2020年1月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

西野内小代

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「面倒だから、しよう」 渡辺和子 幻冬舎

単純な作業、苦手な処世術等々に嫌気がさしてきた時…、カツを入れる目的で読むと精神的に救われ、自分自身の人生が楽になる。

考え方の方向修正に効果のある啓発本だと思います。

不平不満を言うよりは前向きに物事をとらえ、その結果がもたらす価値に気付こう!

何歳になっても「人生、鍛錬」です。

西野内小代

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笹のいえ

息子と旅に出る

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前シーズンの搾りでは長女を連れて行ったので、今回は長男に声を掛けた。一度誘ったときは、その期間中に友達の誕生日会があるので「行かない」宣言したが、なんとその友達が彼のために日程を変更してくれたので、めでたく同行することになった(ナナちゃん、ありがとう!)。

子どもを連れて行くのは、普段の生活とは違う経験をしてほしいからだ。自分たちとは異なる暮らしをする人たちと出会い、交流し、遊び、食べ、寝る。それらのイベントを通して、「この世には、いろんな人が生きている」ということを彼らの世界観に加えてもらえたらと思っている。今回は土日を含めて五日間の旅だったので、学校は三日休んだ。

片道10時間、狭い軽トラの車中でどう時間を過ごすかと少し心配していたが、彼が持ち込んだナゾナゾ本の問題を解いたり、サービスエリアのお土産コーナーを回ったりした。トキさん宅では、11歳の末っ子娘さんとよく遊んでいた。ボール遊びをしたり、駆け回ったり、料理したり。ときおりお兄さんたちにも相手してもらったりして、終始嬉しそうにしていた。

後から聞いたのだが、あるとき息子が、ホームスクーリングしている末っ子さんに、「学校行かなくて、(勉強が)溜まらないの?」と尋ねた。聞かれた彼女の方はキョトンとしていたらしい。きっとお互いの頭の中はハテナでいっぱいだっただろう。息子が新しい価値観に触れた貴重な会話だったに違いない。

当初、別の場所で行われる搾りにも一緒に付いていく予定だったが、ここでの時間がよっぽど楽しかったのか、彼はトキさんの家に残ると決めた。夜はひとりで寝たらしい。家では家族で寝ているので、そんなこともできるのかと嬉しい驚きだった。

自分の家では他の兄弟がいるので、二人きりでじっくり時間を過ごすことはなかなかないが、旅の間、二人で風呂に入ったり、道中普段食べないものを食べてみたり、彼が考えていること、僕が思っていることなど話をした。往復20時間の移動時間は、あっという間だった。

 

写真:滞在先の敷地内で醤油を搾った。大きな羽釜でお湯を沸かし、醪(もろみ)を溶かしたり、洗い物に使う。また、搾った醤油の不純物を取り除くために火入れをするのもかまどで行う。ここは山間なのに空が広く、この時期少し冷たいが、気持ちの良い風が吹く。

 

この旅の目的はこちら↓

醤油搾り

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私の一冊

鳥山百合子

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「かくしたのだあれ」 五味太郎 文化出版局

以前紹介した「たべたのだあれ」と同じように、何度も破れてはテープを貼り…を繰り返してきた本です。2枚目の写真にあるように「ぼうしかくしたのだあれ」という言葉のあとに「たくさんの鳥の中に明らかにぼうしをかぶっている鳥が一羽いる」という何ともわかりやすい仕組みになっています。

ワニの歯が歯ブラシに、たぬきの尻尾は靴下に…。五味さんのユーモアとアイディアには脱帽です。

本を受け取る人が笑顔になったり、ちょっと元気をもらったり、そんな本を作り続けている五味さんにいつかお会いできたらいいなあと思っています。もしお会いできたら、この本を手にした子どもたちがどんなに喜んでいたか、そして私自身が今も時々ページを開いては、懐かしい子どもたちの顔を思い出していることを伝えたいです。

鳥山百合子

 

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メディアとお手紙

高知新聞に掲載されました!

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2020年1月10日の高知新聞朝刊に「土佐町ベンチプロジェクト」の記事が掲載されました。高知新聞嶺北支局の森本敦士さんが記事にしてくださいました。ありがとうございます!

記事の写真のように、子どもたちがうれしそうに座っている姿に思わず笑顔になります。嶺北の木で作られたベンチのぬくもりを、子どもたちが体のどこかで覚えていてくれたらうれしいです。

完成した40個のベンチは、ただ今土佐町内に絶賛配置中!

これから土佐町のあちらこちらで町の人が座り集い、会話や交流が生まれるといいなと思っています。

 

手作りベンチで交流を
土佐町 地元職人が40台製作

【嶺北】ベンチで町を活性化?土佐郡土佐町の大工ら職人が手掛けた木のベンチが町内に増えている。2019年度内に40台を順次、各地区や人の集う場所などに置く予定。設置した町役場は「嶺北産材のベンチを置くことで、人々が交流を図りやすくなれば」と期待している。

同町が参考にしたのは、米フロリダ州セントピーターズバーグで約100年前、緑色のベンチを数千台設置した「グリーンベンチ」の考え方。ベンチがあることで人々が座り、交流が生まれ、その景観が観光名所にまでなったとされる。県の「木の香るまちづくり推進事業」の半額補助を活用し、約170万円で実施した。

町は嶺北産のスギとヒノキを使ったベンチの製作を町内の職人に依頼した。「作ったベンチが地元で喜んでもらえるのは幸せ」と、ふすま製造業の池添篤さん(52)。町内の大工や建具職人6人とともに、昨年11月、約1週間かけて製作した。

完成したベンチは長さ180センチ、高さ約40センチで、白木から優しい香りが漂う。町は昨年末から同町田井のころろ広場やみつば保育園、土佐町小中学校のほか、各地区で設置を進めている。

(森本敦士)

 

*ベンチのモデルを作ってくれた川田康富さんご家族。

川田康富・美都子・佳宗・真靖 (上ノ土居)

 

*40個のベンチを作ってくれた職人さんたちです。

7人の職人さん

 

 

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私の一冊

田岡三代

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「樹木希林さんからの手紙」 『NHKクローズアップ現代』+『知るしん』制作班 主婦の友社

「人生上出来!と、こらえて歩こう」の副題。

大きな病(癌)と闘いながら、自分自身を見つめ続けた姿が、いろんな方への手紙の端々に感じられる樹木希林さんの手紙。

そのひとつに、

『前略 あさはさん
「言葉ってものは傷つけもするし
幸せにもする 単純な文法です」
ブラジルの11才の少年のことばです
原文はポルトガル語

私はネ60才すぎて癌になってガチンと響きましたヨ 遅いけど その罪ほろぼしでこうやって手紙書いてます』

と、直筆の手紙が紹介されています。

もっともっと生きていて欲しかった樹木希林さん…です。

田岡三代

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笹のいえ

帰省旅

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記事の順番の都合でご挨拶が遅くなりましたが、新年あけましておめでとうございます。
年が明けても相変わらずの拙い文章と写真ではありますが、今年もぽつぽつ更新していきたいと思いますので、お付き合い頂ければ幸いです。

昨年末も家族で帰省した。
この機会でないと会えない人たちがいるので、事前にある程度行動スケジュールを決めておく。あちらこちらに顔を出そうとすると、慌ただしい日程となる。話し逃し、聞き逃しがないように、最近は「この人に会ったらこの話をしよう」「あの人にこれを聞きたい」とスマホにメモを残している。メールやメッセージ経由より、直接顔を見て話をした方が良い話題があるからだ。

奥さんと僕の実家には必ず行くようにしてる。

奥さんの実家は千葉県いすみ市にあり、ブラウンズフィールドという、知る人ぞ知るオーガニックスペースだ。敷地内に古民家と田畑とカフェと宿泊施設があり、週末ごとにイベントが開催されるようなオープンな場所だ。周辺はいわゆる里山で、人の手入れが行き届いた自然が心地よい環境だ。さらに、東京へも近いので、都会と田舎の良いところがバランス良く取り入れられている。
立ち上げから15年以上を経て、「ブラウンズフィールド流」とも言えるライフスタイルに共感する人たちが増え、さらなるコミュニティをつくりだし、地域の魅力のひとつとなっている。訪れたことがきっかけで、移住してくる人もいると聞く。ここ過ごした数年間の経験が、いまの僕らの暮らしのベースとなっている。

僕の実家は都内で(といっても、すぐ隣は埼玉県という立地だけど)しがない飲食業を営んでいて、帰省のタイミングで店舗の大掃除の一部を手伝っている。親にとって息子は何歳になっても息子らしい、掃除が終わると、おこずかいをもらえる。この歳で気恥ずかしくもあるのだが、お年玉だと思って有り難く頂戴している。両親は近所の公園に子どもたちを連れて行くのが楽しみだが、彼らの体力についていけるワケもなく、はしゃいで帰ってくる孫と後ろからとぼとぼ歩いているじいじとばあばの姿が対照的で、そんな光景もあと何回見られるのかと胸がザワザワしたりする。

移動が多く慌ただしい帰省旅だが、子どもたちはいつもと違う環境を楽しんでいる様子。
彼らに「君たちの家はどこだろう?」と尋ねると、笹のいえとブラウンズフィールドとメンメンのお店(僕の実家はラーメン屋なのです)と、と指を折る。ばあばとじいじが住んでいる家は、自分たちの家でもあるという認識は面白い。これも僕らを毎回温かく迎えてくれる人たちのお陰だ。

帰省中、笹のいえを留守にするので、地域の年末夜警への参加や新年の挨拶などできないことも多い。旅に掛かる時間やコストも気になるところだが、子どもたちが年に一度のこの家族旅に付いてきてくれるうちは、なんとかやりくりしようと思う。

毎年留守番をお願いしている、T一家にも大感謝!

 

写真:元旦に初詣をする神社に続く石段。去年まで抱っこだった次男が、今年は自力で階段を登り切った。

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私の一冊

川村房子

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「死の壁」 養老孟司 新潮新書

週に一度水泳にいきはじめて5年を過ぎた。その間の半分位を休んではいるけれど。水泳のコーチは、2歳うえでマスターズで何度も優勝。行動的でバイタリティーあふれる人だった。

先日、そのコーチが練習中亡くなった。あっという間の出来事だったと聞いた。あまりに突然でショックだった。

以前に上滑りだけ読んでいた「死の壁」を開いた。誰もが必ず通る道でありながら目をそむけてしまう「死」の問題。人間の死亡率は100%。死といかに向き合うべきか、生と死の境目はどこにあるのか。

自分の老いも感じ始めたこの頃、たまに考えておくと安心して生きていけると作者はいうけれど、本当だろうか。

川村房子

 

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ほのぼのと

占い

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19歳の頃、愛知県にいた私は先輩に連れられて占いに行った。

信じやすい私は行きたくなかったが、いろんな所に連れて行ってもらったりしてお世話になっている先輩の誘いを、断ることもできずシブシブついて行った。

12月の寒い日、軒の連なった暗い路地を入ったつきあたりで、テレビで見た事のあるような雰囲気の家だった。占い師さんはおぼろにしか覚えてないけれど、昔ながらの着物を着た普通のおばあさんだったように思う。

心の隅に隠していることや、自分でもいやだと思っていることを告げられるのじゃないかとハラハラドキドキで手相をみてもらった。

悪いことがみえても黙っててくれたのか、しっかり憶えていることは三つ。

・実家の40キロ以内に嫁ぐだろう。
・名前にさんずいがついていて、2歳上が一番相性がいい。川はさんずいに入る。
・向上心はあるが熱しやすくさめやすい

もう少し詳しく話してくれたけれどそこは内緒。

県内で就職先を探していた友達のなかで、あ~高知に帰るんやなーと思い、熱しやすく冷めやすいのは大当たりなので、心にきざんでちょっとでも努力しようと決めた。

お礼が3000円やったと思う。50年近く前の一週間分の小遣いでいたかった。

どんなに誘われても2度と行くまいとも決めた。

先輩は九州都城の島の出身で、愛知にきて5年。一度も帰ってないと言っていた。

お見合いの話しもあって帰ろうかどうしようか悩んでいた。あの頃、23歳は結婚適齢期だった。帰り道「何て言われた?」と聞いてみたけれど、何も教えてくれなかった。

次の春、にっこり笑って故郷に帰っていった。

あれから全くのご無沙汰だけど元気やろうか…。

今、介護保険を払う年齢になってみるとあれもこれも当たっていた気がする。

穏やかな生活、ちょっとの向上心。これからもがんばろう。

 

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私の一冊

西野内小代

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「人生で大切なたったひとつのこと」 ジョージ・ソーンダーズ著,外山滋比古・佐藤由紀訳 海竜社

ニューヨークの名門シラキュース大学の教授ジョージ・ソーンダーズが同大学教養学部の卒業式で行ったスピーチです。

著者が本当に悔やんでいる事について述べられています。

「やさしさがたりなかった」

この言葉は私の心にグサッと突き刺さりました。

ページ数の少ない本なので何度でも読めます。何度でも読みたくなる本です。

西野内小代

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山峡のおぼろ

富山の薬売り

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少年時代の思い出の中で、いまはもう見なくなったなあと、妙に懐かしさを覚えるのが“富山の薬売り”である。
「越中富山の薬売り…」と歌にまでなっていて、その姿はまさに山里に欠かせぬ点景でもあった。
たしかに、大きな荷物を背負い、年に一度か二度、富山からやってくる薬売りさんは、どの家ともなじんで、親戚の人が来るような感じだった。
各家に置いてある薬を補充し、服用した分の精算がすむと、出された茶を飲みながら、しばらく話した。全国各地を回っている人なので、その話は結構な耳学問になった。

 

小学生の頃までは、時々富山のおもちゃなどを土産にもらったので、その人が来るのを心待ちにするようになっていた。まだ戦時中であった。
薬売りさんは西石原の旅館に何日も泊まって、薬を置いてある家を回る。そのため家で会うだけでなく、小学校に行く途中や帰る途中に会うと、しばらく同じ方向へ一緒に歩くこともよくあった。そんな時には富山の色んなことを聞いた。

驚いたのは雪のすごさであった。道ばたにある杉の木に近寄り、目の高さぐらいの所に手を当てて、「富山では、これぐらい積もるのは珍しゅうないからね」と、笑顔で言ってくれた。

楽しかった思い出の一つに、アメゴ釣りの時のことがある。
一人で釣りに行って、夢中で瀬を見詰めながら餌を流していると、水面に人影のようなものが映った。
見上げると、薬売りさんが橋の欄干から身を乗り出すようにして、私を見ていた。太陽を背負う位置だったので、影が水面に落ちていたのだ。
私が挨拶代わりに手を上げると、薬売りさんは水面を指さして、そこに行く、というしぐさをし、渓流に下りてきた。そして、「ちょっとやらせて」と言って、私の釣竿を操りながら、富山で子供の頃から釣ってきたと、楽しそうに話してくれた。

アメゴは釣れなかったが、薬売りさんの目の輝きはまだはっきりと記憶の中にある。

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