
地蔵寺の西村卓士さん。言うまでもなく、土佐町の前町長です。
西村さんは2015年まで土佐町長を務められました。
この写真で西村さんが座られている机はお孫さんのものです。町の職人さんが作り、土佐町小学校の新一年生に毎年贈られる机と椅子。子供たちはこれを6年間使ったら卒業とともに持ち帰ります。
その仕組みを作ったのは西村さんが町長だった時代の町の方々。
その時のお話しを聞きたくて、お家にお邪魔した際に撮らせていただいた写真です。
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土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)
注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。
“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。
念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。
土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。 (敬称略・撮れたときに不定期更新)

地蔵寺の西村卓士さん。言うまでもなく、土佐町の前町長です。
西村さんは2015年まで土佐町長を務められました。
この写真で西村さんが座られている机はお孫さんのものです。町の職人さんが作り、土佐町小学校の新一年生に毎年贈られる机と椅子。子供たちはこれを6年間使ったら卒業とともに持ち帰ります。
その仕組みを作ったのは西村さんが町長だった時代の町の方々。
その時のお話しを聞きたくて、お家にお邪魔した際に撮らせていただいた写真です。
地蔵寺西村家系譜(復刻版)からの一枚です。
地蔵寺西村家系譜(復刻版)は、タイトル通りなのですが地蔵寺の西村家の方々が編んだ西村家のヒストリー。一冊の本となって記録されています。
その冒頭に掲載されている一枚の写真。地蔵寺の、おそらく集会所で撮影されたものと思われます。
今年、とさちょうものがたりは地蔵寺の地蔵堂の阿吽の龍の木像をモデルに「土佐町オリジナルポロシャツ」を作っていますが、もしかしたら地蔵堂の改築のときの一枚かもしれません。
というのも、写っている方々の最後列右から2人目が徳亀知さん、左下が弟子時代の福蔵さん。どちらも地蔵寺の大工さんです。地蔵堂をとても大切にしていた、実際に地蔵堂の改築に携わった大工さんたちなのです。
今年の「土佐町オリジナルポロシャツ」のデザインは、土佐町地蔵寺地区にある地蔵堂の阿吽の大龍です。町内外の方から多くの注文をいただき、龍のポロシャツを着ている方の姿をあちこちで見ることが大きな励みとなっています。本当にありがとうございます。
これまでとさちょうものがたり編集部は、この龍の作者は、昨年亡くなった土佐町の宮大工・西村福蔵さんであるとお伝えしてきたのですが、先日、地蔵寺地区の史実に詳しい方々からご意見が寄せられました。
「龍を作ったのは、西村福蔵さんではないのではないか」という内容でした。
お話を伺うと、
「地蔵堂の龍は福蔵さんが作っていた龍とはまた違う作風であるし、福蔵さんが仕事をしていた最近50年の間にできたものではなく、もっと古いもののように思える」
「地蔵堂の龍を作ったのは、1947年に地蔵堂を改修した時の棟梁であった西村徳亀知さんか、徳亀知さんの先代ではないだろうか」
そう話しながら、地蔵寺地区の歴史をまとめた資料も見せてくださいました。ちなみに西村徳亀知さんは福蔵さんの師匠にあたる方です。


上:地蔵寺西村家の方々が編纂した「地蔵寺西村家系譜(復刻版)」2020年刊。「徳亀知系」と題された欄には、徳亀知さんの先祖の家系が記されている。

上:「地蔵寺西村家系譜(復刻版)」からの一枚。最後列右から2人目が徳亀知さん、左下が弟子時代の福蔵さん。(1950年代に撮影したものと思われる)
西村福蔵さんが実際に作った別の龍が、土佐町の別の神社(さめうらの雲根神社や地蔵寺の河内神社)にも奉納されていて、確かに地蔵堂の龍とは風貌が異なっています。ご意見を寄せてくださった方も確実なことはわからないそうですが、龍の作者については諸説があるようです。
実際にどなたが作者なのか、その答えは現時点ではわかりません。けれども、地蔵堂の龍が素晴らしいことは変わりありません。そして、徳亀知さんと福蔵さんは時代こそ違いますが、地蔵堂の改修に携わった大工として、そのお名前が地蔵堂の記録に記されています。きっと地蔵堂に何度も足を運び、心を寄せてきただろうことにも変わりがありません。
ご意見をくださった方はこうも話してくださいました。
「今回、地蔵堂の龍がポロシャツとなったことで、今まで龍を知らなかった人が、その存在を知る良いきっかけになったと思う」
今回ご意見をくださったことで、地蔵堂の龍が持つまだ見ぬ物語がまだまだありそうだということがわかりました。新たに知ることはとても面白く、昨日とは違った風景を私たちに見せてくれます。
この件は編集部でも引き続き調査を行っていこうと思っています。可能であれば、木像の製作年代が判明するような科学的調査も試してみたいとも考えています。
地蔵寺の龍について、他にも知っていることがある方は、ぜひ編集部までご連絡いただけたらと思います。よろしくお願いします!
※この記事は2019年12月に発行した雑誌「とさちょうものがたり zine 05」にて掲載したものをウェブ上にて再掲載したものです。「土佐町幸福度調査アンケート」の製作から実施、結果報告まで誌面でレポートした一連の記事の最後のものを、ウェブサイト上で再公開します。
町内の多くのみなさまにご協力いただきました土佐町幸福度調査アンケートの詳細な調査報告書が、高知大学地域協働学部の廣瀬淳一先生から届きました。
今回はその報告書を元に、気になった項目から少しかみ砕いた形で一部をご報告したいと思います。アンケート結果の報告としては不適切かもしれませんが、この欄ではなるべくグラフや細かい数字などを使わない説明を試みたいと思います。この文章の裏付けとなる数値は「土佐町幸福度調査アンケート調査報告書」に全て掲載されています。ご希望の方は土佐町役場企画推進課までご連絡いただくか、この欄の末尾に掲載したQRコードから全文がダウンロードできるようになっていますので、ぜひ読んでみてください。
町の方々各々の個人的な自然に対する考え方、実際の暮らしの中での自然との付き合い方を尋ねる質問がいくつかありました。
例えば前節でもご紹介したQ25「私は自然の一部であり、自然の一部として生きることが幸せである。」という文をどう思いますか?というもの。またQ26-27「土佐町産、自作の食物を食べる頻度」、そしてQ28「山の植物や動物に関する知識」に関しての質問などは、自然との付き合い方とその距離を尋ねているものです。


上の3つの質問と、「幸せですか?」という質問を掛け合わせた結果が示すものは、 「自然との距離が近い人ほど幸福度が高い」というものでした。
例えばQ25に対して「とてもそう思う」と答えた人では、同時に「幸福」と答えた人の割合もとても高く)、「全く思わない」と答えたグループの中で「幸福」と答えた人の割合は低めでした。
Q26-27に関しては「毎日(地産のものを食べる)」と答えた人ほど「幸福」と答える割合も高く、Q28に関しても山の動植物に関しての知識が深いほど幸福度が高いという結果が出ています。
ではこの結果から言えることは何かと言うと、例えば
町の人々が自然と上手に付き合えるためにできることは何か?
という問いを立てることだと思います。小さなことでいいので、具体的な行動としてできることは何だろう?と考え、実行に移す。
小さな行動を、長い目で見て大切に育てる。個人と自然の関係は、役場や行政がどうこうする部分は多くないかもしれませんが、例えば地域の方々が自然と触れ合う機会を増やすきっかけを意識的に作っていくといったことはできるかもしれません。
Q24-mに、「土佐町の文化や特色に愛着や誇りを感じますか?」という質問があります。この質問の結果と幸福度を掛け合わせたならば‥
「愛着や誇りの強い人ほど、幸福度も高い」という結果がきれいに出ています。反対に、愛着を「あまり感じない」「全くない」と答えた人たちの中では自身を「不幸」と感じる割合が高くなっています。またQ13には「土佐町の歴史や文化への理解度」を尋ねる質問があります。土佐町の歴史、特有の文化を理解し体験を深めていくことで、「他のどこでもない自分にとっての土佐町」への愛情も深まっていく。そしてそのことが土佐町に住む各個人の幸福度を高めていく。そういった循環が個々人の心の中に培われていくことは「幸せ」を考える上で大きなキーワードになるようです。
「自分は地域コミュニティの一員である」と実感できるということは、幸福度と深い関係があると言われています。Q24-a 「地元のコミュニティに所属していると感じるかどうか」という質問に対して、「とてもそう思う」と答えた方の幸福度は高い結果が出ています。
土佐町の住人の場合、「地域コミュニティ」という言葉で連想されるのはもしかしたら土佐町という範囲よりももう少し小さな地域、相川や石原や大渕や中島などの地域を思い浮かべる方が多いのかもしれませんが、コミュニティの大小に関わらず、「その一員である」という実感が持てるということは幸福感や安心感に直結することなのだと思います。

「本当の幸福にたどり着くために重要なことはなんですか?」という質問がQ5です。これは自由記述で、重要と思うことを3つ書いてくださいという問いでした。
高知大学の廣瀬先生は、この3つのうち3番目の答えが本音が隠れたキーワードではないだろうかと注目したそうです。
この欄でも3番目の答えのみに絞って下にご紹介したいと思います。年代別に区切っていますので、人生経験や体力などの変化と共に、「幸せ」に対しての感じ方や考え方も変化していく様子が読み取れると思います。
何が正解で何が不正解ということはもちろんありませんので、「幸せとは何か?」ということを考えるひとつの材料として、ぜひ一度読んでみていただきたいと思います。
また1番目2番目を含む全回答は、この欄末尾のQRコードからダウンロードできる調査報告書に記載されています。こちらも合わせて読んでみてください。

●幸福度をものさしにする
アンケートの調査報告はここまで。最後にもう一度、幸福度調査アンケートを実施したその目的と意味について、繰り返しになりますが書きたいと思います。
全ては行動のため
以前にも書きました。このアンケート、町の皆さんにご協力いただいて、結果を集計して分析して終わりでしょうか?そのためのものでしょうか?
答えは明らかですね。これは全てそのあとに続く行動のためのものです。日々の行動、仕事の取り組み方、町としての動きに少しずつ変化を与える。
そしてその行動のひとつひとつに
なんのためにやっているのか?誰のためにやっているのか?
という視点を加えるためのもの。
土佐町が今後どのように生きていくのか?どのように生きていきたいのか?
今から始まる未来へのスタート地点に、一度立ち止まって根本をみんなで考えるためのもの。
だからこのZINE05号は、土佐町の何かをまとめたものではありません。
今後町が起こしていく行動に続く途中経過を伝えたくて作りました。読んでいただいた方の心の中の小さな窓に、微かなそよ風が吹いたとしたなら、作り手として嬉しく感じます。
この章は、最後にひとつ寓話を紹介して終えたいと思います。
旅人が、ある町を通りかかりました。 その町では、新しい教会が建設されているところであり、建設現場では、二人の石切り職人が働いていました。その仕事に興味を持った旅人は、一人の石切り職人に聞きました。 あなたは、何をしているのですか。 その問いに対して、石切り職人は、不愉快そうな表情を浮かべ、ぶっきらぼうに答えました。このいまいましい石を切るために、悪戦苦闘しているのさ。そこで、旅人は、もう一人の石切り職人に、同じことを聞きました。すると、その石切り職人は、目を輝かせ、生き生きとした声で、こう答えたのです。ええ、いま、私は、多くの人々の心の安らぎの場となる素晴らしい教会を造っているのです。どのような仕事をしているか。 それが、我々の「働き甲斐」を定めるのではありません。その仕事の彼方に、何を見つめているか。それが、我々の「働き甲斐」を定めるのです。ー田坂広志「日本企業の社会貢献 七つの心得」より引用

2020年5月18日、土佐町早明浦ダム最深部へ、土佐酒造の「桂月 相川譽 山廃純米酒58」が貯蔵されました。この計画は和田守也土佐町長が発案、ダムを管理する水資源機構、土佐町の酒蔵である土佐酒造の協力を得て実現しました。
1年間の貯蔵後、土佐町内の商店や道の駅などで販売し、ふるさと納税の返礼品にもなる予定です。
この日、早明浦ダム堰堤にあるエレベーターを使い、土佐酒造とさめうら荘の職員の方たち、土佐町役場職員がダムの最深部へとお酒を運び入れました。
早明浦ダム堰堤から地下100メートルの最深部には、高さ約2.5メートル、幅2メートルのコンクリートの道が作られています。道はダムの水平方向へ1本、垂直方向へ3本あり、途中に階段や急な勾配もあって、まるで迷路のよう。アーチ型の天井からは水がポタポタと滴り落ち、床にはいくつもの大きな水たまりができています。年間の平均気温が12度前後に保たれているダムの内部は、湿気に満ち、肌寒いほど。お酒を運ぶ荷台の音や人の声が反響し、耳元でこだまします。
このコンクリートの道は監査廊と呼ばれ、ダムを点検するために作られたもの。コンクリート片を積み上げて作られたダムは、長期間に渡って水の影響を受けて変形したり、下から浮き上がる力が働くため、日々の点検が欠かせません。
ダム内部の最も深いところ、ちょうどダムの中央を走る監査廊の最奥にお酒は貯蔵されました。
水資源機構の江口貴弘さんは、「ダムを管理をするだけではなく、今回のようにダムでお酒を貯蔵するというかたちで地域に貢献できることはとても嬉しい」と話します。

早明浦ダムへ貯蔵されたのは、1877(明治10)年に創業された土佐町の酒蔵・土佐酒造が作る「桂月 相川譽 山廃純米酒 58」。このお酒は土佐町の米どころである相川地区のお米100%で作られ、相川地区の農家さんを「譽め讃える」という意味で「相川譽」と名付けられています。「山廃」と呼ばれる昔ながらの製法で作られていて熟成に向いていること、土佐町のお米100%で作られていることが、今回貯蔵するお酒として選ばれた理由です。
「時が経つにつれて、お酒の味はどんどん角が取れて丸くなる。貯蔵されるのが1年でも、十分変化を楽しめると思う」
土佐酒造の30年来の職人である筒井浩史さんは話します。
「土佐町には清流吉野川の源流があり、環境もいい。棚田を代々大切にしてきた人たちがいるからこそお酒を作ることができる。大切に育てたお米がお酒になることを、農家さんが喜んでくれるのが嬉しい」
職人・筒井さんの視線の先には、お酒造りを支える人たちの姿があります。
四国の水がめと呼ばれる早明浦ダム。
土佐町が誇る酒蔵・土佐酒造。
この元で働く方たちの存在があるからこその、今回の取り組みです。
ダムへ貯蔵されたお酒は、どんな味に変化していくのでしょう。ダムの扉が開けられる1年後をどうぞお楽しみに!


「ほたる」 神沢利子 文, 栗林慧 写真 福音館書店
土佐町では、田んぼに水が張られ、田植えが終わった所も見られるようになりました。
この頃になると、我が家の回りでは蛍が見られるようになります。
今年も最近、飛び始めたところです。田んぼの水面に映る蛍の光、空高く飛んでゆき、やがて瞬く星に届くかと思うような蛍の光、本当に私の大好きな光景です。
子どもが小さいときに出会ったのがこの絵本。毎年繰り返される光景の間に水辺で起こっている知らない世界。子ども達と「卵が光るってどんなんだろうね。」「幼虫も光るんだ。」と語り合いながら読んだものでした。
勿論、この時期には毎晩のように蛍を見に出かけ、そのときの気温、風の具合で蛍が草陰にじっとしているときもあれば、盛んに飛び交うことがあることを知りました。
また、この場所は近所の方々と「今年は○日頃飛び始めたよ」「今年は蛍が多いねえ」などなど情報交換の場でもあります。
忘れてはならないのは、土佐酒造さん(桂月)の先代社長さん。蛍に詳しい方で、会うと毎年飛び始めた日を記録しているとか話されて、生態についてもお話をよくして下さいました。懐かしい思い出です。
見に来られるならば、一応畦は草刈りをしていますが、ひょっこり蛇が現れる場合がありますので、足元にはくれぐれもご注意を。

なんてんのエイちゃん
土佐町のスナックなんてんを、このコロナ禍の時期を乗り越えるために応援しよう!というこの企画。
おかげさまで5月31日をもって販売終了とさせていただきました。
実際に購入していただいた方々、本当にありがとうございました。みなさまの応援の気持ちはすべてエイちゃんに届いております。
今後はご購入の電子チケットを片手になんてんに飲みに行きましょう!
実際に40枚の電子チケットが販売できました。売上金額はちょうど10万円です。
そのうちの3.6%がネットショップのシステム使用料です。残りの全額(¥96,400-)を先日エイちゃんにお渡ししてきました。
なんてんは6月1日から営業を再開しています。電子チケットは現在使用可能となっています。
チケットの使用可能期間は6月1日からの1年間となっておりますので、2021年の5月31日までにはぜひなんてんに飲みにきてチケットを使ってくださいね。
予断を許さない状況ではありますが緊急事態宣言も解除され、少しずつ社会が以前の状態に戻りつつあるように感じます。
5月中は土佐町の多くの飲食店も営業自粛を余儀なくされる状況が続きました。
そのような状況で、「応援する」「みんなで乗り越える」という気持ちが少しでも伝われば、と始めたこの企画ですが、実際に購入していただいた方々のその気持ちが、確実にエイちゃんに届いていることを感じます。
これは「みどりさんの金魚草」の販売でも同様に感じたことです。
もちろん集まるお金のことも重要ではありますが、その「購入する」という行動を通して応援の気持ちを伝え合うということは、こういった困難や危機を乗り越える際にとても大きな威力を発揮するのだと思います。
困難が生じて始めたことではありますが、やっていく過程で人と人とのつながりを再確認できるような、編集部にとってもなんとなく楽しげな取り組みになったということは非常に大きな学びでもありました。
それもひとえに実際に購入していただいた方々や、SNSなどでシェアや拡散を進んでしていただいた方々のおかげです。
時は遡り、2009年(平成21年)のこと。
土佐町の6つの小学校が一つに統合され、新しく「土佐町小学校」が誕生しました。その際に新しく建てられたのは、地元・嶺北の木を使った木造校舎。学校の中は木の香りで満ちています。
「嶺北」とは、高知県の土佐町・本山町・大豊町・大川村の三町一村を表す地域の名称。山に囲まれた嶺北地域の各町村にとって林業は主要な産業の一つであり、地元の木を使おうという動きも盛んです。ちなみに、土佐町役場庁舎にも嶺北の木がふんだんに使われています。
毎年4月、土佐町小学校へ入学する1年生一人ひとりに、町からプレゼントが贈られます。
それは、土佐町の職人さんが作った机と椅子!
もちろん嶺北の木でできています。

木で作られた自分の机と椅子を前にした1年生は、本当に嬉しそうで誇らしげ。入学時にピカピカだった机と椅子は、6年間の子どもの成長と共に傷がついたり汚れたり、時には落書きされたりして、風格を漂わせるようになります。まさに、子どもたちの6年間を共にする相棒なのです。
一年生の子どもたちへ机と椅子を贈る取り組みは、2003年(平成15年)頃から始まりました。その頃、高知県は林業の低迷期。当時土佐町長だった西村卓士さんは、木材を少しでも有効活用できる方法はないかと考えていたそうです。
「土佐町の建具職人だった澤田秋良さんから、“学校の机と椅子を嶺北の木で作ったらどうか?”という提案があった。子どもたちに木のぬくもりを味わってもらいたいと思っていたので、それはとても良いことだと思った。秋良さんがいたから、この机と椅子が実現したんじゃ」
澤田さんは、子どもたちが6年間使い続けることができるよう、高さを変えられる机と椅子を設計しました。

「机と椅子には、6年間の子どもの気持ちが染み込んぢゅうきねえ。記念にもなるように、自分が使った机と椅子を持ち帰ることができるようにしたんじゃ」
西村さんは、当時のことを懐かしそうに話してくれました。

お孫さんの机と椅子に座る西村卓士さん
西村さんのお孫さんも机と椅子を持ち帰り、今でも大切にしています。
土佐町の職人さんが地元・嶺北の木で作った机と椅子を、町の子どもたちが使う。これは、林業を生業としてきた土佐町ならではの取り組みです。(この取り組みには、現在、高知県の「木の香るまちづくり推進事業」の補助金が使われています。)
この机と椅子の生みの親である澤田秋良さんが亡くなった後、土佐町の田井木工が製作を引き継ぎ、現在は建具職人である山中晴介さん(山中製作所)が机と椅子を製作しています。山中晴介さんは「土佐町ベンチプロジェクト」でベンチを作ってくれた職人さんです。
3月のある日、山中さんの作業場へ伺いました。
この日、机の高さを調節する板がスムーズに動くかどうか調整をしていました。

高さを調節する板が、固定した2枚の板の間をスムーズに動くかどうか確かめる
机の高さを調節する板は、2枚の板の間に「できる限りかっちり綺麗に入るのがいい」そうですが、板を動かすには隙間も必要です。でもその隙間がありすぎても板がグラグラと動いてしまう。使う人が動かしやすいように微調整を繰り返します。

ちょうどよく“かっちり”はまった3枚の板
「微妙なほぞの効かし塩梅が木工の一番難しいところやき。なかなか面倒いところなが」
山中さんはそう言いますが、妥協は一切ありません。

その隣では、木工の仕事をしている三瓶駿さんが、机の脚をカンナで削って面取りをしていました。そして、ヤスリを巻いた小さな木片で机の脚の角をひとつずつを丁寧に削ります。子どもたちが安心して使うことができるよう、細部にも配慮が行き届いています。
「外から見える部分には、柾目を使っている」と山中さんは教えてくれました。
柾目は、丸太の中心に向かって直角に挽いた時に現れる木目のこと。反りや収縮などの狂いが少なく、見た目もきれいであることが特徴です。

椅子の高さを調節する部分には4つの板が並んでいます。それぞれの板の穴の高さを揃えて一本のボルトを通し、両端をナットで締めることで高さを調節するのです。ナットは、子どもに当たっても引っかからないように先が丸いタイプのものを使っています。
こういった一見気づきにくい部分は、製作する人の考えが表れるところでもあります。この机と椅子のあちこちには、職人・山中さんの思いが込められています。
「気づいてくれちゅうかは知らんけどね」
山中さんはぼそっとそう言って、笑うのでした。
▪️土佐町ならではの贈り物
この後、机と椅子はさらに組み立てられ、塗装されます。

塗装屋さんが一台ずつ仕上げる

塗装を待つ椅子たち
塗装が終わった机と椅子は、3月末に土佐町小学校へ届けられました。入学式の日、今年の一年生も自分の机と椅子を目の前にして、胸を踊らせたことでしょう。

土佐町小学校の子どもたちが使う机と椅子は、土佐町の職人さんによって作られています。
この町が山の資源に恵まれ、作る職人さんがいるからこそできることです。その小さな循環を成立させることは実はとても難しい。それができる環境は今の世の中でとても貴重です。
土佐町で育った子どもたちが大人になった時、日々そばにあった木の机と椅子を懐かしく思い出すことがあるでしょう。
その贈り物の向こうには、この町や子どもたちを大切に思う人たちの存在があったのです。
ただいま製作中の「土佐町オリジナルポロシャツ2020」。今年のデザインは、土佐町地蔵寺地区にある地蔵堂の大龍です。
近頃、この龍のポロシャツを着た人を町のあちこちで見かけるようになりました。購入していただいたみなさま、ありがとうございます!

この龍の絵を描いてくれたのは、絵描きの下田昌克さん。下田さんは2018年から毎年、土佐町オリジナルポロシャツの絵を描いてくださっています。
3月のある日、地蔵寺地区を訪れた際にふと立ち寄った地蔵堂で、編集部は龍の木像に目を奪われました。
ちょうどその頃、編集部は、今年のポロシャツのデザインは何にしようか?と頭を悩ませていました。龍と出会い、今年のポロシャツはこれだ!と思った編集部。製作中である土佐町の絵本にも龍が登場する予定なので、そのこととも繋がります。急に目の前が開けたような気持ちになりました。
この素晴らしい龍を一体誰が作ったのか?編集部は調べてみることにしました。
それは、地蔵堂に心を寄せてきた人たちの存在を新たに知ることでもありました。

地蔵堂の大龍「阿形」

地蔵堂の大龍「吽形」

地蔵堂
「地蔵堂の龍は、誰が作ったのか?」
何人かに聞いていくと、この龍を作ったのは土佐町の宮大工・西村福蔵さんだということがわかりました。
ぜひご本人からお話を聞きたかったのですが、残念ながら福蔵さんは2018年に他界されていました。
その後、福蔵さんの息子さんがいることがわかり、お会いしてお話を伺いました。

西村福蔵さんの息子さんである、西村郁也さん
「龍がポロシャツになって日の目を見ることになって、父親が生きとったらとても喜んだと思う」
息子さんである西村郁也さんは、まずそう話してくれました。
郁也さんも大工です。宮大工であった父親・福蔵さんの背中を見てきた影響は大きかったと言います。
昭和3年、福蔵さんは旧地蔵寺村(現在の土佐町地蔵寺地区)で、14人兄妹の3番目として生まれました。
終戦間際に軍へ入隊、国内でトンネル工事に従事します。終戦後は高知市で大工の修行を始め、その後土佐町に帰町。福蔵さんはこの一帯の大工の棟梁となりました。
郁也さんは彫刻をする福蔵さんの背中をよく覚えているといいます。太い一本の欅の幹の両面に龍の絵を描き、左右を見ながら順番に彫っていく。欅は密度が高いので細かい細工ができるのだそうです。

河内神社に奉納する龍を彫る西村福蔵さん(写真提供:西村福蔵さんの妹、山下美代子さん)
福蔵さんは、地蔵堂の龍以外にも多くの龍を製作しました。土佐町地蔵寺地区の河内神社や早明浦ダム近くの雲根神社など、土佐町の各地に福蔵さんが作った龍が奉納されています。
福蔵さんはどんな願いを込めて龍を彫り、地蔵堂に奉納したのでしょう。
龍が奉納されている地蔵堂は、正保3年(1646年)に建立されました。中には地蔵菩薩、不動明王、毘沙門天などが祀られています。地蔵寺地区の山下有司さんが地蔵堂の扉を開け、中を見せてくれました。
天井から吊るされた木の板には「棟札之事」と書かれ、過去改修した年やそれに関わった人の名が筆で記されています。最も古い記録が「正保三年」 。地蔵堂は約370年ほど前からこの地にあるようです。文政7年(1824年)から天保3年(1832年)にかけて再建したことも書かれています。

「これは地蔵堂の歴史をまとめたものやね。よくこうやって書いてくれちょったね」」
山下さんはそう言って木の板を見上げます。
昔は先祖から聞いた話を言葉で伝え、また記録することでその歴史を引き継いできました。時代は変わり、生まれ育った地を離れる人も増えました。その地の歴史を知る人の高齢化も進み、次の世代へ伝えていくことがとても難しくなっています。地蔵寺地区も同様で、昔のことを語れる人はほとんどいなくなっているそうです。
地蔵堂では、毎年旧暦で、虫送り、夏祈祷、施餓鬼、子ども相撲など、おまつりごとが催されます。
昔、おまつりの日にはたくさんの出店が並び、とても賑やかだったそうです。子ども相撲の時には、絵馬(木の枠に和紙を貼って絵や文章を書いたもの)に蝋燭の明かりを灯し、道を照らしたとのこと。100以上の絵馬が並ぶのは本当に見事だった、と懐かしそうに野村昌子さんが話してくれました。
「昔は地蔵堂の隣に、それは立派な榎があってね。風に耐え、雨に耐え、雪に耐えて太っちょったけんど、倒れてしまってね」
そう話してくれた中岡孝衛さんは、毎日のように地蔵堂をお参りしています。

左:野村昌子さん 右:中岡孝衛さん
地蔵寺地区で生まれ育ち、長年、地蔵堂のお世話を続けてきたお二人は「今は人が本当に少なくなった」と言います。
風景は変わっても、いつの時代も地蔵堂は人が集う場所であり、心のよりどころだったのでしょう。改修するたびに記されてきた地蔵堂の記録や、福蔵さんが奉納した龍がそのことを教えてくれている気がします。
「この龍を多くの人に知ってもらえたらうれしい。なおかつ、こういう彫刻や仏閣に興味を持ってくれる若者が増えたら一番ありがたいですよ。興味を持ってくれる人が一人でもおれば、携わりたいという思いが出てくる。たくさんの人に見てもらいたいな、というのが私の願いです」
福蔵さんの息子さんである郁也さんはそう言います。
地蔵堂の龍と出会ったことをきっかけに、地蔵堂は昔から多くの人たちが集い、立ちどまり、手を合わせてきた場所なのだとあらためて知りました。新たに知ることは、今まで見えていなかった風景を見せてくれます。
先人たちが重ねてきた祈りの先に、今の私たちがいます。私たちはこれからどこへ向かい、何とつながっていくのでしょう。
今日も地蔵堂は、何かを語りかけてくるかのように静かに佇んでいます。
*こちらの記事もご覧ください。
2020年5月19日、「土佐町オリジナルポロシャツ」についての記事が高知新聞に掲載されました。
この記事は、4月より高知新聞嶺北支局へ赴任された竹内将史さんが書いてくださいました。

土佐町 シャツでPR
地蔵堂の龍 デザイン
【嶺北】土佐郡土佐町の魅力を発信するウェブサイト「とさちょうものがたり」編集部が、オリジナルのポロシャツを製作、販売している。同町地蔵寺にある「地蔵堂」の龍彫刻のスケッチをプリントし、地域をPRしている。
ポロシャツ製作は、サイトを立ち上げた写真家、石川拓也さん(45)の企画で3年目。絵本の挿絵などを手掛ける下田昌克さん(52)=東京都=がスケッチを担当し、ミミズクや山菜などをプリントしてきた。
今年は地蔵寺地区のシンボル「地蔵堂」(1646年建立)に施された龍の彫刻に着目。
石川さんは「荘厳さや仕事の細かさにほれ込んだ」と話し、住民から聞き取ったお堂の歴史などもサイトで紹介している。
彫刻は地元の宮大工、西村福蔵さん(2018年死去)の製作で、長男の郁也さん(58)は「父も喜んじゅうと思う。伝統の技を見に来てほしい」と話す。
地域の連携も深めようと、プリント作業は同町と長岡郡大豊町の障害者就労支援事業所の利用者が行い、収入につなげている。石川さんは「シャツを通じて龍のパワーを感じて」とアピールしている。
1枚2500円。口を開いた龍と閉じた龍の2種ある。注文は町役場総務企画課(0887・82・0480)か、「とさちょうものがたり」サイトから。
(竹内将史)
この記事が掲載された日の朝から、早速、町外・町内の方からポロシャツの注文をいただきました。ありがとうございます!
今年の土佐町オリジナルポロシャツのデザインは「地蔵寺地区・地蔵堂の阿吽の大龍」。龍の絵を描いてくれたのは、絵描きの下田昌克さんです。印刷は、土佐町の障がい者就労支援事業所どんぐりと、大豊町の就労継続支援B型ワークセンター「ファースト」のメンバーさんが、シルクスクリーンという手法で1枚ずつ丁寧に印刷しています。

下田さんは2018年から毎年、土佐町オリジナルポロシャツの絵を描いてくださっています。
地蔵堂の龍を今年のデザインとしたことで、編集部はこの龍を作った宮大工・西村福蔵さんを知り、福蔵さんの息子さんである西村郁也さんと出会いました。その出会いが、地蔵堂の歴史を新たに知るきっかけとなりました。
このことについては、とさちょうものがたりで記事にしてお伝えしたいと思います。
どうぞお楽しみに!
*今年の土佐町オリジナルポロシャツについて、こちらでも紹介しています。ご注文、お待ちしています!