とさちょうものがたり

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

山門由佳

「とうちゃんのちゃんぽんめん」 伊藤秀男 福音館書店

毎月一冊、保育園を通して購入し、持ち帰ってくる『こどものとも』がひそかな楽しみだ。

こちらの作品は、年少クラスの娘が昨年の夏に持ち帰ったもの。けれど、半年経ち、寒い冬の今、読んでほしいと娘がよくせがむ。 その理由はわからないけれど、夏に読んだときよりも確実に、ちゃんぽんめんが美味しい季節であることは間違いない。

とうちゃんのつくるちゃんぽんめんには、12種類の具沢山の野菜に、いか、えび、あさりまではいって、しいたけ&昆布のだしをベースに、麺は乾麺からのこだわりよう。

とうちゃんはザクザクと具を刻み、文章にはなくとも胡麻油もしっかり鎮座している台所。 醤油差しの白い陶磁器、手入れされた中華鍋、出番の多さが物語る先の焦げた木べら…、美味しいごはんが生み出される台所であることがわかる。

そしてここの表現がたまらない。

−しおを ぱっぱっ、しょうゆをたらり、おみそを ぽちゃんといれ ぱっぱっ、たらり、ぽちゃん…

その音だけでどれくらいの分量なのか想像がつき、味まで思い浮かぶ。

 

土佐町の人々が座って豊かな時を過ごすために。第2回土佐町ベンチプロジェクト、進行中です。

 

嶺北でとれた木材を使い、土佐町の職人さんにベンチを作ってもらいました。土佐町の人々が座って豊かな時を過ごすために。

2019年に行った「土佐町ベンチプロジェクト」、第2回が進行中です。2022年2月現在、27個の木製ベンチを製作し、土佐町のあちこちに設置中です。

 

2回目のベンチプロジェクト

 

2019年度に完結した「土佐町ベンチプロジェクト」。作ってくれた職人さんや大工さんをはじめ、町の多くの方々にご協力いただいて町のあちこちに木製ベンチを設置することができました。

①今までなかったところにベンチを設置する → ②今までは歩きながら、もしくは立ち話をしていた場所で座ってゆっくり話しをする → ③人と人のコミュニケーション量が増える

そういった目的のもと行ったこのプロジェクト、その後は町を移動する際に、座ってお話をしている住民の方々の姿を見かけたりして、内心うれしく思っていたのでした。

 

2019年第1回の詳細はこちら↓

土佐町ベンチプロジェクト ① 

 

1回目にできなかったこと

ひとつ大きな反省がありました。それは、「住民の方々に、設置場所を十分に相談できなかった」こと。

1回目に決めた設置場所は、編集部と役場の担当さんとでいろいろと意見を出し合って、「あそこにあったらいいんじゃないか」「あそこは立ち話をしている人がよくいる」といった情報のもと、地区長さんや商店主さんなどその場所の管理をされている方々に許可を得て設置していきました。初めてのプロジェクトで、ある意味それが精いっぱいでもありました。

そんな思いが心の中にありながら完了した1回目。その後しばらくして、住民の方々から「うちの地区にも置けないか」「もっとあったらおきたい場所があるんやが」など、ありがたい声がちらほら届くようになりました。

じゃあもう一回やりましょう(修正ありで)

というわけで、今回の2回目です。まず、全地区の地区長さんたちが一堂に会する地区長会で、「もう一度やります」「約30個ぐらい追加で作ります」「つきましては、地区の方々のご意見を聞かせてください」といった話をさせていただきました。プリントを配り、地区長さんに持ち帰ってもらい、希望の設置場所を書き込んだ上で戻してもらうという方法を取りました。

そして出てきた地区の方々が希望する設置場所は、より住民の方々の生活に沿ったものになったと思います。

 

そして製作

製作は第1回と同様に「土佐町建築組合」の大工さんたち。1月の初旬に集まって、こちらが驚くような早いスピードで仕上げてくれました。

 

製作風景 瞬く間に仕上がっていきます

ベンチ製作チームの大工さんたち  前列左から 池添篤, 森岡拓実, 山中晴介, 大石淳一, 澤田明久, 小笠原啓介,(敬称略)

 

 

 

 

焼印はどんぐりの仕事

最後の仕上げに焼印を押す。この仕事は土佐町の障がい者支援施設どんぐりのメンバーさんの仕事です。ふだんはシルクスクリーンで印刷作業を担当してくれているふたりが、この日は焼印を手にひとつひとつ仕上げていってくれました。

第1回で設置したベンチ、特に屋外に設置したものは2年が経過し、焼印が全く消えてしまっている現状を鑑みて、今回は焼きすぎるくらい濃く焼印を当てることにしました。

 

どんぐりの寿光くん(中央)と希保ちゃん(右) 手際良く焼印を押していきます

和田守也町長も!

ちょっと濃いめに焼いた焼印

 

 

こうしてできた27個の木製ベンチ。木材はもちろん地元産のスギとヒノキ。目にも肌触りも柔らかく、天気の良い日は特に気持ちよく座って豊かな時間が過ごせること間違いなしです。

こうして第2回目も無事完了‥おっと、まだ設置が残っていました。現時点(2022年2月1日)ではまだ設置をしていませんので、設置場所の報告はまた近々、別の記事でお伝えしたいと思います。

 

みんなのアルバム

田井橋

 

昭和39年に撮影されたこの写真は、土佐町田井地区の西森理髪店の店主・西森五明さんが見せてくれたものです。

この写真は橋の上から通りに向けて撮影されていますが、この橋の名前を「田井橋」といいます。

町の人と話していて、「ほら、あの辺りよ。田井橋らへん」と言われたら、「ああ、あの田井橋の辺りにあるのか」と、頭に田井橋周辺の地図が浮かびます。ちょっとした目印のような、頼りになる存在です。

田井橋から見たこの通りは、当時「大橋通り」と呼ばれていたそう。

「昔は、この道は賑やかやったのよ」と誰もが口を揃えて言うように、店の看板が立ち並ぶ様子が見えます。

 

こちらは現在の「大橋通り」。橋の欄干の形も変わっていますね。

昭和39年当時と比べると閉店したお店も多く、人通りは少なくなりました。

けれども今も商いを続けているお店は数々あり、通りに明かりを灯しています。田井地区に住む人たちや子供たちの通学路としても、欠かせない「田井橋」、「大橋通り」です。

 

【土佐町の絵本】写真集め ②

 

 

ただいま進行中の『「土佐町の絵本(仮)」を作ろう!』というこの企画。

土佐町で生まれ育った方々と話し、絵本のページに何を描くのか、そのために必要なものごとは何か?たくさんの意見やアイディアをいただいています。

絵を描くために必要なことはいくつもありますが、その内のひとつは「資料を集めること」。編集部はただ今、写真集めの真っ最中です!

 

昔の写真を集める

絵本のページには、土佐町の田井地区も描かれる予定です。話し合いの中で「昔、田井の旧道が土佐町のメインストリートで、たくさんの店が並んで人が行き交っていた」「バスも通っていた」という話を何人もの人から聞きました。

現在の国道439号線沿いの今の様子はもちろん、昔の旧道の様子も描いたらどうだろう?

ということで、田井地区の昔の写真を集めるべく、旧道沿いに並んでいる旅館や商店へ伺っています。

最近「みんなのアルバム」で紹介した写真の数々、

・「清水屋旅館」は、 宿主の森ミネさんから

・「冨士見館」は、女将の高橋信子さんから

・「山中百貨店」は、 西村富美子さんから

見せていただきました。

 

西森理髪店

旧道沿いにある「西森理髪店」のご主人、西森五明さんからも写真を見せてもらい、お話を伺いました。

地図を見ながら、かつての田井地区の様子を教えてくれる西森さん

 

西森さんは写真の他に、昭和50年代のものではないかという田井地区の地図を見せてくれました

 

見せてくださった写真の数々

 

西森さんが見せてくださった写真は、また「みんなのアルバム」で紹介したいと思います。

多くの人たちが快く協力してくださること、心から感謝しています。ありがとうございます!

 

95年間のキヨ婆さんの思い出

95年間のキヨ婆さんの思い出 6

土佐町栗木地区に近藤潔さん(95歳)という方がいます。潔さんは書くことがとても好きな方で、今まで、高知新聞の「あけぼの」というコーナーに何度も投稿されてきました。とさちょうものがたりでは、「95年間のキヨ婆さんの思い出」と題し、土佐町で過ごした思い出を綴ってくれます。

 

相川小学校の遠足

昭和8年4月、土佐郡森村、相川小学校に入学しました。

貧しい暮らしの中で、母が準備してくれた着物、学用品、赤い鼻緒の草履、嬉しくて庭でとびとびしました。

入学式には父が連れて行ってくれました。今から85年くらい昔、生徒の服装は脛の少し下までの着物に帯らしき狭い布を二回り位巻き、「前かけ」といって、狭い布へ紐を付けて前にぶら下げて汚れたら取り替えていました。セーラー服の子は、お金持ちの子供で一人か二人でした。

春の遅い嶺北では、桜の開花も遅く、入学式の後、学校に慣れた頃、行き先も毎年決まったところへ。春は溜井の池、秋は床鍋の吊り橋でした。

何といっても、母の優しい心のこもった焼きおにぎり、焼き目のついたまん丸いものが3個、筍の皮に並べ、炒り卵を添えてクルクルと巻いて、筍の皮の端をさっと割いて結んで仕上がり、いっちょうらの風呂敷に包んで背中に負わせてくれ、草履は何時もと異って、鼻緒は赤い布で巻いてありました。年中で一番楽しかった遠足でした。

水筒もあるはずもなく、途中の畔道の山から流れ出ているおいしい水を手で掬って呑むのです。我先にと呑んだ水の美味しかったこと。忘れていません。満開の桜の花の下、お辨当の美味しかったこと。

そのお辨当を作ってくれた母も、42歳の若さで天国へ。何の恩返しもできず、美しい夜空で煌めいて護ってくれています。95年間の思い出の中には、母の優しい顔があります。

(続く)

 

みんなのアルバム

山中百貨店

土佐町田井地区にある「清水屋旅館」と「冨士見館」が建つ道は、かつての土佐町のメインストリート。バスが走り、店が並び、多くの人が行き交う通りでした。

この写真は、その清水屋旅館と冨士見館の向かいにあった「山中百貨店」の写真です。この「山中百貨店」がご実家であり、ここで生まれ育った西村富美子さんが写真を見せてくれました。

山中百貨店は今から13年前に閉店、今はお店だけが残っています。

 

仕立て屋・山中百貨店

店先に並んでいるのは洋服の生地です。山中百貨店は仕立て屋さんもしていて、お客さんに生地を選んでもらって洋服を作っていたとのこと。当時は既成の服はほとんどない時代。「昔はみんなそうだった」と富美子さんは話してくれました。

写真左の男性が富美子さんのお父さんの山中康富さん。右がお母さんの和美さん。店員さんや洋服を作る「洋裁さん」も並び、皆んなで記念撮影。子供たちは大人が商いをする姿を見ながら大きくなっていったのでしょう。賑やかな声が聞こえてくるようです。

 

現在の山中百貨店

ただいま進行中の『「土佐町の絵本(仮)」を作ろう!』というこの企画。

以前お伝えしたように、土佐町で生まれ育った方々と話し、たくさんの意見やアイディアをいただきました。

「この行事もあったらいいね」

「この時、〜さんはいつもちょうちんを持って踊っているね」

「田んぼの植え直しと言ったら、〜さんでしょう」

話をしていて出てくるのは、いつも人の名前。それぞれが思い浮かべる風景の中に「人」がいる。そのことをあらためて実感します。

 

ということで、「土佐町の絵本」には、町の人たちが登場します。なぜならば、町を作り、支えているのは、町で暮らす一人ひとりの存在だから。いたってシンプルな理由、そして、忘れてはいけない大事なことです。

 

写真を集める

今、各場面ごとに登場していただく方の写真を集めています。「写真がない〜」という方は撮影させてもらっています。

下田さんが描いてくれた絵本の草稿を抱えて、山へ町へ、その人に会いに行く。それは、人は人との関係の中で生きていることを再確認させてくれる時間でもあります。

 

以前、シオデを育てているところを見せてもらった岡林さん夫妻

 

標高500メートルの下瀬戸。春にはぜんまい畑が広がります

 

和田地区のこんにゃく作りの名人・和田潔子さんとご主人の英俊さん

 

道から見下ろすと、斜面に畑や田んぼが広がっています

 

多くの方のご協力、本当にありがとうございます。

少しずつ、少しずつ進んでいく絵本の制作。まだ先は長いですが、皆さま、楽しみにしていてくださいね!

 

 

 

 

 

みんなのアルバム

冨士見館

土佐町田井地区にある冨士見館。「私のひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんが大正5年(1916年)に創業した」と4代目の女将、高橋信子さんが話してくれました。

写真は昭和初期のもの。冨士見館はこれまでに何度か改修したそうですが、建物は今も当時のままです。

この頃、遠くから荷物を運ぶ「馬車引き」さんがたびたび宿泊していたのだそう。

 

金魚屋さんも宿泊

昭和35年から40年頃、信子さんが小学生だった時には「金魚屋さん」が宿泊。袋に入れた金魚を持って、年に数回来ていたそうです。肩に担ぐ竿と金魚を入れる桶はいつも富士見館に置いてあったそう。土佐町に来たら、決まって富士見館に泊まっていたのでしょうね。

「乾物屋さん」も訪れ、竿の前後に下げた缶にはするめやお酒のつまみのようなものが入っていて、「おばあちゃんが、どれにしようかねえ、と選んでいた」。信子さんは、懐かしそうに話してくれました。

 当時、冨士見館は旅館業の他にも、魚屋さん、仕出し屋さん、そして銭湯も営んでいました。

早明浦ダム建設が始まって旅館業が忙しくなり、銭湯は閉めることに。けれども、当時はお風呂がない家もまだ多かったため「銭湯をやめないで」と町の人から署名も届いたそうです。悩みに悩んだ末、やはり人手がなく、銭湯は閉めることにしたとのこと。

 

創業から106年、冨士見館は土佐町に訪れた人たちを温かく迎える宿として、今もこの場所に在り続けています。

 

髙橋信子・英理子 (田井 冨士見館)

みんなのアルバム

清水屋旅館

土佐町田井地区にある清水屋旅館。現在90歳の森ミネさんが切り盛りする宿です。

築100年以上になるという建物は、正面の引き戸を開けると広い玄関、一段上がった奥には2階へ上がる階段があります。

玄関左側には和室があり、窓際の机にミネさんのミシンが置かれています。ミネさんは洋服の直しを請け負っていて、近所の人が「ズボンの裾を直して」とよく持ってくるのだそう。「私はこの仕事が好きでね。昔は旅館の仕事が忙しくて、両立するのが本当に大変だった」と話してくれました。

この写真は昭和30年代頃に撮影されたもの。雨漏りで屋根を改修したため現在の屋根とは異なりますが、それ以外は当時のまま。薪で沸かすお風呂も健在です。

 

旅館に面した通りは車が一台通れる程の道幅で、当時の土佐町のメインストリート。人が行き交い「バスが、旅館の壁擦れ擦れに通って行った」のだそう。

近くに国道439号線が通り、人の流れや生活は大きく変化。かつて賑やかだった通りには数軒の店が残り、当時の面影を伝えています。

 

 

 

2022年、あけましておめでとうございます。

とさちょうものがたり編集部から、謹んで新年のご挨拶を申し上げます。

今年もまた、とさちょうものがたりは「必要なこと」と「できること」を全力で取り組んでいく所存です。

土佐町の方々、高知県の方々、また全国のとさちょうものがたりに関わっていただいている方々、皆さま本年もよろしくお願いいたします。

 

新年の抱負は「虎も笑う一年!」

大変なこと、苦しいことがあったとしても、みんなで力を合わせて乗り越えて、最後には下の虎のように笑えること。

できるだけこんな笑いをたくさんできるような一年にしたいと思っています!

 

笑う虎の一年に!