とさちょうものがたり

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

藤原美穂

「宙ノ名前」 林完次 光琳社出版

 

日本には、昔からのその物を表現する、美しい名前がある。
色、四季、空、月、星などに関する物の名前、他にも色々あるだろうが、それらは独特の名前や言いまわしで、ある時は、詩情豊かに、ある時は日常生活にも寄り添って使われている。
この本は、その中の月に関する物で、天体写真と解説を読む事で、リラックスし至福の時間を持つ事が出来る。
音楽と共に読みたい本なのである。

藤原美穂

2019年の土佐町ポロシャツをただいま絶賛制作中!

下田昌克さんが描いてくれた「土佐町の動物シリーズ」のミミズクが、背中でグッと睨みをきかせます。

 

胸の「とさちょうものがたり」のロゴを常に同じ位置に印刷できるように、どんぐりの寿光さんときほさんと、ああでもないこうでもないと相談しながら考えた道具がこちら。

ポロシャツのボタンホール下にある横の縫い目と、ダンボールで作ったものさしの横の直線を重ね、左身ごろの真ん中にロゴがくるように置きます。

 

 

版の枠につけたテープに描いた赤い線とダンボールものさしの直線とが合うように版を置きます。そうすることで常に同じ位置にプリントすることができるのです。

 

 

できたポロシャツは、和田守也土佐町長の元へ!

 

 

「大事に着ますね!」と高橋昭雄副町長。

 

総務企画課吉村雅愛課長は「ありがとうございます!」と受け取ってくれました。

 

先日、ミミズクのポロシャツを着ている人の姿を見かけました。「中学校の先生が着ちょったで」と教えてくれた子がいました。やはりとてもうれしいことです。

町内のお店にもポスター・チラシを届けさせていただいています。

ポロシャツは注文していただいた順番に制作し、お届けします。

みなさまからの注文をお待ちしています!

 

土佐町ポロシャツ2019販売開始です!

くだらな土佐弁辞典

しんき

しんき

【名詞】 新品

▼使用例:

「テレビ壊れたからしんきにしよ」
(テレビ壊れたから新品にしよう)

 

私の一冊

藤原美穂

「アンネの童話」 アンネ フランク著, 中川 李枝子訳 文藝春秋

小学生で、アンネの日記を読んだ時、戦争の恐ろしさを感じた。感じただけで、解るはずもかったであろうが、それくらい日本は平和なのである。
大人になって、この本が出ると直ぐに購入して読んだ。
才能溢れる彼女の、文章を読んで、ただ可愛そうだけでは済まされないと思った。

忘れない事、伝えて行く事、それが大事な事である。

藤原美穂

 

  土佐町オリジナルポロシャツ2019バージョン、販売開始です!!

ちょうど1年前のこの季節に、とさちょうものがたりと障がい者就労支援事業所どんぐりとのタッグが始まりました。

シルクスクリーンで印刷して、ポロシャツ・Tシャツ・トートバッグなどなどの制作販売。

おかげさまで町内外のたくさんの方々に支えていただき、合計1115枚の販売を行うことができました。ありがとうございました!

 

⬇︎これが昨年のポロシャツ販売のお知らせ

【販売開始!】とさちょうポロシャツ2018

⬇︎これが昨年度の結果発表

1年間の結果報告 | シルクスクリーン

 

 そして本題! 2019バージョン・土佐町オリジナルポロシャツ

2019年は「土佐町の動物シリーズ」!

背面の絵は昨年と同様、下田昌克さん。 シルクスクリーンによる印刷は、土佐町の障がい者就労支援事業所「どんぐり」 のメンバーさんが行います。

左胸には、これも昨年と同様「とさちょうものがたり」のロゴマークを印刷しています。

 

 土佐町ミミズク

今回のこの背中の絵、フクロウではなくミミズクです。あ、どっちでもいいですか?

この絵が生まれたきっかけは、今年2月に下田さんが来町されたときのこと。上津川の高橋通世さんのお家を一緒に訪問しました。

 

そのときふと土佐町の動物の話になり、「この辺りにはどんな動物がいますか?」という話になり、通世さんから「ミミズクやったら、うちにおるで!」という答えが返ってきたのです。

そして見せていただいたのは、小さなミミズクの剥製。

ある日、通世さんが近所の林道で車を走らせていると、道路上で息絶えていたミミズクを見つけたのだそう。そのミミズクを剥製にしてもらってこうしてお家に置いてあったのだそうです。

左:下田昌克さん 右:高橋通世さん

なぜか少し怒ってるミミズク

とさちょうものがたりの作業場で原画を描く下田さん。

 

 

通世さんからミミズクをお借りして、とさちょうものがたりの作業場で下田さんは一気に原画を書き上げました。

その間、ものの30分ほど。画用紙には瞬く間にちょっと怒った顔をしたミミズクが現れました。

 

 シルクスクリーン印刷はどんぐり

実際にシルクスクリーンの印刷を行うのは、障がい者就労支援事業所「れいほくの里 どんぐり」のメンバーさんたち。

昨年の一年間を通して、1,000枚以上を印刷した彼らの手で今年もやります!

 

 カラーは全12色!

 

*3L以上のサイズはお問い合わせください。

ご注文・お問合せはお電話またはメールにて!

電話 0887-82-0480  (土佐町役場総務企画課)

メール   info@tosacho.com

ご注文の際に、⬜︎お名前 ⬜︎住所・連絡先 ⬜︎枚数 ⬜︎色  ⬜︎サイズ をお知らせください!

*受注生産ですので、 ご注文をお受けしてからお渡しまで約2週間ほどいただいています。ご理解いただければ幸いです。

 

土佐町内と近隣の方は、土佐町役場2F・総務企画課窓口での受け渡し・お支払いをお願いします!

 

 ここから下は、遠方の方・郵送で受け取りたい方へのご案内です。

 

メール・または電話での注文の際に「郵送でのお届け」ご希望の旨をお知らせください。

 

お振込先の口座は以下になります。

 ゆうちょ銀行

【記号】16480 【番号】15483051 【名義】カゼ

 他金融機関からのお振込み

【店名】六四八(読み ロクヨンハチ)【店番】648 【預金種目】普通預金 【口座番号】1548305 【名義名】カゼ

ご質問などはお気軽にお問い合わせください。みなさまからのご連絡をお待ちしております!

運営者情報

「とさちょうものがたり」は任意団体「風」(代表:鳥山百合子)が運営しています。

住所:〒781-3401 高知県土佐郡土佐町土居257-3

電話:0887-82-0480 土佐町役場総務企画課

 

くだらな土佐弁辞典

かく

かく

【動詞】 持つ

▼使用例:

「ちょっと、机かいて!」

(ちょっと、机持って!)

 

3月18日〜3月30日、ハンガリーからやってきた高校生のカヌー選手たちが土佐町に滞在していました。

2017年にハンガリーから土佐町へ移住したカヌーの世界チャンピオン、ラヨシュ・ジョコシュさんと共にさめうら湖で練習を積みながら、高知県や嶺北ならではの場所へ足を運び、とても良き時間を過ごしていたようです。

その高校生たちに「土佐町のお土産として、ポロシャツとトートバックをプレゼントしたい!」と土佐町教育委員会から声がかかり、早速制作に入りました!

チームカラーがグリーンということで、緑色のポロシャツにプリントしました。2018年土佐町オリジナルポロシャツのデザイン、下田昌克さんが描いてくれた「土佐町の春の食べもの」をプリントしました。

そして、トートバックも。たくさん荷物が入る方がいいだろうと、マチ付きタイプを選びました。こちらもチームカラーに合わせてインクはグリーンで!

 

高校生6人とコーチへの贈りものができあがりました!

 

 

土佐町の風景やこの地で生きる人たちの姿を伝えたいと、とさちょうものがたりZINE02号も一冊ずつプレゼント。

 

高校生たちの練習の場であったさめうらダム湖。編集長の石川が撮影したさめうらダム湖のポストカードに、選手ひとりひとりへメッセージを書きました。

最初にある「Kedves」は、英語でいうと「Dear」。

「ハンガリーから土佐町にきてくれてありがとう! 広い広い世界の中で、あなたとご縁ができたことをとても嬉しく思っています。 またいつでも土佐町に来てくださいね。お待ちしています。」
と書いてあります。

うーん、ハンガリー語は難しい!
選手たちの食事を作ってくださっていた須崎在住の竹崎エルジェーベトさんに、ハンガリー語の文章がこれで合っているか見てもらいました。

 

このポロシャツとトートバックを制作したどんぐりの寿光さんときほさんを紹介し、和田守也町長から手渡されるとみなさんとても喜んでくれていました。

海を渡り遠くハンガリーで、このポロシャツやトートバックを使う人がいると思うととてもワクワクします。
受け取った選手やコーチが心から喜んでくれている姿を見ていて、シルクスクリーンを始めて本当に良かったと思ったのでした。シルクスクリーンが人と人をつなぎ、町と国をもつなぐようなものになるとは、始めた時は考えてもみませんでした。

 

(写真左からLajos Gyokos, Pusztay Istvánコーチ, Csanki Márk Bese, Kardos Levente, Tóth Bálint, Révész Péter, Nagy Bianka, Molnár Csenge )

最終日の午後、高知市へ観光へ行った選手たち。高知城で早速ポロシャツを着てくれたそうです。なんてうれしいことでしょう!涙が出てしまったくらいです(笑)。

高校生たちはハンガリーのジュニアのトップ選手たちなのだそうです。2020年東京オリンピックのハンガリーの代表選手になるかもしれませんね。楽しみです!

宿泊先のおこぜハウスにて

ハンガリーの皆さん、お食事を作ってくださった竹崎さん、またいつでも土佐町に来てくださいね!ありがとうございました!

 

くだらな土佐弁辞典

おっこう

おっこう

【形容詞】 大げさな、派手な

▼使用例:

「そんな、おっこうにはせん」by Ikko
(そんな大げさにはしない)

 

私の一冊

南一人


「よろこびの種を 南正文画集」 南正文 万葉舎

 

「しないとできないは違う」

僕の父がよく言っていた言葉でした。新しい事を挑戦するときは不安や出来る事の保証が無い事に時間を費やすかもしれない言う思いから物事を始める前に

「無理、出来ない」

と、口走りがちでした。しかしそれこそが何も生み出さない自分への楽な逃げ言葉だなと父の言葉から気付かされました。

僕の父である「南 正文」は小学3年生の時に父親の製材所での事故で両腕を失いました。その時代は救急車もなく仕事用のトラックで病院に運ばれました。何とか息子を助けて欲しい言う祖父母の願いに医師は

「命は助かっても両腕無しでは生きていく事さえも・・・」

このまま処置しないほうが良いと提案を出されました。しかし祖父は

「命だけはどうか助けてください!!」

と土下座をして悲願したそうです。

一年後何とか一命を取り留めた父は自宅に戻りました。トイレもご飯も着替えも自分一人では出来ない。今まで普通に出来た事が何一つ出来ない現状を突き付けられました。

何にも出来ない、生きていても仕方ない、生きていくのが辛い・・・

そんな事を思う日々が続きました。

しかしそんな父に転機が訪れます。中学2年生の14歳の時に京都山科にある仏光院にいる尼僧「大石順教尼」に出会った事です。大石順教尼も父と同じく両腕が無く、幼い頃自分の父親に両腕を日本刀で切り落とされた過去がありました。

一緒の境遇で育った人に初めて会ったせいか父の口から出るのは弱気な言葉ばかりでした。

「あれもこれも出来ない、僕は何も出来ない」

そんな父の言葉に大石順教尼は静かに言いました。

「私の弟子になりなさい。ただしそれには条件がある。一人でここまで通いなさい。口で絵を描きなさい。それが守れるなら弟子にする。」

その当時大阪の堺から仏光院までは約3時間。電車バスを5回も乗り換えなければなりませんでした。もちろん切符を買うには他の人に頼まなければならなかったのです。見知らぬ人に勇気を振り絞って声をかけると両腕がない父を見て、気持ち悪がって逃げる人、怒鳴る人、優しく切符を買ってくれる人、次の乗り換え場所までついてきてくれる人や色んな人に出会いました。

「世の中には色々な人がいる。切符を買ってくれた人も買ってくれなかった人も自分にとってみんな先生なんだよ。」

と、大石順教尼は教えてくれました。

「禍福一如」(かふくいちにょ)

大石順教尼は折に触れてその事を教えてくれました。

「両腕がないから不幸なんじゃない。考え方一つで幸せにも不幸にもなるんだよ」

父は生涯この「禍福一如」を心に持っていました。何か嫌なことがあっても

「こうやって勉強させてもらってる」

と、笑顔で言い人に酷いことを言われても嫌な目にあっても

「こういう事は人にしてはいけないとこうして嫌な役をして僕たちに教えてくれている」

そう家族によく言っていました。
本当に父は腕がないと言う事に負い目や悔しさを感じさせず愚痴をこぼすのを聞いたことがありませんでした。実際その生き方が素直に出ているせいか本当に両腕が無いと感じさせない人でした。僕自身も一度重い荷物を持っている時に父に

「ごめん、ちょっと手を貸して」

と言ったことがあり父は

「ごめん、手は無い」

と笑いながら返されたことがありました。

僕自身両腕がない人生と言うのは考えられず何故父がそう言う風に考え生きていけるのかが不思議で仕方ありませんでした。しかし父はいつでも毅然と

「僕は両腕がない障がい者だけど、心の障がい者にはなりたくない」

と、言っていました。そんな父だからこそ色々な職種、性別、国籍の方が父を慕って会いに来てくれたような気がします。人に対して常に優しくあった父の生きてきた姿勢は一枚一枚の絵に溢れています。その生き方の軌跡とも言える絵をこれからも沢山の方に見て頂ける事が私達家族の今後の役割だと思います。決して楽な道のりではではないと感じていますがその時はいつでも父の言葉

「しないとできないは違う」

を思い出し活動していきます。皆様に父の作品をご紹介できた時、その作品で心の中に何かを感じ取って頂ければ幸いです。

 

南一人

大阪府枚方市出身 高校卒業後単身オーストリアへ。その後、料理を学ぶ為渡英。帰国後はサービスの勉強の為ホテルで婚礼サービスの仕事に従事。レストランやカフェでの仕事を日本各地で行なっていたが父の勧めもあり帰阪。どうせならと飲食の世界から離れサラリーマンに。 父の死後、自分の生き方に疑問を感じサラリーマンを辞め仏門へ。その後、長年の友人の手伝いの為に高知県に。短期滞在の予定だったが色々な縁が繋がり嶺北に定住。料理人の道に戻り地元食材を使ったラーメンやお土産を開発したりを行なっている。