とさちょうものがたり

“4,001”

土佐町の現在の人口です。(2017年6月末時点・土佐町公式サイトによる)

注:土佐町の総人口が3,997人(2017年4月末時点)から4,001人(6月末時点)に増加したことに伴い、当プロジェクト名も「4,001プロジェクト」に変更になりました。

“4,001プロジェクト”は土佐町に住む人々を、全員もれなく、写真家の石川拓也が撮影する計画。

念のため書いておくと、「全員もれなく」…あくまで目標です。

土佐町の人口の増減によって、タイトルもたまに変わります。  (敬称略・撮れたときに不定期更新)

4001プロジェクト

川田昇・礼子 (中村)

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土佐町役場のすぐ近くにある川田ストア。昇さんと礼子さんが作る美味しいお惣菜が並ぶお店は、とさちょうものがたり編集部もたびたびお世話になっています。

お店に少しの時間いるだけで、近所の方々が次々と立ち寄っていくのを目にします。昔から近隣の地域にとってはなくてはならないお店だったのでしょう。

そういえば、とさちょうものがたりのシルクスクリーン事業での、一番初めのお客さんになってくれたのも川田ストアでした。

町の駅伝大会に出場する「川田ストアチーム」のTシャツを(今年はコロナ禍で大会自体がありませんでしたが)毎年のように注文していただいています。さらに言えば、こういった事業が事業になる以前から、背中を押して応援してくれている存在でもあります。

地域にとってもそうですが、とさちょうものがたりにとっても大切なお店で、大切なお二人です。

 

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

第5回目は、大豊町で作られている郷土料理「半夏だんご」です!

 

「半夏だんご」ってなあに?

半夏だんごは、みょうがの葉でくるんで蒸した団子のこと。大豊町で昔から作られてきた郷土料理です。

田畑の仕事がひと段落した半夏の日(7月2日頃)、その日は農作業を休み、「ごくろうさま」という気持ちを込めて半夏だんごを作ったそうです。みんなでわいわいとお団子を頬張りながら、互いを労ったのでしょう。

高知県では、半夏だんごは大豊町と香美市だけで作られているそうです。大豊町と香美市は山伝に繋がっています。山を超えてお嫁に行ったり来たりなど、人の行き来があり、互いの知っていることを教え合っていたのでしょう。

人の行き来のなかで、文化がつくられる。環境と文化は、密接に繋がっているのだなと思います。

 

みょうがの葉は、山で採る

みょうがの葉は山で収穫します。夏に収穫し、一年中、半夏だんごを作ることができるように冷凍しておきます。撮影したのが2月だったので、冷凍してあった葉を使いました。

撮影のために半夏だんごを作ってくれたのは、大豊地区農漁村女性グループ研究会のお母さんたち。

お母さんによると「やっぱり、生の葉の方が香りも良いね〜」とのこと。冷凍庫などなかった時代、半夏の日に山で葉を収穫し、その葉を使って半夏だんごを作る。それはきっと夏の楽しみでもあったことでしょう。

 

動画タイトル文字は、本山町・りんどうのメンバーさん作

動画のタイトル文字を描いてくれたのは、土佐町の隣町、本山町の障がい者支援施設「りんどう」のメンバーさんたち。

折り紙やクレパスを使って、文字を書いてくださいました。クレパスの「半夏だんご」の文字、とても素敵だと思いませんか?手書きの文字は、味わい深いなあと思います。

 

注目!みょうがの葉の包み方

あんこを包んだ団子は、2枚のみょうがの葉で包みます。「葉の元が外側になるように包むと、後で剥がしやすい」と教えてくれました。「包む」という工程のなかに、細やかな工夫が凝らされています。

お母さんたちの技、ぜひご覧ください!

 

 

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高知蔦屋書店  x  「鹿の角ガチャ」

先日ご紹介した「鹿の角ガチャ」、現在は土佐町の名店「うどん処 繁じ」さんの店頭に設置していただいております。

「鹿の角ガチャ」はじめました!

 

その「鹿の角ガチャ」が、高知蔦屋書店さんに上陸しました!

3F、子どもの絵本売り場の一角に置かせていただいてます。

 

3Fは子どもの階

あ!

子どもの本売り場に馴染んでいるこの佇まい。見つけたらぜひ回してみてくださいね!

 

設置したのが平日の昼間だったので、まだ子どもたちの反応は見れていませんが、近いうち休日に再訪してご報告したいと思っています。

 

制作 in 大豊町ファースト

GW前のことになりますが、大豊町の障がい者支援施設ファーストでも鹿の角ガチャの制作を行いました。

鹿の角お守りに通すヒモを切る作業

ヒモを通す

折った「御守り紙」とカプセルに入れてパチっと閉じて完成です

 

この日の午後で、100個の「鹿の角御守り」がカプセルの中に閉じられました。

地域の方々から、「鹿の角あるぞ〜」といったありがたい声も届いています。(すでに頂いたりもしていますので、この件はまた別の記事にてご報告したいと思います。)

 

自然の造形の結晶とも言える「鹿の角」、御守りになってたくさんの人の手に渡る光景を心待ちにしています!

 

 

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

第四回目は、津野町で作られている郷土料理「田舎ずし(土佐田舎寿司)」です!

土佐田舎寿司ってなに?

高知県ならではのお寿司「土佐田舎寿司」。“寿司”と聞いたら魚介類を使ったものを思い浮かべる方も多いと思いますが、この「土佐田舎寿司」は、高知の山の幸を使ったお寿司です。

昔、昆布や海苔など海のものが手に入りにくかったころ、高知の山の人たちは、自分たちの土地にあるものを使ってお寿司を作りました。寿司飯には、高知県名産の柚子の果汁(高知県では柚子酢といいます)を効かせます。

寿司はごちそう!

昔から高知県では、人が集まる時には必ず寿司が作られてきました。まさに、寿司はごちそうだったのです。

津野町で「田舎ずし(土佐田舎寿司)」を作ってくれたのは、代表の笹岡三栄さんをはじめとする久保川生活改善グループのお母さんたち。1986年、お母さんたちは「全国ふるさとおにぎり百選」に応募する際に、津野町の山のもので作ったお寿司を出品。タケノコ、しいたけ、リュウキュウ、こんにゃく、みょうが…。自分たちが暮らす山で採れるもので作ったお寿司です。

さて、このお寿司の名前を何にしようか?

「山のもん、田舎のもんでできたお寿司やき、“田舎ずし”はどうやろう?」

こうして誕生した「田舎ずし」は見事、入選!

「次の年には、高知県中の人たちが、“田舎ずし”を販売するようになったんよ」と笹岡さん。

こうして、高知の山のものでできた寿司は「土佐田舎寿司」と呼ばれるようになりました。

 

 

動画タイトル文字は、土佐町のどんぐりのメンバーさん作

動画のタイトル文字を描いてくれたのは、土佐町の障がい者支援施設「どんぐり」のメンバーさんたち。

手描きの文字は、お母さんたちの作る郷土料理と重なって、とてもよい温かみを添えてくれています。今まで、一緒にシルクスクリーンやカレンダーを作ってきたどんぐりのメンバーさんと、こういった形で仕事ができたことをとても嬉しく思っています。

 

土佐田舎寿司は、一日にしてならず

土佐田舎寿司を作るためには、膨大な準備が必要です。

まずは材料の確保から。

寿司を作ることを見込んで、材料の収穫時期を逃さず、一年中食べられるように保存しておく。材料がないことには寿司は作れません。

春は竹やぶでタケノコを収穫。夏には山でみょうがを採り、畑のリュウキュウの茎の皮を剥ぐ。秋には柚子を絞って保存しておかなくてはなりません。他にも、原木しいたけを干す。こんにゃく芋を掘り出し、こんにゃくを作る。高知のお母さんたちは本当に働きものです。

塩漬けや冷凍して保存した材料も、そのままでは使えません。

材料を使うための準備も必要なのです!

塩漬けしてあるタケノコやリュウキュウの塩抜きをする。干し椎茸は水で戻しておく。赤しそを使って紅色に染めたみょうがは冷凍して保存してあるので、解凍しておく。季節の花木を用意する…。ああ、その準備の数たるや!ここには書き切れないほどです。

土佐田舎寿司は、1日にしてならず。まさに、お母さんたちの知恵の結晶です。

 

芸術作品、土佐田舎寿司!

各種のお寿司ができると、彩りを考えながら木のもろぶたに盛りつけていきます。撮影したのは一月だったので、椿の花も添えていました。美しい!まさに芸術作品。

そして、お味ももちろん、とびきり美味しい!撮影後、ご馳走になりましたが、冗談抜きで涙がでるほど美味しかった!お母さんたちの積み重ねてきた時間と経験の尊さを思い知りました。

動画では、ぜひ、お母さんたちの華麗な手さばきとともに、高知の山の多彩な材料にも注目してみてください!

 

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土佐町ストーリーズ

兼山という男

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野中兼山肖像

野中兼山(のなか・けんざん)

土佐町に暮らしているととてもよく聞く名前です。でも実際に何をした人なのかは、あまり知らなかったり。江戸時代の殿様?家老?

今回は、「土佐町史」という分厚い本の中に書いてある「野中兼山」についての記述を元に、少し柔らかくかみ砕いてお送りします。

兼山について知らなかった方はふむふむと、すでに知っていた方はいまいちど復習のつもりで読んでいただければうれしいです。では早速いきましょう!

 

数奇な運命ー幼少期

兼山の父、良明は土佐藩主である山内一豊の甥で、一豊の信頼も得ていた人です。そのままいけば兼山もいわゆるエリート又はぼんぼんとして育ったことでしょう。一豊は良明に対して幡多郡中村2万9千石を与えると約束していました。

しかし、一豊が死去します。藩政は一豊の弟である康豊が仕切ることになりますが、例の約束「幡多郡中村2万9千石を与える」は反故にされました。

それが理由で良明は土佐を無断出国、現在の姫路に移り住み、浪人生活を送ります。兼山が生まれたのはこの頃(1615)です。

浪人生活が祟ったのでしょうか、兼山4歳のときに父・良明が亡くなります。以降、母に連れられ「上方を流寓し」とありますので、この時期の母子は相当な苦労があったように思います。

 

転機

兼山13歳の頃、父のいとこであり土佐藩家老でもあった野中直継の養子になります。直継の娘・市の入り婿となったようですね。町史には「一陽来復であった」とあります。

無断出国した父のおかげで流浪の暮らしを母とともに送っていた兼山ですが、ここでやっと土佐に戻り、世に出る足がかりをつかみます。

 

土佐藩家老に

しばらくは養父・直継とともに出仕していたようです。(父子勤)

1636年、養父・直継が亡くなったことにより家老職を継ぎ、奉行職として勤務。「二代藩主山内忠義の信頼をえて藩政を委任された」とあります。殿さまによほどの信頼をされていたのでしょう。

この時から土佐藩政治がすなわち兼山政治となります。「在籍30年を超える長期間縦横にわたって個性的な施策を打ち出した」つまり兼山無双状態に入ります。

 

兼山がやったこと

これは非常に長くなりそうな部分なので、できるだけ端折った説明にしたいと思います。大ざっぱに言えば、兼山の施策は「後進性の克服」。具体的には‥

  1. 南学(朱子学)の導入
  2. 堰・用水路の建設
  3. 港湾の修築

もちろん上記の3つでおさまるものではないのですが、一旦は理解を進めるためにここまで極端に省略したいと思います。

この3つの柱は、後世にも多大な影響を残すほど目覚しい成果を生み出したわけですが、光が強ければその分影も強くなるようで、兼山政治の「負の影響」も同時に伝えられています。

特に堰や港湾の土木事業に関しては、そこに労働力として駆り出された民たちの扱いは苛烈なものであったようです。

新田を開拓し、せっかく定住したかに見えた農民は、その労働を怖れるがあまり逃亡した。いわゆる「走り者」がとても増えたという記述が土佐町史に見られます。

その苛烈な領民の扱いが、のちに兼山失脚の表向きの理由になっていくのです。

 

兼山辞任劇

 

そんな絶対的な「兼山無双状態」は27年間つづきます。独裁的な権勢が27年もの間継続するというのは、現代の視点から見れば少しギョッとすることではありますが、それだけ兼山が二代藩主山内忠義に信頼されていたということと、実際に目に見える成果も多く出していたということでしょう。

しかし1663年7月、三代藩主山内忠豊が土佐に帰国。ここから一気に旗色が変わります。

おそらく27年間、反兼山派のなかで燻ってきていた不満という火薬が着火してしまったのでしょう。「領民を過度に疲弊させた」という理由で、わずか10日ほどで兼山は辞職に追い込まれたのです。

明らかなクーデターでした。兼山は何の抵抗も示さずこれを受け入れ辞職、同じ年の12月15日に急逝します。

 

兼山死後の家族

 

兼山死後も、反兼山派の粛清の嵐は止みません。1664年3月、野中家は改易。改易というのは「所領、家禄、屋敷の没収および士分の剥奪」を意味しました。

遺された家族は現在の宿毛市に幽閉となり、男女ともに婚姻を禁じられ、子孫を作ることができずお家断絶となります。

ここまでやるかと、現代の視点から見れば非常に苛烈で冷酷な仕打ちに思えますが、町史では「冷酷無情は権力の属性といえる」と喝破しています。

 

婉という女

少し余談になります。土佐町のお隣、本山町に生まれた大原富枝という作家さんは地元ではよく知られた存在です。

この大原富枝さんの1960年発表の作品で「婉という女」というタイトルの名作があります。

この物語の主役が、野中兼山の娘であった野中婉(のなか・えん)という女性。

先述した、兼山が失脚し病死した1663年は婉は4才の子どもでした。それから野中家の長い幽閉生活が始まります。幽閉の目的は「子孫を断絶させるため」、つまり男子が死に絶えるまでが期限でした。

1703年、野中家最後の男子であった四男が自死したため、婉は44歳にして初めて幽閉を解かれます。

長い幽閉生活のあいだに、谷泰山という支援者から文通によって儒学や詩歌、医学の指導を受けていました。

釈放後は土佐郡朝倉に住み、医師として開業、日本初の女医であったと伝えられています。診断法は独特なものであったようで、糸を用いて橈骨動脈を診断するという話が残っています。当時の患者たちはこれを「おえんさんの糸脈」と呼び、名医として多大な敬意を持って接していたということです。

これで野中兼山の人生の大まかなストーリーはおしまいです。次回は、野中兼山が残した現在の土佐町にも続く影響について書きたいと思います。

 

※この記事は「土佐町史」の「野中兼山と土佐町」という一章を元に書かれていますが、文責はとさちょうものがたり編集部にあります。

 

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2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

第三回目は、いの町で作られている郷土料理「いたどりの油炒め」です!

 

高知県民のソウルフード・いたどり

高知県民なら誰でも知っている「いたどり」。いたどりは、4月から5月にかけて野山に生える山菜の一種です。コリコリと歯応えがあって、とても美味しい!

撮影した「いたどりの油炒め」は、昔から高知県の家庭で作られているおふくろの味。「高知県民のソウルフード」と言ってもいいでしょう。

 

手描きのタイトル

「いたどりの油炒め」という冒頭のタイトル文字を描いてくれたのは、土佐町の隣町である本山町の障がい者支援施設「りんどう」のメンバーさんです。

職員さんとともに、丁寧に文字を描いてくれました。メンバーの方たちも、郷土料理のDVDの完成を楽しみにしていてくれたとのこと。とてもうれしかったです!

 

料理を作ってくれたのは、いの町のお母さんたち

「いたどりの油炒め」を作ってくれたのは、いの町柳野地区「明るい柳野を創る会」のお母さんたち。とにかくよく働き、パワフル!

お母さんたちが運営する食堂には水車があり、育てたそばを粉にしています。そのそば粉で作った「そばがき」は絶品です!

また、いたどりを栽培し、一年中食べられるように保存。地元で取れた野菜や加工品の販売もしています。

撮影は、水車が凍るほど寒い一月に行いました。

白い息を吐きながらインタビューに答えてくれた代表の筒井さんが、おやつに出してくれた手作りの干し柿とおまんじゅうのおいしかったこと!いくつもおかわりしてしまいました。

 

 

ポイントは歯応え!

「いたどりの油炒め」は、一年中食べられるように塩漬けにしたり、冷凍して保存していたどりを使って撮影しました。本当は春の収穫風景や保存の方法も撮影したかった!

いたどりの美味しさは、その歯応えにあります。皮の剥き方や保存の仕方によって、歯応えも変わってくるそう。炒める時も、さっと炒めて歯応えを残すのがポイントです。

お母さんたちの慣れた素早い手さばき、惚れ惚れしました!

 

 

 

 

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メディアとお手紙

ポロシャツ「土佐あかうし」、高知新聞に掲載されました!

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今年の土佐町オリジナルポロシャツ「土佐あかうし」!

高知新聞に掲載されました!

「土佐あかうし」を描いてくれたのは、絵描きの下田昌克さん。
下田さんは、毎年、土佐町オリジナルポロシャツの絵を描き続けてくれています。

 

土佐町の畜産農家の方たちに大切に育てられているあかうしは、穏やかで優しげな瞳が特徴。下田さんが描いたあかうしのつぶらな瞳は、まさにあかうしそのものです!

 

印刷は、こちらもずっとシルクスクリーンの仕事をしてくれている障がい者支援施設「どんぐり」(土佐町)と「ファースト」(大豊町)のメンバーさん。

背中いっぱいに印刷されるあかうしは迫力満点です!

 

ポロシャツに「あかうし」

土佐町PRへ製作・販売

【嶺北】
土佐郡土佐町の 魅力を発信するウェブサイト「とさちょうものがたり」の編集部は町をPRしようと、土佐あかうしが描かれたポロシャツを製作、販売している。
編集長で写真家の石川拓也さん(46)が企画し4年目 。これまでに地元の山菜や地蔵堂などをあしらったシャツを作ってきた。
今年は丑年に合わせ、「ずっとシャツにしたかった」 というあかうしをデザインに採用。 絵本の挿絵などを手掛ける下田昌克さん(53)=東京都が、同町の畜産農家が飼う牛を迫力満点にスケッチした。

 

プリント作業は、同町と長岡郡大豊町の障害者就労支援事業所の利用者が行い、収入につなげている。
石川さんは 「町をPRし、収益化も努める。皆が笑顔 になれる取り組みに育てたい」と話している。

 

1枚2500円。注文は 土佐町企画推進課(0887・82・2450) か「 とさちょうものがたり」 のウェブサイトから。
(竹内将史)

 

 2021年4月24日付の高知新聞に掲載されたこの記事。読んだ方から、電話やメールでたくさんのご注文をいただいています。
皆さま、ありがとうございます!

 

 

*ご注文はこちらからどうぞ!

土佐町オリジナルポロシャツ2021販売開始です!

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私の一冊

石川拓也

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「スマホ脳」 アンデシュ・ハンセン 新潮社

おそらく、現代に生きる多くの人々が感覚的に感じているであろうスマホやタブレットへの違和感。

みんなが気になっていること。平たく言えば、「スマホってなんか良くないんじゃない?」ってこと。

この本は、そういった漠然とした違和感に論理的・科学的根拠を与えてくれます。その洞察は深く、人間の本能レベルまで一旦降りていってからの、「だからスマホは人間の脳に適していない」というわかりやすい論。

だから世界中で売れているそうです。みんな気になってるんですね。

世界中で、若い世代の精神の不調が増えている、というところから本書は始まります。

精神の不調から身を守る術は、次の3つ。

睡眠・運動・他者とのつながり

そのどれかが足りなくなったり、質が悪くなると人間の精神は不調になってくる。そして、この人間にとって必要不可欠な3つの全てにおいて、スマホが悪い影響を生み出してはいませんか?

本書の序文あたりの話だけでここまで書いちゃいました。もう少し長くなるので、この続きはまた改めて書きたいと思います。

 

 

 

 

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春野の郷土スイーツ「あたらしや」

2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、製作した動画をご紹介しています。

第二回目は、高知市春野町で作られている郷土料理「あたらしや」です!

 

作・どんぐりのタイトル

「あたらしや」という冒頭のタイトル、動画中にある「作り方」の文字を描いてくれたのは、土佐町の障がい者支援施設「どんぐり」のメンバーさんです。

まだ冬の寒いある日、別の作業の合間にみんなでワイワイ言いながら、たくさんの文字や絵を描いてくれました。

 

土佐町「どんぐり」

みなさん各々ユニークなタッチでたくさん描いてくれました。動画に使用したのはその一部なので、全部を使えなかったのが残念です。

「あたらしや」の語源

「あたらしや」はだんご粉を蒸して練り、あんこを包んだお菓子です。おもちに杯台や切子ガラスなどで模様をつけ、その上に3色に色をつけた小さなおもちを飾りつけます。昔から、親戚や近所の人たちが集まるお祝いごと「おきゃく」がある時に、皿鉢料理の一品として作られてきました。

 

どうして「あたらしや」っていうのでしょう?

あたらしやを作ってくれた「とら巻き&あたらしやの会」の土居三千代さんが、こう教えてくれました。

「おもちがすぐに硬くなってしまうから、皿鉢料理の一番最後に作る。だから、“あたらしや”っていうのよ」。

 

皿鉢料理とあたらしや

動画中、皿鉢料理にあたらしやを盛り付けるシーンがあります。さばの姿寿司や里芋のきんとん、トマトの羊羹などが盛り付けられた皿鉢料理は、撮影のために、土居さんや春野町のお母さんたちが私たちに内緒で用意してくれていたものです。

撮影の前日、土居さんと電話で話した時「明日、びっくりさせようと思って秘密にしとこうと思ってたけど…、みんなと相談して、皿鉢料理を用意してるから!皿鉢料理があったら、あたらしやが映えるかなと思って。あ〜〜、言っちゃった!」とお茶目に笑っていた土居さん。その気持ちがほんとうに嬉しかったです!

 

あたらしやに付けられた模様

あたらしやの特徴は、おもちの表面に模様をつけること。ひとつずつに模様をつけるのは、なかなか手間のかかる作業です。模様をつけたからといって味が変わるわけではないけれど、でもあえて、そのひと手間をかける。そのひと手間が、「あたらしや」があたらしやたる所以です。

模様をつけられたおもちたちが、静かに、そして誇らしげにそこに在る風景は、とてもいいものでした。

 

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2021年4月15日の記事「高知新聞に掲載されました!」でお伝えしましたが、2021年1月から2月にかけて高知県内9市町村の郷土料理を撮影し、動画を製作しました。

高知県庁農産物マーケティング戦略課が、県内の郷土料理の保存と伝承のために立てた企画を「合同会社 風(とさちょうものがたりを運営している会社です)」として委託を受け、製作。DVDを作り、県庁のYoutubeチャンネルでも公開されています。

今日から10回に分けて、製作した動画を紹介していきたいと思います。

各動画タイトルや動画内の絵は、とさちょうものがたり編集部が取り組むシルクスクリーン事業でご縁のある「れいほくの里どんぐり(土佐町)」「りんどう(本山町)」「ファースト(大豊町)」の3施設のメンバーさんたち依頼し、描いてもらいました。

 

第一回目、まずは「高知の食文化」の動画をご紹介します。

題字「高知の食文化」を書いてくれたのは、大豊町「ファースト」のメンバーさんです。動画中に出てくる山や動物、魚や波を描いたのは「ファースト」と、土佐町の「どんぐり」のメンバーさんが描いてくれました。

皆さん、わいわいと楽しそうに描いてくれたのがうれしかったです!

 

大豊町「ファースト」にて

 

土佐町「どんぐり」にて

 

ファーストとどんぐりのメンバーさんが描いた絵でパラパラマンガ風アニメを作りました。

 

「高知の食文化」を知れば知るほど、高知の食がどれだけゆたかであるかを実感します。季節ごとの野菜、果物、山菜。その土地ならではの食材があること。そして、その土地でその土地に根ざした料理を作り続けてきた人たちの存在。それはかけがえのない高知の文化です。その素晴らしさを感じた撮影・製作でした。

この動画のナレーションは、歌手で高知県観光特使であるう〜みさんにお願いしました。高知への愛情溢れるう〜みさんの声、どうぞお聞きください!

動画中、土佐町や嶺北の映像も出てきます。合いの手を入れてくれているのは、郷土料理を作り続けてきた「伝承人」と呼ばれるお母さんたち。このお母さんたちがいるからこそ、郷土料理が成立しています。

高知の素晴らしさを感じていただけたら嬉しいです!

 

【高知の食文化】

 

 

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