古川 佳代子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

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「兄の名は、ジェシカ」 ジョン・ボイン著 原田勝訳 あすなろ書房

ある人の性的指向や性自認が大多数を占める人びとと同じでない場合、その人は差別や虐待の対象とみなされることがよくあります。まだまだ、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の人びとの権利が守られているとは言い難いですが、理解を促す素晴らしい文学が書かれています。今日紹介する物語もそんな作品の一つです。

大好きな自慢の兄ジェイソンが、トランスジェンダーだと告白した。弟のサムはどう受け止めてよいかわからないし、それは両親や周囲も同じこと。サムの目線から語られる告白以降の状況は、なかなか厳しい。

リベラルな政治家である母とその秘書である父は、LGBTやその他もろもろのマイノリティな存在を差別することは愚かしいことだと公言している。しかし、それが自分の息子のことになると、冷静に受け入れ偏見なく対応することは難しい。

その葛藤がリアルに表現されており、読み手にはストレスとなる部分もあるが、そこを逃げずに描いたことで深見のある作品となっている。特に、息子に付き添ってカウンセリングに臨んだ母親の「…私たちがどう思っているかは別にして、この件に関わっていたいのです。関わっていなくてはならないんです」という言葉は印象深い。

今はまだトランスジェンダーだと表明することには勇気が必要ですが、勇気など必要としない日をつくる責任は当事者だけでなく私たちも担っていることが伝わってくる物語です。

 

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「すてきな子どもたち」 アリス・マクレラン文 バーバラー・クーニー絵 北村太郎訳

小学生のころ、公園の木の一つを自分の秘密基地に定めていました。木にまたがって本を開く時の嬉しさと言ったらありません。木の葉の匂いや風の心地よさ、いつもよりも倍、読書を楽んだことでした。そんなことを思い出させてくれたのがこの絵本です。

大人の介入しない子どもたちだけの場所で、思う存分想像力を働かせてダイナミックに遊ぶ楽しさ。毎日毎日出かけて行っては遊びに興じ、頭と体をフルに使って過ごす時間の豊かさがクーニーの美しい絵で描かれており、読み手にも子どもたちの幸せな気持ちが伝わってきます。

 

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「エイドリアンはぜったいウソをついている」 マーシー・キャンベル文, コリーナ・ルーケン絵, 服部雄一郎訳 岩波書店

今年1月に出版されてから何人もの友人に薦め、何度も読み返している絵本。絵本ならではの仕掛けはみごとで“魔法”と呼びたくなるくらい素敵な仕掛けです。

まじめで嘘が許せない主人公の女の子は、同じクラスのエイドリアンが「うちには馬がいるんだよ」という度にいらついてしまいます。小さな家におじいさんと二人で住んでいるエイドリアンが馬を飼っているはずはないからです。

いつものとおり、エイドリアンが馬のことを話し出した時、女の子は思わず「それ、ウソだよ!」と叫んでしまいます。そのときのエイドリアンのすごく悲しそうな目…。正しいことをした女の子でしたが、気持ちは晴れません。

ここからの展開と物語に寄り添う絵が秀逸で、読み返すたびに幸せな気落ちに包まれます。

自分とは違う価値観を受け入れた瞬間にパッと世界が広がる、驚きとうれしさ。自分で自分の周りに作っていた壁を突破らった時に見える豊かな世界の美しさ。様々なものを伝えてくれる絵本です。

 

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「ハナミズキのみち」 浅沼ミキ子文 黒井健絵 金の星社

東日本大震災から10年が過ぎました。けれども、復興にはまだまだ時間がかかりそうに思います。

震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市に小さな図書館「にじのライブラリー」があります。その現地責任者でいらっしゃる荒木奏子さんが出版に尽力されたのが『ハナミズキのみち』です。

震災で息子さんを亡くされた浅沼さんの思いのたけの詰まった文章をお読みになったとき、とにかく浅沼さんを慰める本を出そう、出さなくてはいけないと思われたのだそうです。

荒木さんや浅沼さんたち「陸前高田『ハナミズキのみち』の会」の活動が実り、避難路に沿って2019年にハナミズキの木が植樹されました。

再訪を約束した陸前高田市の皆さんや、ハナミズキの花に会いに出かけられる日が早く来ることを願っています。

 

 

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「Oじいさんのチェロ」 ジェーン カトラー 著, グレッグ・コーチ絵 あかね書房

コロナ感染症拡大を防止するために様々な行事が自粛を余儀なくされました。ともだちとの会食や直接の会話、コンサート、お芝居、スポーツ…。いわゆる文化芸術活動は不要不急のものとされてしまいましたが、本当にそうなのかなあ?

極限状態を何とか生き延びなくてはいけないとき、人を支えてくれるのは誰かとの会話であったり、音楽であったり、観劇であったりするのではないかしら?決してこれらは不要なものではないはずです。

「Oじいさんのチェロ」は、音楽の力を印象深く伝えてくれる絵本です。

戦争に巻き込まれた町に住む女の子の楽しみは、救援物資を届けてくれるトラックが到着する水曜日の午後4時でした。ところがトラックにロケット弾が落ち、そのささやかな楽しみさえ奪われてしまいます。

しょんぼりと迎えた水曜日。トラックがいつも来ていた広場に、コンサート衣装に身を包んだOじいさんがチェロを抱えてやってきます。有名な音楽家だったという彼がチェロを弾き始めると、その豊かな音色は女の子や町の人たちに怖がっていることを忘れさせ、生きる勇気を与えてくれるのでした。が、そのチェロさえなくなった時…。

音楽や舞台などをはじめとする文化芸術こそ、困難な状況を乗り越える人たちにとって欠くことのできない、有用緊急なものだと思います。

 

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「ガザ  戦争しか知らないこどもたち」清田明宏著 ポプラ社

旧高知医科大の出身で、パレスチナ難民の支援活動にあたっている清田明宏さんの著書『ガザ 戦争しか知らないこどもたち』を読んだ時、生まれてからずっと戦争しか知らない子どもがいることに、やりきれない気持ちになりました。

1年前から住み始めた土佐町で、紛争地に生きる子どもたちに思いをはせる日が増えました。長閑な町の空を不意に横切る戦闘機。その非日常の爆音を初めて耳にしたときの怖さは、今でも忘れられません。1年たった今でも、爆音には慣れることはできませんし、これからだって到底平気になれるとは思えません。月に何度か、一瞬耳にするだけで身が竦み動悸が激しくなってしまう戦闘機の音。 紛争地域で生きる子どもたちは、それを日常とすることがどんなに異常なことかも知らないまま、日々を生き抜いているのです。

彼らが戦いの音の聞こえない、静かな世界でくらせる日が一日でも早く来るように、と願わずにはいられません。

 

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「ぼちぼちいこか」 マイク=セイラー作,  ロバート=グロスマン絵    今江祥智訳 偕成社

新年度が始まりました。新入生たちもそろそろ新しい環境に慣れた頃でしょうか?

この時期になると思いだす女の子がいます。一年生なり2~3カ月が過ぎたころ、ボソっと「いつ幼稚園に戻れるがぁ?」とつぶやきました。 すると高学年のお姉さんが間髪いれずに「なに言いゆうが。もう戻れんがでぇ。これから小学校に6年、そのあと中学校で3年、高校も3年。最低でも12年は学校に行かんといかんが!」と教えてあげました。それを聞いた女の子の情けない顏ったらありません。もう可笑しくっておかしくって、笑いをこらえるのに必死でした。

まだ6年しか生きてない女の子にとって、12年なんて先も先。オドロキ、途方にくれたのは仕方のないことですね。いえいえ、小学一年生ならずとも、仕事や人間関係、介護や闘病などなど、一日一日を乗り越えながらも、果てが見えないつらさにため息をつく大人もいることでしょう。

そんな時、とりあえず悩み事はわきに置いて、絵本を開いてみてはいかがでしょうか?

たとえば今江祥智さんの関西弁の名訳がたのしい『ぼちぼちいこか』。

時間はまだまだたっぷりあるのです。そのうち良いこともあるあろうし、新たな展開が訪れることもあるでしょう。

とりあえず毎日機嫌よく、ぼちぼちいこかとすごしましょう。

 

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「ふたつめのほんと」 パトリシア・マクラクラン作、夏目道子訳 福武書店

事実と真実って似ているけれどイコールではないよなあ、と思うことが時々あります。例えば事実のデータを例示して書かれた記事が真実とはいえないこともあるし、創造の話である神話や民話の中に普遍的な真実が語られていることがあったり…。この似て非なる事実と真実の狭間で戸惑いながら成長する少女の姿が素敵に描かれた物語がこの『ふたつめのほんと』です。

主人公のミナーの母親は小説家。机の前のボードには、様々な言葉を書いた紙を貼りつけています。その中の「事実と小説は 、それぞれに真実」という言葉がミナーは気になって仕方ありません。作りごとの話である小説ってうそのことでしょう?それなのにどうして真実なの?11歳のミナーには納得できません。

でも、目下の問題は習っているチェロにビブラートがかけられないこと。一緒に習っているルーカスはビオラに素敵なビブラートがかけられるのに、どうして私はかけられないの?? 音楽の神様、ウォルフガング様、どうか私の力をお貸しください!

目に見える真実だけでない、もう一つの真実“ふたつめのほんと”に気付き始めた少女の揺れが、モーツァルトを伴奏に軽快に描かれています。

 

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「ケレー家の人々」 ケート・D・ウィギン作,村岡花子訳 角川文庫

何か失敗して気が滅入ってしまった時の特効薬は、昔懐かしい家庭小説を読むこと。日常生活の中から、何かしら美しいものを見つけ出しては子どもらを楽しませ、自分の失敗は笑い飛ばしてしまう主人公たち。そんな彼らにいつの間にか感化され、落ち込んだりささくれていた気持ちもいつしか落ち着いてくるのです。

よき父でありよき夫でもあったケレー氏を亡くし、貧しい田舎暮らしを始めるケレー一家。けれども一家はケレー母さんを中心にまとまり、貧しさをも楽しむたくましさとユーモアを持っていました。とにかく、このケレー母さんが惚れ惚れとする素敵な大人なのです。なかでも、自分の大学進学のためならば家族が犠牲を払うのは当然だと主張する長男に対する言葉は、最高にステキです!

 

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「建築探偵  東奔西走」 藤森照信文, 増田彰久写真 朝日文庫

日本国内の美しい、あるいはなんじゃこれ?と言いたくなるユニークな建物を紹介してくれる本書。物言わぬ建物に代わって雄弁に語る藤森氏の歯切れのよい文章と、建物がいちばん美しく見えるよう細心の注意を払って丁寧に撮られた増田氏の写真。そのどれもが素晴らしく、すぐにでも出かけて行きたくなります。こんな建築物が身近にあるって楽しいだろうなと思っていたら、記憶の底からよみがえってくる建物がありました。

通称“灘のお化け屋敷”。宇津野トンネルを海側に抜けてすぐ左手。うっそうと樹の生い茂った坂道を登ったところに立つくすんだピンクの朽ちかけた二階建て。スペードやハートの形をしている、なにやらあやしい雰囲気の洋館に住んでいたのは一体どこの誰だったのでしょう?

今頃になってとっても気になります…。

 

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