2024年2月

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

西野内小代

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「犬橇事始」 角幡唯介 集英社

偉大な探検家であり、数々の賞を獲得する作家でもある。「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」(複数のノンフィクション賞を受賞)を読んで以来のファン、今回も新聞で紹介されていたので、早速ネット注文した。

時々テレビ出演をされているが、探検家には見えない華奢なイケメンさん、そのギャップにも惹かれる。

過去の作品と同様、映像が目の前に展開しているかのごとく、臨場感溢れる文章で、地球最北の地グリーンランドへと読者を導く。13匹の犬との出会い、訓練、冒険へのスタート。それぞれの犬の個性を時には面白く、時には感情をむき出しに描く。読み終える頃には、名前を呼べば紙面から飛び出し、傍らに寄って来るかのような錯覚に陥る。

コロナウィルスのパンデミック真只中での冒険となった為に、計画の変更を余儀なくされる。犬たちの著しい体調変化・激しいボス争い等、様々な出来事を乗り越えて旅を続けていく様子が、軽やかにコミカルに描かれている。

冒険とは何かという命題にも哲学的に深く切り込み、犬橇の顛末の面白さ、内なる自分をきめ細かに分析する姿勢、ノンフィクションであるだけに説得力がある。

 

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4001プロジェクト

和田美和子 (和田スタジオ・田井)

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先日この欄でご紹介させていただいた和田直也さんのお母さんが、和田美和子さん。

和田スタジオが現在の姿になる以前には、美和子さんのお師匠である秦泉寺さんという方が営んでいる写真館があったそうです。

美和子さんはある日その秦泉寺さんから「写真をやってみませんか?」と声をかけられたそうです。

当時美和子さんが写真をやっていたり技術があったわけでもなく、美和子さんご本人も「なんで私?」という思いだったそうですが、お師匠は何かしら眼力が働いたのでしょう。

その後美和子さんは秦泉寺さんの元で写真を学び、師匠が引退された後は日本写真文化協会主催の写真学校(東京)に行って勉強し、その後労働大臣検定一級技能士の資格を取得し、「和田スタジオ」として写真館の主に。

それが現在も続く「和田スタジオ」のストーリーだそうです。

美和子さんのキャリアの初期にはカメラもフィルムも全てが大きく、撮影したフィルムを暗室で現像という工程もご自身でされていたそうです。(この辺りの話は僕も興味が尽きず、止めどなく長引いてしまうので自制します)

少しおおざっぱな記述ですが、美和子さんが写真館をご自身で経営し始めたのが昭和50年頃。現在の「和田スタジオ」の姿になったのは昭和62年頃。

女性カメラマンとしても、女性経営者としても、おそらく非常に珍しく、高知だけでなく全国でも草分け的な存在だったのではないでしょうか。

 

美和子さん(左)と秦泉寺さん(右)。直也さん撮影。

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前編

 

境内を歩く

境内へ出て、神社の周りを散策しました。写真左の大きな杉の木は、途中で三股に分かれています。「みんなのひいおじいちゃんやひいおばあちゃんが子どもの頃、股の間をくぐって遊んだんですよ」と宮元さん。

「へえー!3つが一本にまとまってるんや!」とか「だんだん長くなっていったんか!」と杉を見上げる子どもたち。

 

白髪神社の御神木。一度火事で焼けたけれど、また生えてきたそうです。樹齢約600年、今までに何度も落雷を受けながら、白髪神社の入り口に立ち続けています。

 

常夜燈を熱心に見ていた子も。「中にろうそくを入れて、火をつけて灯りにしていたんですよ」という宮元さんのお話に「へえーそうなんや」。微笑ましい光景です。

 

「冬の朝8時ごろ、参道の正面の山からお日様が昇ってきます。その時、お宮に光が当たってパッと光ります」と宮元さんが話すと、「そうなんや!建てようと決めた人がそういう場所に建てたんだ!」という子も。

ちなみに、滋賀県の白髭神社でも、朝日が昇る際、神社や鳥居に光が当たるそうです。ルーツである白髭神社と方角的に同じように作られているのだと思う、と宮元さんは話してくれました。

 

たくさんの質問

子どもたちから宮元さんへ、たくさんの質問が。

○「神様っていたんですか?」

→昔も今もいますよ

 

○御神木は最初から立っちょったんですか?

→御神木は神様が来てから生えてくるので、最初から生えていたと思いますよ

 

○「なんで火事になったんですか?」

→戦国時代に近くで戦いがあって、風が吹いて火が燃え広がったんです

 

○「あの箱(お賽銭箱)にはいくらくらいお金が入るんですか?」

→うーん、お正月の時は1万円よりもうちょっと入ります

などなど。

「神様は見えるんですか?」という質問も。

「見えないけど、神様はあちこちにいますよ。八百万の神(やおよろずのかみ)といって、日本には八百万の神様がいると言われています。いつもみんなのことを見守っていますよ」

 

質問の時間は終わり、もう帰る時間に。

子どもたちは何度も振り返りながら、学校へ帰って行きました。担任の蔭田先生は「普段は入ることのない本殿に入ったり、宮元さんのお話も聞けて、子どもたちにとってすごくいい経験になったと思います」と話してくれました。

かわいく、微笑ましい質問をたくさんする2年生の子どもたち。その姿を見ながら、子どもたちは今、自分にとって大切な人や大切な場所、大切な風景を心に宿す時間の中にいるのだと感じました。

「いいこともしんどいことも色んなことがあるけれど、お白髪さんはいつも、頑張ってね、とみんなを見てくれていますよ」と子どもたちに語りかけていた宮元さん。

子どもたちが自分の育った町を懐かしく思い出すとき、きっと、白髪神社のある風景も心に浮かぶことでしょう。

 

 

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土佐町小学校2年生の生活科の授業には「町たんけん」という単元があります。町内のスーパーや施設、商店などを訪れ、働く人の様子を見たり話を聞く活動です。事前に行きたい場所を話し合い、訪れる場所を決め、子どもたちは探検に出かけます。

2024年1月29日に行われた「町たんけん」。
子どもたちの中には、白髪神社に行ってみたいというグループがありました。担任の蔭田晴敬先生は「白髪神社の境内を散策し、由緒を聞きたい」と白髪神社宮司の宮元序定さんに相談すると、宮元さんはもちろん!と快諾。白髪神社は探検先の一つになりました。

宮司の宮元さんから、もしよかったら取材に来ませんかと編集部にご連絡をいただきました。常々「子どもは地域の宝です」と話していた宮元さん。学校や保護者の方の許可をいただき、取材させていただきました。

 

土佐町小学校2年生、白髪神社にやってきた

白髪神社と土佐町小学校は宮古野地区にあります。

左 大きな杉の木の元に白髪神社はある。右 四角の長い建物が土佐町小学校

近くには保育園もあり、子どもたちが保育園児の時には白髪神社周辺を散歩し、マラソン大会では神社の前の道を走ったり。子どもたちにとって白髪神社は、いつもそばにある馴染み深い場所です。

まずは本殿へ

先生と一緒に7人の子どもたちがやってきました。

挨拶をして、本殿の中へ。

脱いだ靴の先は、本殿へ向けて置きます。

 

本殿の中に入りキョロキョロしながら、どこか緊張した面持ちの子どもたち。宮元さんが太鼓をたたくと背筋がしゃんと伸びます。

 

白髪神社の由来

まずは白髪神社の神様にご挨拶。宮元さんは白髪神社の由来を話してくれました。

ここは白髪(しらがみ)神社といいます。「おしらがさん」とか「しらが」という人もいます。昔は白髪大明神と呼ばれていました。

滋賀県琵琶湖の北に滋賀県で一番古い神社、白鬚(しらひげ)神社があります。湖の中に赤い鳥居がある神社で、白髪神社の神様はこの白髭神社からきています。

昔、滋賀県に森近江守(もりおおみのかみ)という人がいました。その人は白髭神社から預かった宝物を持って、本山町汗見川の奥、冬の瀬という所にやってきました。そして冬の瀬の一本杉の元に、宝物をしずめました。

しばらくすると、宝物をしずめた所に白髪大明神のご神像が舞い降り、森近江守に「長磯村(現在の土佐町森地区)を開墾しなさい」と告げました。森近江守は長磯村を開墾し、森村を作りました。森村はここ宮古野地区から地蔵寺地区までをいいます。

そして、奥宮と呼ばれていた冬の瀬からこの場所を本宮と定め、白髪神社が建てられました」

「おしらがさんができてから、今年で1076年目です」

「え!1076歳っていうことか!すごーい!」と子どもたち。

「白髪神社の神様は天狗さんです。約7mくらいあって、鼻は1m。目は赤くて悪い神様を寄せ付けない、すごい力がありますよ」と宮元さん。

「でかっ!」

思ったことをすぐ言葉にできる子どもたちがとても素晴らしい。微笑ましいです。

 

(後編に続く)

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くだらな土佐弁辞典

たごる

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たごる

【動詞】咳き込む

例:おんちゃんのタバコが煙たいき がいにたごりゆう

意味:おじちゃんのタバコが煙たいから ひどく咳き込んでるねえ

 

*土佐町の沢田清敏さんが教えてくれた土佐弁です。

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私の一冊

山門由佳

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「一緒に生きる 親子の風景」 東直子, 塩川いづみ 福音館書店

育児本のタイトルはやけにインパクトがあって、“〜歳までに◯◯できる子に”など焦りを感じさせながら悩み多き母の弱みにつけ込んだ題名が多いような気がしています。でも、大抵そういった本を読んだあとは余計に空回りする自分に気づいたのはいつからでしょうか。

【育児】という答えがありそうでないジャンル。 気合を入れて、絶対にうまくいかせないといけないような気にさせる強迫観念のマジカルワールド。

子育てを終えた著者の温かい目線、思い出のエピソード、育児に対しての考えを読んで心に明かりがぽっと灯されました。育児は毎日がワイルド&ハード。 弱りやすい母親に本当に必要なのは 『心配しすぎなくてもいいんだよ』 というやさしいメッセージ。この本にはそんなやさしさが詰まっています。たくさんのお母さんに読んでもらいたいです。

もうじき私も幼児期の子育てを終えます。

−うれしくて、さみしい。よろこばしくて、かなしい。

−長い人生からすると、とても短い期間なのに、育児の最中は、永遠に続くしんどい時間のように感じることもあった。必ず終わってしまう時間なんだよ、もっと楽しみなさいよ、とあのときの若い自分に耳打ちしたい。

−子どものときの時間は、最もおもしろくて、楽しくて、貴重で、大変で、不安で、辛くもあった いろいろあって、いろいろ終わって、そして、二度と戻らない時間なのである。

どれもこれも胸を打つ文章に、たくさん励まされた本でした。 出逢えてよかった一冊です。

 

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くだらな土佐弁辞典

しびる

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しびる

【動詞】傷む

例:まっことひやいき 芋もショウガもしびちゅう

意味:とても寒くて 芋もショウガも傷んでしまった

 

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土佐町歴史再発見

② いにしえの白髪神社

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古い神社というものは、人工的には決して造ることのできない、ある種の幽玄さが漂っている。

土佐町にはこれまでほとんど縁がなかったが、この趣のある白髪神社のことは以前から知っていた。

白髪神社 (宮古野)

白髪神社が、土佐の戦国大名・長宗我部元親と深い繋がりがあったことをご存じだろうか?「由来記」によれば、社殿が焼失した際、元親の発願によって再興されたのだという。棟札には、元服前の長男・千雄丸(後の信親)の名前もあるらしい。千雄丸は、22歳で戦死しているから、その名が記された棟札がもし現存していれば大変貴重なものとなる。

江戸時代の記録によれば、この親子による社寺の造営事業は、その後夜須八幡宮(天正2年)、滝本寺毘沙門堂(天正7年)、波介八幡宮(天正11年)、仁井田中宮・高岡神社(天正11年)と続いていくが、オリジナルの棟札が確認されているのは高岡神社だけだ。

20年以上前に見た『土佐町史』の掲載写真によれば、どうやら白髪神社にもオリジナルがあるらしいのだが、こればかりは直接調査してみないと分からない。「一度見せてもらえませんかねぇ?」と、親しくなった町の方に頼んでみた。すると嬉しいことに数週間後には段取りがついた。

調査当日、宮司さんの腕に抱かれて現れた棟札の1つは、間違いなく写真で見たことのあるものだった。「これはオリジナルだ!」心の中の声が呟いた。かなり傷んではいたが、墨で書かれた文字を凝視すると元親親子の名前が辛うじて確認できる。そして、後代に写した別の棟札により、その左横には「藤原高賢(森近江守)」の名も見えた。これは、森氏が長宗我部氏の配下になったというより、一体化したことを意味する書き方だと、その時直感した。

白髪神社 第42代宮司・宮元序定さん

白髪神社の棟札(右端がオリジナルとみられる)

右側が長宗我部元親・信親 左側が森近江守孝頼

なぜ元親は、森郷の白髪神社を特別扱いにしたのだろう?自身が滅亡に追いやった本山氏への鎮魂?それとも、森近江守孝頼に対する温かい配慮か?

森孝頼は嶺北地域でのいくさに敗れたあと、岡豊城主(現南国市)・長宗我部元親を頼ったという。その後、恩に報いるため数々の戦功をあげ、潮江城主(現高知市)に抜擢されると同時に、念願の本領・森郷(116=116ヘクタール)も返還されたという。しかし、これはあくまで『軍記物語』に記されていること。真実は分からない。だが、ボロボロに傷んだ棟札は、両者の絆が本物であったことを我々に教えてくれる。

帰り際、「あそこの奥の祠は元親公をお祀りしたものです」という宮司さんの声にドキリとした。何と森氏の末裔たちは、長宗我部氏が滅び、山内氏の時代になってもずっと元親の霊を祀り続けていたのだ!

あらためて絆の深さを感じながら境内を出ると、眩しい日差しとともに、学校のグランドから子どもたちの弾んだ声が聞こえてきた。悠久の歴史を物語る白髪神社と白髪山。

今も、そしてこれからも、町の人々の営みを静かに見守っていくことだろう。

※猿田彦(白髪の老翁)を祀ったことから白髪山と呼ぶようになったという説や、白く光る石が多いことから「白蛾」という文字が当てられたとする説などもある。

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私の一冊

山門由佳

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「97歳 料理家 タミ先生の台所 おさらい帖」 桧山タミ 文藝春秋

タミさん。わが娘と同じ名前ってだけですでに親近感を覚えます。 福岡で生まれ、現在大分の山奥で暮らされています。 60年という長きにわたって、日本をはじめ世界の家庭料理をたくさんの方々に教えていらっしゃいました。

こちらの著書にはタミ先生愛用の道具、鍋や器にエプロンまで、台所にまつわる品々が紹介されています。

まずはタミ先生の代名詞ともいえる銅鍋の紹介からはじまり、おひつ(冬場は藁いずみという籠におさめて保温する)、梅干しやお水や塩をいれるそれぞれの壺、サラシや竹皮を日常使いする暮らしは 《料理をつくること。 実はそれは地球環境と台所は深く繋がっている》というまさかの事実にもはっとさせられました。

スーパーに行けば、簡単に早く出来上がる便利な商品やプラスチック製の安価な商品が溢れています。自然素材でつくられた昔ながらの道具をひとつでも取り入れたら、きっとその使い心地になにか気づきがあるかもしれません。

わたしはこの本を読んで、火鉢をはじめてみました。 −『わたしは宝石よりよい鍋が好き。鍋なら家族みんなが温まるから』

 

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