鳥山百合子

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「国旗のえほん」 戸田 やすし 戸田デザイン研究室

ページを開くと世界の国々の国旗が描かれている本。お話が書いてあるわけじゃないけれど子どもたちはこの本がとても好きです。下の国名を隠して「この国旗はどこの国?」とクイズをしたり、紙を切り、国旗の模様を描きうつして旗を作ったり。

スイスやアメリカの国旗はわかりやすいけれど、ラグビーボールのような形の盾と槍が描かれている「スワジランド」、爪で丸い何かを握っているような龍が描かれている「ブータン」(調べてみると握っているように見えた何かは、「龍の爪についているのは宝石で富の象徴」なのだそうです)。

他にも「アンティグア・バーブーダ」や「セントクリストファー・ネイビス」など、長い名前の国もあります。その国を探すために地球儀とセットで楽しむのがおすすめです。

鳥山百合子

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「魔法のびん詰め」 こてらみや 三笠書房

紅生姜、いちごミルクジャム、ニンニク味噌、おかずきのこ…。今まで何度、この本を開いたでしょうか。

生姜もいちごも、ニンニクもきのこも、自分の畑で作っている人たちが土佐町にはたくさんいます。旬のものは栄養があるし、美味しいし、何よりお財布にやさしい!

おすそ分けでいただいたり、産直市で購入した季節の食べものにちょっと手を加えてびんに詰め、一年中食べられるようにします。並んだびんの数々を眺める時の達成感は、なかなかいいものです。

近所のお母さんもおばあちゃんも、それぞれ工夫しながら季節の野菜や果物を保存食にしています。らっきょう、味噌、干し大根、干し芋、干し柿…。

とさちょうものがたりの「お母さんの台所」というコーナーで、今までお母さん達に教えてもらった料理や保存食の作り方を紹介しています。人生の先輩たちから教えてもらった作り方を、少しでも次の世代へ引き継いでいけたらいいなと思います。

秋になったら、紅生姜を作りたい! 柚子胡椒にも初挑戦したいです。

鳥山百合子

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「ちいさいモモちゃんあめこんこん」 松谷みよ子文, 中谷千代子絵 講談社

昭和55年5月10日。この日付と松谷みよ子さんのサインがこの本に書いてあります。松谷みよ子さんご本人が、この本に私の名前を書いてくれている風景をうっすらと覚えているのですが、なんと今から39年前!こどもの頃の記憶は案外たしかなものです。

ももちゃんが「まっかなかさ」と「まっかなながぐつ」を買ってもらって外に遊びに行き、カエルやかたつむりと出会う、というお話。

「あめこんこん ふってるもん うそっこだけど ふってるもん あめふりごっごするもん よっといで」

子どもたちと絵本を読む時、このセリフを言う私の口調が驚くほど母に似ていることに、はっとさせられます。ああ、母もこんな風に読んでいた、と記憶が蘇ってくるのです。日常の中にあるふとしたこんな瞬間は、母が手渡してくれた確かなものが私の中にあることを教えてくれます。

そんな記憶を、私も子どもたちに贈ることができたらいいなと思います。

鳥山百合子

 

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土佐町ストーリーズ

むかしきゅうり

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たまらなく懐かしい人に会ったような気持ちで受け取った。

「野菜、取りにきいや」と声をかけてくれた人が手渡してくれたもの。長さ約30センチ、厚さ10センチ、重さ約1.5キロ。色は薄い緑で、少し黄色がかっている。その姿はまるでお腹をへこませたラグビーボールのようである。

その野菜の名は「むかしきゅうり」。

 

町のスーパーの野菜売り場で見かけるのは、気軽に片手で持ち、ガブッと丸かじりできる細長いきゅうりがほとんどだと思うが、「むかしきゅうり」がそういった場で売られているのをまず見たことがない。丸かじりで完食するにはかなりの根気がいる大きさであり、ましてや皮はけっこう硬い。多分、自宅用または近所の知り合い同士、その土地の間だけで出回っている野菜なのではないだろうか。

 

むかしきゅうりは、私にとって大切な人を思い出させる。

夏になると、「むかしきゅうり」を何度も持ってきてくれる人がいた。私が土佐町に来てから、毎年毎年ずっとだ。

その人、上田のおじいちゃんは、軽トラックの荷台にいくつも積んで来て「皮をむいて、小エビなんかを一緒に入れて炊くとおいしいで」と言いながら、手渡してくれた。その一つ一つはずっしりと重く、夏の太陽をさっきまで浴びていたんですよ、と言っているかのように内側から熱を放っていた。

大きめのむかしきゅうりを半分に割ると白い種が行儀よく交互に並んでいる。調理するときはそれを大きなスプーンか何かでこそげ取るのだが、おじいちゃんはその種を取っておいて、種の周りについてぬめりを山水で洗い、来年用の種として乾かして保存していた。夏の盛りにおじいちゃんの家に行くと、軒下にひかれた新聞紙の上にいくつもの白い種が散らばっていたものだった。むかしきゅうりを手にし、急にその風景が蘇った。

おじいちゃんは、今年の2月に亡くなった。

 

 

今年、むかしきゅうりを手渡してくれた人も「皮をむいて、煮て食べるとおいしいで」とおじいちゃんと同じことを言った。

その言葉を聞いて「ああ、上田のおじいちゃんから、むかしきゅうりを受け取ることはもうないのだ」と思った。同時に、おじいちゃんと同じきゅうりを育てている人がいるということが、どこか嬉しくもあった。

家に帰り、二人が教えてくれたように皮をむき、だしと醤油、小エビを一緒に煮て、クズでとろみをつけ、おろし生姜を添えていただいた。

 

 

「おじいちゃん、今年もむかしきゅうりと会えたよ」

そんな気持ちで、まだいくつか残っているむかしきゅうりを眺めている。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「ヴィオラ母さん」 ヤマザキマリ 文藝春秋

漫画「テルマエ・ロマエ」を描いたヤマザキマリさんが、自分を育てたお母さんのことを書いた一冊。

現在86歳というお母さんが20代の頃、まだ女性が仕事を持つということが難しかった時代に「やりたいことをやる」とヴィオラ演奏家になり北海道へ移住、各地で開かれる演奏会をこなしながら、なかなかのハチャメチャぶりで二人の娘を育てていく。「これはすごい…」と思わず唸ってしまうような出来事の数々がこれでもかと飛び出して来ます。

当時、女性が自分の思いを貫き通すことは相当の覚悟がいることだったでしょうし、並大抵のことではなかったと思います。そのお母さんのそばでマリさんは、お母さんの背中をちゃんと見ていたのだとわかります。

「鼻息荒く駆け抜ける野生の馬のように自分の選んだ仕事をし、子供を育てて来た一人の凄まじき女の姿を思い浮かべてもらうことで、自分や子供の未来に対してどこまでも開かれた、風通しの良い気持ちになってくれたら嬉しく思う。」

もう一度「テルマエ・ロマエ」を、そして他の著書も読んでみたくなりました。

鳥山百合子

 

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私の一冊

藤田純子

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「昭和こども図鑑」 奥成達 文,  ながたはるみ 絵 ポプラ社

昭和30年代、当時は全員で映画を観るという小学校の学校行事がありました。田舎の小学校で、子どもたちに文化的な娯楽のチャンスを与えてくれたのでしょうか。私の小・中学生の頃、それはそれは時間の流れがゆったりしていました。

この本に載せられている生活の道具や様々なあそび。庶民の暮らしぶりは本当に懐かしい。今よりずっと不便で貧しかったけれど、素朴であたたかい人情があり、暗黙の規律やルールが人々の中にあって生きやすかった気がする。

セピア色になってしまった今は亡き家族、かわいがってくれた親族、近所の人々、子どもだった自分の様々な出来事が、くるくるくるくる蘇って、何だか胸がいっぱいになりました。

 

*「マタンゴ」という映画を見たことがありますか?
難破船が流れ着いた島で食物を探していると、森の奥にキノコが大量に生えており、それを食べると体からニョキニョキとキノコが生えて、ついにはキノコのバケモノになってしまう…。「おいしいよ、おいしいよ」と手招きしつつ、体がキノコに侵略されてゆく気味悪さ。世にも恐ろしい内容で、子ども心に強烈な恐怖心が植えつけられ、夜中のトイレがイヤだったこと(笑)。この映画を小学校の総見で1年生から6年生まで全員で観たのです。「先生、どうして“マタンゴ”を選んだの?」と今でも不思議(笑)ですが。

藤田純子

 

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以下の文章は、2019年7月20日に発行したとさちょうものがたりZine04「山峡のおぼろ」文:窪内隆起の巻末に、あとがきとして掲載したものです。

 

 

 

「山峡のおぼろ」のこと 文:鳥山百合子

 

手渡された茶封筒には、一話ずつクリップで束ねられた直筆の原稿用紙が詰まっていた。少し黄味がかった用紙に青いインクの万年筆で記された物語。大切な何かを託されたような気がして、私は姿勢を正したのだった。

 

土佐町西石原地区出身で司馬遼太郎さんの編集者だった方がいると聞き、高知市のご自宅に伺った。その人、窪内隆起さんは小学校を卒業するまで過ごした石原での思い出をそれは懐かしそうに話してくださった。自分で作ったという金突鉄砲、わら草履、アルマイトの水筒など思い出の品々を応接間の隣の部屋から出してきては語られる物語。その話は実に80年前のことであるのに、まるでつい最近の出来事のように感じられるのだった。

「石原で過ごした時のことを書いてくださいませんか」

窪内さんは快諾してくださった。

それが「山峡のおぼろ」の始まりだった。

 

「こんな話を思い出したんですよ」と折に触れて電話をくださり、それが記事になっていった。引き出しに大切にしまわれていた思い出の数々は、いつもどこかで繋がり合い、新たな記憶の扉を開く鍵になっているようだった。

この本に掲載したのは20話だが、実は全部で39の話を書いてくださっていた。一冊にするにあたりどの話を掲載しようか考えていた時に「この話だけは載せてほしいというものはありますか」と尋ねると「いえ、特にありません。みな、思い出の中で平等です」

はっきりとそうおっしゃった。

 

 

「人名渕」という話がある。この話に出てくる「モリタカ渕」と「セイゴ渕」がどこにあるのか知りたくて、窪内さんに地図で印をつけてもらい、その場所へ行った。「川へ降りる道は、もう草に覆われているんやないかな」という言葉の通り、どこかわからずじまいだった。石原の人たちにも聞いてみたのだが、皆、口を揃えたように、渕の名前は聞いたことがあるけれども場所はわからない、と言う。

最終的に窪内さんに土佐町に来ていただいた。渕を探して歩いている時、数日前に弟さんと石原に来て渕の場所を確認してくださったことを知った。「兄ちゃん、この辺りやないか?」と行ったり来たりしながら探したのは楽しかったですよ」と笑ってくださった。

渕がある川は道からずいぶん下にあり、木々の枝葉や草で覆われ、簡単に降りることはできなかった。あそこがモリタカ渕だ、という場所を見下ろしながら窪内さんは言った。「昔はあの尖った石はなかったから、きっとこの80年の間に上流から転がって来たんでしょう。川の瀬は昔のままです」

藁ぞうりを履き、つり竿を担いだ窪内少年は、80年後、自分が過ごした川をこんな風に眺めるだろうことを想像していただろうか。重ねてきた毎日のさりげない出来事の数々は、いつどこでどう繋がっていくかわからない。

 

後日、山の斜面に生い茂る草と竹を掻き分けながら川へ降りた。
「モリタカ渕からセイゴ渕へ川沿いを歩いて移動した」と聞いていたので川岸を歩き、モリタカ渕を目指して上流へ向かった。深い緑の木々。透き通った水のいくつもの筋が一定のリズムでゆるやかなカーブを描きながら足元に流れ込んでくる。魚が光の中を泳ぎ、キュロキュロキュロと何かの鳴き声がする。

突然、轟々と水音が聞こえた。行く手を見ると、岩と岩の間から勢いある水しぶきがあちらにもこちらにもあがっていた。それを避けながら岩の上を歩き、本当に渕にたどり着けるのか不安に思い始めた頃、ふと、鏡のような銀色の水面が広がる場所に出た。

ここだ、と思った。

岸に張り付いた大岩の元は深く澄み、近づくと見た目よりもずっと深いように思われ、じりじりと後ずさりした。気安い気持ちで近づいてはいけないような気がした。

ここがモリタカ渕だった。

 

小さな砂地に座って、しばらくぼんやりと渕を眺めた。窪内少年はここで生まれて初めてアメゴを捕らえた。その時「小学校入学5日前」。窪内さんは実に細やかなことまで覚えている。形こそ違えど80年前にも渕はここにあった。静かな碧さを湛えた渕はこれからもここにあり、同じように水は流れていくのだろう。

モリタカ渕からの帰り道、夏を告げる雲が山の稜線の向こうへと消えていくのを見た。80年前、窪内さんもこの風景を見ていたのではないか、というどこか確信めいたものを感じた。

 

 

窪内さんが過ごした西石原の家に行った。「爪・髪の毛」を埋めたお墓、彼岸花団子を作った「お勇ばあちゃん」の家が隣にあった。あの道この道に窪内さんの記した足跡が見えるようだった。「山峡のおぼろ」の舞台は、ずっと前からここにあったのだ。

移りゆく時代の中で、私たちは、いつのまにか手のひらからこぼれ落ちていく何かを見逃してはいないだろうか。

 

連載が始まってしばらくした頃「産経新聞福井支局の記者だった頃の友人が、20年ぶりに連絡をくれた」と窪内さんが弾んだ声で話してくれた。インターネットで「山峡のおぼろ」の記事を見て「いやー、お前の写真と名前をみてびっくりしたぞ!」と電話をかけてきてくれたという。

窪内さんの記した物語「山峡のおぼろ」が、懐かしい人や大切な人とのたて糸とよこ糸を紡ぎ直すような存在になるのであれば、こんなにうれしいことはない。

そこからまた新しい物語がつくられていくのだろう。物語が生まれるということは、きっとそういうことなのだ。

 

 

 

Zine 04号を発行しました!

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「街と山のあいだ」 若菜晃子 アノニマ・スタジオ

岡山県にある「スロウな本屋」さんでこの本を購入しました(スロウな本屋さんでは「とさちょうものがたりZINE」を置いてくださっています)。大きな町に行く時には本屋さんや図書館へ足を運びます。今まで知らなかった、思いがけない本と出会えることが楽しみのひとつです。

以前、親しい友人が言っていました。「本屋や図書館の棚を眺めていると、ふと手を伸ばしたくなる本があって、それがその時の自分に不思議とぴったりの本だったりする。私、本の神様がいると思うんだよね」。

その気持ち、よくわかります。

この本も、きっと本の神様が出会わせてくれたのでしょう。

山の雑誌の編集者だった若菜さんが、これまでに登ってきた数々の山での記憶を記した本です。

『それは子どもの頃の初夏の記憶だったか、大人になってからの山での出来事だったか、定かではないけれども、私の内に昔からある、自然のなかで美しいものを見たときに決まって心中から湧き上がる、言葉にはしがたい懐かしみを伴った、喜びの感情であった。それは生きてきた長い年月の間に蓄積された感覚のようでもあり、生まれたときからもっている感情でもあるようで、あるいは期せずして現れるこれが、たましいのふるえなのかもしれない』

私も確かに若菜さんと同じような気持ちを味わったことがある、と思えます。

この地で暮らしている今、山に登らずとも、田んぼの畔を歩いている時に見つける小さな花や、雨上がりの夕方に山にかかる雲の隙間からのぞく桜色の空からも、その「ふるえ」を感じるのです。

鳥山百合子

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「土佐町の民話」 土佐町の民話編集委員 土佐町教育委員会

土佐町に伝わる民話を集めたこの本は今から28年前に作られました。土佐町史編纂時に町内に広く呼びかけ、収集、整理されたものだそうです。

「とさちょうものがたり」の中のカテゴリーのひとつである「土佐町ストーリーズ」でも、この本の民話を紹介しています。

和田守也町長もこの本の編纂に関わっていて、本の挿絵を描いています。「この本を作った時点でも民話がどんどん町から消えていくのを感じていた」と話していました。

この本のはじめには、こう書かれています。

『民話は、昔の人の暮らしや社会の様子を知ることができます。温故知新という言葉があります。先人の生活や文化の中から新しい町づくりや産業振興についての知恵を学ぶとともに、郷土史を身近なものとして理解し、郷土愛が生まれることを願うものであります』

28年後の今、先日行われた幸福度調査アンケートでは『地域の伝説や民話をどれくらい知っているか』という質問がありましたが、「全く知らない・あまり知らない」という人たちの割合がとても高いことがわかりました。この結果をどう捉え、どうしていくのか町全体で考えていく必要があるのではないかなと思います。

この地の先人たちが積み重ねてきた暮らしの上に今の暮らしがあるということ、毎日見ている風景の向こうにある奥ゆきを忘れないでいたいと思います。

鳥山百合子

 

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(前編はこちらから)

 

しかし4年目のある日、「いかんと思うてほたくっちょった」育苗箱をふと見た時、岡林さんは目を疑いました。

「芽がでゆう!」

それは貝割れ大根のような、細く小さな芽でした。

 

「そりゃあ、うれしかったよ!そりゃあ、うれしいで!」

 

岡林さんは芽が出た条件を独自に研究し、大きくなったものをポットに植え替えて畑へ移植。毎年少しずつ株を増やしながら植え続け、畑の面積を広げていったそうです。

 

「こればあ(これくらいの大きさ)のしおでが一番美味しいで!」と岡林さん

 

「何十万、何百万という種があるきね、100万位は畑に落ちちゃあせんろうか…。でも、ほとんどは生えん。なんぼ落ちたち条件が揃わんとね。芽が出たらしよいでよ(育てやすい)。条件がよかったらずっと生える」

「とにかく種から苗を立てるのが難しかった。芽がでるまでが苦労した。全部1人でやらないかんかったし。今の状態になるまで20年ばあ、かかった」

「もしあの時、芽が出ていなかったら、今、全然しやせんで」

 

 

アナグマに掘り返された後に出てきたしおでの新芽

 

猿にしおでの先をかじられ、アナグマに根元を掘り返され、うさぎもイノシシもいる。日々、動物たちとの戦いです。

それでも岡林さんはこの場所でしおでを作り続けています。

 

瀬戸地区で生まれた岡林さん。

「県外に出たいと思ったこともある。でも、どこ行ったち働かないかんしね。ああでもない、こうでもないと、ある程度はあずってせないかん」

岡林さんのしおでの畑の目の前には雄大な景色が広がっていました。はるか下の谷間に見える一本の白い筋から、どうどうと地の底から駆け上がって来るような水音が響いてきます。

「あれは瀬戸川。正面の山、あれは東門(ひがしかど)山。左は岩茸山で、左向こうが黒丸の集落。右奥は大師山で、右後ろは安吉」

自分の立っている小さな一点は、連なる山々とちゃんと繋がっているのです。

 

 

岡林さんは教えてくれました。

「しおでを取り終わって1ヶ月くらいした後、土が見えんなるばあ葉が茂って、しおでの棚が真っ青になる。それは綺麗で!青白い花が何万と咲いて、ミツバチがどんどん来る。不思議なんじゃけんど、昼は来ん。夜に蜜が出るんじゃろうかね、しおでだけは夕方、仕事から帰る時分にブンブンブンブン来る。」

 

「その時、また見に来たらえいよ」

それは、しおでを育てている人にしかわからない自然の営みです。

 

「しおでを、いろんな人に、ようけ使うてもろうてよ、送ってくれと言われたらうれしい」

岡林さんはそう話してくれました。

 

 


 

お土産に、両手がいっぱいになるほどしおでをいただきました。

 

岡林さんオススメのかき揚げを作ってみました。

 

 

しおでのかき揚げ

【材料】しおで・小麦粉・塩・水

①しおでを食べやすい大きさに切る

②小麦粉に水、塩を加え、とろりとした衣を作る。(卵を加えたり、小麦粉の代わりに米粉を使っても美味しいです)

③しおでと衣をからめてからりと揚げる。

④塩をパラリとふって、熱いうちにいただく。

 

 

少しモチっとしてた食べ応えがある食感。ついついもう一つ、と手を伸ばしたくなる味です。

 

土佐町だけで育てられているしおでの収穫は、7月上旬まで。

「幻の山菜」と呼ばれるしおでを、ぜひ多くの方に味わっていただけたらと思います。

 

*岡林さんと出会うきっかけをつくってくれた土佐町の島崎直文さん、ありがとうございました!

 

 

 

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