鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

「くろて団は名探偵」 ハンス・ユルゲン・プレス著, 大社 玲子訳 岩波少年文庫

確か4年ほど前だったでしょうか。この本と出会った時の驚きを何と言い表したらいいのでしょう。
本屋さんの児童文学コーナーをうろうろしていた時、目に入ったこの表紙。

「あ!」

思わず出た自分の声に驚きながら、この本を開きました。

「やっぱり!」

確かに見覚えがありました。何度も何度も読んだ、私が大好きだった本でした。

「くろて団は名探偵」との初めての出会いは小学生の頃。学校の図書室にあったこの本が、図書室の本棚のどこにあったかまでも覚えています。図書室にあったものはハードカバーで、これよりもふた回りほど大きな本でした。

今でいう「ゲームブック」のようなものと言ったらいいでしょうか。

お話を読み進めて行くと、いつも最後に質問があって、その質問の答えを隣のページの絵から探すのです。
2枚目の写真の絵、「さいころ形のもの」を持っているのは「かもしか薬局」の「薬剤師のハーン氏」。

ああ、懐かしい絵。
確か、秘密はハーン氏の持っている本にあったはず!!!

私はそんなことまで覚えていました。

小さい頃に夢中になったものごとは思っているよりもずっと長く、ずっと深く、その人の心の中に残っていくのだと思います。

こどもたちは幼ければ幼いほど、自らの環境をつくることはできません。そう思うと、子どもの周りにいる大人たちがどんなことを大切に思っているのかが問われるように思います。
見た目や流行、そういうことではなく、人として「本当に」大切なことは何か。

懐かしいこの本が、色々な思いを運んできてくれました。

鳥山百合子

 

私の一冊

鳥山百合子

「ぐぎがさん、ふへほさん、おつきみですよ」 岸田衿子作, にしむらあつこ絵 福音館書店

この本の絵を描いているにしむらあつこさんは、昨年11月に土佐町に来てくれた絵本作家、西村繁男さんといまきみちさんのお子さんです。

ある日、大きくてずっしりと重い封筒がポストに入っていました。「誰からな?」と見てみると、いまきさんから!ご自身の絵本とあつこさんの絵本を一緒に送ってくださったのです。これはそのなかの一冊。

子どもたちも大好きで、寝る前に「読んで」とよく持ってきます。でも「ぐぎがさん」って、なんだかとっても言いにくくって、いつも「噛んで」しまいます。そのたびに「あ!また!」って、子どもたちはとても喜びます。

「ぐぎがさん」。といつかさらっと言えるようになりたいものです。

鳥山百合子

 

私の一冊

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「のはらうた」 工藤直子 童話屋

かまきりりゅうじ、こぶたはなこ、あらいぐまげん、ふくろうげんぞう、つくしてるお…。みんな、この本「のはらうた」に載っている詩の作者たち。

「のはらみんなのだいりにん」である工藤直子さんが、作者に代わって代筆しています。版画は、ほてはまたかしさん。

かつて幼稚園で働いていた私は、子どもたちとよくこの本を開きました。
庭でかまきりを見つけて「かまきりりゅうじがいたよ!」と教えてくれたひろくん、今どうしているかな…。

中でも私はこの2枚目の写真に写っている「かたつむりでんきち」のこの詩が好きでした。

「のはらうた」の詩と版画は毎年カレンダーになるのですが、土佐町小学校の図書室のそばにこのカレンダーがかかっているのを見つけた時は、懐かしい友だちに会えたようでうれしかったです。

鳥山百合子

 

私の一冊

鳥山百合子

「広島の原爆」 那須正幹 文 , 西村繁男 絵 福音館書店

広島に原爆が投下される前と後の町の様子が、この本には描かれています。

本の後ろには一枚ずつの絵の中に番号がふられ、描かれている場所や人々の様子の細かい説明が文章でも記されています。西村さんは、被曝当時10代〜30代だった方たちの証言や資料を元に客観的な事実を描こうとしたそうです。

ある絵に描かれている「交番の仮眠室をのぞいているなっぱ服(作業服)の少年」の説明です。

『少年は赤十字病院入り口で被曝した。その時の様子を「すぐ捜したのが弁当箱とメガネでした。私は小学校三年生くらいからメガネなしでは、何もできんかったぐらいですから。それで、地べたを這いまわしてやっとレンズ一枚拾いました。縁は焼けとりました。そのレンズを持って、目にかざして方向をあてながら走るんです」と手記に書いている。』

確かにメガネをかけた少年が交番と隣の食料品店の狭い隙間にたちながら、交番の中を覗き込んでいます。
絵に証言が重ねられると、その絵が急に自分のそばに近づいてくるような感覚になります。
この場所で暮らしていた人たちの「事実」がとても細かく記されているのです。広島という町で暮らしていた人たちの生活や思いや人生がたしかにここにあったのだという西村さんの叫びが、一枚ずつの絵の中から聞こえてくる気持ちがします。

西村さんはこの本をつくるために一年近く広島に住んで証言者を訪ね、資料を探し、そのあとも何度も足を運び、より克明な絵を描くために長い時間をかけたそうです。

昨年、土佐町に来てくださった西村さん。あの笑顔の向こうには表現者としての並々ならぬ思いがあったのだ、とあらためて感じています。

鳥山百合子

 

私の一冊

鳥山百合子

「10才のとき」  高橋幸子聞き手, 西村繁男絵  福音館書店

昨年土佐町に来てくれた西村繁男さんにプレゼントしていただいた一冊「10才のとき」。

日本各地に住む人を訪ね、その人が10才だったときのお話を聞いていきます。

その人の年齢は様々で87才、26才、45才、66才…。当時は学童疎開中だったり、ベーブルースが日本に来たり、スズメやモグラをとったりイタドリで水車を作ったり…。

あたりまえのようなことですが、それぞれの人がそれぞれの場所で「10才」というその時を生きていた、ということにはっとさせられます。

私の知っている、あの人も、あの人も、この人も、かつては子どもだった、10才だったときがあったのです。

その時はまだお互いに知らなかったけれど、「ご縁」という糸やいろんな出来事がからみあいながら、自分の知らないうちに知らないところでそっとその人とつながっていた。だから出会えたんだなあと思うと、その人と出会えたことはものすごい奇跡だ!と思うのです。

みんなみんなが、奇跡の存在。まちがいないです。

鳥山百合子

 

私の一冊

鳥山百合子

「だいじなくつ」 にしむらあつこ 福音館書店

この本の作者、にしむらあつこさんは、昨年土佐町に来てくれた西村繁男さんといまきみちさんのお子さんです。

あつこさんの「ゆうびんやさんのホネホネさんシリーズ」を子どもたちとよく読んでいたので、そのことを知った時はとても驚きました。

このお話は「ももちゃん」がお母さんに買ったもらったお気に入りの靴がなくなってしまって、あちこち探したけどなかなか見つからない。ももちゃんの靴を間違えて履いてしまっていた子も自分の靴を探していて…、最後はちゃんとお互いの元へと戻ります。

誰でも経験するような身近な出来事が一冊の絵本になっていて、ひとつひとつを大事に受けとめているあつこさんのまなざしを感じます。

最後「みつかってよかった、わたしのだいじなくつ!」の言葉に、「うん、うん、ほんとうによかったね!」って思わず言いそうになります。

それにしても、こどもの靴は色も形もサイズもさまざま。この前家に遊びに来てくれた子たちの靴が玄関に散乱、そして何人もが一斉に外に出ようと大混雑。そんな中でも「これ私の靴!」ってすぐに見つけられるのは、こどもの素晴らしい才能!と思うのです。

鳥山百合子

 

私の一冊

鳥山百合子

「とちのき」 いまきみち 福音館書店

昨年、土佐町に来てくれたいまきみちさんが送ってくれた一冊です。

この本をスライドにしたものをみつば保育園でも上映してくれました。

とちのみはとてもアクが強い実です。とちもちを作るために、とちのみを何日も川の水でさらし、灰とお湯を混ぜて煮詰めた中に味を入れてアクを抜くのだそうです。

そしてもち米と一緒に蒸して、ぺったんぺったん!

なんて美味しそう!

いまきさんの穏やかな優しい声が聞こえて来るようです。

「またらいねんも とちもちをたべたいな」。

季節はめぐっていきます。

いまきさん、またお会いしたいです。

鳥山百合子

 

 

 

*いまきみちさん・西村繁男さんご夫妻が、土佐町に来てくれた時の記事はこちらです。

西村繁男さんが土佐町にやってきた!

 

*土佐町に来た後、西村繁男さんがエッセイを寄せてくださいました。

土佐町と若い人たち

山の手しごと

春の七草さがし

土佐町早明浦ダムのほとり、上津川地区に住んでいる高橋通世さん。

通世さんは猟師であり、猪や鹿を獲り、さばく。米や野菜を作り、山の木を切り、はちみつを採り、アメゴを飼い、お茶を作り、こんにゃくを作る…。山のことなら何でも知っている、山の達人です。
昨年末、山道で会った時に「春の七草を採りにおいで」と言ってくれたので、1月6日、採りに行きました。
土が近いところで暮らしていると、自分たちの手で七草を収穫することができるのです。

 

春の七草。

うーん…、確か小学校の国語の時間に覚えたような…。春の七草を採りに来たのに、七草の名前がわからないとは何とも情けない…。
「七草って何でしたっけ?」という質問に、さすが山の達人!通世さんが教えてくれました。

 

【春の七草】
・ごぎょう
・はこべら
・なずな
・すずな(カブ)
・すずしろ(大根)
・ほとけのざ
・せり

 

調べてみると、1月のこの頃、芽吹いたばかりの若葉を食べると、邪気を払い万病を除くと古くから言い伝えられてきたとのこと。江戸時代に「七草粥」として広まり、今へと受け継がれて来たようです。

 

 

いざ、七草さがしへ!

通世さんの家のそばで「はこべら」の群生を見つけました。「ニワトリにあげると美味しそうに食べるやつや!」と息子が言っていました。

 

 

こちらが七草の「ほとけのざ」。山へ降りる斜面に生えていました。紫色の花が咲く「ほとけのざ」もありますが、それは七草の「ほとけのざ」ではありません。

 

「じゃあ、田んぼに行ってみようか!」と通世さんが案内してくれました。上津川地区で田んぼを作っているのは今は通世さんだけ。標高600メートルにある田んぼのさらに200メートル上から水を引いているそうです。

 

大きなかぶ!「すずな」はカブのことです。お漬物用にもたくさん抜きました。

 

田んぼの畔に生えていました。小さな白い花を咲かせているのが「なずな」。土にぴったりとくっつくように生えているのが「ごぎょう」。ごぎょうは春になると黄色い花をつけます。

 

こちらは「せり」。夏には田んぼに太い根をはるので、草取りが大変!でも、お浸しやごま和えにすると美味しい。通世さんは、お正月のお雑煮にさっと湯がいたせりをのせたそうです。

 

これが「春の七草」。左から、せり、ごぎょう、ほとけのざ、なずな、はこべら、すずな(かぶ)、すずしろ(大根)。 すずなとすずしろは、実の方をコトコト煮てお粥に加えます。

 

上津川から帰って来てから、道ばたの草たちに目を向けると「こんなところに “ごぎょう” が!」とか「これは “ほとけのざ” では?」と気づくようになりました。

今までもぼんやりと視界に入っていただろうものが、急にはっきりと名前を持った存在になったのです。

昔の人も同じように、道ばたの七草を見つめていたのかもしれません。

 

1月7日の今日、この「春の七草」で七草粥を作ろうと思います。

 

 

私の一冊

鳥山百合子

「地球家族」 ピーター・メンツェル著 TOTO出版

高校生だった時、題名に惹かれて購入したこの本は、度重なる引越しにいつもついて来ました。

世界中の様々な家族のもとを訪ね、家にある持ち物を出して見せてくださいと頼んで撮影した写真集です。

溢れるようなものの中に人間がちょこんと座っているような日本の家族。水をくみに行くためのロバを一頭しか持っていないというアフガニスタンの家族。

あまりの違いに驚き、そして、生活の仕方や言葉や肌の色、宗教などが違っても私たちは同じ人間であり、同じ地球に住んでいるんだという実感に背中がゾクゾクしたのでした。

世界は広い!いつだってどこへだって、飛んでいけるのです。

2枚目の写真はブータンの家族。

国民の大半が「幸せだ」と答えているブータン。「家にある持ち物」はこれだけです。

人にとって本当に必要なものは何なのでしょう。

鳥山百合子

 

読んでほしい

笹のいえのこと

 

この記事は、12月20日に発刊した「とさちょうものがたりZINE 03」の巻末に掲載した「笹のいえのこと(文:鳥山百合子)」を転載しています。

 

笹のいえのこと


 

「笹のいえ」との初めての出会いは、もうかれこれ5年ほど前になる。
その頃から私は移住支援の仕事をしていて、ある日「平石地区に空き家があるよ」と教えてくれた人がいた。地図を開き、その家に鉛筆で丸をつけた。細い一本道をまっすぐ進んだ突き当たりにある一軒家。なぜかよく覚えているのだが、この日は気持ちのいい秋晴れの日だった。

 

ちょうどその頃、洋介さんと子嶺麻さんは住んでいた千葉県内や日本各地を訪れ、自分たちの暮らしをつくる場所を探していた。四国に住む友人に紹介されたことがきっかけで土佐町を知り、実際に訪れ、平石地区の家に行った。多分こうなるようになっていたのだと思う。あの時、何の気なしにつけた丸印が「笹のいえ」になった瞬間だった。

縁は、この世の中に確かに存在していると思う。あのこととこのことは繋がっていたのかと気づいたときにはもう、そうなるようになっていたとしか思えない。今この時があるのは、これまでの毎日の出来事や、さりげない決心や、人との出会いが重なって絡み合っているからだと思うと、どんなことにも何かしらの意味があって、無駄なことなんてきっとないのだと思える。 

とさちょうものがたりの連載「笹のいえ」の一年間がぐるりと巡った時、笹のいえの歳時記が姿を現すだろうと思っていた。それはきっと土佐町の人たちが共感できるものであろうし、もっと言えば人間が共有できる何かが浮かびあがってくるような気がしていた。

春には春の喜びが、夏には夏の楽しみが、秋には秋の風が、冬には冬の暮らしがあることを、心の深いところにある何かに語りかけるように思い出させてくれた。はるか昔から田畑を耕し、種をまき、四季折々の仕事を積み重ねながら引き継いできた暮らし。先人たちが歩んで来た長い長い道の先に今の私たちがいる。それはきっとコンクリートの上ではなかなか感じられないことだ。この地の土の上に立ち続けてきた先人達の存在をいつもどこかに感じながら、「笹のいえ」は笹のいえらしく、土佐町での暮らしをつくってきたのだと思う。

 

ある日、洋介さんがこんな話をしてくれた。

今年の夏の台風の日のこと。山水を家まで引くパイプが詰まって、笹のいえの水が止まってしまった。こんなこともあろうかと台風が来る前に五右衛門風呂に水を貯め、水をたっぷり入れたタンクを用意していたので、まあいいかと家の中でのんびり映画を見ていたそうだ。外は大雨が吹き荒れる中、がらがらっと戸が開く音がした。そこには頭からすっぽり合羽を着た人がポタポタと雫を垂らしながら、両手に水のタンクを持って立っていた。

平石地区のその人は言った。「水、止まっちゅうろう?」。

 

「自分たちが知らないところで、自分たちのことを考えてくれていた人がいたことが本当に嬉しかった」と洋介さんは言っていた。

あの人はどうしているだろう、そう思ってその人が「普通」にしたことが、誰かの心にあかりを灯すことがある。
「どうしてこんな田舎に来たが?」「都会の方がよかったじゃろう?」この地で暮らし始めてから、私は今まで土佐町の人に何度この言葉を言われただろう。都会と田舎のどちらがよいという話ではなく、どうか知ってほしいと思う。その「普通」に支えられている人がいるということを。そしてその「普通」が、実は特別なのだということを。

 

笹のいえに行くと、いつも心地いい風が吹いている。それは笹のいえの縁側がポカポカと暖かいからだろうし、台所のやわらかい橙色のあかりの中をいったり来たりする子嶺麻さんの足音が心地いいからだろうし、この家が今も今までも、ずっと変わらずに大切にされてきた気配を感じるからかもしれない。

以前洋介さんが私に言ってくれたことがあった。

百合子さんは百合子さんでいいし、僕は僕でしかいられない。変わらないってことじゃなくって、そのときはそのときの自分がいるってことで、それを否定なり、ときには肯定もできない、というかその必要がないのだろうと思うよ」。

この言葉にずい分救われた。

 

笹のいえを訪れると、この家が「あなたはあなたでいいんだよ」と言ってくれている気がする。それは、この家で暮らしている洋介さんと子嶺麻さんの生きかたでもあると思う。

世のなかにはいろんな人がいて、いろんな考えがあって、いろんな生きかたがある。これが正解とかこれが間違っているということではなく、それぞれの場所で、それぞれの選択をしながら、人は生きる。

笹のいえは今日もあの場所に在る。そう思うだけで、何だか今日も頑張れそうな気がする。