渡貫洋介

笹のいえ

Snow

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この日は、積もるほどしっかり雪が降った。
雪景色にはしゃぐ末っ子を連れて、家の周りを散歩しながら「はて、これほど雪が降ったのはいつぶりだろう」と考える。そうだ、土佐町に引っ越してきて最初の冬に軽トラの腹を擦るくらいの積雪があったんだと思い出す。

季節が記憶を呼び起こす。
記憶が積み重なり、知恵となり、技術となる。

凍えるような気温にも、好奇心が勝り、懸命にとうちゃんの後をついてくる息子に成長を感じつつ。

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笹のいえ

コンポストトイレ 後編

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(前編はこちらです)

さて、実際に大と小をし分けることは可能なのだろうか。

慣れは必要だが、コツを掴めば問題ない。

まずどちらかの便座に腰を下ろし、気持ちを落ち着かせ、意識を自分の内側に向ける。

そうすると、どちらが先にやってきそうかなんとなく分かる。目的のバケツに移動し、実行する。

もし一緒に出てしまっても、ドントウオーリー、気にすることはない。

自分でお尻を動かすこのやり方を、遊びにやってきた義母が「全自動式」と名付けた。「全て」「自分(の尻)が」「動く」方式という意味だ。なるほど。

おっきいのは刈った草やら畑の残渣やらと一緒に積んでおき、年に一、二回天地返しをして発酵を促す。完全に分解されたうんちは、土の良い匂いがする。はじめて恐る恐る嗅いだときは感動した。

ちいさいのは、水で数倍に薄めて土に流す。栄養分は土に残り、余分な水分は土壌にフィルターされて川に流れていく。

汲み取りする必要がないのでコストが抑えられるのは嬉しいメリットだが、それ以上に、自分たちがこの環境の一部になっているという実感は大きな喜びだ。

自分たちから出たものが大地に還ることで、どんな食物が自然への負担が少ないのか、なにを口にするのか、を考えるようになった。誰もが健康を望む世の中で、一般的に「何を食べるのか」は話題になるが、身体から出て行くものはあまり語られない。しかし、出すものを気にすることは、生き方を考えることにつながっていく。

そんなわけで、毎日のトイレタイムを楽しんでいる我が家だが、改良&挑戦したいことがある。

温かい季節になるとどうしても虫が出るので、処理する場所を母屋からより離すか、場所自体になにか工夫をするか検討中。

そしてトイレットペーパーは購入しているので、将来はその辺の葉っぱを取ってきて代わりに使おうか?と企んでいる。例えば、蕗(ふき)の葉はとても柔らかく、「拭き」心地が良い。名前の由来がそこから来ているという説もあって、なんだか嬉しくなる。

 

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笹のいえ

コンポストトイレ 前編

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笹のいえに出会う前、循環できる生活を夢見ていた僕たち。

自分たちから出た排泄物も土に還し、その大地の上で暮らそうという想いに至るのは、とても自然なことだった。移住先の家ではコンポストトイレを使って、毎日出てくる僕らの分身を無理なく無駄なく処理したいと考えていた。

笹にあったトイレはもともと汲み取り式(「厠」という言葉がピッタリな佇まいだった)。

これをコンポストトイレに改修するにあたって、

・自分たちで作り、直せること

・部品はあるもので、もしくは安易に手に入ること

・手入れと掃除が楽なこと

が大切だと考えた。

ネットで世界のコンポストトイレを検索したり、すでに実践してる友人のを見せてもらったりして、イメージを膨らませていった。

一番参考にしたのは、以前住んでいた小笠原諸島父島にある宿のトイレ。

大用と小用とバケツを分けて用を足しそれぞれを処分するやり方で、これだと臭いがかなり抑えられるし、清掃も苦にならない。流す必要がないので、水も不要だ。

使い方も簡単。

おしっこのときは、便座に座り用を足す。水洗トイレと違うのは、使ったペーパーを屑かごに捨てること。ゴミは薪風呂を沸かすときにまとめて燃やす。

うんちの場合、全体が隠れるくらいくん炭やおがくずを掛ける。特にくん炭には細微な穴が空いているため、ここが微生物の住処となる。また炭は土壌改良材としても優秀だ。

バケツにある程度貯まったら、決めた場所に積んだり流したりする。バケツをさっと洗って、ときどき日に当ててから元に戻す。慣れるまでは、排泄物を自分で処理することが最大の難関だが、こういうものだと腹をくくればなんてことない。手についたら、洗えばいい。

毎年行っている夏キャンプで子どもたちがトイレ掃除をするとき、ほとんどの子が嫌々バケツから顔を背けながらやる。「おえ〜」「きたな〜い」そんな声も聞こえてくる。そんなときに「どうして汚いって思うんだろうね。さっきまで自分のお腹の中にあったのに」と質問すると、うーん、と考え込んでしまう子がいたりして面白い。

僕はトイレに関してよっぽど言いたいことがあるみたいだ。長くなりそうなので、後編に続きます。

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笹のいえ

落ち葉

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笹のいえ周辺は雑木が多く、秋から冬にかけて、たくさんの葉が落ちる。

以前なにかの本で「落ち葉は良質の堆肥になる」と読んでから、道に落ちている葉っぱが気になって仕方がない。

これまでは他の作業に追われてなかなか手を出せなかったが、ちょうど友人がお手伝いにやってきたタイミングもあって、本格的に落ち葉集めをした。

側溝に溜まっている落ち葉をスコップで道に上げ、熊手で葉を道の中央に集める。このとき、なるべく石や枝などを取り除く。

雪かき用のスコップで落ち葉をすくい、軽トラの荷台に積んでいく。あおりから溢れそうになったら、上から踏んでさらに載せる。

山からの小石や砂、すくいきれなかった小さな葉は、竹箒で谷側に落としていく。

作業しながら後ろを振り返ると、スッキリと広くなった道が現れ、気持ち良い。適度な運動量で体も温まり、寒い季節にぴったりな作業だ。

500mほどの道で、荷台約5杯分の落ち葉が集まった。

田んぼに撒いたり、畑の通路に敷き詰めたりした。

育った作物にどんな変化があるか、楽しみにしてる。

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笹のいえ

醤油と暮らし

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うちでは自家製醤油を造っている。

しかし、「自家製」と呼ぶには恥ずかしいほど、たくさんの方たちが関わっているお醤油だ。

醤油麹(こうじ)は、春先に醤油の醸造所から分けてもらう。到着後すぐに水と塩を加えて樽に入れ、月に一二度天地返しをして発酵を促す。そして霜が降りるころ、「搾り師さん」に搾ってもらう。

言葉にすると簡単だが、複雑な発酵技術や製造の管理を素人でも可能にしたこの方法を創りだし、大切に伝えてきた搾り師さんたちに感謝したい。

同じように仕込んでも、気象条件や保管場所などの影響で、毎年異なる醪(もろみ)ができあがる。その状態を理解し、保存性などを考慮して、一番良い状態の醤油が搾れるのは、彼らの豊富な経験と知識のお陰だ。また、次回より美味しい醤油を造るためのアドバイスも受けられる。

大豆と小麦、塩、水が原材料の、本物の醤油だ。

この醤油が美味しい。

外食するときは「マイ醤油」を持参することもある。味噌やお酢と並んで、僕らの暮らしで欠かせない調味料だ。

これまで、搾り師さんを呼んだり、こちらから行ったりして、搾ってもらっていた。暮らしで使う醤油を考えたとき、いつからか「自分で搾りたい」という想いが湧くようになった。

長野に住む知り合いの搾り師さんにお願いして、今年の醪を自分で搾らせてもらうことになった。搾りの現場は何度となく見ているが、最初から最後まで自分でやるのは初めてだった。搾り師さんから手ほどきを受け、周囲の手を借りて、どうにか無事に醤油を搾り終えることができた。

高知に戻ってきて、おりを取り除くために数日間放置し、瓶詰めする。

一年間使う醤油の完成だ。

自分で醪を管理することで、日々の生活で無理なく面倒を見られるし、責任を持つことができる。できた醤油は売りものではなく、あくまでも、暮らしの中で消費される。毎日の食事はもちろん、お返しや物々交換にも喜ばれ、重宝している。

最初に書いた通り、このお醤油にはいろんな人が関わっている。

重い樽の移動や洗い物のときはお手伝いが必要だし、一日に複数の樽を搾るときは他の人の作業を一緒にすることもある。お昼の準備や子どもたちの相手もしながら、一緒に時間を共有する。醤油がつないだ縁が生まれる。

そんな出会いも醤油造りの楽しみのひとつだ。

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笹のいえ

フロントガラス

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毎朝しっかりと霜が降りる時期になった。

寒いのは苦手だけど、冷え込む日は快晴が多いので、日が昇るのを温まりはじめたストーブの前でじっと待つ。

そんな朝、車に乗るとき、ストーブの上にあるやかんを持っていく。フロントガラスに付いている霜を溶かすためだ。

湯気を出しながらガラスを滑っていくお湯はやがて水となり、さらに流れながら再び凍りはじめる。ガラスには、なんとも不思議な模様が描かれていく。

エンジンを掛け、ヒーターが車内を温めるあいだ、子どもたちとその様子を眺める。寒さを我慢したご褒美みたいだ。

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笹のいえ

米麹

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外では乾燥した強い北風が吹き、木々を揺らしてる。

こんな寒い日にぴったりの作業は、米麹の仕込み。

かまどで米を蒸しあげれば、部屋も身体も温まり一石二鳥。

テーブルに米を広げると湯気が立ちのぼり、思わず深呼吸する。

人肌くらいに冷ましたら、麹菌を満遍なくふりかける。

しゃもじで丁寧に混ぜ、麹蓋に詰めて、豆炭こたつの中へ。

数時間ごとに温度を確認しながら切り返しをしていくと、こたつから段々米の甘い幸せな香りする。
三日後に米麹のできあがり。

今回のは味噌用だけど、たくさんつくっておいて冷凍保存しておけば、甘酒などを作るときに重宝する。

近所にあるスーパーの棚に麹菌の袋(しかも、醤油用と味噌用の二種類!)を発見したときは驚いた。
麹つくりが身近な土地ならではの品揃えだ。

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笹のいえ

やけど

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父ちゃんが朝一番に起きて、薪ストーブに火をいれ、台所を温める。

子どもたちが起きると、真っ先にストーブの前に集まって暖をとる。

ちゃっかり者のお姉ちゃんは、お腹に豆炭あんかを忍ばせてる。

母ちゃんはストーブに鍋を並べ、朝ごはんを作りはじめる、、、最近の朝の風景だ。

 

火のある暮らしを家族でしたくって、笹のいえにやってきた。

釜戸 七輪 薪ストーブ 五右衛門風呂 焚き火 豆炭あんかなど

火は毎日の生活に欠かせないアイテム。

扱いには注意しているが、ちょっとした不注意から、おとなも子どもも小さなやけどをする。

怪我は痛いし不快だけど、またひとつ経験値が上がった気がする。

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笹のいえ

大豆の収獲

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米小麦と同じくらい、我が家で大切な大豆。

数年前に在来の種を分けてもらい、その種を繋いでいる。

今日は収獲の日だ。

車を運転し、まだ朝露の残る畑に出向く。

寒さに震えながら作業をしていると、あるときすっと日が差し込んだ。

その暖かさに、心も身体もほぐれていく。

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笹のいえ

カメムシを考える

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冷え込みが強くなると、よく見かけるようになるカメムシ。

ご存知の通り、彼らが出す匂いは独特で、嫌いな人も多い。ここらの地域では「クサムシ」と呼ばれる。
うーん、なんと分かりやすい名前だ。

触らないように気をつければ特に害はないのだけれど、どこにでも潜り込む彼ら、気づかないところで触ってしまう。
そうするとどこからかあのパクチー臭が漂い、臭いの元を探し回る羽目になる。

さて、うちでは室内にこの虫を見つけると、ペットボトルにそっと誘導し外にポイっとする。
末っ子はそんな様子を真似してか、カメムシを積極的に捕まえるようになった。

ただ、二歳児がカメムシを直接触らないように室外に出すのは難しい。

そのうち、ああなんということでしょう、素手で捕まえるようになったのだ。
当然、カメムシは例の臭いを発し、彼もまた同じ臭いに包まれる。父母は目を丸くし、姉兄はワーキャーと逃げ回る。
しかし、当の本人は一向に気にしない様子で黙々とこの昆虫を手に乗っけては観察してる。

まだ先入観のない小さな子どもは純粋な好奇心で生き物と向き合い
「臭いからヤダ、嫌い」などというのは大人の先入観なのだなあ。
と感心して末っ子の顔を見ると、両方の穴から鼻水が出ている。
なんということはない、鼻が詰まって、なんのニオイも感じていないだけだった。

しかし、彼のカメムシ遊びのお陰で「カメムシは本当に臭いのか」という疑問が僕の中で生まれた。
「嫌われ者のこの虫だって一生懸命生きているのだ」と考えると、「それほど臭くないんじゃないか」とさえ感じてしまう。
が、しかし、嗅ぎすぎで自分の臭覚が狂ったと思わなくもない。

そういう僕はカメムシの飛ぶ音が苦手。
匂いと同様、羽音も特徴があり、文字にはしにくいけど、「ゔーーーん」という低音が気になってしょうがない。

カメムシが大量発生する年は、寒い冬になったり大雪が降ると聞いたことがある。
今年は厳しい冬になるのだろうか。

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