石川拓也

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

石川拓也

「NEUTRAL COLORS」 2020 SPRING ISSUE 1

できたばっかり届いたばっかり。新しい雑誌「NEUTRAL COLORS(ニューカラー)」の創刊号です。

東京に住んでいた頃からの友人であり、旅雑誌「TRANSIT」の元編集長・加藤直徳氏が「手作り」と呼びたいぐらいの熱量で作った雑誌。創刊号のテーマは「インド」です。

一冊まるまるインドのことばっかり! しかも旅のガイド本ではなく、もっともっと突っ込んだインド文化・インド体験の一冊です。ひとことで言って「見たことない本」。

かく言う僕も、以前住んだニューヨークからインド、土佐町へと続く旅の記録を寄稿させてもらいました。

近年、よく思います。「出版する」という行為の本質的な目的ってなんだろう? 出版物がこれほど溢れている世界で、でも出版界は青色吐息で、なんのために本を出版するんだろう?

タマネギの皮を剥いていくように考えを巡らせば、中心に残るのはきっと「伝えたい」「世に問いたい」というシンプルな欲求であると思うのです。

それがいつしか業界ができあがり巨大システムができあがり、そのシンプルな欲求はあとまわしにされることが増え、「出版する」ことは周縁の人々の「利益発生装置」としての役割が最優先にされるような、動機なき行為と化してしまったのではないでしょうか?

この創刊号の表紙には「自分でつくると決めたインドの朝」とあります。

「作りたいから作るんだ」「伝えたいから作るんだ」そんな出版人の雄叫びが凝縮したような一冊。スーパー個人的な理由ですが、手元にあるだけでなんとはなしに嬉しくなる本なのです。

 

4001プロジェクト

筒井孝善・石川寿光・川井希保・重光通子(どんぐり)

この4人がとさちょうものがたりが一緒にシルクスクリーン事業を進めている誇るべきチームです。

右から筒井孝善さん、石川寿光さん、川井希保さん、重光通子さん。

筒井さんは土佐町の障がい者就労支援施設「どんぐり」の職員。寿光さんと希保さんがどんぐりのメンバー、重光さんは現場のお手伝いに来ていただいています。

この4人の手を通して、シルクスクリーン事業のものづくりが日々進行しています。

土佐町オリジナルポロシャツなどを町で見かけたとき、このチームのことを思い出していただけたら嬉しいです。(*大豊町ファーストも一緒に作っていますので後日紹介します)

 

私の一冊

石川拓也

「陽だまりの樹」 手塚治虫 小学館

手塚治虫の名作「陽だまりの樹」です。

手塚治虫の先祖である手塚良庵と、(架空の人物らしいですが)一本気で頑固な侍・伊武谷万二郎の二人の人生を軸に話は進みます。

幕末の時代が大回転していく中で、手塚・伊武谷の両人もその波に飲み込まれ、時に翻弄され、時に苦悩し、それでも人生と志を全うしようともがく個人を壮大なスケールで描いています。

僕にとっては数年に一度読み直したくなる漫画で、このコロナの外出自粛期間を良い理由に最初から最後まで読破しました。

読むたびに印象に残るシーンが変わるというのも、底知れない深みを持った物語という証拠ではないでしょうか。

物語の終盤、手塚良庵が西郷隆盛に対して言い放ちます。

「歴史にも残らねえで死んでったりっぱな人間がゴマンといるんだ!!!そんな人間を土台にした歴史に残る奴など許せねえ」

おそらく手塚治虫の念頭にあったのは、特に立派な政治家や偉人でもなかったけれど、世のため人のためと(当時なかなか理解されなかった)「種痘所」を江戸に開設しようと尽力した手塚良仙(良庵の父)のこと。そして歴史には残っていないけれど人のために力を尽くした小さな個人たち。

今後の人生で何度読み返すことになるのだろうと思うような物語です。

 

私の一冊

石川拓也

「ロックバー・ダイアリー」 フルハウス45周年記念ブック制作チーム 啓文社書房

「フルハウスの70年代叙情詩」と副題がつけられたこの本、実は僕と友人たちで作りました。

土佐町に移ってくる前のことです。フルハウスというのは千葉の稲毛駅前にある老舗のロックバーです。

2016年の時点で、開店してから45年。ずっと高山眞一さんというマスターが、愛するロックのレコードをかけながら続けてきているお店です。

学生運動が盛んだった時代には、千葉の早熟な学生たちが集まり、お酒を飲んでいたかどうかは知りませんが、わいわいと議論する場でもあったようです。

その常連さんの中からは寮美千子さんという泉鏡花賞を受賞された作家さんや、ミュージシャン/音楽プロデューサーのサエキけんぞうさんなどが輩出されています。

45年(2020年には49年)という長い年月をかけて、文化の発信地または文化の醸造場としての役割を果たしてきたフルハウス。

全国のバーやライブハウスと同様、フルハウスも今のこの時期はコロナ禍により苦しい時期だと思いますが、がんばって乗り越えましょう!という気持ちでここにご紹介です。

 

4001プロジェクト

野村昌子・中岡孝衛(地蔵寺)

 

地蔵寺の地蔵堂の前での一枚です。

野村昌子さんと中岡孝衛さん、両人とも地蔵寺の地元の方で、地蔵堂を大切に守ってきたお二人です。

土佐町オリジナルポロシャツ、今年度のバージョン背中の絵柄は「阿吽の大龍」。

絵のモデルとなったその龍の頭像があるのが地蔵寺の地蔵堂です。

地蔵堂と、頭像を製作した宮大工の西村福蔵さんのお話を伺いたくて、ある晴れた昼下がり地蔵堂の前で会っていただきました。

 

土佐町ポロシャツ2020販売開始です!

4001プロジェクト

上田隆俊 (相川)

 

お住いは相川の上田隆俊さん。嶺北観光のバスのドライバーをされています。

この写真を撮影したのは、朝6時55分、黒丸からバスが出発する間際の時間です。

このバスは毎朝黒丸を出発し、南川などを通りながら乗客を載せ、田井、そして本山町まで走ります。

嶺北観光のドライバーさんは前日の夕方に黒丸に到着し、宿泊所で一泊、そして翌朝こうして黒丸の乗客を迎えます。

町の人の大切な移動を支えている方々の一人が上田隆俊さんです。

 

土佐町のものさし

ブータン農業の父・西岡京治

*この記事は2019年12月に発行した雑誌「とさちょうものがたり zine 05」にて掲載したものをウェブ上にて再掲載したものです。「幸福度」による国作りを行う先輩としてのブータンの、価値観や文化を少しでも伝えるために執筆したものを、ウェブサイト上で公開します。

 

 

現在でも多くのブータン国民に愛され尊敬されている日本人がいました。

その名をダショー西岡京治といいます。

西岡氏は海外技術協力事業団に所属しブータンで活動した農業技術指導者であり植物学者です。1964年から亡くなる1992年まで一貫してブータンの農業開発分野で指導的な役割を果たしました。

そのブータンでの28年の間に、日本米品種の導入や、高収入が期待されるリンゴやアスパラガスなどの栽培の開始、農業機械センター・種苗センターの整備など、西岡氏の活動は多岐に渡ります。

そしてその活動のスタート地点にはいつでもブータンの人々と徹底的に対話し討論する西岡氏の姿があったそうです。 このページの写真はどれもパロ近郊の旧西岡邸のもの。

とても慎ましやかな、土と共に暮らした西岡氏の生き方が偲ばれます。 別の章にも書きましたが「ダショー」というのは「最高に優れた人」を意味する尊称です。

西岡氏は1980年に第4代ワンチョク国王から授与されました。普通はブータンの「だいぶ偉い人」に授与される尊称で、ブータン人以外に授与された人は、後にも先にも西岡京治氏ただひとりなんだそうです。

 

4001プロジェクト

西村郁也 (地蔵寺)

 

地蔵寺出身の西村郁也さん。この日は、郁也さんのお父さんである福蔵さんのお話を伺いに地蔵寺にて会っていただきました。

郁也さん自身も大工さんですが、福蔵さんは地蔵寺の宮大工を勤められていた方。

とさちょうものがたりがどんぐりやファーストと一緒に作っている土佐町オリジナルポロシャツ、今年の背中の絵のモチーフになったものが、福蔵さんが作った地蔵堂の阿吽の大龍です。

福蔵さんが長年住まい、郁也さんも育った地蔵寺のお家の前で撮影させていただきました。

 

土佐町オリジナルポロシャツは以下の記事から。販売中です!

土佐町ポロシャツ2020販売開始です!

 

土佐町ポストカードプロジェクト

2020 Mar. 中島観音堂

中島観音堂 | 町田碧峰

 

撮影地は、中島地区にある中島観音堂です。

ある小春日和の午後、町田碧峰(へきほう)くんに座ってもらい撮影しました。

コートもいらないくらいポカポカな日で、その場の空気も清涼で気持ちの良い時間。

中島観音堂は、折しも通夜堂修復のためのクラウドファンディングに役場の若手職員たちが挑戦中。(というよりもクラウドファンディングの写真を撮る際にこの撮影もさせてもらったのですが)

こちらもぜひ応援のほどよろしくお願いいたします!

 

 

 

土佐町のものさし

ブータンの家

 

※この記事は2019年12月に発行した雑誌「とさちょうものがたり zine 05」にて掲載したものをウェブ上にて再掲載したものです。「幸福度」による国作りを行う先輩としてのブータンの、価値観や文化を少しでも伝えるために執筆したものを、ウェブサイト上で公開します。

 

 

ブータンの伝統的な家屋は、想像以上に大きな2階建て。

2階に居間や寝室の住居スペースに仏間があり、1階には台所や牛舎が配置されています(近年では衛生上の理由から牛舎と住居を分離させる場合が多くなっているそうです)。

ブータンの家屋を新たに建設する場合には、木材と土壁による伝統的な工法で建てることが政府によって推奨されており、それは伝統的な民族衣装を着用することを(公務員などは特に)義務付けている動きと同様のものです。

そのようにしてブータン人の文化とアイデンティティを大切に引き継いでいこうとするブータン政府の姿勢が現れています。