鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

この本には日本を代表する詩人の方々のうたが収められているのですが、そのうちのひとつ、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩がとても好きです。

私が初めてこの詩に出会ったのは、確か小学校6年生のときでした。ページの上に並んだ日本語の奥向こうに、どこまでも澄んだ空が続くような清々しさを感じたことを覚えています。(そのときは何と表現したらよいかわからなかったのですが、今思えば、こういう気持ちでした。)

知っている方も多いと思うのですが、ここに紹介します。

 

生きる  谷川俊太郎

生きているということ
今生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

 

それから過ごした何十年という時間のなかで、ふと、このページを開くときが何度かあり、そのたびに私は6年生のときに感じた気持ちを思い出していました。これまでの道のりにあったのは清々しさだけではありませんでした。でもそれでも、今、自分は生きている。生きていることはやっぱり素晴らしいことなのだ、という実感をこの詩は与えてくれます。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
お母さんの台所

アメゴ寿司 2日目

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

2020年9月2日現在、とさちょうものがたりのネットショップで販売している「アメゴ」

前回紹介した「アメゴ寿司  1日目」に続き、今日は続編である「アメゴ寿司  2日目」を紹介します。作り方を教えてくれたのは、土佐町地蔵寺地区にある長野商店店主・長野静代さんです。

2日目は、一晩塩漬けしたアメゴを酢に漬けるところから始まります。

 

 

 

 

アメゴに寿司飯を詰めるところです。静代さんの華麗な手さばきをご覧ください。

私にとっての土佐町のお母さんであり、師匠でもある静代さん。お店を訪ねると、いつもおかずやお弁当、注文の品々を作っていて、休んでいる姿を見たことがありません。疲れたりしんどい時だってあると思いますが、お店の戸を開けて「こんにちは〜」と訪ねると、いつだって台所の奥から「はい〜」と応えながら、笑顔で「元気かよ?」と出迎えてくれるのです。今まで私は、静代さんのその姿に、いったいどれだけの力をもらってきたでしょう。

 

静代さんの手から生まれる美味しいものの数々は、静代さん自身が培ってきた知恵であり、生きるための術であり、そして、この町の文化でもあると思います。

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
お母さんの台所

アメゴ寿司 1日目

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

2020年9月2日現在、とさちょうものがたりのネットショップで販売している「アメゴ」

アメゴは塩焼きにして食べることが多いですが、アメゴには色々な調理方法があるのです。前回の「アメゴのひらき」「アメゴの刺身」に続き、今回は「アメゴ寿司」を紹介します。作り方を教えてくれたのは、土佐町地蔵寺地区にある長野商店店主・長野静代さん。

長野さんは高知名物「さば寿司」づくりの名人でもあります。昨年11月に高知市蔦屋書店で行った「とさちょうものがたり in 高知蔦屋書店」では、長野さんを講師として「さば寿司づくりワークショップ」を行い、多くの人が参加してくださいました。

今回は、川魚であるアメゴのお寿司の作り方を教えてもらいました。長野さんは「いいよ〜。できるよ〜」と快く引き受けてくださいました。

 

アメゴはとにかくヌルヌルするので、塩を振りながらさばいていきます。

 

血をきれいに洗い流すのは、なかなか大変な作業です。細い血管の中の血もきれいに除いていきます。

 

 

この塩加減によって、アメゴ寿司の味が変わってきます。長野さんはいつも目分量。「これくらい」という感覚を、私もいつか掴みたいものです。

 

 

ここまでが1日目の作業です。塩をしたアメゴを一晩冷蔵庫に置きます。

明日はいよいよアメゴを酢につけ、寿司飯を詰めていきます。

(「アメゴ寿司 2日目」に続く)

*長野さんのことを書いた記事はこちら

40年目の扉

 

*長野さんに教えてもらった皿鉢料理の一品、「季節の野菜の天ぷら」の作り方です。

皿鉢料理 その7 季節の野菜の天ぷら

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

秋の訪れ

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

日中はまだまだ暑さが続いていますが、朝夕には虫の声が聞こえ、少しずつ秋を感じられるようになりました。

日が沈みかけた頃、いつもお世話になっている澤田清敏さんが「これくらいあったら栗ごはんができるろう」と、両手にいっぱいの栗を届けてくれました。

もう栗ですか!

驚きとともに受け取った栗は、さっきまで太陽の光を浴びながら土の上に転がっていたのでしょう。じんわりと温かく、小さな水滴もついています。

 

清敏さんは、かぼちゃとスイカを地面にどんと置き、「これも食いや!」。
ついさっき収穫したのか、かぼちゃのヘタからは汁が流れ出ています。かぼちゃもスイカもずしりと重い。太陽は偉大です。

秋なすと青ゆずがたくさん入った袋も手渡してくれました。

「青ゆずはまだ硬いき、絞れんきね。皮をすりおろして味噌汁に入れてみ!結構うまいで」
清敏さんはそう教えてくれました。

早速、夕ごはんの時に試してみました。

この日のお味噌汁の具は、オクラとえのき、豆腐。

青ゆずをすりおろすと、爽やかな空気が台所に広がりました。お味噌汁をお椀によそい、青ゆずを加えると、もうそれだけで、秋が体に染み渡ります。お味噌汁に青ゆずを加えるのが、しばらく定番になりそうです。

今ある食材を工夫して使い、毎日の食事を美味しく、ちょっと楽しいものにする。この地の人たちの知恵にいつも驚かされます。

その晩、指先に残る青ゆずの香りが、移りゆく季節の存在を静かに伝えてくれました。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
お母さんの台所

アメゴの刺身

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

2020年8月27日現在、とさちょうものがたりのネットショップで販売している「アメゴ」

塩焼きにして食べることが多いですが、アメゴには実は色々な調理方法があるのです。先日は「アメゴのひらき」の作り方をお伝えしましたが、今回は「アメゴの刺身」を紹介します。

「アメゴは刺身で食べてもうまいで」と聞いてから、ぜひ食べてみたいと思い続けていた編集部。

何人かの方にお話を伺うと、天然のアメゴには寄生虫がいる場合もあるそうですが、養殖のアメゴはその心配がほとんどないとのこと。(でも念のため、食べる際には気をつけてくださいね。そしてお刺身を作るときには、新鮮なアメゴを使ってください。)

土佐町地蔵寺地区にある長野商店の店主・長野静代さんに、「アメゴの刺身」の作り方を教えてもらいました。

 

 

 

 

アメゴの刺身は歯ごたえがあってとても甘く、箸が止まらないほど。その美味しさは想像を超えていました。

昔は山の貴重なタンパク源だったというアメゴ。昔の人たちは、さまざまな調理方法を駆使しながらアメゴを味わってきたのでしょう。その知恵に頭が下がります。

次回は「アメゴ寿司」をお伝えします!

 

*長野静代さんのことを書いた記事はこちら

40年目の扉

 

*長野さんに教えてもらった山菜寿司の作り方はこちら

皿鉢料理 その5 山菜寿司

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
お母さんの台所

アメゴのひらき

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

 

2020年8月26日現在、とさちょうものがたりのネットショップで販売している「アメゴ」

アメゴは「渓流の女王」と呼ばれ、綺麗な水の中でしか生きることができない川魚です。栄養価が高い上に、皮目が香ばしく、ふっくらとした身が美味しい魚です。
土佐町に住む人たちは、幼い頃から保育園や地域のイベントで「アメゴつかみ」をし、まず塩焼きにして食べることが多いです。子どもたちは、その味を体に叩き込まれて大きくなります。土佐町の人たちのソウルフードのひとつと言っていいでしょう。

このアメゴには、実は色々な調理方法があるのです。

土佐町地蔵寺地区にある長野商店の店主・長野静代さんに、「アメゴのひらき」の作り方を教えてもらいました。

 

 

 

 

 

長野さんの「ひらきはうまいよ〜」という言葉の通り、アメゴのひらきは塩焼きとはまた違った、滋味深い味。少し手間はかかりますが、ぜひ試してみてくださいね。

次回は「アメゴの刺身」を紹介します!

 

*長野静代さんのことを書いた記事はこちら

40年目の扉

 

*長野さんに教えてもらった「さば寿司」の作り方はこちら

皿鉢料理 その2 さば寿司

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「21世紀に生きる君たちへ」 司馬遼太郎 ドナルド・キーン監訳, ロバート・ミンツァー訳 朝日出版社

司馬遼太郎さんが子どもたちのために書いた「21世紀に生きる君たちへ」。国語の教科書にも掲載されています。

「君たち。君たちはつねに晴れ上がった空のように、たかだかと した心を持たねばならない。 同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつ つ歩かねばならない。私は、君たちの心の中の最も美しいもの を見続けながら、以上のことを書いた。 書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがや いているように感じた。」

何度も読み返しては司馬さんの人間観、価値観を感じ、いつもお会いしてみたかったと思うのです。

 

話は少し遡りますが「とさちょうものがたりZINE04 山峡のおぼろ」が出た後、神山義三さんという方がとさちょうものがたり編集部に電話をくださいました。

「『とさちょうものがたりZINE04』を、著者である窪内隆起さんから送ってもらった。友人たちにも手渡したいから購入したい。送ってもらえるだろうか?」ということでした。

お話を聞くと、今は亡き奥様が入院中、義三さんは枕元で「山峡のおぼろ」を一話ずつ読んであげていたとのこと。「『今日はここまで。また明日ここから読もうね』と毎日楽しみに少しずつ読み進めていたんです。でも、全部読み終わる前に、亡くなってしまいました」と話してくださいました。

その亡くなった奥様が、神山育子さんでした。育子さんは小学校の先生で、司馬さんの「21世紀に生きる君たちへ」を日本で初めて授業で取り組んだ先生として、2000年に愛媛県で行われた「えひめ菜の花忌シンポジウム」に招かれました。そこには窪内隆起さんも招かれていて、司馬文学を21世紀にどう受け継ぐか、議論をしたそうです。

それがご縁で、義三さんと育子さん、窪内さんは長年手紙や電話でやり取りするようになったとのこと。

枕元でお話を読む義三さんの声に耳を傾けながら、育子さんは、懐かしい窪内さんの顔も思い浮かべていたことでしょう。

その風景が見えるようで、涙がこぼれました。

司馬遼太郎さんの編集者だった窪内隆起さんが書いてくださった「山峡のおぼろ」が、神山さんご夫婦と私たち編集部との新たな出会いを運んできてくれました。

この本を開くたび、窪内さんや義三さんや育子さんのことを思っては、ご縁の不思議さと尊さを思います。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

今年の土佐町オリジナルポロシャツは「土佐町地蔵寺地区・地蔵堂の阿吽の大龍」!

おかげさまで町内の方だけではなく、町外の方からも多くのご注文をいただいています。本当にありがとうございます。

先日、地蔵寺地区のみなさんが「地蔵堂の龍のポロシャツを注文したい」と、わざわざとさちょうものがたりの作業場へ来てくれました。

「何色にしようか?」「ポロシャツではなくTシャツにしようか?」

賑やかに相談しながら決めている地蔵寺のみなさんのその姿は、私たち編集部にとって何よりうれしい光景でした。

左から:西村孝教さん・西村由美さん・明坂袈裟子さん

早速製作し、完成したことをご連絡すると、再び作業場を訪れてくれました。この日は、西村孝教さん、西村由美さん、明坂袈裟子さんが来てくださいました。みなさんのお顔から、楽しみに待っていてくれたことが伝わってきました。地蔵堂の龍は、本当に多くの人に愛されています。

私たち編集部にとって何よりの喜びは、町の方たちが喜んでくれる姿です。それが私たちの原動力です。

地蔵寺のみなさん、ありがとうございます!

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
読んでほしい

「ここにいる」こと

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

7月20日に発行した「とさちょうものがたりzine 06」。おかげさまで多くの方々から反響、感想などいただいております。

06号は「とさちょうものづくり」と題して、これまでの取り組みをご紹介した号になっています。今回の記事は、その06号に掲載したあとがき(著:鳥山百合子)です。

 

シルクスクリーンの作業にどんぐりのメンバーさんが来てくれるようになってから、確か1年ほど過ぎた頃だったと思う。近所のスーパーで偶然、希保ちゃんに会った。希保ちゃんこと川井希保さんは、シルクスクリーンが始まった時からずっと作業をしてくれている。希保ちゃんが「鳥山さん!」と駆け寄って来てくれたのだった。

ぼんやり買い物をしていた私の目の前に現れた希保ちゃんは、目が覚めるような笑顔で立っていた。

「希保ちゃん!びっくりした!買い物?」とたわいのない話をしたように思う。またね、と手を振って別れた。 希保ちゃんの背中を見送りながら、じんわりと湧いてくるような思いで満たされた。少し恥ずかしがり屋の希保ちゃんが自分から声をかけて来てくれた。

その日、私は何度もそのことを思い返していた。

シルクスクリーンに来てくれているもう一人、石川寿光さんが、シルクスクリーンで印刷したポロシャツを着ている人を見かけたと声を弾ませて話してくれたことがあった。それまで必要なこと以外はあまり話さなかった寿光さんが、そういう姿を見せてくれたことは本当に嬉しかった。

それから少しずつ、寿光さんは自分のことや家族のことを話すようにもなっていった。

 

シルクスクリーン事業は、寿光さんがいるからこそ成り立っていると言っていい。印刷する生地によってインクの載り方が違うため、刷る回数や力加減を変え、先々の注文を把握して効率良い段取りを考えて仕事を進める。試行錯誤する中でより良い方法を見つけていったのは寿光さん本人だ。 丁寧に物事を進める希保ちゃんと、すでに職人のような寿光さんを私はとても頼りにしている。

私たちは最初からこのような関係ではなかった。誰でもきっとそうであるように、初めはお互いへの遠慮から来る距離感が私たちの間にはあった。順風満帆でもなかった。

時間が経ったが故の慣れのようなものから誤解が生じ、どうしたら良いのかお互いに頭を悩ませたこともあった。私たちは共に仕事をしていく中で、相手がどんな人であるのかを時間と会話を重ねながら少しずつ確かめていったように思う。振り返ればそれはとても大切な道のりであったし、その道は今も続いている。

どこかで会ったら笑って手を振り合える今の関係を、私はとても大切に思っている。

 

「仕事は、現場を1㎝でも2㎝でも動かせたかどうか」。

どこかで耳にしたこの言葉を手帳に書き留めてある。

とさちょうものがたりが作る現場は小さいかもしれないが「シルクスクリーンの仕事をするようになって貯金ができるようになった」「自分が行ける場所があることはとても楽しい」という言葉を共に働く人たちからもらって、それが原動力となっている。

この小さな現場が、誰かの日常を少しでも彩ることができるような場所であれたらと思う。

 

 

職人さんとの出会い

「土佐町ベンチプロジェクト」では、7人の職人さんたちの「誰のために、何のために作っているのか」という軸ある一貫した姿に圧倒される思いだった。

普段は個人で仕事を請け負うことがほとんどという職人さんたちは、自分の仕事の中に譲れないものを持っていた。「土佐町の建具職人は俺しかおらんき」と話していた山中さんは「思いが強すぎて疲れる」ほど建具へのこだわりを。大工の小笠原さんと森岡さんは「鉋だけは負けん」と言い合うほどの熱を。

職人さんたちは日々自分との勝負を重ね、互いに切磋琢磨しているのだった。自分の実力で食べていくということはこういうことなのか。7人のチームを作ってくれた池添さんは「みんなでやることで繋がりができていく」と言っていたが、その繋がりは、それぞれ自らの磨き上げがあった上でのことなのだった。

全てのベンチが完成した後、小笠原さんが「今回、色々な人と仕事できたのが嬉しくてね。こんなの初めてだった。みんなのおかげ」と話してくれた。

職人さんとの出会いは私にとって一つの分岐点だった。それくらい良い経験をさせていただいた。

ベンチを見るたび、座るたび、私は何度でもこの地で生きる職人さんたちの姿を思い浮かべるだろう。

 

 

 

人たる所以

中島観音堂クラウドファンディング(以下CF)では、この場所を大切に守り続けてきた先人たちの存在をあらためて知ることとなった。

修繕のために多くの人たちが寄せてくださった寄付は、想像を上回る金額となった。お金という形だけでなく、メッセージが添えられ、手紙が届き、励ましの電話もあった。この場所を心の拠り所としている地元の人たちや、距離を超えて気持ちを表そうとする人たちの存在に心打たれた。

CFの期間中は、新型コロナウィルスの影響で外出もままならず、人と会うことが憚られる日々でもあった。

その中で気付いたことがあった。

実際に顔を合わせて話をし、空間や行動を共にすることで人はどんなに癒され、励まされているか。声や視線や仕草、その人の体温を感じられることがどんなに尊いことか。その熱量や愛情で人は動かされる。その人がその場所にいることには揺るぎない意味があるのだ。

「日常」は決して当たり前のことではなかった。

 

どんなに文明が発達し、便利になったとしても、きっとその本質は変わらない。それが、人間が人間たる所以なのではないだろうか。

私は多くの人たちによって支えられ、生かされている。

この地を守り継いできた先人たちの存在と、心に浮かぶ大切な人たちのまなざしを確かに感じながら、今日もこの地に立っている。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「ふるさとの丘と川」 大原富枝 飛鳥出版室

土佐町の隣町である本山町出身の作家・大原富枝さんが、ふるさとを描いたエッセイと随筆がまとめられている一冊です。

この中に「十七夜」というお話があります。「十七夜」とは、土佐町にある中島観音堂の「中島観音夏の大祭」のこと。昔からそう呼ばれ、親しまれてきたその名を題として、大原さんは次のように書いています。

「盆の十七夜は吉野川を距(へだ)てた隣村の、古い由緒のある観音さまの年に一度の夜祭りで、草相撲があり、露店がたくさん出て賑わうのである。
そのころ吉野川には上流にも下流にも橋はなかった。渡しが二か所あって、十七夜には上流の方の渡しを渡ってゆく。娯楽の少ない時代なので、夜祭りには若い男女や子供たちだけでなく、近村中の者がとっておきの他所ゆきを着て集まるので、驚くばかりの人出になった。
渡し場は足もとが危ないので十七夜はたちまち月の出るのを待って渡る。渡し舟は岸に沿ってずっと上流まで漕ぎのぼってから、流れの早い真中に出て流されながらいっ気に向こう岸につく。幼い私はこわくて身体を固くしていた。
観音さまの境内でみかん箱の上にあがった村の青年が、政談だったか恋愛論だったか演説をぶっているのを、私はびっくりして口をあけて見上げていた。」

この本は、大原富枝文学館にお勤めの大石美香さんが貸してくださいました。
大石さんは、中島観音堂で撮影された土佐町のポストカードの写真を見て、「大原富枝さんの随筆に『十七夜』というのがあって、こちらの観音様のお祭りが出てきます」と連絡をくれました。ひとりずつ、ひとつずつに思えていた人とものごとが、まるで最初からそうなることが決まっていたかのように繋がっていく様はいつも私を驚かせ、この世の不思議さと尊さを教えてくれます。

まだ吉野川にかかる橋がなかった時代、中島観音堂の石階段に揺れる提灯のやわらかな灯りを大原さんも見つめていたことでしょう。昔の風景の一片を知ることは、昔と今がたしかに繋がっているのだということをあらためて思い出させてくれます。

 

2020 July

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone