私の一冊

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

鳥山百合子

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「伝えたい!昭和の食卓」 松﨑淳子 飛鳥出版室

高知県立大学名誉教授の松﨑淳子さんが、かつて担当していた「調理学」の必修科目「調理実習I」を再現した本です。松﨑淳子さんは、以前紹介した「聞き書き高知の食事」や「土佐の食卓」にも携わっており、高知の食についての生き字引のような方です。その松﨑さん手書きのレシピが掲載されているこの一冊が出版されたと知り、すぐに購入しました。

40年かけて仕上げたというレシピは、まずはご飯の炊き方からほうれん草の胡麻和え、厚焼き卵など、身近な料理がいくつも。でもレシピをよくよく読んでみると、ほうれん草の胡麻和えの「胡麻和え」では、「ごま炒りに胡麻を入れ、強火にかけ、終始よく振る。パチっと音がし始めたら、火を止め、なおそのまましばらく振り動かして、全体をふんわりと炒る」、とのこと。

胡麻を炒る道具「ごま炒り」は我が家にありません。今まで何度もほうれん草の胡麻和えを作ってきましたが、恥ずかしながら胡麻を炒ったこともありません。

でも、レシピを読んだら「ごま炒りを買って、ごまを炒ってみようか」という気持ちになりました。ちょっとした手間暇を省きがちな私ですが、ちょっとした手間暇をかけてみようと思いました。

他にも、茶碗蒸しのレシピにある「すまきの入った茶碗蒸しに柚子皮をのせる」、ハンバーグのレシピの「ハンバーグの肉にナツメグを入れる」のもやってみたいです。

松﨑さんが見つめる食卓への愛情がひしひしと伝わってきます。このレシピは「無断複製大歓迎」で大いに広めてほしいとのこと。そんな心意気も本当に素敵だなと思っています。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「聞き書き 高知の食事」 「日本の食生活全集 高知」編集委員会 農山漁村文化協会

高知ならではの海の恵み、山の恵みや県内各地で培われてきた食の文化が紹介されています。1981(昭和61)年に出版されたこの本を編集制作するため、県内各地へ聞き取り調査をし、料理の再現や写真撮影など、各地の数多くの人に協力してもらったと書かれています。取材協力者の中には、明治44年生まれの方のお名前も。今もご存命なら112歳。大正時代の終わりから昭和の初め頃の高知の食生活が記された、貴重な本です。もう今では失われてしまったことも記録されていることでしょう。

高知県は祝い事があれば寿司がつくられる「寿司文化」の土地であり、海山にはその地の食材を活かしたさまざまな寿司があることも記されています。さばの姿寿司、山菜寿司、巻き寿司、あめご寿司や鮎寿司など、多種多様。高知県の最東端東洋町には「こけら寿司」と呼ばれる、人参や薄焼き卵で彩られた四角いケーキのようなお寿司もあります。

かしの実の渋を抜いて粉にし、水を加えて煮てかためた「かしきり」の説明や作る様子も。海には海の食、山には山の食。ページをめくればめくるほど、高知がどれだけゆたかな土地であるかを実感します。

2021年に高知県庁から委託された「土佐の郷土料理」動画制作のお仕事で、県内9市町村の郷土料理を撮影して回ったことは貴重な経験でした。海山の恵み、季節ごとの野菜、果物、山菜など、その土地ならではの食材があること。そして、その土地でその土地に根ざした料理を作り続けてきた人たちの存在。それが掛け合わされてその土地の食文化が守られ、作られていることを知りました。その営み自体が高知のかけがえのない財産です。

先人たちが培ってきた食文化を次の世代へ繋ぐ。そのようなことができたらと思います。

 

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私の一冊

石川拓也

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ノーマン・ロックウェル カバー画集 『「サタデー・イブニング・ポスト」誌の時代』 玄光社

ドラゴンボールの祖先・ノーマン・ロックウェル

アメリカの「ふつうの人々」を、明るく躍動感のあるタッチで描き続けたノーマンロックウェル(Norman Rockwell、1894年2月3日 – 1978年11月8日)の画集です。

ロックウェル先生。僕の中では勝手に先生と呼んでいる画家が2人いて、そのひとりがこのロックウェル先生。もうひとりはアンリ・トゥルーズ・ロートレック先生です。2人、画風は全然違いますが、「ふつうの人々」を描き続けたという点で共通しています。

いきなり話は逸れましたが、ロックウェル先生の絵が特徴的なのはこの躍動感。人物が激しい動きをしている一瞬を、写真で撮影したかのようなピンポイントで切り取っています。これはロックウェル先生が育つ過程で写真というメディアが普及したことともちろん関係があり、当時のオールド・メディアである絵画が、台頭著しいニュー・メディアである写真を逆輸入した一例でもあります。

この画風は、(確証があるわけではないのですが)後に鳥山明に多大な影響を与え、「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」などの作画は、元を辿ればロックウェル先生である、という説もあります。

「説もあります」という言い方にこの場は留めておきますが、鳥山明の特に一枚絵(表紙やトビラ絵など)に注目してみると、非常に納得のいく指摘であると感じています。

そういう意味でロックウェル先生は「ドラゴンボールの遠い祖先」である。らしい。かもしれない。のです。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「もりのどうぶつ」 おおたけひでひろ 福音館書店

写真家 大竹英洋さんの写真絵本です。

この本との出会いは今から10年程前。「東京のことり文庫(本屋さん)で、写真家の大竹さんが話をするから一緒に行こう」と友人に誘われて行き、購入しました。この時に大竹さんがどんな話をしたのか実はあまり覚えていないのですが、大竹さんは目がとても綺麗な人だったことはとても心に残りました。

本に出てくる動物はとても可愛らしくて、優しげで、穏やかな優しい気持ちになります。写真は、大竹さんがこの動物たちを見つめる眼差しそのものなのでしょう。

今この瞬間にもこの地球上のどこかで、リスが木の実をかじり、雷鳥が羽を広げ、ヘラジカが水草をむしゃむしゃ食べている。それを知るだけで、周りの風景が少し違って見えました。

それから本屋さんや図書館で「大竹英洋」さんのお名前を見るたび、勝手に懐かしい気持ちになっていました。

昨年12月、高知市の高知こども図書館で大竹さんがお話をすることを知り、行きました。大竹さんは10年前と変わらない真っ直ぐな目をしていました。大竹さんは初の写真集『ノースウッズ 生命を与える大地』で、昨年3月に第40回土門拳賞を受賞したとのこと。それまで写真絵本は数冊出版していたけれど「これが初めての写真集なんです。初めての写真集を出すまでにとても時間がかかってしまいました」と話していました。

「もりのどうぶつ」との出会いから10年、大竹さんが積み重ねてきただろう時間の層を感じ、ただただ拍手しました。

 

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私の一冊

西野内小代

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「大人の女よ!清潔感を纏いなさい」 齋藤薫 集英社

表紙のような女優さんを目指せるはずはないが、心掛けだけでも学びたいとの殊勝な思いで買ってみました。

庭の手入れや畑との格闘、枯れ葉や折れて飛んできた枝の後始末をしている現実生活においては、そこまでは無理だし必要ないと軽く読み進む。

きれいな色を着る、しているかどうかわからないメイクではなく、していると他人が認識できて、尚且つナチュラルメイクを心掛けるべき、背筋を伸ばすことの大切さ、笑顔がアンチエイジングには欠かせない事、など日常でも参考になる指摘も多く、刺激をもらった。

日々をおざなりにすることなかれ。自分への「喝」の為に、このような本もたまには必要かもしれない。

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「てぶくろ」 エウゲーニー・M・ラチョフ絵 , うちだりさこ訳 福音館書店

絵本「てぶくろ」が日本で翻訳出版されたのは1965年、58年前から読み継がれている名作です。

表紙を見るたび、母が何度も読んでくれたことが蘇ります。私も3人の子供たちと何度一緒に読んだことか。この絵本とのお付き合いはもう何十年にもなるのに、昨年初めて知ったことがありました。それは、このお話がウクライナの民話であったことでした。

このお話は、森を歩いていたおじいさんが手袋を落としてしまうところから始まります。その手袋に、森の動物たちが次々ともぐり込んでいきます。ねずみ、かえる、うさぎ、きつねが順番に登場し、「入れて」「どうぞ」を繰り返していく。手袋の中は当然狭くなっていくのですが、さらに交わされる動物たちのやりとりが興味深いです。

おおかみが「おれもいれてくれ」とやってきて、既に中にいる動物たちは何と答えるか?これまで同様「どうぞ」と言うかと思いきや、そうじゃありません。出てきた言葉は、「まあ いいでしょう」。本音はきっと「狭いんだけどな…、でもな…、まあいいか…」といったところでしょうか。ちょっとした複雑な心境が伝わってくる場面です。

次に来るのは、きばもちいのしし。同じく「いれてくれ」という彼に、動物たちは「ちょっとむりじゃないですか」。でもいのししは「いや、どうしてもはいってみせる」と入ってくる。すると「それじゃ どうぞ」と中に入れる。

最後にくまがやってきた時には「とんでもない まんいんです」とさすがに断る。でもくまは負けずに「いや、どうしてもはいってみせる」。すると、「しかたがない でも、ほんのはじっこにしてくださいよ」と折れ、くまは中に。結局皆が入って、手袋は「いまにもはじけそう」になる。

 

今まで「てぶくろ」を何十回と読んできましたが、表紙に「ウクライナ民話」と記されていることを全く意識していませんでした。

昨年2月に始まった、ロシアによるウクライナ侵攻。「ロシアとウクライナは兄弟国」とメディアでよく見聞きしますが、なぜ兄は弟の国へ攻め入ったのでしょうか。

1991年のソビエト連邦崩壊に伴って独立したウクライナ。その国の歴史は複雑に絡み合い、私が簡単に言えることではないのですが、ロシアやウクライナに暮らす人たちは、かつて「てぶくろ」の動物たちのように一つの大陸に集い、共に暮らしてきたのではなかったでしょうか。相手を「どうぞ」と受け入れ、「ちょっと無理じゃないですか」という時も、相手の言い分にも耳を傾け、何とか折り合いをつけてやってきた。この民話は、この土地の人たちはそういった営みを繰り返し生きてきたんだよ、と伝えるために作られたのではと想像します。

このお話の結末では、手袋が片方ないことに気づいたおじいさんが戻ってきます。そして、吠えた子犬の声に驚いた動物たちは手袋から這い出して「もりのあちこちへにげていき」、「そこへ おじいさんがやってきて てぶくろを ひろいました」と終わります。

最後におじいさんが手袋を探しに戻ってきたのはなぜか?それはきっと、おじいさんにとって、手袋が大事なものだったからではないでしょうか。森に落ちた手袋が、動物たちにとって新たな居場所となり、おじいさんにとっては変わらず大切なものであったのです。手袋をどう捉えるか?一つのものごとを考える時、ある一面だけでなく、多面的に見る必要もありそうです。

未だウクライナとロシアの戦争は続いています。一刻も早くそれぞれの国の人たちが、あちこちへ逃げないですむ状況になりますように。自分の場所で安心して暮らせるようになりますように。大切なものを大切にできる日常に戻りますように。心からそう願っています。

 

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私の一冊

西野内小代

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「聖書がわかれば世界が見える」 池上彰 SBクリエイティブ

「目からうろこ…」という表現は聖書に出てくるエピソードに由来している。

アメリカの巨大企業が利潤を投入して、益々規模を拡大し、莫大な収益をあげるのに躍起になっている根底には、「勤勉であれ、時を無駄にしない」などという神の教えに忠実であるという精神が宿っているため。

ブッシュ大統領(息子)の「十字軍~」という失言により長き戦争(9.11以降 約20年間)に突入してしまったのは、十字軍の何たるかについての知識不足が引き起こした悲劇という事実。ロシアのキリク教皇がウクライナ侵攻を祝福(肯定)した経緯。選挙において巨大宗派の支持を得られなければ、当選は危うい、そのための対策が必須であるらしい。

宗教と一口では片づけられないキリスト教の勢力を、アメリカ大統領選挙に関する解説で実感。

このように一国の文化・政治に深い影響力を持っているのがキリスト教である。世界的ベストセラー「聖書」を読んで、世界共通の常識を身に着けようと「あとがき」に書かれている。

いつもながら理解しやすく説得力のある池上さんです。

 

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私の一冊

石川拓也

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「天、共に在り」 中村哲 NHK出版

「暴力と虚偽で目先の利を守る時代は自滅しようとしている。今ほど切実に、自然と人間との関係が問い直された時はなかった。決して希望なき時代ではない。大地を離れた人為の業に欺かれず、与えられた恵みを見出す努力が必要な時なのだ。」

12月17日、高知市内である映画の上映が1日限定でありました。

それは、「荒野に希望の灯をともす」(主催:ゴトゴトシネマ)。アフガニスタンで水路を作る日本人医師・中村哲さんのドキュメンタリーでした。

感想をそのまま伝えようとすると、とてもこの欄では読んでもらえないくらい冗長なものになってしまいそうなので苦渋の割愛をしますが、開始10分を過ぎたあたりから涙が止まらなくなりました。

自分は中村哲さんの持つ何に心がこれほど動かされたのか。

ひとつはその「姿」。飾り気や虚栄心や承認欲求的な力学を全く感じさせないその姿。そして机の上でそれらしいことを言っているだけの人間には身に纏うことができないであろう、身体を張った実践を根拠にした中村哲という存在の確かさ。

こうして賢しらに論評めいたことを書こうとしている自分もちょっと恥ずかしくなるくらい。なのでこれ以上わかったふうなことを書くのはやめておきます。

確かに言えるのは、その映画には、心のとても深い部分に触れてくる力があったと、僕には感じられたということ。

ネットやSNS全盛のこの世界で、責任を伴わずに賢そうに聞こえる言説が溢れるこの世界で、それでもやはり土台としてあるべきは実践であり行動であるということ。

本の紹介ではなくて映画の紹介のような文になってしまいましたが、この本はその中村哲さんが書いたもので、全編を通じて名文と言えるような文章で溢れていますが、それもまた、「文章が上手」というようなテクニック論的な意味ではなく、著者が身体を張った実践の中で獲得してきた言葉であるからこそ、実体を伴った生きた言葉と感じられることが理由なのでしょう。

  

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私の一冊

古川佳代子

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「偶然の散歩」 森田真生 ミシマ社

数年前、土佐町で森田真生さんの講演会があるのだけれど行ってみない?と友人が誘ってくれました。その少し前に『数学の贈り物』を読んで、その端正な文体に魅了されていた私は即答で「もちろん!」。期待でわくわくしながら、当日を待ったことでした。

森田講演会に出かけたことがきっかけで、土佐町にご縁を得、今こうして仕事をしているのですから、人生何が起こるかわかりません。そんなこともあり、森田真生さんは私にとって大事な存在で、新作が出ると読まずにはいられない作家の一人です。

ごくありふれたこと(に見えるあれこれ)から、そのどれもがありふれたものはなく、様々な偶然の重なりの結果なのだと伝えてくれるエッセイの数々。その言葉に触れるたび、自分を取り巻くいつもの風景、いつもの会話が、貴重で美しいものに感じられました。

 

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私の一冊

山門由佳

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「角野栄子の毎日いろいろ」 角野栄子 KADOKAWA

子は宝といいますが、それと同じくらい元気なシニアも国の宝かと思います。はつらつとしたシニア世代(わたしのなかでは70代はまだお若く、80歳から)の様子は、わたしもあんなふうに年老いたい〜!と憧れさせ、夢を与えてくださる希望の象徴です。新聞や雑誌から、あるいは目の前に実在する輝くシニアたちをみつけるのが日々の趣味です。健康の秘訣、心の持ち方、オリジナルの習慣やポリシーを持つ生き方から、必ず学ぶことがあります。

そんななかで、最近知った著者の角野栄子さん。 小学一年生の息子の教科書に載っていた「サラダでげんき」という物語。ユーモアがピリリッと効いていて、長新太さんの挿絵とピッタリ!と気になっていたら、なんと、かの有名な「魔女の宅急便」を生んだ作家さんでございました。角野栄子さん御本人の姿をこの著書の表紙で確認して、ひと目で…好きです!タイプです!と目がハートになりました。カラフルでおしゃれ、知的。でも遊び心いっぱいのファンタジーの世界に生きておられて明るい。

いちご色のおうちに住み、庭にたわわになった酸っぱいみかんのしぼりたてジュースを毎朝飲み、庭仕事も料理も適当に、ぶらぶらとまちを散歩して行きつけのお店のひとと談笑する。 自分にとって心地のいい服や靴、鞄やアクセサリーをよく知っていて、とってもお洒落に生き生きと毎日を過ごされている。まるで、角野栄子さんご自身が絵本の主人公のようです。わたしの[輝くはつらつシニアコレクション]にまた1名の至宝が加わりました。

 

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