で、そのことをとても憂慮していた。

寺からの帰り道、インド人の若い女性から「ジェイ・ビーム!」と話し掛けられた。インドの仏教徒の挨拶だ。続けて彼女は「シューレイ・ササイ!」と笑顔で言った。

佐々井さんの名は当地で挨拶のようなものになりつつある、と言ったら言い過ぎだろうか。

石川拓也(写真家)

 

 

 

講演会の前後を通じて、高知新聞嶺北支局の森本敦士さんが3回にわたって記事を書いてくれました。

・1回目   2017 年6月 11日

印の邦人高僧21日講演

土佐町「不可触民」ら守る

[嶺北]日本人でありながらインドで最も影響力のある仏教指導者といわれる佐々井秀嶺さん(81)が21日、土佐郡土佐町田井の町農村環境改善センターで講演する。佐々井さんの帰国に合わせ、町内の有志が呼び掛けて実現した。公演を前に佐々井さんを知ってもらおうと、14、15日、同町内で足跡を紹介する試写会も開く。

佐々井さんは岡山県出身。タイ留学を経て1967年からインドで暮らしている。88年にインド国籍を取得し、2003~06年には政府の少数者委員会の仏教徒代表委員も務めた。

仏教の祖国インドでは現在、ヒンズー教徒が大多数。仏教徒は少数派だが、それでも一説には1億人ともいわれる。近年は、ヒンズー教のカースト制度の最下層に置かれ「不可触民」と呼ばれて差別されてきた人々が仏教に改宗する動きが広がっており、佐々井さんはその運動の中心にいるという。

町の地域おこし協力隊で写真家の石川拓也さん(42)が3年前、インドを訪れた際に佐々井さんを取材し、昨年、本誌連載で紹介。その縁で来高が実現した。

21日は「現代日本人が見失ったもの」と題し、午後7時から講演。参加費は無料。

試写会は14日が同町土居の中村集会所、15日が町農村環境改善センターで、いずれも午後7時から。石川さんがインドで取材した際の写真などを用いて紹介する。

(森本敦士)

 

・2回目   2017 年6 月23日

ブッダは平和の原動力

印仏教高僧 佐々井さん講演 土佐町

[嶺北]日本人でありながらインドで最も影響力がある仏教指導者といわれる佐々井秀嶺さん(81)が21日、土佐郡土佐町田井の町農村環境改善センターで講演した。佐々井さんは非暴力によってインド仏教の再興を目指しており、「ブッダは平和を建設する原動力。命を尊重し、お互いに仲良くやろうと真剣に話し合えば、必ず未来への道が開けてくると信じている」と約220人の来場者に熱く語り掛けた。

岡山県出身の佐々井さんは1967年、修行僧として仏教発祥の国インドに渡った。以来、ヒンズー教カースト制度の最下層に置かれる「不可触民」を、仏教徒に改宗させることで差別のくびきから解放する活動などを続けている。88年にインド国籍を取得した。

講演では主に自らの歩んだ道のりを振り返り、インドでの日々や信念については、来場者との一問一答に応じる形で語った。「どうして、苦しみながらインドにいる道を選んだのか」などの問いに、佐々井さんは「(夢のお告げで)龍樹菩薩から使命を受けた。インド仏教徒の奴隷となりたい」「インドの仏教徒は貧しい。そういう皆さんと、苦しみも悲しみも一つにしている」などと答えた。土佐清水市から訪れた田中あづささん(42)は「戦後からタイムスリップしてきたような方。苦しみの重さや理屈ではないエネルギーが伝わってきた」と話していた。

佐々井さんは22日、同町田井のみつば保育園を訪問。園児と触れ合い、「子どもは伸び伸びとしているのがいい」と顔をほころばせた。京都や東京などを巡り、7月8日に再びインドに戻るという。

(森本敦士)

 

・3回目  2017 年6 月28日

 

講演で来高の印高僧 佐々井秀嶺さんに聞く

インドで最も影響力がある仏教指導者といわれる佐々井秀嶺さん(81)がこのほど、土佐郡土佐町田井を訪れて講演した。

一説に、1億人ともいわれる同国仏教徒に支持される佐々井さん。講演とインタビューを通して、飾らない人柄、81歳にしてなお衰えない情熱が伝わってきた。(森本敦士)

土佐町の地域おこし協力隊で写真家の石川拓也さん(42)が3年前、インドで佐々井さんを取材した後で講演が実現。佐々井さんは初来高といい、高知市内の古書店や竹林寺、桂浜も訪ねた。

「桂浜は押し寄せてくる波がすごくて勇壮だね」「インドでも村田英雄の『竜馬がゆく』をいつも歌ってたんだよ」と笑う。

土佐町に着くと「農村の風の匂いがするなあ。わが古里(岡山県新見市)に帰ったようです」としみじみ話した。「東京は、人が満員電車に乗って『人間機械』のようになってしまって哀れだなあと思います。こちらは伸び伸びしている。年寄りは多いけど、人間が自由だなあ」

夕食の接待を受け、アユの塩焼きに目を輝かせた。「古里の高梁川って小さな川でアユをついてたんですよ。それから50~60年、アユは食べてなかったなあ。心のこもった料理がほんとに嬉しいですよ」と頭からムシャムシャと頬張った。

25歳で出家したが、新聞配達をしながら大学で仏教を学び、一方で浪曲師や易者にもなるなど奔放だった佐々井さん。1967年に渡ったインドで転機を迎えた。夢に龍樹菩薩が現れ、「速やかに南天竜宮城に行け」とお告げを受けたという。南天竺(インド)の中部の都市、ナグ(竜)プール(城)と解した。

ナグプールでは当初、布教活動をしていると石を投げられたり、衣を剥ぎ取られたりしたことも。断食行などを通して徐々に信頼を勝ち得ていったという。「使命を受けた人間は断じてやらんといかんから、インド仏教再興の道を泣きながら歩んできた」と明かす。

インドでの日常は、よろず相談が絶えないという。家のこと、親族のこと、あらゆる悩みに対し、親身になって人生の悩みに応じ、あてがうべき説法をしたり、なぐさめたりする。「何でお坊さんが(人に)合掌するんだと言われるが、『あなたの中に宿っている仏に合掌している』と言っている。私はインドの仏教徒の奴隷となりたい」と言い切る。

「同体大悲といって、みなさんと私の体は一つだ。苦しみも悲しみもみな一つだ。インドの仏教徒はみな貧しい。日本の比ではない。毎日のように虐げられ、辱められてきた人たちと共に、これが私の心の軸です」

寄り添う姿勢は、自身の体験が基になっている。終戦時は「木の根も掘って食べた。牛の食べるようなものでしのいできたんだ」という貧しい生活を送り、中学時代には原因不明の高熱に倒れた。

一方で異性への関心をはじめ、内からわき出る「渦巻き、沸騰するような」エネルギーと煩悩をいつも持て余していた。かと思えば「自分は人生の敗北者だ」と思い詰め。自殺を試みたこともあったという。若かりし頃を”世紀の苦悩児”だったと語る佐々井さん。

「悩みに悩み、もだえにもだえた放浪者だから、人間の悲しみが分かるんだ。人間の苦しみを味わってなきゃいけない」。顔に刻まれたしわが、険しさを増した。

講演後、土佐町内で宿泊した佐々井さんは翌朝、突然思い立ち、近くのみつば保育園に立ち寄った。「子どもは伸び伸びしているのがいいね」。顔をほころばせ、自然と集まってきた園児の頭を右手でなでていく。老若男女から敬愛されているという佐々井さんの、インドでの姿が目に浮かんだ。

佐々井秀嶺(ささい・しゅうれい)

1935年、岡山県新見市に生まれる。60年、高尾山薬王院(東京)で得度。タイで修行を経て67年インドに渡る。68年から仏教復興運動に身を投じる。

ヒンズー教カースト制度で最下層の「不可触民」を仏教に改宗させることで差別のくびきから解放する改宗式の導師を務めるほか、ヒンズー教徒が管理していた仏教の聖地ブッダガヤの奪還運動、仏教遺跡発掘も主導してきた。88年にインド国籍を取得し、2003~06年には政府少数者委員会の仏教徒代表委員(副大臣各)を務めた。

 

 

1回目の高知新聞掲載後、高知県内の方はもちろん、県外の方からもたくさんのお問い合わせをいただき、会場が満席になるほど多くの方にご来場いただきました。

石川がインドを訪れた時から始まったご縁が、会場へ来られたみなさんとの新たな出会いへとつながったことを、とてもうれしく思っています。

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