まけまけいっぱい
【動詞】(こぼれ落ちそうなほど)飲み物を注ぐ
例:桂月を まけまけいっぱい 注いでや
著者名
記事タイトル
掲載開始日
土佐町の絵本「ろいろい」。コロナ禍の数年も挟んで、約5年かけた長期プロジェクトとなりました。
完成した「ろいろい」は、ジャバラ型の少し変わった形をした絵本。ながーいページを伸ばすと、そこには土佐町の実在の風景や文化、人々が描かれています。
表面には春と夏の町。裏面には秋と冬。
15回に渡る記事で、絵本「ろいろい」を1ページずつ解説していきます。
ろいろい ろいろい
きをうえるひと そだてるひと
きをきるひと ざいにするひと
やまでいきるひとたちがいる
「はいでるものは はいでえ とびでるものは とびでえ これから ひをいれるぞう」
むしやとりによびかけ のをもやす
だいちをこやす やまのいとなみ
文章中にある「はいでるものは はいでえ とびでるものは とびでえ これから ひをいれるぞう」。
これは、山師である筒井順一郎さんが教えてくれた言葉です。
昔、田がない場所で暮らす人は粟や稗を育て、それを食べて生きてきました。野を焼き、その灰を肥料として作物を作っていた順一郎さんのお父さんが大地に火を入れる前に言っていたのだそう。
「這い出るものは はい出え 飛び出るものは 飛び出え これから 火を入れるぞう」
そう動物や虫たちに呼びかける。
「自分は焼き畑農業をしているわけじゃないけんど、この言葉は身体に染み付いてるんよ」
順一郎さんはそう話してくれました。
山があり、山で生きる。山で生きるため、山で働く。山で生きるものたちに呼びかけ、そのものたちと明日も生きる。
自然と共に生きるとはどういうことなのか?この言葉はその答えの一つを教えてくれる気がします。
↓「4001プロジェクト」でも筒井順一郎さんを撮影させていただきました。
絵を描いてくれた下田昌克さんも、順一郎さんからお話を聞きました。
2019年1月、まだ霜柱が立つ山道を登り、順一郎さんは普段仕事をしている山を案内してくれました。
「生活のために植えた木が、切ってくれ、と言いゆう。木を見ちょったらわかる。木を切ると、残った切り株の栄養が周りの木に行き渡り、木が育つ。切り株はスポンジ状になって雨水をゆっくりと吸い込み、山の保水力を高める」
下田さんは「順一郎さんの話だけでも、一冊の本が作れそう」と話していました。
↓その時の記事はこちら
土佐町は四国のほぼ中央に位置し、町の面積の87%が森林という緑ゆたかな町です。森林組合をはじめ企業や自伐型林業を営む人など、山を生業とする人たちは多く、林業は町の重要な産業の一つとなっています。
山の樹木を伐採し、木材を生産することはもちろん、この町には木を植えて育てる人、製材する人、さらにはその材で家を建てる大工さんもいます。
林業は50年、100年先を見据える仕事だと聞いたことがあります。子供、孫の世代、それより先の未だ見えない未来を見つめ、一本ずつ木を植える。そしてその木を育て上げ、切って、使う。何十年何百年という壮大な時間のなかで、その時のそれぞれの現場に人が立ち、仕事をする。その一連の営みが成立してきたのは、磨き上げた技術と知恵を持つ人たちがこの地にいて、綿々と自らの仕事を積み重ねてきたからです。
培われてきたその循環は、この町のかけがえのない財産であると思います。
ろいろい ろいろい。
きをうえるひと そだてるひと
きをきるひと ざいにするひと
土佐町には、山で生きる人たちがいるのです。
土佐町の絵本「ろいろい」。コロナ禍の数年も挟んで、約5年かけた長期プロジェクトとなりました。
完成した「ろいろい」は、ジャバラ型の少し変わった形をした絵本。ながーいページを伸ばすと、そこには土佐町の実在の風景や文化、人々が描かれています。
表面には春と夏の町。裏面には秋と冬。
15回に渡る記事で、絵本「ろいろい」を1ページずつ解説していきます。
ろいろい ろいろい
かじむしの ゆげのむこう
かわをはいで かわかして これがとさのかみとなる
いっしょにむしたさつまいも
ひえたてのひらあたためる
「あとでししじるたくき うちんく きいや」
毎年2月、土佐町南川地区では「カジ蒸し」が行われています。カジを蒸す木の甑から白い湯気が上がり、その元でカジの皮を剥ぐ人たち。その風景は冬の風物詩と言ってよいでしょう。
「カジ」は楮とも言われ、紙の原料になるもの。畑や山に育つカジを切り出し、蒸しあげ、皮を剥ぎ、皮を乾かして出荷します。昔から高知県各地で行われてきた仕事で、山で暮らす人たちの貴重な収入源でした。以前は土佐町の各地でもカジ蒸しをしていたそうですが、今ではめっきり少なくなりました。
絵にはカジと一緒に蒸したサツマイモも描かれています。このサツマイモの存在が楽しみの一つだったそう。寒い風が吹くなか、甑やサツマイモから上がる湯気は、働く人たちの身体をほっと暖めてくれる存在です。
カジ蒸しは、何世代にも渡って引き継がれてきた労力のかかる仕事です。そして、とても貴重な営みです。
絵本を通し、こういった営みがこの地で行われていることを多くの人に知っていただけたらと思います。
↓南川のカジ蒸しについての記事はこちら
カジ蒸しのお手伝いをさせていただいていた時に、通りがかった軽トラック。その荷台には捕らえられたイノシシが載せられていました。
↓その時の様子はこちら
猟師さんはこのイノシシを捌いて肉にします。
文章中の「あとでししじるたくき うちんく きいや」。これは、冬の間よく聞かれる会話です。
山にはイノシシをはじめ、鹿や猿、ハクビシンやタヌキなどもいます。田んぼや畑の作物を荒らしたり、鳥獣被害も多いため猟師さんは山へ入って猟をし、罠を仕掛けます。
なぜ、鳥獣被害が起きるのか?猟師である近藤雅伸さんがこんな話をしてくれました。
「山を植林にしてしもうたき、食べ物がないき、作物のあるところにイノシシは来る。イノシシには本当は罪はないんよ。イノシシは人が作っちゅうなんて知らんわけやき」
鳥獣被害の原因は人間自らが作り出している一面もあるのだと思います。でも、人間も生きていかなければならない。だから捕らえる。そして、捕らえた命を無駄にしてはならないとありがたくいただく。
近藤さんは、イノシシを捕らえたら、その肉を周りの人に分けて食べてもらうそうです。
「ひとつの命をみんなで分けて、“ありがとう”とみんなに食べてもらったらええんじゃないかと思って。一つのものを大事に使うて、食べて、自分があとで後悔せんようなかたちにしていきたい」
シシ肉は、野菜と一緒に炊いて汁にしたり、塩胡椒して焼いて食べます。つい先ほどまで山を走っていた命。口にすると、身体の奥底からふつふつと確かなエネルギーが湧いてくるのを感じます。
大昔から繰り返されてきた生きるための営みが切り離されることなく日常として存在していることは、今の日本の中でとても貴重なことだと思います。
↓猟師の近藤雅伸さんから聞いたお話はこちら
描かれている軽トラックをご覧ください!前右下にきらりと光る黄金色の印。これは高知県の優良運転者に授けられるもので、土佐町内では高齢の方の軽トラックに付けられているのをよく見かけます。
調べてみると「無事故無違反年数10年以上、人格技能ともに優れ過去に同じ表彰を受けてない方」という選考基準もあるとのこと。まさに優良運転者の証です。
軽トラックは、山の暮らしにはなくてはならない相棒のような存在。いつまでも安全に乗り、山の暮らしを送れますように。
ぜひともこの印を描いてほしい!という制作チームの強い思いがあり、下田さんに描いてもらいました。
ろいろい ろいろい。
南川の人たちと出会い、この土地の文化を知る。
歩くことは出会うこと。次はどんな出会いが待っているのでしょう。
土佐町の絵本「ろいろい」。コロナ禍の数年も挟んで、約5年かけた長期プロジェクトとなりました。
完成した「ろいろい」は、ジャバラ型の少し変わった形をした絵本。ながーいページを伸ばすと、そこには土佐町の実在の風景や文化、人々が描かれています。
表面には春と夏の町。裏面には秋と冬。
15回に渡る記事で、絵本「ろいろい」を1ページずつ解説していきます。
土佐町の絵本「ろいろい」。ここから、秋・冬のページのご紹介です。
秋冬編、最初のページは高峯神社からスタート。
こけむしたさんどう あしもとにあさつゆ
りんとしたくうき いちだんずつ いしだんをのぼる
ここは かぜわたる たかみねじんじゃ
このばしょを まもりつづけるひとがいる
「ちょっくら さんぽにいってきます」
土佐町 芥川に建つ高峯神社。今までとさちょうものがたりでは、高峯神社にまつわる記事をいくつも作ってきました。
↓「土佐町ポストカードプロジェクト」
地域の人たちからとても大切にされている高峯神社。長年、守り人としてこの場所で仕事を続けてきた筒井賀恒さんという人がいます。
高峯神社への道しるべの存在や言い伝え、この場所への深い思いなど、賀恒さんに教えてもらったことはかけがえのないことでした。
↓「4001プロジェクト」
絵の中の一つ目と二つ目の鳥居の間、よーく見ると、階段の途中にコンクリートのブロックが描かれています。これを設置したのは賀恒さんです。なぜコンクリートのブロックなのか?それにはちゃんと訳がありました。
石段と石段の間には高さがあるので「このブロックがあると、先輩たちが上りやすいろう」と、地域の先輩に相談してホームセンターで1つ100円のブロックを買い、軽トラックで神社のそばまで載せて来て、賀恒さんが一つずつ運びあげたといいます。
ブロックは、この地では日常的に使われているものです。賀恒さんにとって、きっとこの場所は日常であり、生活の一部。70年間、この場所に毎日のように通い、小さな変化に気づき、その時の自分にできることをしてきた賀恒さんならではの仕事のあり方だったのだと感じます。
誰に言われるでもなく、誰かに褒められるためでも認められるためでもない。自らひけらかすこともなく、やるべきことを淡々と積み重ねる。自分のしたことが気づかれないこともあるかもしれない。でも、大切なのはそんなことではないのだ、と教えてもらいました。
控えめにぼそっと「高峯神社の縁の下の力持ちになれたらと思うちょります」と話してくれた賀恒さん。その姿が、今も心に残っています。
高峯神社は作神(さくがみ)、豊穣の神を祀っています。
絵の中の三つ目の鳥居の右横には、鷹の石像が描かれています。
「相川の田んぼでスズメの被害があってよ、稲がとれんというのでここへお参りに来たんじゃろう。これは鷹じゃね。鷹がスズメを追い払ってくれた、稲がようとれたということで、相川の集落のもんがこれを奉納した」
賀恒さんはそう教えてくれました。
相川は土佐町の米どころ。鷹の姿から、相川の人たちの切なる願いが伝わってくるようです。
絵の右下に描かれているのは手洗石。1887(明治10)年、「土佐町の石原から平石に行く途中の、有馬林道入口のあたりの川原にあった石」を毎年少しずつ運び上げ、今の場所にあるのだそう。そのお話は、土佐町史に掲載されています。
賀恒さんに教えてもらった高峯神社への道しるべを辿った記録です。道しるべは高峯神社へ向かう道々にある石碑で、その地図も記しています。教えてもらうことがなかったら、ただ通り過ぎ知らなかったままだったでしょう。
車も舗装された道路もなかった時代、石碑をたどって山道をのぼり、高峯神社へ参拝した人たちがいたこと。苔むした参道に立つと、その人たちの声が聞こえてくるような気がします。
そうそう、秋冬編から、主人公は女の子になっています。木の陰からこっそり見ている赤い子(?)は「ひだる」です。(ちなみに、春・夏編には「えんこう(カッパ)」が登場していました)
ひだるは「おなかがすいたときに取り付く」憑き物。妖怪みたいなものです。山道を歩いていて、急にお腹が空いたりふらっとしたり…。そんな時、昔から「ひだるに憑かれた!」と言っていたとか。
憑かれた時はとにかく、何でもいいから食べるのが一番。山で仕事をする人は、ひだるが憑いた時のために、いつも「お弁当を一口だけ残して持っていた」そうです。
ひだるの姿を見たことがある人は誰もいません。が、下田さんが想像してこの赤い子を描いてくれました。
↓下田昌克さんも、何度も高峯神社を訪れています。
2021年、下田さんは「もう一度高峯神社は見ておきたい」と急遽現地へ。長い山道を歩きながら「この位置に手洗石があって」とか「ここに鳥居がある」などと確認しながら、参道を往復しました。
神社までの道のり、長い長い参道を一枚に収め、これぞ高峯神社という絵を描いてくれた下田さんの手腕にただただ脱帽でした。
ろいろい ろいろい。風渡る高峯神社をあとにして、次へ向かうのはどこでしょう?
ひだるをお供に、まだまだ旅は続きます。
土佐町の絵本「ろいろい」。コロナ禍の数年も挟んで、約5年かけた長期プロジェクトとなりました。
完成した「ろいろい」は、ジャバラ型の少し変わった形をした絵本。ながーいページを伸ばすと、そこには土佐町の実在の風景や文化、人々が描かれています。
表面には春と夏の町。裏面には秋と冬。
15回に渡る記事で、絵本「ろいろい」を1ページずつ解説していきます。
ろいろい ろいろい
ちょうちんのもと おどってわらう きょうは なつまつり
どーん どーん そらをみあげる
あのひとも このひとも ここにいる
「ただいま」
「おふろ わいちゅうよ」
じんわり ぬくぬく あたたまる
ろいろい ろいろい
ろいろいとやって来たのは、夏のお祭り。このページは森地区の野中祭がモデルになっています。
盆踊り・花火・奉納相撲。右上斜面にあるのは鏡峰寺の鐘でしょうか。
↓「土佐町ポストカードプロジェクト」にも鏡峰寺の鐘は登場しています。
毎日朝7時と夕方18時、ゴーンゴーンと森地区に鳴り響き、時を告げてくれます。
みんなで笑って輪になって踊る。このシーンは「キネマ土佐町」でも繰り返し出てきます。
相撲も花火も登場します。
汗ばむような暑気の中。みんなで踊って家に帰ればそこには暖かいお風呂が沸いています。
どうやらこのお風呂はまき風呂ですが、あれ、火の番はなにか不思議なことになっていますね。
朝からずっとついて来てくれた龍と、、、一緒にお風呂に入っているエンコウ!
一日、町をろいろいした3人、きっと夜はぐっすりでしょうね。
↓地蔵寺ふれあいキャンプ場には五右衛門風呂が。
地蔵寺地区の方たちが作った手作りのお風呂で、焚き口の横には薪が積んであります。
自宅のお風呂が薪風呂の家も多い土佐町。夕方になると、家々の煙突から煙が立ち上る風景も見られます。
↓お風呂を炊く係だったというお話「お風呂たき」
土佐町では、薪のある生活が今も営まれています。お風呂をはじめ、山菜やタケノコ、こんにゃく芋をゆがいたりと大活躍。餅つきする時にも、かまどに火を入れ、もち米を蒸したりします。特別なことではなく、日常。その日常がどんなにゆたかなことであるか。
身近だった火の存在が、いつの間にかどこか遠くに感じられる現代。ボタン一つでお湯が沸くのも確かに便利です。が、火の灯りをじっと見つめていると、なんとも言えない安らぎを感じることも事実です。
春、夏の土佐町のページは、これでおしまい。次は秋、冬のページをご紹介します!
土佐町の絵本「ろいろい」。コロナ禍の数年も挟んで、約5年かけた長期プロジェクトとなりました。
完成した「ろいろい」は、ジャバラ型の少し変わった形をした絵本。ながーいページを伸ばすと、そこには土佐町の実在の風景や文化、人々が描かれています。
表面には春と夏の町。裏面には秋と冬。
15回に渡る記事で、絵本「ろいろい」を1ページずつ解説していきます。
ろいろい ろいろい
ふうわりふわり ほたるまう
たんぼの みなもに ひかりがまたたく
「ことしも こじゃんち とびゆうねえ」
みあげれば まんてんの ほしぞら
さあ、次にやってきたのは、皆さんにもお馴染みの場所。
あまり説明も必要なさそうですが、ヒントは「蛍」「木製の歩道と手すり」「煙突」。
そのどれもが特徴的なので、「みなまで言うな」と怒られそうですが、そうここは三島と東境のちょうど境目。
田んぼに蛍が飛び交うのも初夏の風物詩。
国道439号からも見える木製の歩道橋。そして、土佐町の酒蔵・桂月(土佐酒造)の煙突。
例に漏れず、この場所もこれまでとさちょうものがたりで何度もご紹介してきた場所。
↓この場所で撮った蛍。今年ももうすぐですね。
↓土佐酒造・お酒を作っている皆さん。後ろに煙突が見えますね。
↓この場所は、地元の方々の努力で現在の形に維持されています。蛍の出る頃には、この辺りの街灯の灯りが消されます。暗闇で舞う蛍の光は、とても幻想的。毎年、たくさんの人たちが楽しみに見にきます。
絵の左側には、桂月の3代目である澤田久万吉さんの姿が。毎朝欠かさず、ホラ貝を吹いていたそうです。
↓蛍は「キネマ土佐町」の春篇にも登場します。5:59あたりから
今回は、三島の桂月通りをろいろいしました!
絵本「ろいろい」、また次へと続きます!
土佐町の絵本「ろいろい」。コロナ禍の数年も挟んで、約5年かけた長期プロジェクトとなりました。
完成した「ろいろい」は、ジャバラ型の少し変わった形をした絵本。ながーいページを伸ばすと、そこには土佐町の実在の風景や文化、人々が描かれています。
表面には春と夏の町。裏面には秋と冬。
15回に渡る記事で、絵本「ろいろい」を1ページずつ解説していきます。
ろいろい ろいろい
「おーい!いっしょにおよごうや!」
めをつぶり ざぶんととびこむ
みみもとではじける みずのつぶ
あゆのからだが きらきらひかる
土佐町の夏といえば、川!
蒼く澄みきった川。鮎やアメゴの泳ぐ川。川に飛び込む子どもたち。岩や橋の上からざぶんと飛び込むと、耳元で水の粒が弾ける音が。気持ちいい!気分爽快!大体7月くらいから、川で遊ぶ人たちの姿が見られます。
「キネマ土佐町 夏」には、さまざまな夏の川の顔が映されています。
「土佐町ポストカードプロジェクト」にも、たびたび川は登場しています。下に4つ紹介していますが、他にもまだまだあるので、ぜひ探してみてください。
町内にはいくつも遊べる川があって、それぞれの人にお気に入りの場所があります。
↓平石川
↓地蔵寺川
↓東境に流れる川
↓石原地区を流れる押ノ川
このページに描かれているのは、地蔵寺立石という場所。描かれている大きな岩も実在しています。地蔵寺地区の子どもたちは、岩のてっぺんから飛び込んでいたそうです。近くまで行くとかなりの高さ!度胸が試されます。
↓2020年2月、下田さんも地蔵寺立石を訪れました
石原地区出身、作家の司馬遼太郎さんの編集者だった窪内隆起さん。とさちょうものがたりの連載「山狭のおぼろ」では、石原地区で過ごした子ども時代の思い出を綴っています。窪内さんのお家へ伺った時、小学校4年生の時に自分で作ったという「金突鉄砲」と「水中眼鏡」を見せてくれました。「金突鉄砲」は、魚を突く道具です。
川や山が子どもの遊び場だった時代、魚を突いた時の感覚が今も残っているといいます。その様子を語る窪内さんはそれはそれは楽しそうで、思い出はいつまでもその人を支え続けるものなのだと感じます。
幼い頃に培われた感性は一生もの。自然の中で遊ぶ、とにかく遊ぶ。現代の子どもたちにもその時間と経験を作ってあげたい、と強く思います。
↓窪内隆起さんが書いた「金突鉄砲」のお話はこちら
絵の真ん中、水に飛び込んだカッパの右横には、水中で長い棒のようなものを持った大人がいます。これは、鮎の「しゃくり漁」をしている様子が描かれています。「しゃくり漁」は、竹ざおの先に糸と針をつけた道具で、泳ぐ鮎を引っかけてとる伝統漁法です。
水中をのぞき、鮎の通り道を狙います。鮎が針の上を通った時、竿をあげ、鮎を引っ掛けて捕らえます。透明度が高い川だからこそできることです。
鮎漁が解禁されると、川のあちこちで、こういった姿の大人たちを見かけます。
男の子が持っているのは「金突き」。竹の先につけた鉄の銛先で魚を捕らえます。首から下げているのは「ハコビン」という木枠にガラスがはめ込まれた「ハコビン」と呼ばれる道具です。びっくりするほど水の中がよく見えます。
文章の最後「あゆのからだが きらきらひかる」。この一文は土佐町上津川地区で暮らしている川村栄己さんのお話から生まれました。
栄己さんは、早明浦ダムができる前の川をよく知る人です。「道路から川をのぞき込むと、鮎のからだの黄色い模様がキラキラ輝いて見えた」「それほど川がきれいだった」と懐かしそうに話してくれました。
栄己さんの言葉が、この地の川の美しさを伝えてくれています。
川は、私たちの生活の中にあります。
風景の中に、暮らしの中に、いつもそばで流れている。きれいな川が暮らしの中にあることは、かなり、いや、相当幸せなことだと感じます。
ろいろい ろいろい。川で遊んだあとは、どこへ行こうか?
次のページをお楽しみに!
土佐町の絵本「ろいろい」。コロナ禍の数年も挟んで、約5年かけた長期プロジェクトとなりました。
完成した「ろいろい」は、ジャバラ型の少し変わった形をした絵本。ながーいページを伸ばすと、そこには土佐町の実在の風景や文化、人々が描かれています。
表面には春と夏の町。裏面には秋と冬。
15回に渡る記事で、絵本「ろいろい」を1ページずつ解説していきます。
ろいろい ろいろい
はねるあまつぶ だいちにしみこむ
うなぎとびだし かえるなく
「やりゆうかえ」
「しょうはえちゅうちや」
「ごくろうさん」
前ページの宮古野地区を通り、ここは溜井地区。田んぼの横、車が一台やっと通れるくらいの道の脇に並ぶ色とりどりのアジサイ。この場所は「未来の里(とわのさと)」と呼ばれています。
1993(平成5)年から、和田芳穂さんがアジサイ一万本をこの場所に植え、地域の方たちと共に大切に守り育ててきました。
↓「土佐町ポストカードプロジェクト」でも撮影しています。
ちなみに、土佐町の花はアジサイ。この場所をはじめ町内のあちこちにもアジサイが植えられています。
文章中にある「しょうはえちゅうちや」は土佐弁です。「いっぱい生えてるよ〜」みたいな意味になります。
この時期は、田んぼに植えた稲の間に草が生え、伸びていく頃。田に入って草を抜くのは大事な仕事です。
雨が降り続くと、川は濁流と化し、水路から水が溢れ、山は崩れます。自然と共に暮らすことは厳しさも伴います。思い通りにならない自然、どう足掻いても人間は自然には敵わない。町の人たちはそのことを身体で知っています。その体感は人間にとってとても大切なものだということを、皆さんの背中から感じます。
農作業の時に身につけるアイテムとして欠かせないのは「背みの」。左下に描かれている人も背負っています。これが大変な優れもので、水を弾くので雨の日にはカッパ代わり、晴れの日には日除けになります。カンカン照りの日、外で畑仕事をする時に背みのを背負うと背中が涼しい!
背みのは一枚ずつ、手で編まれています。山に生えているスゲという植物を収穫し、干してゆがいで乾かして。そのスゲを編んで作ります。昔は背みのを編める人が何人もいたそうですが、今は数名。土佐町には「背みの保存会」があり、背みのの編み方を次の世代へ引き継ぐべく、活動しています。
↓2017年秋、下田昌克さんも背みの教室に行きました。
絵の右側、道でくねくねと踊っているのは、うなぎです!
昔、土佐町の田んぼにはうなぎがいたといいます。大雨が降ったり台風が来て水路から水が溢れると、うなぎも一緒に流れ出て、道の上でぴっちぴっちと跳ねていたとか。「大雨の時は、うなぎがいるかどうか田んぼの脇の道を見に行った」と何人もの人から聞いたことがあります。
数は少なくなったものの、今もうなぎは川にいます。罠を仕掛けて捕まえて、かば焼きにして食べる人も。羨ましい!一度でいいから、土佐町産のうなぎを食べてみたいものです。
↓うなぎを捕まえた時のお話はこちら
↓うなぎの「ひご釣り」の名人のお話
↓うなぎのいた川で遊んだお話はこちら
絵の中央下に描かれている、オレンジの尾で田んぼを泳いでいるのは生き物は何でしょう?土佐町の人は、この生き物が田んぼに現れるととても喜びます。その名は「豊年えび」。田んぼに泳いでいたら、その年のその田んぼは豊作になるといわれています。
大きさはちょうどオタマジャクシくらい。黄緑色の体、目はクリッとしていて(?)、けっこうかわいい。
この季節は、生き物たちもみずみずしく活動します。豊年えび、オタマジャクシ、カエル…、そしてヒキガエル!
赤い傘をさした人の足元に描かれているのは、でっかいヒキガエル!土佐町にはヒキガエルも健在、雨の日に出てきます。「オンビキ」と呼ばれています。
雨の日、山道の真ん中にデン!と居座っていたら、かなりびっくりします。一度持ったことがありますが、ぬめっとしていて、ぶつぶつしていて重量級。「ひえーーー」と言いながら、両手でやっとさっとこ持てる。道に降ろすと、のそのそ山の中へ。威厳さえある姿は、まさに「山の主」でした。
↓家に「オンビキ」が来たお話「家の主」はこちら
↓和田守也土佐町長が話してくれた「オンビキ」の怖いお話はこちら
絵の左に描かれている男の子が持っているのは、りゅうきゅう。大きいものは子供の背丈ほどもあり「子供の頃、畑から取ってきて傘のようにして遊んだ」とよく聞きます。雨上がりに畑へ行くと、雨粒がコロコロと輝きながら弾いて、とてもきれいです。
りゅうきゅうの茎の部分は食べることができます。歯応えはシャキシャキ!酢の物や豚肉と一緒に炒めても美味しい。土佐町のお母さんたちは、一年中食べられるように塩漬けにして保存しています。
土佐町の西石原地区の窪内久代さんに、りゅうきゅうの塩漬けの方法を教えてもらいました。
今のような便利さがなかった時代、その時期にしか収穫できないものを保存し、一年中食べられるようにする。この土地のものを食べ、生き抜いてきた人たちの知恵の素晴らしさ。そこに人間の強さを感じます。
ろいろい、ろいろい。
雨の季節を抜けたら、次は夏!
さあ、どんな風景が待っているでしょう?
土佐町の絵本「ろいろい」。コロナ禍の数年も挟んで、約5年かけた長期プロジェクトとなりました。
完成した「ろいろい」は、ジャバラ型の少し変わった形をした絵本。ながーいページを伸ばすと、そこには土佐町の実在の風景や文化、人々が描かれています。
表面には春と夏の町。裏面には秋と冬。
15回に渡る記事で、絵本「ろいろい」を1ページずつ解説していきます。
毎年6月、土佐町の各地区で行われる伝統行事 虫送り。絵本では土佐町宮古野地区の虫送りの様子が描かれています。
田植えが終わる頃、稲に虫がつかないように、豊かな実りがありますようにという願いを込め、太鼓や鐘を鳴らしながら地区の中を練り歩きます。
ろいろい ろいろい
6がつのむしおくり
「さいとこ べっとこ さいのもり いねのむしゃ にしいけ」
ひびくほらがい かねのおと
ことしも ゆたかな みのりが ありますように
藁で作った大きなワラジを担ぎ、「さいとこ べっとこ さいのもり いねのむしゃ にしいけ」と言いながら、田んぼの周りを歩きます。
「さいとこ べっとこ さいのもり」は、人の名前です。(「サイトウベットウサイノボリ」と言う人もいます)
時は平安末期。源平合戦中、越前の武士である斉藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)が、源氏の木曾義仲の奇襲を受けました。実盛は稲の株につまずいて転倒、源氏方の武将に討たれ、無念の死を遂げます。
その後、加賀の国では凶作が続き、「実盛が、自分の死の原因となった稲を祟って害虫になった」と言い伝えが広がりました。
子どもの頃、実盛に世話になっていた義仲は、実盛の供養と豊作祈願を行ったとか。それが虫送りの始まりと言われています。
地区内を練り歩いた後、このワラジは白髪神社に奉納されます。
鳥居をくぐり、参道の先には白髪神社があります。白髪神社は、宮古野地区の人たちにとても大切にされている歴史ある場所です。白髪神社の第41代目宮司である宮元千郷さんに、とさちょうものがたり編集部は大変お世話になってきました。
今回の絵本作りにあたって、絵の右下に描かれている「五色の旗」やお供えものの意味を詳しく教えてもらいました。
↓「五色の旗」について、詳しくはこちらの記事をどうぞ!
「赤は太陽、青は火、黄は月、緑は水、黒は土」を表しているとのこと。「物事には、ひとつひとつ、ちゃんと意味があるのです」と宮元さん。
五色の旗は、この世界そのものです。各色に託された意味。それはこの世界で生きる人間の祈りでもあるのだと感じます。
「五色が調和し、今年も生きていけるだけの実りがありますように」
風に揺れる五色の旗から、この地で生きる人たちの声が聴こえてくる気がします。
↓お供えものについて
お供えものはお米やお酒、おもちや果物など、場所やお供えをした家によって違います。
「何をお供えしても、それは祈りのかたち。何が正しくて、何が間違いということではないのですよ」
宮元さんはそう話してくれました。自然に畏敬の念を持ち、感謝する。その気持ちが何より大切なのだ、という思いが伝わってきました。
↓「4001プロジェクト」でも、撮影させていただきました。
「土佐町の絵本 資料集め③」にもありますが、宮古野地区の川村雅士さんも虫送りにまつわるさまざまな資料を見せてくれました。宮古野の虫送りが掲載された新聞記事は、虫送りの行列の人の並び方を描く際にとても助かりました。
毎年、土佐町小学校の子供たちも虫送りに参加しますが、その際には、雅士さんが「チョンガリ」という踊りを見せてくれます。(絵の右下に描かれています)
↓「4001プロジェクト」でも撮影させていただきました。宮古野の人たちは、虫送りの時には緑のハッピを着ています。
この時期は、田んぼの植え直しをする時期でもあります。すげ笠や麦わら帽子をかぶり、腰に苗の入ったカゴをつけて作業する人たちが描かれています。土佐町の大切な原風景です。
「キネマ土佐町 春」にも、2分57秒から、田んぼで働く人たちの姿が。
絵本には、実際に土佐町で暮らす人たちや行事が描かれています。お話を聞かせてもらい、写真を貸してもらい、資料を見せてもらったりと、町の人たちにご協力をいただいたからこそ描くことができた風景です。
緑の山並みや白髪神社の御神木も描かれ、「宮古野の風景そのものや」という、町で生まれ育った人の言葉が何よりうれしかったです。
ろいろい ろいろい。
宮古野を通り、次に向かう先はどこでしょう?次のページをお楽しみに!
土佐町の絵本「ろいろい」。コロナ禍の数年も挟んで、約5年かけた長期プロジェクトとなりました。
完成した「ろいろい」は、ジャバラ型の少し変わった形をした絵本。ながーいページを伸ばすと、そこには土佐町の実在の風景や文化、人々が描かれています。
表面には春と夏の町。裏面には秋と冬。
15回に渡る記事で、絵本「ろいろい」を1ページずつ解説していきます。
ろいろい ろいろい
みどりがたきに のこる くうかいでんせつ
「おばあさん このたにを ゆずってくれないか」
おばあさん それはできんと くびをふる
くちをあんぐり こうぼうだいし
さあ、次にろいろいとやってきたのは、平石・栗の木・翠ケ滝(能地)です。
左の奥にそびえている大きな木は平石の乳銀杏。その元で、口をあんぐり開けているのは誰でしょう?そう、弘法大師です!
土佐町には昔むかし、土佐町能地に四国霊場を開くため、弘法大師がやってきたという言い伝えがあります。このお話は、土佐町史に掲載されています。
平石の入り口に鎮座して集落を守る毘沙門堂。このページの真ん中には、このお堂に建つ樹齢400年の杉が描かれています。集落を見守り続けてきた杉の木肌は苔蒸し、この場所で生き抜いてきた時間を感じさせてくれます。平石地区の皆さんがとても大切にしている場所です。
そして、竜の口から流れ落ちる滝。これが翠ケ滝です。
翠ヶ滝は「裏見の滝」。滝の裏側にある窪地にお堂が建っていて、滝の裏からの風景が臨めます。2018年9月の「土佐町ポストカードプロジェクト」でも撮影しています。
近くには芭蕉の木が生えており、滝の水がその大きな葉に跳ね揺れている。座ってその風景を眺めるのもおすすめです。
翠ヶ滝は「キネマ土佐町 秋」にも登場しています。1分44分からです。
絵の中の子供たちが持っているのは竹の水鉄砲。ゲームやスマホなどなかった時代、町の人たちは山にある竹林から竹を切り出し、おもちゃを作って遊んでいたそうです。 竹の水鉄砲や弓矢、豆鉄砲も。
土佐町地蔵寺地区の筒井政利さんは、竹のおもちゃを作る名人です。海兵隊として戦争へ行った筒井さん。その時のお話を記した記事はこちらです。
ろいろい、ろいろい。
町のあちらこちらには、たくさんの歴史や言い伝え、人が生きてきた証が散りばめられています。町の人に出逢い、町を知る。
さてさて、次のページはどの場所へ?
どうぞお楽しみに!