2022年9月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「僕が恋した日本茶のこと  青い目の日本茶伝道師、オスカル」 ブレケル・オスカル 駒草出版

「YOUは何しに日本へ?」という番組で紹介され、ライフワークとしての位置づけで日本茶と真摯に向き合い、単なるクールジャパンに憧れた人ではないと印象づけられていた。
その後を追う企画をたまたま観てビックリ!その決意通り会社を立ち上げ、グローバルに活躍されていた。本も数冊出版し、今や静岡から東京へと進出している。

日本人がないがしろにしがちな日本茶をもっと大切にするべきだと日々奔走している。この本ではその行動の過程・お茶の銘柄そして産地や背景なども紹介している。
100g一万円のお茶はウィスキーと比較してみると決して高い訳ではないと言い切る。
容姿の端麗さも読者を引き付ける要素の一つとなっているだろうが、お茶に関する資料を読み解くために日本語を習得し、漢字も使いこなす。
頭の下がる思いです。この本で評価の高い秋津緑という銘柄に出会ったら飲んでみたい!と本を閉じた。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
くだらな土佐弁辞典

ぞんぞんする

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

ぞんぞんする・ぞいぞいする

【動詞】寒気がする

 

例:(うまれてすぐに) ハメに囲まれぞんぞんする 意味: 蛇に囲まれ寒気がする

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

山門由佳

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「作家の住まい」 コロナ・ブックス編集部  平凡社

毎週日曜日の朝、いつも楽しみに観ている番組があります。『渡辺篤史の建もの探訪』(BS朝日8時半より)。渡辺篤史さんが、こだわりを持って建てたおうちを訪ねて、その家の主人に説明を受けながらさまざまな家を紹介する番組です。

まず出演されている渡辺篤史さんの声がとても耳に心地が良い。さらにおちゃめなリアクション、絶対マイナスなことを言わないコメントもどれもこれもツボ。 数々の素晴らしく美しい家が映し出され、番組が終わり、画面から室内に目を戻したとき、散らかりまくった自宅の現実にがっかりはしても、結局愛すべき暮らしはここにある。

しかしながら「家」を見て、そこにどんな「人」が暮らし、どんな「生活」が営まれているのか想像するのがとてつもなく面白いです。

作家の住まい…。圧倒的に家に在宅している時間が長い作家という職業の家。不思議と家というものは、そこに住む人物、作品、センスまでを映し出します。どの家も、その作家にぴったりな雰囲気をまとっていることに驚かされます。

この本を通して、堀田善衛氏の作品を読んでみたいと思いました。この家から生み出されるのはどんな作品なのであろうかと興味津々です。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

軸ある足元

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

 

以下の文章は、2022年7月20日に発行したとさちょうものがたりZINE 10「土佐町のかたち」の巻末に、あとがきとして掲載したものです。

 

「軸ある足元」 文:鳥山百合子

昨年のもうすぐ稲刈りを迎えるという頃、大型台風が高知県を直撃する予報が出た。お米を作っている友人に「台風が逸れるといいね。心配やね」と声をかけた。すると彼は「なるようにしかならんきね」。心配を笑い飛ばすように手を振って、彼は軽トラックで帰っていった。私は見送りながらその言葉の意味を考えていた。

11年前に土佐町に来てから、私はこの地の人の姿に感じてきたことがあった。それは『この地の人は共通した「何か」をもっている』ということだ。その「何か」が何であるのか。考え続けてきたその答えを、友人の言葉が教えてくれた。

大地を耕し種を蒔き、丹精込めて育てても思い通りにならないことがある。この地の人は、人間の力でどうにかできることとできないことがあることを身体で知っている。それは諦めというよりも、自然に身を委ねざるをえない時があることを知る人間の謙虚さ、そして、その中で生きるために何とかやりくりして切り抜けようとする人間の粘り強さであると思う。それは自身の経験から得たもの、そして、先人たちの汗水流し働く姿を見ながら身に付けてきたものだろう。その体感は、ちょっとやそっとでは揺るがない足元をつくる。地に足をつけた足元が、私はずっと羨ましかった。

 

内側の違和感

私は神奈川県西部のある町で育った。自然が色濃く残り、田畑を駆け回って遊んだ。

畦道の脇には水が湧き、クレソンが生え、どじょうが泳いでいた。田に積まれた籾殻の山に飛び込み、寝転んで夕焼けを眺めた。小学校へ向かう道の途中には一本の大きな桑の木が生えていて、紫色に熟した実を手のひらいっぱいに摘み、一気に口に放り込んだ。捨てられていた家畜用のとうもろこしの実をほぐし、何かを燃やしているドラム缶に投げ込んだらポップコーンが飛び出して心底驚いた。土の上を駆け回っていた頃の記憶は、鮮明で懐かしい。

小学校高学年の頃、遊んでいた場所に重機が入った。桑の木は切られ、田畑は埋め立てられて住宅地になった。次第にそういった場所は増えていき、いつの間にか街全体を変えていった。

学生時代は満員電車で学校へ通った。運良く窓際に立てたら移り変わる外の景色をぼんやりと眺め、時には押し潰されそうになりながら息を押し殺して立っていた。あの頃、私は何を見て、何を考えていたのだろうか。振り返ってみれば、私はこの頃から、自分の内側にもやもやとした違和感を感じるようになっていた。

終点の新宿駅に到着すると押し出され、追い立てられるように駅のホームを歩いた。足元はいつもどこか知らない場所を歩いているかのようだった。四方八方店が並び、物やネオンや情報が溢れ、もっともっとと突きつけられているようだった。多種多様な選択肢があるはずなのに私は何を選びたいのか、何がしたいのかわからなくなっていた。そんな状況を何とかしなくてはと焦り、周囲と自分を比較して落ち込んだ。笑いながら内側では笑っていない、内側と行動が一致していない自分を感じていた。

働き始めても、親になってからも、その違和感は姿形を変えながら積み重なっていった。その違和感の正体を見ようとすることは怖く、正直に言うと、考えることから逃げていた。考えることを後回しにしたつけは必ずやってくる。いつの間にかそれは幾種類も幾重にもなり、いい加減に内側の整理が必要になっていた。

 

違和感を整理する

土佐町で暮らし始めて11年目になる。ここ数年で、長年抱えてきた違和感を感じることは少なくなってきたように思う。それはなぜか?

まず、移りゆく四季折々の自然の姿や、その中で暮らす人たちとのやりとりが私の内側に大きな影響を与えたようだった。

耕された土から立ち昇る蒸気に春を感じる。鮎泳ぐ川に飛び込み、耳元で水の粒が弾ける音を聞く。黄金色の田に稲穂を揺らす風の通り道を見つける。四季の営みの元、食べるものを作り、生きる人たちがいる。この土地で生きる知恵と技術を持ち、土地のものを上手に利用し工夫して暮らす。

私にはそういった知恵も技術もないが、地に足をつけて暮らす人たちを身近に感じることは心強く、喜びだった。そう感じる自分への違和感は1ミリもなく、とても気持ちよいものだった。

人間は人間である前にまず生物であって、命の源である自然の中に暮らすことは思っている以上に大きな影響を与えていると思う。幼い頃見た小さな湧水や甘酸っぱい桑の実、橙色の夕焼けの広がりを私は忘れたことはなかった。人間は土から離れない方がいい。その体感を改めて得たことは、抱えていた違和感に風穴を開けてくれた。暮らしている地を好きだと思えることは、本当に素晴らしいことだ。

そしてもう一つ。長年の違和感は、内側の「本当」の部分に蓋をして自分を誤魔化していたから生じていた。その気付きは大きかった。意外とシンプルな答えなのに、それが分かるまで随分と時間がかかってしまった。

違和感は放っておかない方がいい。気付いた違和感に気付かないふりをしていると、あったことを無かったことにする癖がつく。もし違和感を感じたら立ち止まり、それが何であるのか考えることが大切だと思う。すぐにその答えが分からない時もあるだろう。でも一番大事なのは自分の感じたことを適当にあしらったり、無かったことにするのではなく、ちゃんと見ようとすることだ。それは自身の足元を確かめることでもある。絡み合っていた違和感を一つずつ解きながら着いた先には、ちゃんと自分の足元があった。

 

足元はここにある

けれども、日々流れてくるソーシャルメディアやテレビ等の情報の渦に巻き込まれそうになる時がある。そんな私を救い上げてくれるのは、いつも「人」だ。

土佐町田井地区で理髪店を営んできた西森五明さん(P49)。今回の撮影を「今までの生き様を残しておくためにいいかもしれんね」と引き受けてくれた。

昭和7年生まれの澤田三月さん(P45)は、洋裁を勉強するため列車や船を乗り継ぎ、何十時間もかけて東京まで通ったという。「辛いこともたくさんあったけど、でも今はよかったなあって。人の気持ちがわかるようになった。無駄なことなんて一つもないわね」。

人生の先輩方がふと話す言葉は、柔らかで強い。曇りないその言葉はその人の佇まいと不思議なほど一致している。地に足のついた方と向き合うたび、私の足元が今どこにあるのかを感じる。

私たちは、スマートフォンやパソコンの画面上の情報ややりとりだけでわかった気になっていないだろうか。

私の足元は自身の元に、そして向き合う人との間にある。これからも、それは変わらない。

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ストーリーズ

95年間のキヨ婆さんの思い出 14

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

叱られて

目の前にいるときは「オトッチャン」で、いない時は「オトウ」と呼んでいた。物心ついた頃から「オトウのおこり」というようになっていました。

学校から帰って父が家にいると、嫌な感じでした。

予習、復習を済ませて弟の子守り。昭和10年頃、電気は通っておらずランプだったので、夜更かしはせず、布団の中へ。だがその日は夕飯が済むと

「キヨ、よみかたの本を持って来い」(ソラ来た)

自信はあったがビクビク、漢字の書き取り習ったところはスラスラと書いて、やれやれと思った時「次いくぞ」と言って、まだ習っていない欄外の字を言ったがそこまでは無理。

「書いたか」

「まだ習ってない」

と言い終わらないうちに、いきなり筆箱が飛んできた。その筆箱は父が作ったもの。白い桐の板で、頭に当たって中のものが飛び散った。こうなると逃げるが勝ちと、薄暗い外に飛び出て、上の郡道へと走ったが、追いかけてこないことはわかっていたので母が迎えに来るのを待っていた。

しばらくして「キヨ、もうもんて来や」待っていた母の声。帰って黙って布団に潜り込んだ。

そんな父も妻や子に先立たれ、不幸な一生でした。

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
土佐町ポストカードプロジェクト

2022 Aug. 東境

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

東境 | 山下愛來

 

土佐町の川景色2枚目、場所は東境にある浄水場近くです。

日常の生活圏に泳げる川がある。水もきれいで飛び込める川が生活のあちこちにある。

これは80年代に千葉市で育った私には、とても素晴らしい環境に思えます。

土佐町で育った方には「そんなの普通!」みたいな顔をされますが、これはとても豊かなことだと感じます。

この環境を守ってきた先人に感謝ですね。

奥に見えているのは常盤橋。元気よく遊んでいるのは山下愛來ちゃんです。

 

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「ホテル・ピーベリー」 近藤史恵 双葉社

高知新聞の記事下広告にこの本が載っていた。
作者の名前が気になり金高堂書店へ赴く。もちろん同姓同名に過ぎなかったのだが…。

舞台がハワイ島らしいので、そちらにも興味があり読み始めた。事情があり、小学校の教師を辞職した20代の男性が主人公。友人に勧められたリピーターお断りの曰くありげなホテルに長期滞在の予定で、自分探しのような旅に出る。

鬱屈した青年の内面描写のように始まる。そしてある日、宿泊者の一人がホテルのプールで溺死し、ミステリー小説へと変貌する。謎だらけの中、何かを知っていた2人目がバイクで事故死。オーナーはホテルを閉じるので予定を繰り上げて退去するようにと通告してくる。不審な気持ちを抱きつつ帰国する。

4ヶ月後に再びハワイ島ホテル・ピーベリーへと向かう。謎解きは一気呵成、緻密な伏線が張られていた訳でもなく、日本で調べた事実を元に解決へと導く。こうして主人公の1泊2日のハワイ島再訪の旅は終わる。

少し消化不良の感は否めないが、ハワイ島の情景・空気感がさらりと描かれており、旅した気分にさせてくれた。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

土佐町森地区は、ざっくりと説明するならば樫山・南泉山・ワレイ山に囲まれた盆地である。もっとも私の個人的見解であるが…。

私の実家から見える樫山は、扇方をした穏やか極まりない平面的な山である。

この樫山は私にとって天気予報のようなお山であった。夏休みになると川へ泳ぎに行く前に必ず眺める、けぶったように見えれば、1時頃からかなりの確率で雨!用意した浮き輪・バスタオルの登場は今日はなし、明日のお楽しみである。

 

春と秋は何かというとワレイ山へ登った。(未だにこの山の漢字がわからない、和霊かと勝手に考えている)

急峻なくねくね坂を抜けるとやがてなだらかな尾根沿いの道、広葉樹からこぼれてくる太陽に幸せを感じつつ先を目指す。少し開けた所が目指す山頂のすぐ下、右に一気に駆け上がる。征服感満載で一人前に腰に手をあてて森の集落を見下ろす。心潤す瞬間である。

南泉山へは現在でもトラウマとなっている板の一本橋「はしとこ」を渡らねばならなかった。冬は夕日に美しく照らされ、てっぺん近くの家は神々しいばかりの光に包まれていた。屋号のように呼んでいたのは「そら」。

現在は木々が生い茂りワレイ山を下から望むことはできない。どこがそうだったのかも断言できない。夕日を独り占めしていた「そら」の家にも前ほどは日が当たらないそうだ。

樫山だけは今でもどこに居ても視界に収めることができる。見る角度により全く違った山の雰囲気となるが、安心して眺められる唯一の山かもしれない。

樫山近辺から森中学校に自転車通学していた級友達を時々思い出す。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

夏野菜の袋詰め

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

「袋詰めを手伝ってくれたら、うんと助かる!」

お世話になっている農家さんに言われ、娘と手伝いに出かけた。なす、ピーマン、きゅうり、甘辛とうがらし。ツヤツヤの野菜たちがコンテナから溢れそうになっている。

ご夫婦で営んでいる農園はいつも忙しい。週に2回、高知市のスーパーへ野菜を運ぶのだが、その前日に収穫、袋詰めと夜遅くまで作業していることも多い。

きゅうりとなすは大小2本ずつ、ピーマンは重さを計って3つ。それぞれの袋に農園を紹介した小さな紙を入れて、袋を閉じる。

きゅうり50袋、なす110袋…。注文数の袋をひたすら作る。なすは一旦新聞紙にくるんでから袋に入れると入れやすい。

途中でなすが足りなくなったため、奥さんはバイクに飛び乗って近くの畑へ向かい、20分ほどで帰ってきた。先ほどまで太陽を浴びていたなすの内側は熱を帯び、しばらく置いてから袋に入れた。

ご主人が「食べてごらん」と甘辛とうがらしを手渡してくれた。苦いかもと思いながら食べたので脳はびっくり、果物のように甘かった。噛むと果汁が溢れる。二口、三口と続けてガブガブと食べた。そんな私をご主人は、にこにこと見ていた。

奥さんは「近頃値上がりばかりでとてもしんどい」と言っていた。野菜を入れるビニール袋は約10パーセント値上がり、肥料や段ボール、ガソリン代も。一体どこまで上がり、いつまで続くのか。野菜をいくらで売れば日々の経営が成り立つか。気温の急激な変化で野菜の生育状況が以前と変わったため、その計算も難しいと言っていた。

それでも、日々作物は育つ。その作物を収穫し、出荷する。二人はその合間に草を刈り、田畑を見回り、これからの秋冬野菜の準備を始める。どれだけ汗をかいても終わりがないサイクルの中で、誰かが手伝ってくれたり、お客さんが来てくれることがちょっとした息抜きや楽しみになっているようだった。

二人に会って、夏バテでぼんやりしていた身体に血が通った。またできることがあれば、手伝いに行きたいと思う。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「元彼の遺言状」 新川帆立 宝島社

テレビドラマ化され、不思議なテーマが気になりつつほとんど寝てしまい、何が何だか分からずじまいとなった。スッキリするべく原作を購入。目の回るような画面展開を気にすることなく、自分のペースで謎解きを理解できた。

買収した会社が実は問題だらけだった。後々に禍根を残さないように周到に計画された遺言だった。一見辻褄が合いそうにない珍妙極まりない遺言が、実は未来をみすえた措置であったと若き女性弁護士は見抜く。

主人公の女性弁護士はお金の亡者である。しかしながらお金以外にも大切なことがあると気づき始める。その微妙な心の変化も見逃せない。

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
2 / 212