とさちょうものがたり

みんなのアルバム

田井橋

  • 日時1964(昭和39)年

  • 場所土佐町田井地区 田井橋

  • 撮影者

  • 投稿者

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

昭和39年に撮影されたこの写真は、土佐町田井地区の西森理髪店の店主・西森五明さんが見せてくれたものです。

この写真は橋の上から通りに向けて撮影されていますが、この橋の名前を「田井橋」といいます。

町の人と話していて、「ほら、あの辺りよ。田井橋らへん」と言われたら、「ああ、あの田井橋の辺りにあるのか」と、頭に田井橋周辺の地図が浮かびます。ちょっとした目印のような、頼りになる存在です。

田井橋から見たこの通りは、当時「大橋通り」と呼ばれていたそう。

「昔は、この道は賑やかやったのよ」と誰もが口を揃えて言うように、店の看板が立ち並ぶ様子が見えます。

 

こちらは現在の「大橋通り」。橋の欄干の形も変わっていますね。

昭和39年当時と比べると閉店したお店も多く、人通りは少なくなりました。

けれども今も商いを続けているお店は数々あり、通りに明かりを灯しています。田井地区に住む人たちや子供たちの通学路としても、欠かせない「田井橋」、「大橋通り」です。

 

【土佐町の絵本】写真集め ②

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

ただいま進行中の『「土佐町の絵本(仮)」を作ろう!』というこの企画。

土佐町で生まれ育った方々と話し、絵本のページに何を描くのか、そのために必要なものごとは何か?たくさんの意見やアイディアをいただいています。

絵を描くために必要なことはいくつもありますが、その内のひとつは「資料を集めること」。編集部はただ今、写真集めの真っ最中です!

 

昔の写真を集める

絵本のページには、土佐町の田井地区も描かれる予定です。話し合いの中で「昔、田井の旧道が土佐町のメインストリートで、たくさんの店が並んで人が行き交っていた」「バスも通っていた」という話を何人もの人から聞きました。

現在の国道439号線沿いの今の様子はもちろん、昔の旧道の様子も描いたらどうだろう?

ということで、田井地区の昔の写真を集めるべく、旧道沿いに並んでいる旅館や商店へ伺っています。

最近「みんなのアルバム」で紹介した写真の数々、

・「清水屋旅館」は、 宿主の森ミネさんから

・「冨士見館」は、女将の高橋信子さんから

・「山中百貨店」は、 西村富美子さんから

見せていただきました。

 

西森理髪店

旧道沿いにある「西森理髪店」のご主人、西森五明さんからも写真を見せてもらい、お話を伺いました。

地図を見ながら、かつての田井地区の様子を教えてくれる西森さん

 

西森さんは写真の他に、昭和50年代のものではないかという田井地区の地図を見せてくれました

 

見せてくださった写真の数々

 

西森さんが見せてくださった写真は、また「みんなのアルバム」で紹介したいと思います。

多くの人たちが快く協力してくださること、心から感謝しています。ありがとうございます!

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

95年間のキヨ婆さんの思い出 6

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

相川小学校の遠足

昭和8年4月、土佐郡森村、相川小学校に入学しました。

貧しい暮らしの中で、母が準備してくれた着物、学用品、赤い鼻緒の草履、嬉しくて庭でとびとびしました。

入学式には父が連れて行ってくれました。今から85年くらい昔、生徒の服装は脛の少し下までの着物に帯らしき狭い布を二回り位巻き、「前かけ」といって、狭い布へ紐を付けて前にぶら下げて汚れたら取り替えていました。セーラー服の子は、お金持ちの子供で一人か二人でした。

春の遅い嶺北では、桜の開花も遅く、入学式の後、学校に慣れた頃、行き先も毎年決まったところへ。春は溜井の池、秋は床鍋の吊り橋でした。

何といっても、母の優しい心のこもった焼きおにぎり、焼き目のついたまん丸いものが3個、筍の皮に並べ、炒り卵を添えてクルクルと巻いて、筍の皮の端をさっと割いて結んで仕上がり、いっちょうらの風呂敷に包んで背中に負わせてくれ、草履は何時もと異って、鼻緒は赤い布で巻いてありました。年中で一番楽しかった遠足でした。

水筒もあるはずもなく、途中の畔道の山から流れ出ているおいしい水を手で掬って呑むのです。我先にと呑んだ水の美味しかったこと。忘れていません。満開の桜の花の下、お辨当の美味しかったこと。

そのお辨当を作ってくれた母も、42歳の若さで天国へ。何の恩返しもできず、美しい夜空で煌めいて護ってくれています。95年間の思い出の中には、母の優しい顔があります。

続く

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
みんなのアルバム

山中百貨店

  • 日時1955年(昭和30年)頃

  • 場所土佐町田井

  • 撮影者

  • 投稿者

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

土佐町田井地区にある「清水屋旅館」と「冨士見館」が建つ道は、かつての土佐町のメインストリート。バスが走り、店が並び、多くの人が行き交う通りでした。

この写真は、その清水屋旅館と冨士見館の向かいにあった「山中百貨店」の写真です。この「山中百貨店」がご実家であり、ここで生まれ育った西村富美子さんが写真を見せてくれました。

山中百貨店は今から13年前に閉店、今はお店だけが残っています。

 

仕立て屋・山中百貨店

店先に並んでいるのは洋服の生地です。山中百貨店は仕立て屋さんもしていて、お客さんに生地を選んでもらって洋服を作っていたとのこと。当時は既成の服はほとんどない時代。「昔はみんなそうだった」と富美子さんは話してくれました。

写真左の男性が富美子さんのお父さんの山中康富さん。右がお母さんの和美さん。店員さんや洋服を作る「洋裁さん」も並び、皆んなで記念撮影。子供たちは大人が商いをする姿を見ながら大きくなっていったのでしょう。賑やかな声が聞こえてくるようです。

 

現在の山中百貨店

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

ただいま進行中の『「土佐町の絵本(仮)」を作ろう!』というこの企画。

以前お伝えしたように、土佐町で生まれ育った方々と話し、たくさんの意見やアイディアをいただきました。

「この行事もあったらいいね」

「この時、〜さんはいつもちょうちんを持って踊っているね」

「田んぼの植え直しと言ったら、〜さんでしょう」

話をしていて出てくるのは、いつも人の名前。それぞれが思い浮かべる風景の中に「人」がいる。そのことをあらためて実感します。

 

ということで、「土佐町の絵本」には、町の人たちが登場します。なぜならば、町を作り、支えているのは、町で暮らす一人ひとりの存在だから。いたってシンプルな理由、そして、忘れてはいけない大事なことです。

 

写真を集める

今、各場面ごとに登場していただく方の写真を集めています。「写真がない〜」という方は撮影させてもらっています。

下田さんが描いてくれた絵本の草稿を抱えて、山へ町へ、その人に会いに行く。それは、人は人との関係の中で生きていることを再確認させてくれる時間でもあります。

 

以前、シオデを育てているところを見せてもらった岡林さん夫妻

 

標高500メートルの下瀬戸。春にはぜんまい畑が広がります

 

和田地区のこんにゃく作りの名人・和田潔子さんとご主人の英俊さん

 

道から見下ろすと、斜面に畑や田んぼが広がっています

 

多くの方のご協力、本当にありがとうございます。

少しずつ、少しずつ進んでいく絵本の制作。まだ先は長いですが、皆さま、楽しみにしていてくださいね!

 

 

 

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
みんなのアルバム

冨士見館

写っている人
  • 日時1920年代(昭和初期)

  • 場所土佐町田井

  • 撮影者

  • 投稿者

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

土佐町田井地区にある冨士見館。「私のひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんが大正5年(1916年)に創業した」と4代目の女将、高橋信子さんが話してくれました。

写真は昭和初期のもの。冨士見館はこれまでに何度か改修したそうですが、建物は今も当時のままです。

この頃、遠くから荷物を運ぶ「馬車引き」さんがたびたび宿泊していたのだそう。

 

金魚屋さんも宿泊

昭和35年から40年頃、信子さんが小学生だった時には「金魚屋さん」が宿泊。袋に入れた金魚を持って、年に数回来ていたそうです。肩に担ぐ竿と金魚を入れる桶はいつも富士見館に置いてあったそう。土佐町に来たら、決まって富士見館に泊まっていたのでしょうね。

「乾物屋さん」も訪れ、竿の前後に下げた缶にはするめやお酒のつまみのようなものが入っていて、「おばあちゃんが、どれにしようかねえ、と選んでいた」。信子さんは、懐かしそうに話してくれました。

 当時、冨士見館は旅館業の他にも、魚屋さん、仕出し屋さん、そして銭湯も営んでいました。

早明浦ダム建設が始まって旅館業が忙しくなり、銭湯は閉めることに。けれども、当時はお風呂がない家もまだ多かったため「銭湯をやめないで」と町の人から署名も届いたそうです。悩みに悩んだ末、やはり人手がなく、銭湯は閉めることにしたとのこと。

 

創業から106年、冨士見館は土佐町に訪れた人たちを温かく迎える宿として、今もこの場所に在り続けています。

 

髙橋信子・英理子 (田井 冨士見館)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
みんなのアルバム

清水屋旅館

写っている人
  • 日時昭和30年代頃

  • 場所土佐町田井

  • 撮影者

  • 投稿者

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

土佐町田井地区にある清水屋旅館。現在90歳の森ミネさんが切り盛りする宿です。

築100年以上になるという建物は、正面の引き戸を開けると広い玄関、一段上がった奥には2階へ上がる階段があります。

玄関左側には和室があり、窓際の机にミネさんのミシンが置かれています。ミネさんは洋服の直しを請け負っていて、近所の人が「ズボンの裾を直して」とよく持ってくるのだそう。「私はこの仕事が好きでね。昔は旅館の仕事が忙しくて、両立するのが本当に大変だった」と話してくれました。

この写真は昭和30年代頃に撮影されたもの。雨漏りで屋根を改修したため現在の屋根とは異なりますが、それ以外は当時のまま。薪で沸かすお風呂も健在です。

 

旅館に面した通りは車が一台通れる程の道幅で、当時の土佐町のメインストリート。人が行き交い「バスが、旅館の壁擦れ擦れに通って行った」のだそう。

近くに国道439号線が通り、人の流れや生活は大きく変化。かつて賑やかだった通りには数軒の店が残り、当時の面影を伝えています。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

 

2022年、あけましておめでとうございます。

とさちょうものがたり編集部から、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

今年もまた、とさちょうものがたりは「必要なこと」と「できること」を全力で取り組んでいく所存です。

土佐町の方々、高知県の方々、また全国のとさちょうものがたりに関わっていただいている方々、皆さま本年もよろしくお願いいたします。

 

新年の抱負は「虎も笑う一年!」

大変なこと、苦しいことがあったとしても、みんなで力を合わせて乗り越えて、最後には下の虎のように笑えること。

できるだけこんな笑いをたくさんできるような一年にしたいと思っています!

 

笑う虎の一年に!

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

冬休みのお知らせ

とさちょうものがたりを読んでいただいている皆さま、いつもありがとうございます。

とさちょうものがたりは12/29〜1/3まで、冬休みをいただきます。記事の再開は1/4となります。

 

 

2021年の振り返り

 

2021年も多くのことがありました。昨年から続くコロナ禍の中で、とさちょうものがたりとしても「今、何ができるのか?」と自問しながらの一年となりました。

人間の移動をしない、もしくは移動を最小限に抑えたうえでの活動で、町の住民の方々にとって意義のあるもの、必要とされる取り組みとは一体どういうものなのか。その問いはそのまま「この波を乗り越えた先にはどんな世の中になっているのか?」というものと地続きです。その問いに対しての解答を探って、考え方や感覚の調整が始まった一年という言い方もできるかもしれません。

 

●鹿の角ガチャは(まさかの)ヒット

2021年4月頃からスタートした「鹿の角ガチャ」。たくさんのみなさまのご協力のおかげで、ちょっとした快進撃が続いております(笑)。設置店舗は土佐町の「うどん処 繁じ」から始まり、「高知蔦屋書店(3F)」、それから日曜市での出店などじわじわと広がっています。そうそう、「高知 狩猟フェスタ」での設置というのも最近ありました。お客様(特にお子さん)が「わ〜何これ〜!」と半分驚き、半分笑いながらガチャを回してくれる姿はどこで見てもうれしいものです。

この取り組み自体が実現したのは言うまでもなく、ご協力いただいている方々のおかげであるのは間違いありません。鹿の角を渡してくれる猟師さんや山の人、制作作業を担当する障がい者支援施設の方々、設置店舗のみなさま、ここには書ききれないぐらいたくさんの皆さまにお世話になりました。ここで改めて感謝をお伝えしたいと思います。

 

「鹿の角ガチャ」はじめました!

 

●カレンダーは苦戦

「2022年カレンダー TAIBOKUHEN」は、昨年に比べ苦戦しています(笑)。

理由はいろいろあると思いますが、昨年より製作が一ヶ月近く遅くなったこと、11月後半から12月前半にかけて編集部が忙しすぎたこと、などなど。

来年に向け良い勉強となりました。あ、カレンダーは今でも絶賛販売中ですよ!お部屋の壁に余白がある方はぜひ!ネットショップでも販売しています。

 

「2022年カレンダーTAIBOKUHEN」販売開始!!

 

●展覧会は延期・ネットショップで支援

2021年度に予定していた展覧会がひとつありました。これは来年度に開催するつもりでいますが、「みんなおいでよ!」といった類のイベントは、開催の見極めがなかなか難しいというのもこのコロナ禍で多くの方々が共有している問題ですよね。

その代わりというわけではないですが、とさちょうものがたりでは、ネットショップを使って町の事業者さんたちの販売支援も行いました。人間が動かずにモノだけ動かす。この状況の中でやれることをやろうという考えで行っている取り組みです。

 

ちょっと早いクリスマスプレゼント

 

 

●地域再生大賞

 

そうそう、今年はありがたいことに、地域再生大賞の高知代表に選ばれました。高知新聞の推薦を受けて、ただいま全国の審査が続いている最中です。

発表は2022年1月末。こちらも皆さまお楽しみに!

 

地域再生大賞、第一次選考通過!

 

●良いお年を‥

ちょっと長くなりましたが、この記事が2021年で最後の記事になります。

多くの方々に励まされ支えられた1年間となりました。皆さまありがとうございます。

2022年もまたよろしくお願いいたします。

皆さま良いお年をお迎えください。

 

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

下田昌克さんが土佐町にやって来た!2021-①」の続きです。

少しずつ近づく完成

 

「土佐町の絵本(仮)」を作ろう!というこの企画、まだまだ考えないといけないこと・決めなければいけないことが山積みですが、机の上に広げた15枚の下絵を見るだけで、完成に一歩づつ近づいていることを実感します。

 

しつこいですがもう一度おさらいします。「土佐町の絵本(仮)」は文字通り土佐町の絵本を作ろう!という企画ですが、その目標は‥

① 10年20年と長く読み継がれる絵本。

② 子どもも大人も楽しめるような内容でありながら、深く大事なものを伝えるような絵本。

③ 土佐町の方々が「これは自分たちのことだ」と心から感じられる絵本。

 

です。特に③を実現するためには、土佐町育ちの方々の目線や感覚がとても大事!今回、構想を練る作業は、すなわち土佐町育ちの方々にいろいろ意見やアイデアをいただく時間となりました。

 

青木幹勇記念館にて全体会議

「こういうページを作ってほしい」「このページにこういうものを描いてほしい」といった話し合いが繰り返されました。

 

その話し合いの中で、「もう一度高峯神社は見ておいた方がいいな」ということになり、急遽現地へ。

今回は具体的に絵本の中に描くという前提で、長い山道を歩きながら「この位置に手洗石があって」とか「ここに鳥居がある」などと確認しながらの往復となりました。

 

冬の高峯神社は空気が澄み切っています

もちろん絵本の成功を祈願してきました笑

 

 

 

 

 

話し合いは続く‥

下田さんが帰ったあとの土佐町では、更なる話し合いが続いています。「あの人を登場させたらどう?」とか「この写真を送って描いてもらおう」などといった話し合いです。

完成まではこういった話し合いを繰り返し、細部を可能な限り詰めていく作業が続きます。

 

今日12月28日にもやりました。

 

 

 

現時点での草稿をチラ見せ。

完成まではまだまだ時間はかかりますが、皆さま引き続き楽しみにしていてくださいね!

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone