渡貫洋介

笹のいえ

山の番をするひとたち

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小規模の林業を営む友人ばたやんのお手伝いをしに、土佐町瀬戸地域の山に入った。

笹のいえは周囲を山林に囲まれ、以前から手を入れたいと考えていた。経験のため一緒に作業をさせてもらえないかと連絡をしたところ、心よく受け入れてくれた。後で考えると、花粉症の僕がなぜこの時期の杉山に入ろうとしたのか。人生って不思議、というより単に考えが浅いのだった。

ばたやんは地主さんから山の管理と木の伐採などを頼まれている。

間伐(木を間引くこと)や木の運び出しには、チェーンソーなどの専用道具や重機を使う。使い方を間違えれば大怪我したり最悪の場合死に至ることもある。そんな現場へ素人の僕を迎えてくれたのは、ばたやんにとって、きっと大きな決断だっただろう。事故が起これば、組織の代表である彼の責任が問われるし、信頼や仕事を失うことにもなりかねないからだ。しかし、そんなことはおくびにも出さず、いつでもおいでと言ってくれる男前なヤツなのだ。

初日、作業は僕の描いていたイメージとだいぶ違っていた。

木をダーっと切って、トラックでバーっと運んで、次の山へGO!というように、どんどんこなしていくのか思っていたが、実際はとても地道な作業の連続だった。

木の状態を見極め、運び出すためにどちら側に倒せば効率が良いのか、より安全に行うにはどういう手順を踏むべきか。一本の木を切るごと、運び出すごとに最適な方法を考える。また、刻々と変化する天候に気を配り、費やす人件費や時間的コストなど、流動的な状況を常に理解していないといけない。

切るべき木が何十本とある中で、これは大変な集中力と体力が必要とされる。

作業は二三人で行うことが多い。そして、その人の経験に合わせた役割が決まっている。チェーンソーや重機の騒音で会話はほとんどできず、ホイッスルや身振りで意思の疎通をする。最初は僕の緊張もあってぎこちなかったが、こなすごとにチームの動きにまとまりが出てくる。相手に対して、次第に信頼が生まれていくのが心地よい。

とはいえ、慣れない僕にとって、なかなかハードな体験だった。まず歩き方がわからない。杉の木が生えている急斜面には笹で覆われていて、一歩ごとに足を取られる。手にはチェーンソーやワイヤーを持っているため、体制を変えることもままならない。ほんの数メートル先に移動するだけで時間が過ぎ、息が弾む。しかし焦りは事故につながる。一緒に働く仲間も「急がないでいいよ」「大丈夫?」と声を掛けてくれる。

僕が任された仕事は確認さえしていれば危ないことはなかったが、それでも一日が終わるころにはクタクタになった。とにかく邪魔にならないことを考えて動くだけで精一杯だった。

休憩中、林業にまつわる話をたくさん教えてもらう。

大型林業と小規模(自伐)林業のこと、生業としての林業の現状、山主さんとの関係などなど。

どれも僕の知らない世界だ。

「子どもや孫の時代を見据えて、いま山をどう管理するのか。次世代に繋いていく環境を残したい」と話してくれたばたやん。儲かる儲からないが最優先される経済社会で、自分がいなくなったその後のことまで考える職業がこんな身近にあったことに、はっとさせられた。そして、そんな夢を語る彼と一緒に仕事ができた数日間は、とても豊かな時間だった。

今夜、もう一回、「WOOD JOB!」観よ。

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とさちょうものづくり

着ない服を着る

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「だからさ、ようすけさん、シルクスクリーンやろうと思うんだ」

笹のいえに遊びに来た石川拓也からいつもの口調でこう言われたとき、「は?なんでシルクスクリーン?」って思った。でも「この人、また面白いことやろうとしてるな」とも思った。

話は少し遡って、あるイベントで自給自足の話になり、僕が「衣住食の中で、衣が一番難しい。綿を育てるところから始めたら、服になるまではたくさんの工程がある。一方で世の中には着られずゴミになる服が山のようにある」というようなことを言っていたらしい。当の本人が覚えていないのだから、いい加減なもんであるが、この話に感銘を受けた(?)拓ちゃんの冒頭の発言となる。

衣類やアパレル業界の現状を語るとき、安価な服が環境に与える影響や過酷な条件かつ低賃金で働く労働者や幼い子どもたちの問題が取り上げられる。これに対し、高価だが、環境や労働者から搾取しない会社の服を着ようというキャンペーンを目にする。フェアトレードやエシカルという言葉も聞こえてくる。

「でもさ話が大きくなると難しくなっちゃうから、もっと単純明快に楽しく無理なくアクションしたいよね」なんて話もした。

それが、「たんすに眠っている服にシルクスクリーンして、着ちゃおうぜ!」ってこと。

イベント当日の様子は別記事を読んでもらって、個人的には終わってからもじわじわと余韻の残る経験だった。「買いもしない、捨てもしない」って、超イケてないっすか?

実際、着古した服ってすごくイイ。

・着た瞬間カラダに馴染む

・着ていた当時の記憶が蘇る

そして、どうせ着てなかった服だから、シルクスクリーン失敗しても惜しくない。

この日、笹のいえのロゴを初披露した。同じ町に住むイトウメグミさんのデザインで、文字はアーティスト・ショータ君が描いてくれた。判子のような雰囲気で、笹のいえのイメージにピッタリ。これから眠ってる服を引っ張り出して、どんどんプリントしたい。

高知の小さな町ではじまった「古着を着なおす」というアクションが、服にまつわる世界的な問題を解決することは難しい。けど、シルクスクリーンした人が、楽しい!って思ってくれたら、このイベントは大成功なのだ。

 

シルクスクリーン・イベントについては以下から↓

シルクスクリーンこと次第 2

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笹のいえ

くんくん(後編)

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前編

化学物質過敏症とひとくちに言っても、その症状には個人差がある。ある物質に対して近づけない人がいれば、全然大丈夫な人もいる。そのときの体調によっても許容範囲が変化するらしい。いままで平気だったのに、突然症状が出ることもある。実際に自分がどう感じるか、その場になってみないとわからないことも多い。

ある飲食店に出掛けたとき、彼女だけ建物に入ることができず、ひとり外で食べたことがあった。誘った僕らは申し訳ない気持ちだったが、彼女は慣れた様子で、家族旅行するときも屋外で食べさせてもらうことや自炊、車中泊は珍しくないと話してくれた。

日を追うごとに地域での知り合いが増え、笹ファミリーの一員として周りに認知され、溶け込んでいった。くんくんの症状を知った友人たちは、彼女を理解し、有難いことに、そのままを受け入れてくれた。日々の生活で任せられることも多くなり、家事はもちろん、その合間に長女の宿題をみたり、泣いている末っ子のご機嫌を取ったり、頼もしいお姉ちゃんといった感じだった。

滞在中16歳になった彼女は、原付免許の取得したいと考えた。試験センターに下見に行ったところ、試験会場となる建物内に長時間いるのは難しかった。職員に理由を話し、普段使っていない小さな部屋で窓を開けっ放しにして、扇風機を回す対策を取ってくれることになった。マニュアル通りが当たり前の公的な施設のとしては、人間味のある対応ではないだろうか。同行したご両親の粘り強い交渉も功を奏したのだろう、その行動力も素晴らしい。その後無事免許を取得し、原付バイクに乗れるようになった彼女。さらに行動範囲を広げ、毎日の暮らしを楽しんでいた。

そしてあっという間に11ヶ月が過ぎた。予定より早い期間だったが、里帰り出産するうちの奥さんに合わせた形となった。笹を離れる前日に友人たちを招いて、お別れ会を開いた。たくさんのひとがやって来て、彼女と時間を共有し、別れを惜しんでいた。その様子をみていて、彼女を受け入れて本当に良かったと思った。

彼女のことをよく知らない人は、症状を聞いて「可哀想に」と言う。正直、僕も最初はそう思っていた。でも、彼女と一緒に暮らし、日々を淡々と、そして楽しみながら過ごしている様子を身近に見ているうちに、そんな感情はもうどこかへ行ってしまった。もちろん症状が治ったり軽減することを望む。しかし、自分の在る状態を受け入れ、そのときできることをやる。それは、僕らとなんら変わりない。

くんくんは今後、自分に合った環境や場所、家を探す旅に出るそうだ。

たくさんの可能性を持った若い彼女にエールを送りたい。

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笹のいえ

くんくん(前編)

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笹のいえに約11ヶ月間滞在していた子が、3月のある日に笹を卒業した。

満月(みつき)さんは16歳。あだ名は「くんくん」。まだ赤ちゃんのとき、名前を呼ばれると自分で「みつき」と言ってるつもりで「くぅんくぅん」と返事したので、以来こう呼ばれているとか。

土佐町に移住してきた知り合い家族を訪ねてやって来て、笹のいえにも泊まってくれたことからご縁がはじまった。

ここの生活を気に入ってくれた彼女は、中学を卒業するころ手紙をくれた。そこには、笹で一年間暮らしたいと手書きで丁寧に書いてあった。その字から彼女の想いが溢れている気がして、心がじんわりと温かくなったのを覚えてる。

それまでも何度か笹に遊びに来てくれたので、子どもたちは彼女に懐いていたし、田畑の経験もある。料理上手だし、うちら的には大歓迎。が、ひとつ考えなくてはいけないことがあった。

彼女は、化学物質過敏症なのだ。

ケミカルなものに身体が反応して、気分や悪くなったり、体調不良になったりする。

例えば、化学的な建材が使われているは建物には入ることができない。香料や除菌剤入り洗剤や柔軟剤で洗濯された服を着た人には近づけないなど。

繁盛はしていないけれど、いちおう「宿泊業」な笹のいえにはいろんな人の出入りがある。彼女の苦手な香料を使用した服を着た人もやって来るだろう。お客さんに「その服ではうちに泊まれません」なんて宿はない。そもそも、化学物質過敏症のことを全く知らなかった僕は、一緒に暮らせるのかどうかもイメージできなかった。

それでも、ここで暮らしてみたいという彼女の強い意志を受けて、僕らも「どうなるかわからないけれど、これもご縁だし、とりあえずやってみよう」と決めた。

一緒に住みはじめてみると、当たり前だけど、普通の子と変わらない。いや、それ以上だった。薪の扱いには慣れてるし、家事もこなし、子どもの相手もドンとこい。畑や田んぼの作業では効率的に動き、笹の暮らしにピッタリだった。

後編へつづく)

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笹のいえ

椎茸栽培

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母屋の裏山の一部はもともと段々畑だったのだが、その後、現金収入が見込まれる椎茸栽培のために原木となるクヌギの苗を植えたそうだ。それから何度か伐採しているらしいが、今は十年以上成長したクヌギがたくさん立っている。母屋のすぐ裏にあるので、幹があまり太り過ぎても伐採が難しくなるし、落ち葉が雨樋に溜まるので、大家さんに相談して数本切らせてもらった。

せっかくなので、僕も椎茸の原木を作ることにした。

木を切ったら葉が落ちるまで放置し、1mほどに長さに切って小口にヒビが入るまで乾燥させた後、椎茸菌の駒を打ち付けていく。

まず林から木を運び、専用のビットを取り付けたインパクトドライバーで穴を開け、種駒を木槌で打ち込んでいく。駒はホームセンターや森林組合などで手に入る。椎茸以外にもナメコやヒラタケなど数種類ある。

今年は2,000個近い駒を打ち込むことになった。

穴開けて、駒打って、、、果てしないひとり作業になるはずだったが、ありがたいことに助っ人数名がお手伝いに来てくれた。駒打ち作業は子どもたちが気に入ったようで、飽きるまでトントンしていた。

ほだ木(菌打ちをした木)は風通しの良い日影に横積みしておき(←イマココ)、小口に白い菌が見えたら、収穫しやすいように立てかける。

決して楽な仕事ではないが、これで翌年の秋には椎茸が採れるようになる。木の太さや種類によるが、二年から三年間、春と秋に収穫できる。

この地域では椎茸栽培が身近だ。自家栽培している方は多いし、椎茸農家さんもいる。山道を歩いていると、そこここでほだ木がある。旬になると、地域の道の駅やスーパーでパック詰めされた原木椎茸が売られる。

新鮮な原木椎茸の旨さは栽培者の特権だ。はじめて食べたときは、その美味しさにびっくりした。旨味がギュッと詰まってて、滋味がある。採れすぎても天日乾燥させれば、長期保存できる。

今、去年菌打ちしたほだ木から椎茸が出てる。まだ小さいと思っても、雨や朝露で一気に大きくなるので、小ぶりのうちに収穫しておく。採り忘れて大きくなりすぎてしまったものは、バター醤油でステーキ風にして焼くと、まっこと美味だ。

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笹のいえ

花粉症

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2月が終わろうとするある日、鼻や目の奥がピリピリとしだして「ああ、今年もこの時期か」と思う。

花粉症とは大学時代からの付き合いだ。僕は杉花粉に反応するので、杉の無い小笠原諸島父島に住んでいたとき以外、毎年この季節は気持ちが重い。

その僕が、どうして杉に囲まれたこの地域に引っ越してきてしまったのか。人生って不思議だ。

発症当初、酷い時は目と喉の痒さで目が覚め、薬なしではいられなかった。しかし、「食べるもので体質が変化する」と知ってから、それまで毎日のように食べていた乳製品や甘いものを控えてみたら症状が軽減された。食事が菜食寄りになったのも影響があるかもしれない。個人差があると思うので、あくまでも僕の場合だけど。今も相変わらず目の痒みと鼻水が出るのだが、以前よりだいぶマシになった。薬を飲まず、マスクをするくらいでなんとか過ごしてる。

笹のいえの前の山は杉檜が植林され、風が吹くと黄色い花粉が放出し、霞がかかったようになることもある。目をショボショボさせながら、あの木を全部伐採してしまいたいという気持ちは花粉症の方なら理解してくれるだろうか。でも、木を切ると花粉を頭から被ることになるからやっぱり止めておこう。

花粉症に懸かる理由を調べていると、昔ほとんど耳にすることのなかったこの症状が蔓延しているのは僕ら現代人の免疫力が下がっているから、という記事を見つけた。免疫力のほとんどは腸でつくられるから、腸内環境を整えるのが有効らしい。小食にしたり、食事の回数を減らしたりすると調子が良いのは、免疫が上がるからなのかもしれない。

お酒もNG。呑むと途端に目や鼻の粘膜が充血し悪化する。毎日の晩酌が生きる喜びの僕には、これが一番堪える。飲みたいのに、飲めない。

ひたすら我慢して、花粉が去るのを待つしかない。

普段の食べ過ぎ飲み過ぎを反省し、身体に向き合う数カ月間。これはこれで必要な時間なのだろうなあと納得することにしている。

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笹のいえ

蔵の解体

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母屋から風呂とトイレの小屋を挟んで、二階建ての建屋がある。

かつて、一階を牛小屋、二階を子供部屋として使っていたそうだ。その佇まいから、僕らはなんとなく「蔵」と呼んでいた。

たいそう大きな建物で、使われている材も立派。柱は五寸以上のものもあるし、棟木は一抱えもあるような松の木だ。

正確な築年数は不明だが、50年以上経っているだろう。重機などの機械が現代ほど発達しておらず、人力に頼る部分が多かった時代に、これだけの材木を製材し、運び、家を建てるのはちょっと想像しづらい。

しかし、人が住まなくなってから何年も放置され、僕らが引っ越してきたときにはだいぶ傷みが進んでいた。朽ち落ちた材には錆びた釘が打ってあったり、雨風で瓦が落ちてきたりすることもあり、子どもが近くで遊んでいることを考えると、なるべく早く壊す必要があった。

業者に頼み、機械の力で一気に壊す手もあった。でも、材を取り外して再利用したい、無理なら分別して後処理をちゃんとしたいと思っていた。そして、なぜかこの蔵に対する畏怖の念のようなものを持っていた僕は「自分の手で丁寧に解体したい」とも考えていた。とはいえ、作業には危険を伴うし、解体なんてしたことのない、しかも高いところが大の苦手の僕がひとりで作業するモチベーションもない。どうしようどうしようと思いつつ、4年が経った。

ふと思いついて、知り合いの左官さんに相談してみると、どうにかやってみよう、というありがたい返事が来た。彼に棟梁をお願いしたのは、慎重で無理をしない人柄に安全第一に作業を進めてくれると確信していたからだった。なにより、これまで土壁や釜戸つくりなど一緒に作業して、気心が知れている。

友人二人にも声掛け、はたして作業ははじまった。

まずは屋根から。

足元の悪い瓦の上を踏み抜かないように歩きながら、瓦を落としていく。

状態の良いものは積んで取っておき、割れたのは軽トラに積んで、隣町の処分場へ何往復もして運んだ。

瓦の下に敷かれていた土はそのまま地面に落とし、必要なら後で田畑に入れる。ルーフィングの役目していた大量の杉の皮は焚き付けに使う。建具も外し、ストックする。

そして、いよいよ構造材が露わになった。

年月によって建物自体が歪んでいるし、腐っている箇所もあるため、どういう順番でどの材を外していくか、ひとつひとつ確認しながら作業する。ときにチェーンソーで材を切り、ときにロープで柱を引っ張りしながら、少しずつ建物が細く小さくなっていく。

驚いたのは、木が保つ粘りだ。

ボロボロの建屋だったが、ホゾで組まれた材は、加わった力を四方に逃がすようになっていた。四人以上の大人がロープで引っ張っても捻ってもビクともしない。前述したように、可能なら材を綺麗に取り外したいと思っていたが、材自体が重いこと、がっちりと組まれているため手で外すのは困難なことがわかってきた。結局、安全を一番に、材の再利用は諦め、解体を進めることにした。

五日間の作業の末、どうにか無事に終えることができた。目の前には、たくさんの材が山となった。二三年は焚き物に困らなさそうだ。無事故で解体させてくれた蔵に、皆で感謝した。

在来建築の構造や技術に感心したり、驚いたりすることが多かった。昔の大工さんは、木の性質を理解し、材となった木の上下や微細なねじれさえも考慮し家を建てたそうだ。プレカットが主流の近代建築とはだいぶ異なる。また、験(げん)を担いだり、山や家の神様にお祈りをして作業の安全を願った。蔵に触れながら、当時の空気を吸っているような、タイムスリップしたような不思議な感覚を覚えることがあった。

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笹のいえ

さんぽにいこう

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これまでの寒さがうそのように気温が上がった土曜日。

風はまだ冷たいけれど、子どもたちを散歩に誘った。

上の二人はそれぞれ小学校と保育園に通っているため、日中に兄弟三人揃って遊ぶ時間が以前よりだいぶ減った。成長するにつれて、こんな機会はもっと少なくなるかもしれない。そんな思いもあった。

家で退屈していた子どもたちは、二つ返事で外に出た。

歩きながら、枝を見つければチャンバラ、落ち葉を集めれば即席のレストランがオープンする。

この散歩自体が道草みたいなものだから、特に目的地もなく、あっちへふらふらこっちへふらふら。

そのうちお姉ちゃんが陽だまりを見つけて、地べたにゴロンと転がった。それを見た弟たちも、ゴロンゴロン。

服や髪の毛が汚れるのなんてお構いなしに、楽しそうにじゃれ合ってる。

親としては、自然満載のこの環境に、植物を詳しく観察したり、虫の名前や生態に少しは興味を持ってくれないかなあと願わなくもない。けれど、兄弟揃って道に寝そべって、日向ぼっこするのも、全然悪くない。

僕は春を感じる日差しの中で眠気を感じながら、今日一緒に歩けて良かったなと思う。

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笹のいえ

珈琲

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太陽の昇る前、のそりと布団から這い出して、台所へ。

ストーブに火を入れ、寒さで水が凍ってないことを確認して、ヤカンで湯を沸かす。
予め自分の好みに焙煎したいつもの豆を、いつもの量ミルサーに入れ、外に出る。ゴリゴリと豆を挽く音で、熟睡中の家族を起こさないように。挽き具合は少し粗め。

冷たい空気を吸い込んで、白い息を吐く。今朝もしっかりと冷い。起きはじめた頭の中で、ぼんやりと今日一日何をしようか考える。

しゅんしゅんとヤカンが湯気を上げはじめたら、片手鍋とタンブラーと茶漉しを準備する。

紙のフィルターやネル、繰り返し使えるエコフィルター、水出しにフレンチプレスなど、いろんな淹れ方を試しているが、最近は茶漉しでやってる。

ストーブの熱で温まった片手鍋に、珈琲が浸るくらいのお湯を先に入れてから粉を投入し、二分ほど蒸らす。

それから適量のお湯を加えて30秒くらいしたら、茶漉しをセットしたタンブラーに注ぐ。

目が荒いので、底に細かい粉が溜まるが、慣れれば気にならない。

抽出後の珈琲はコンポストバケツに。

フィルターを買う必要が無いし、ゴミも出ないので気にいってる。

以前、七輪で炭を熾して焙煎していたが、ものすごく時間が掛かったのでやめてしまった。最近ネットで手回しの焙煎器を購入し、カセットコンロで炒ってる。生豆もネットで買い、申し訳程度にハンドピッキングする。ここで弾かれたクズ豆もコンポスト行き。

焙煎時間は15分くらいが目安。二ハゼがはじまって白い煙が出るころ、豆に少し油が出るくらいが好み。酸味はほとんどなく、雑味が多いが、僕の好きな味だ。

タンブラーからお気に入りのカップに珈琲を注いで、鼻に届く香りと一緒に最初のひと口を啜る。これが一番美味しい。体調や気分によって味の感じ方が違うから面白い。

膝に置いたラップトップでネットサーフィンしながら珈琲を楽しんでいると、ゴソゴソと家族の起きる音がしてくる。

今日も一日がはじまる。

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笹のいえ

豆炭

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薪ストーブと並び、冬に欠かせないアイテム、豆炭。

寒い時期、僕らはこれなしでは、もはや一日だって生き延びられやしない。

豆炭は石炭を固めたもので、丸みを帯びた豆型をしてる。大きさはゴルフボールくらい。かまどや薪ストーブの火で着火し、専用容器に入れて使用する。一番ポピュラーなのは、豆炭あんかだろう。布団に忍ばせておけば、ポカポカで寝ることができるし、翌日も温かなので、寒い朝も布団から出やすい。お腹や背中に入れておけば、ホッカイロとしても活躍する(動きにくいけど)。

それから、うちには豆炭こたつがある。数年前友人から譲り受けたもので、外見は電気こたつと一緒だが、発熱部分に豆炭を最大四つ入れられる。足を入れると電気とは違った温かさがじんわりと体を温めてくれる。ただし、燃焼中は一酸化酸素が発生するので、注意が必要だ。

米麹を作るときは、こたつが麹室になる。

晒し布で包んだ米を麹葢に入れ、こたつで温める。数時間ごとに切り返して温度を調整していくが、こたつを開ける度に麹の良い匂いがして、幸せな気持ちになる。三日後に麹が完成するが、この間は夜もこたつが温かいので、ついつい夜更かしをしてしまう。

豆炭は微量ながら重金属を含んでいるらしいので、灰は一般ゴミとして処理している。

いまや豆炭を使っている家庭は珍しいと思う。でも、ホームセンターでも取り扱っているからそこそこの需要があるのだろうか。12キロ袋で千円台。僕らの使い方で、ひと袋あれば冬を越せる。

 

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