石川拓也

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

石川拓也

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「空をゆく巨人」 川内有緒 集英社

噴火直前のマグマのようなエネルギーを感じる一冊です。

蔡國強さん(さい・こっきょう・ツァイ・グオチャン)といえば、現代アートの世界で知らない人はいないぐらい世界的評価を受けている芸術家ですが、彼が無名の若者だった頃から、とても力強いサポートをし続けていた実業家がいました。福島県いわきに在住の志賀忠重さんという方です。

この本は、そのふたりの出会いと絆を追ったもの。

一見、無茶と思えるような蔡さんのビジョンや計画を、志賀さんと、時にはいわきの人々と一緒に乗り越え実現させていく様子が詳細に描かれています。

蔡さんは、いわきの人々に支えられながらアート作品を具現化し、それが蔡さんが世界的に評価を受けるきっかけにもなったのですが、志賀さんをはじめとしたいわき陣も、「サポートしている」という感じでもなく、「一緒になって遊んで楽しんでいる」とでもいうような軽快さがあったようです。

何か大きなプロジェクトが、参加している人たちにとってはあんまり意味はわかんないんだけど、大きな熱気や大きな流れとなって実現に一気に向かう様子が爽快です。

得体の知れないものが実現しようとしているという感覚は、人々の助けを借りないと完成できないような大きなアート作品にとっては、参加する人々のひとつの強い理由になるのでしょうし、単純に楽しそうだなと思います。

蔡さんが世界を相手にぐいぐいと快進撃を続け、それとともに活動範囲もどんどん広がり、蔡さんの作品制作をサポートするいわきの人々も世界の美術館に赴いて制作を行う。現地の美術館関係者には「チームいわき」と呼ばれながら。

最高かよ、と唸ってしまう関係ですね。

 

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土佐町のものさし

【番外編】ブータン・GNHレポート No.7 | タラヤナ財団

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 土佐町の新しい指針を作る過程を追う「土佐町のものさし」、今回は【番外編】として、GNHの産みの親であるブータンのGNHの現状を、とさちょうものがたり編集長である石川がレポートします。

 

6.  タラヤナ財団(続き)

前回の記事はこちら

タラヤナ財団は、2003年に発足した 公益法人(Public Benefit Organization)。設立者は王女の母であるアシ・ドルジ・ワンモ・ワンチュク。その運営にはブータンの王族が深く関わっています。日本語では「タラヤナ財団」と呼ばれることが多いようです。

タラヤナ財団ウェブサイト

 

前回に続いてタラヤナ財団の活動の話です。

説明してくれたのはタラヤナ財団のタシさん(Tashi Dolma)とツェリンさん( Tshering Yuden)

 

 グリーン・テクノロジー(Green technologies)

車が通れる道から歩いて6時間。そんな立地の隔絶された村は、ブータンでは珍しくないそうです。モンスーンの時期には特に、完全に周囲から孤立し外部からアクセスできなくなるような山間の小さな集落。

そういった場所に住む人々の環境を改善することも、タラヤナ財団の大きなミッションの一つです。そのための手段が「グリーン・テクノロジー」。

環境に負荷をかける発展は、「国民幸福度」の観点から持続可能性が十分とは判断されず、そのために環境に負荷をかけないグリーン・テクノロジーの様々な技術が期待され使用されています。

具体的には、マイクロ水力発電、ソーラードライヤー、エコサントイレ(Eco-san toilets)などなど。環境に優しく維持費もかからず、なおかつ人々の生活環境を改善するための技術を普及する活動を行なっています。

 

 コミュニティ・ラジオ(Community Radio)

「健全なコミュニティにとって、「正確な情報」はきれいな水と同じくらい重要なものである」

この言葉に表されるように、タラヤナ財団はブータン国内の情報格差を解消しようとしています。具体的な手段としては、ラジオを国内の隅々に普及させること。

正確な情報へのアクセスを平等にすることで、特に貧困層と社会的少数派の人々が、政治の意思決定のプロセスから除外されないようになるのが最終的な目的です。

 

 タラヤナ・クラフト (Tarayana Rural Craft Outlets)

 

最後になりましたが、これがタラヤナ財団の活動の中でも、個人的に一番紹介したいものです。

前回の記事にタラヤナ財団オフィスの外観の写真を掲載しましたが、その右手にはタラヤナ・クラフトという財団が運営するクラフトショップがあります。

ここで販売しているものは、タラヤナ財団が企画開発したオリジナルの雑貨。その材料の多くを、ブータンの貧しい地域の人々から仕入れることで、少しでも経済的格差を解消しようというものです。

例えばイラクサを使用したバッグやテーブルクロスなどを販売していますが、このイラクサを織って布にするところまでが貧しい地域の人々の仕事。そしてその後のデザインや縫製をタラヤナ・クラフトのメンバーが行うという仕組みです。

ショップの裏手では、グッズの制作が行われています。右手の女性がアイロンをかけているバッグは、イラクサを編んだ布を材料にしたもの。農村地帯の人々が現地で編んだ布がここに送られてきます。デザインや縫製はここでの仕事。

この女性が作っているのはヤクの毛で作った動物のぬいぐるみ。ブータンに実際にいる動物たち、ヤクや鶴、犬などがモチーフになっています。

ひとつずつチクチク作る作業は気が遠くなります。

 

ここにGNHの大きなポイントがあると個人的には思いました。つまり、具体的な活動や物品などがあってこその「幸福度」。「幸せになりましょう」という言葉は、もちろん真理であり最終的な目標でもあるのでしょうが、手段の伴わない目的は、ただの空虚な言葉になってしまいます。

例えばタラヤナのこのショップに並べられた商品ひとつひとつの後ろには、GNHの理念が背骨となってその成立を支えているわけです。ですがGNHになんの興味がない観光客が「これいいね!」と言って買っていってもいいわけです。ここで大事なことは「これいいね!」と手に取ってもらえるようなモノを作れるかどうか。

そして全ての人にわかってもらえなくても、仕組みとしてGNHの理念がそのモノやコトの成立のためにエンジンとして動いていることではないでしょうか。

 

 

 

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私の一冊

石川拓也

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「土佐の民話」 市原麟一郎 土佐民話の会

市原麟一郎さんは高知の宝だと思っています。

本当に長い年月、高知の民話を集めてまわり、この雑誌「土佐の民話」のように出版して次世代に残してくれています。

以前とさちょうものがたりにて、市原さんが収集した土佐町の民話を転載したいことがあり、ご本人にお電話したことがあります。

事情を説明すると快く了承していただきました。とても気持ちの良いやり取りをしていただいて感謝しています。

民話や神話を収集し、誰もがアクセスできるように出版するということが、後世の人間にとってどれほど大きなことか。

「人間を人間たらしめるのは物語だ」「人間のアイデンティティは物語によって作られる」などなど先人の言葉は完全な真理だと思っています。

そういえば、最近はまって観たドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」も最後は「物語」がキーワードになります‥が、ネタバレ注意でこれ以上は書きません。

話が思いっきり脱線しましたが、「神話や民話を、人が省みることがなくなる国は、そう遠くないうちに滅ぶ」とも言われています。

個人を超えて種として「私たちは、どこからどのように来たのか」ということがよくわかっている人こそが、「私たちはどこへ向かうのか」という問いにも良い答えを導き出せるのではないでしょうか。

 

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土佐町のものさし

【番外編】ブータン・GNHレポート No.6 | タラヤナ財団

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 土佐町の新しい指針を作る過程を追う「土佐町のものさし」、今回は【番外編】として、GNHの産みの親であるブータンのGNHの現状を、とさちょうものがたり編集長である石川がレポートします。

 

6.  タラヤナ財団

 

タラヤナ財団は、2003年に発足した 公益法人(Public Benefit Organization)。設立者は王女の母であるアシ・ドルジ・ワンモ・ワンチュク。その運営にはブータンの王族が深く関わっています。正式名はタラヤナ・ファウンデーション(Tarayana Foundation)ですが、日本では「タラヤナ財団」と呼ばれることが多いようです。

タラヤナ財団ウェブサイト

 

首都ティンプーにあるタラヤナ財団の本拠地

 

タラヤナ財団の活動は驚くほど多岐に渡りますが、その全ての活動の根本にある考え方は「国民総幸福度」。

経済的・物質的な豊かさを闇雲に追いかけることを目的にしない「幸福度」による社会、つまり国民総幸福社会(GNH:Gross National Happiness Society)の実現がタラヤナ財団の大きな目的であり、そのための実践の機関なのです。

*念のために付け加えておくと、国民総幸福度は「経済的・物質的な豊かさは必要ない」という考え方ではありません。むしろその逆で、「経済的な発展」を成し遂げながら、全体として国民の幸福度を上げていく。経済的な価値を優先し過ぎて、コミュニティや環境など人間の幸福のために必要な要素を壊すことがあってはならないという考え方です。

 

その理念は一旦横に置いておいて、タラヤナ財団の具体的な活動の内容を聞きました。

 

タラヤナ財団のミーティングルーム

 

 

 マイクロ・ファイナンス(Micro Finance)

「貧者の銀行」と呼ばれるマイクロ・ファイナンス。バングラデシュのグラミン銀行とムハマド・ユヌスが2006年にノーベル平和賞を受賞したことで世界的な注目を集めましたが、タラヤナ財団も2008年よりマイクロ・ファイナンスを行なっています。

マイクロ・ファイナンスの特徴は、特に貧困層の小さなビジネスを対象にしていること。仕事をする意欲があるにも関わらず何らかの問題があり貧困に苦しむ個人に対して、年率7%の条件で小口融資を行なっています。

これにより通常の銀行では借り入れができなかった小規模農家や職人などが、小規模ビジネスをスタートして維持できるようになりました。貧困層に向けて補助金などを「与える」のではなく、彼らが自活しビジネスを回していけるような手助けをするという意味で、マイクロ・ファイナンスは本来の意味での「貧困の解決」に近い手段として期待されています。

蛇足ですが、マイクロ・ファイナンスは通常の銀行の借り入れと比較して、返済率が圧倒的に高いそうです。理屈はわからないのですが、感覚的には理解できるような気がします。

 

 家の建設 (Housing Improvement)

「家屋が最も重要な生活の基盤である」という考えのもと、タラヤナ財団は貧困地区の住環境を改善するプロジェクトを継続して行なっています。

現地調査を行い地域住民と財団本部をつなぐ橋渡し役として、現在13人の現地調査員(Field Officer)が現場で働いています。(その人数は全く足りていないので、近い将来には一県に一人の調査員がいることになるそうです)

その調査員が現地で聞き取り調査を行なった上で、家屋の状況に深刻な問題がある家庭を優先しながら、新たな家屋を建設するというもの。

その資金はタラヤナ財団が海外のファンドから調達しているそうです。タラヤナ財団とファンドが信頼関係を結び、長期的な視点に立ってタッグを組み進めているプロジェクト。

僕がタラヤナ財団を訪問した2019年2月は、2018年度のプロジェクトが完了し、資金提供者であるファンドに対してレポートを作成中というタイミングでした。

2018年度にはブータン全土で500軒の家を建設し、詳細な資金の使途をファンドにレポートする。その上でファンドから「公正で効果的なプロジェクト」と承認されれば、また来年度も500軒の家を建設するということです。

別の機会に、ブータンの家の建設現場を見ることがあったのですが、ブータンでは家の建設は親戚や隣近所が集まって行うのが一般的。

もちろんそこには指導的な立場で大工さんがいます。その現場には、土壁の専門家と木材の専門家の二人がいて、その二人が施主本人とその家族親戚を指導しながら建設していました。

その際、専門家以外のメンバーは、報酬の出る仕事というよりも「お互い様」といった感じで手伝いにきている。あっちの家を今年建てたので、来年はそっちの家を建てる、という順番でやっているという話を聞きました。

ですので、これは推測ですが建築資金というものはそれほど莫大なものではない。土壁の材料である土も現場の土を掘ってました。しかしそれも難しい貧困地帯に、きっかけとなる資金を提供して、現場では村の衆が集まりみんなで作っていくというやり方のようです。

基本的には財団やファンドから全てを与えるのではなく、「できることは自分たちで」。そしてそのきっかけとしての資金や人材を提供するという形です。

 

現在、現地調査員(Field Officer)が常駐している地域を指し示し説明してくれました。首都ティンプーのヘッドオフィスには  人のスタッフが働いており、加えて13人の現地調査員が地域で働いているのだそう。

「まだまだ人数が足りないので、特に地域調査員の増員に注力しています」

タラヤナ財団の話は少し長くなりそうなので、次回に続きます。

 

 

 

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4001プロジェクト

水野和佐美・竹政禮子 (南川)

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南川での味噌作りの現場での一枚。

南川では冬の一時期にお母さん方が集まって、年に一度の味噌作りを行っている。

その名も「南川百万遍味噌」。これ本当に美味しいのです。

写真はその作業の中心的存在の水野和佐美さんと竹政禮子さんのお二人。作業中、少し息を抜いた時の一枚です。

 

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私の一冊

石川拓也

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「なぜ人と人は支え合うのか」 渡辺一史 筑摩書房

土佐町のロゴを作ってくれたデザイナーであり友人である品川美歩さんが薦めてくれた一冊。

著者は「こんな夜更けにバナナかよ」という本で障がい者介護の現実を描いた渡辺一史さん。その渡辺さんが、2016年に起きた相模原障害者施設殺傷事件後の障がい者を取り巻く現実を書いた一冊です。ちなみに「こんな夜更けにバナナかよ」は大泉洋主演で映画化されています。

この本で主に書かれているのは、いわゆるステレオタイプや聖人君子的なイメージに縛られた障がい者像ではなく、個性が強く周りとのぶつかり合いも辞さない障がい者の面々。

筋ジストロフィーなどの病気により、24時間の介護が必要な人たちが、自身の自立(「自立」というのは本書では「自分の意思で決定できること」と定義されています)を勝ち取っていく様を数多く紹介しています。

障がい者だからどうこう言う前に、人としてかっこいい人たち。そんな人たちが何十年もの間、社会と戦って権利を勝ち取り、現実を変えた例が多く出てきます。

一例として、70年代には車椅子の障がい者はバスに乗るな、電車にも乗るなという風潮がある中で、そんな現実と戦って変えてきたのは他ならぬ障がい者たち自身だったこと。

その戦いがあればこそ、現在ではノンステップバスが普通のことになっていますし、「車椅子は電車に乗るな」なんてことは口にしただけで常識を疑われる世の中になっています。

長くなってしまって恐縮ですが、もう一つ著者が終盤あたりで触れた言葉「私たちはポスト制度化の時代を生きている」。

これは全てにおいて言えることですが、例えば先のバスの例で言うように、戦って新しい制度(システム)を勝ち得た世代というのは本質的に物事の全体像がよく見えている。

対して、その後の制度の中で育った世代というのは、蛇口をひねれば水が出るように、制度があることを当たり前として捉えて本質や全体が見えにくくなっている。つまり、より本質に届きにくくなっている。

「ポスト制度化の時代を生きている」私たちは、想像力を使って制度やシステムを解体しながら前進していく術を磨く必要があるかもしれません。

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土佐町ポストカードプロジェクト

2019 Apr.

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立割

 

立割での春の夕暮れ。

日本屈指のあか牛生産地である土佐町。立割にも牛舎がたくさんあります。

この季節、牛舎には必ずツバメの巣がいくつもあり、ひな鳥がピヨピヨとエサを求めて鳴いています。

写真はひなにエサを与えて、また飛び立つ親鳥。春の土佐町の風景。

 

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私の一冊

石川拓也

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「サカイ」 公益財団法人堺市文化振興財団  季刊誌2018年冬号 Vol.4

 

大阪の堺市が発行しているPR誌です。

縁あって、定期的に撮影の仕事をさせていただいています。

堺というのは知れば知るほど興味深い街で、江戸時代の大都会であり、千利休の本拠地、刃物の町、与謝野晶子も堺です。

表紙の自転車は、堺市の自転車博物館で撮影したものです。

自転車の製造も盛んだった堺市から、まだ幼き日の昭和天皇に献上されたもので、実物はおそらく皇居に保存されているのでしょうが、そのレプリカです。

がっしりした鉄の重厚感と、時代を感じさせるデザインに何か懐かしさを感じます。堺の自転車職人さんたちの技術の粋が結集した一品なのでしょう。

そういえば以前この欄で紹介させていただいた、南一人さんのお父様である画家の南正文氏も堺の在住で、堺市には多くの作品が保存されているということを聞きました。

堺とは何かしらの縁を感じています。

南一人

 

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土佐町のものさし

【番外編】ブータン・GNHレポート No.5

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 土佐町の新しい指針を作る過程を追う「土佐町のものさし」、今回は【番外編】として、GNHの産みの親であるブータンのGNHの現状を、とさちょうものがたり編集長である石川がレポートします。

 

5.  シュラブッチェ大学

 

シュラブッチェ大学は、ブータンの東端にある総合大学です。

シュラブッチェ大学

ご存知の方は多いと思いますが、ブータンは自由旅行が基本的に制限されています。他の国のようにふらっと訪れて、行きたいところに気ままに赴くという旅行は現実的にはできません。

また、ブータンという国は空の玄関であるパロ国際空港と首都のティンプーが西側に位置するため、その周辺は比較的移動しやすいのですが、そこから国を横断する形で東側に渡ることは、なんらかの公式な名目や招待が必要になります。

幹線道路(と言っても相当な山道ですが)に幾つもある検問で、正式な通行許可証を提示しながら西から東へ行くことになります。

今回の大きな目的地であったシュラブッチェ大学は、京都大学東南アジア地域研究研究所が長い時間をかけて培った信頼関係のもと、お互いの人的交流を定期的に維持していく体勢が整っているためこの訪問が実現しています。

シュラブッチェ大学学長(左)が歓迎してくれました

 硬い話になりましたが、大学の話。

シュラブッチェ大学の学生たちが、京大の学生の訪問を歓迎してくれました。ホールに集まり、お互いの国のことを紹介するプレゼンをします。

ブータンの大学生に京大の学生がプレゼン中

最後はヨサコイで締める

ブータンの学生も最後は踊りで締める

現在の生徒会長。初の女性会長だそうです。

図書館

図書館にも行きました。とさちょうものがたりZINEがシェラブッチェ大学図書館の蔵書に加わりました。

 90分の講義

僕がカメラマンだと知ったシェラブッチェ大学の学長さんが「うちはメディア学部があるから、学生と話してみてほしい」と言われました。そんな楽しそうなことはぜひ!ということで、時間を作ってもらいました。

勝手なイメージでは学生5,6人を相手にiPadでも囲みながら、なんて考えていたのですが、実際にはメディア学部の3,4年生全員の50人ほどでした。この人数だと講義みたいになりますね。

左下の撮影しているのはメディア学部4年キンガ・プンツォくん

「キネマ土佐町」全4篇を観てもらいました。静かに喰い入るように観てくれました。土佐町の自然がブータンに似ている、とは多くのブータン人が同意するところ。

撮影:赤松芳郎さん(東南アジア地域研究研究所)

大筋では土佐町の仕事を紹介しながら、「機材や印刷技術や情報が(おそらく日本よりは)乏しいであろうブータンでも、工夫次第でアイデア次第で、手作りで作りたいものを作れるんだよ」ということを伝えたかったのです。

彼らが使っているカメラも日本製がほとんどですが、「日本の技術すごいでしょ」ではなく、「ブータンで彼らが映像を手作りして発信するということがどれほど可能性のあることか」ということを伝えたいと考え、気がついたら90分があっという間に経っていました。

 ブータンのおおらかさ

もう一つ印象に残ったことは、ブータンの人々のおおらかさ。

「キネマ土佐町」をプロジェクターで流すため、大学のパソコンを使ったのですが、これがなかなか上手くいかないのです。

上映を開始した途端に止まってしまったり、やり直したけれど今度は映像がカクカクして観れるレベルではなかったり。

集まった学生と先生の方からすると、モタモタしている時間だったかもしれません。

僕も日本で同じことが起こったら、確実に焦る状況だったかと思いますが、自分でも不思議なくらい焦ることなく上映を終えました。

その理由を後になって考えてみたのですが、きっとこれはブータンの人々の醸し出すおおらかな空気のおかげと思います。

なんとなく、何が起こっても大丈夫、というような雰囲気が、その場に充満していたことが理由だと思います。

翻って考えてみれば、なんでもカチカチきっちりとやろうとする日本の空気も、もちろん悪いことではないと思うのですが、行き過ぎるとそこに生きる人間を息苦しくさせてしまうということも、昨今の日本に関しては言えるのではないでしょうか。

 エンペラーを撮影したことありますか?

質問タイムでは、技術的なこと(例:星にピントを合わせる方法は?)とか、もう少し精神的なこと(例:テーマを決める時にどんな風に考えますか?)とか、様々な質問が出ました。

面白かったのは、「日本の天皇陛下(エンペラー)を撮影したことありますか?」という質問。

その時は意図が十分わからなかったのですが、後から考えてみたところ、この質問の背景にはブータンの写真産業の現状がよく表れているのではないかと想像します。

ブータンはどんな田舎の町に行っても、王様の写真をよく見ます。国民が王様を心から敬愛しているのを目の当たりにするのですが、おそらく現在のブータンの写真・映像産業の中で、最高のステータスがある仕事が、「王様を撮る」ものなのではないでしょうか。ブータンの人から見ると「天皇=日本の王様」ということでこの質問が来たのではないかと思っています。

ここにも国民性が現れて面白いですね。

記念撮影  撮影:竜野真維さん

冒頭で書いたように、京大とシュラブッチェ大学の交流は今後も続いていきます。今回とは逆に、夏には京大の招きでシュラブッチェ大学の学生が2人、日本を訪問するそうです。その時にはもしかしたら、土佐町にも足を伸ばしてくれるかもしれません。

土佐町とブータンの縁も、ゆっくりと繋がっていけるとうれしく思います。

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私の一冊

石川拓也

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「怖い絵 死と乙女編」 中野京子 角川文庫

この欄で以前も別の本を紹介したことがありますが、中野京子さんの「怖い絵」シリーズはハズレが一冊としてない名シリーズです。

西洋アートの歴史の中で名作と謳われる絵画の数々。その中から、時代背景や作者の意図や、その他諸々、実は「怖い」という絵を丁寧に一作ずつ紹介しています。時の権力者を描いたものなど、政治と密接に絡み合ってる作品が多いので、西洋史としての本とも言えるものです。

中には意に染まぬ権力者からの依頼を断れずに、画家が人知れず絵に含ませた謎解きのような寓意。もしくは絵の中の主人公が辿った悲劇的な運命。

画家の技巧が巧みな分、画面に霊魂を感じさせるような凄みがまた怖さを募らせる一冊です。

 

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