私の一冊

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「黒牢城」 米澤穂信 KADOKAWA

ネット予約してやっとやっと手元に届いた作品。昨年のミステリーランキング1位を独占し、今回直木賞を受賞した。直木賞選考委員の浅田次郎さんが「上質なミステリー」と評している。史実を踏まえたうえで脚色、そして史実を歪めることなくきちんと着地。

織田信長に反旗を翻し、織田の使者として送り込まれた黒田官兵衛を地下の土牢に一年余り幽閉、荒木村重のトップとしての孤独、戦国時代にありがちな疑心暗鬼…。

村重は導かれるかのごとく才覚ある軍師「官兵衛」の土牢へと足を運び、意見を求めるようになる。

官兵衛からの助言を得て重大局面を乗り切る村重、でもそこは知略に長けた官兵衛、周到な心理作戦のもと、村重を追い詰める。

大河ドラマで演じた俳優さん、岡田准一(官兵衛)、田中哲司(荒木村重)、桐谷美玲(荒木村重の妻)が行間から躍り出てくるようだった。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

山門由佳

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「とうちゃんのちゃんぽんめん」 伊藤秀男 福音館書店

毎月一冊、保育園を通して購入し、持ち帰ってくる『こどものとも』がひそかな楽しみだ。

こちらの作品は、年少クラスの娘が昨年の夏に持ち帰ったもの。けれど、半年経ち、寒い冬の今、読んでほしいと娘がよくせがむ。 その理由はわからないけれど、夏に読んだときよりも確実に、ちゃんぽんめんが美味しい季節であることは間違いない。

とうちゃんのつくるちゃんぽんめんには、12種類の具沢山の野菜に、いか、えび、あさりまではいって、しいたけ&昆布のだしをベースに、麺は乾麺からのこだわりよう。

とうちゃんはザクザクと具を刻み、文章にはなくとも胡麻油もしっかり鎮座している台所。 醤油差しの白い陶磁器、手入れされた中華鍋、出番の多さが物語る先の焦げた木べら…、美味しいごはんが生み出される台所であることがわかる。

そしてここの表現がたまらない。

−しおを ぱっぱっ、しょうゆをたらり、おみそを ぽちゃんといれ ぱっぱっ、たらり、ぽちゃん…

その音だけでどれくらいの分量なのか想像がつき、味まで思い浮かぶ。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

川村房子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「通天閣」 西加奈子 筑摩書房

どうしょうもない人々が醸し出す得体の知れないエネルギーが溢れている大阪。帯に「えらいこっちゃ!」と書かれているのを見て、つい手がのびました。

夢を失いつつ町工場で働く中年男の俺。恋人に見捨てられてしまっても、まだすがりついていたいスナックで働く若い女。ある雪がヒラヒラと舞う夜、通天閣で自殺しようとしているダマー。俺は「死ぬなー」と言いながら、その言葉を俺に言って欲しいと思った。お互い気付いてはいないが、スナックで働く女は、昔、子連れの女と所帯を持った時のガキ。

ドラマチックかと思いきや大阪らしいオチもある。通天閣を舞台に起こった大騒動。

 

お正月明け、次男の家に冬休み中の孫の守りにいったとき、大阪のローカル番組だったと思う。通天閣下の立ち食いうどん屋さんが放映されていた。一杯170円。出汁のきいたうどんで、16年間値上げなしだという。一日も休み無く6年間通っている男性など、さまざまな生き様をもつ人ばかりで、コロナの間も閉めることはできなかったと店主。

本を読み終えたばかりだったので、身につまされた。

今、通天閣では耐震工事とあわせて、地上から4メートルの滑り台を造っているらしい。「えっ!そこにすべりだい」と思ったけれど、大阪らしいといえば大阪らしいと思いませんか?

 

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

古川佳代子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「ちいさなおじさんとおおきな犬」 バールブロー・リンドグレン文, エヴァ・エリクソン絵,菱木晃子訳 あすなろ書房

浜田廣介の「泣いた赤おに」を覚えていますか?心優しく人間と友だちになりたいと願う赤鬼と、友だちの願いをかなえるために事故犠牲を厭わない青鬼の友情物語。読むたびに理不尽さに憤り、赤鬼、青鬼どちらもが可哀そうで仕方なく、読むたびに泣いてしまうおはなしでした。

この絵本の主人公、ちいさなおじさんも友だちがいません。「ひとりぼっちのちいさなおじさん 友だち募集中」と家のそばの木に貼り紙をするおじさんは、赤おにを彷彿させ、どんなことになるのかとドキドキしながら読みました。

道行く人から見ないふりをされるちいさなおじさんでしたが、10日目の夜、大きな犬がおじさんのそばにやってきます。不器用で内気なおじさんとおおきな犬は徐々に距離を縮めていくのですが、そこにかわいい女の子が現れて…。

おじさんの気持ちに寄り添いながら味わってほしいお話です。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

矢野ゆかり

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

大変遅くなりました!

「私の一冊」においてのレアキャラ、ゆかりです。

煮詰まっているうちにあれよあれよと日が過ぎ年を越え、まさか1月になるとは。びっくりです。私がグツグツに煮詰まっている間、色々なことがありました。オリンピックに新型コロナの第6波、米中関係悪化に米露関係の悪化、個人的には最近起きたトンガの海底火山の噴火と原因不明の潮位変動がありますね。新型コロナによって生活が一変したことは、もはや日常とかしていまが、特に新型コロナの変異株・オミクロン株の急激な拡大は目を見張るものがあります。まるで何かが人間に試練を課しているかのようにも思えます。人間が人間以外の生き物に、常に変化や災いをもたらす事=試練と考えれば、余り変わらないかもしれませんが

さて、前座は置きまして、ラストの7巻も後半です。

前回はナウシカがシュワの墓所へ向かうところで終わっていました。続きからです。

ナウシカは隠された庭からでてくると、蟲使い達と城爺に会います。蟲使い達はナウシカについて行くため、大事な蟲達を殺してまで着いてきたのでした。ナウシカはその覚悟と犠牲に涙を流しますが、蟲使い達は「泣かないで」と慰めます。意外かもしれませんが、私はこの些細なシーンが好きです。何故なら、使命の為に自分が尊く思うものを犠牲にする精神を持つ蟲使い達と、そのようなことをさせてしまうナウシカのカリスマ性にリアリティを感じるからです。

さて、ナウシカは姿の見えないオーマの姿を探します。オーマは先に墓所へ行き、事をなそうとしているのでした。ナウシカ達は急いで後を追います。その頃シュワの墓所では、トルメキアのヴ王が墓所へ攻撃を仕掛けていました。墓所の守りは硬く、犠牲は増えるばかり。そこへ巨神兵が現れます。オーマです。彼はヴ王へ戦闘中止を要請するものの、武力を持って墓所を鎮圧しようとするのでした。大きな被害を与えたものの、ほぼ相打ちのような形になり、彼は深い空堀の中に落ちてしまいます。

全ての武力を失い、道連れは道化師のみとなったヴ王の元に、墓所から使者が現れます。墓の主がヴ王と会うというのです。時を同じくして、エンジンを損傷し墓所の上に不時着したガンシップには、アスベルとミトがいました。ミトは重傷の様子ですが、「この墓は生きている」と極めて冷静な状況判断をします。ミトは死ぬ覚悟をし、アスベルを巨神兵がつけた傷口から内部に潜入させ、自分は残って墓へ追撃を加えるべく動いたのでした。

ヴ王が墓の主と会おうとしていたとき、ナウシカは墓所へたどり着きます。そして「王以外は入れない」という墓所の住民を一瞥で制し、堂々と墓所の主の元に向かいました。

墓所の主の元で、ヴ王とナウシカは出会います。墓所の主とは、全体に文字が浮きでた肉塊でした。墓所の住民達はここで、墓所の主に、夏至と冬至に浮き出てくる文字を解読するためにヒドラとなり、何百年も生きているのでした。

墓所の主はヴ王とナウシカにあるものを見せます。それは学者と思わしき人物達の群れが、語りかけて来るものでした。「君たちは長い浄化の時にいる」「いずれ清浄の地へいける」と言葉が投げかけられます。しかし、ナウシカはもう理解していました。その言葉がまやかしであることを。ナウシカは墓所の主の言葉を真っ向から否定し「真実を語れっ」と言います。

墓所の主は返します。「………どの真実をだね? あの時代どれほどの憎悪と絶望が世界をみたしていたかを想像してみたことがあるかな?」「有毒の大気 凶暴な太陽光 枯渇した大地 次々と生まれる新しい病気とおびただしい死」「ありとあらゆる宗教 ありとあらゆる正義 ありとあらゆる利害 調停のために神まで作ってしまった」と。

ここでひとつ。思いませんか?これって今の話?と。

『風の谷のナウシカ』を初めて読んだ時はあまり感じなかった事が、最近急に実感を増してきたように思えます。新型コロナが次々と変異し拡大しているのを見たからでしょうか。数年前のエボラ出血熱の流行も頭を過ります。(極域の永久凍土は今も溶け続けていますが、その中には何百何千もの未知なる菌が潜んでいると言います。熱帯雨林もそうです。)そして、宗教対立による戦いや国家間の関係悪化、移民問題。マイクロプラスチックやCO2による地球温暖化といった環境破壊。私達はこれからどのような世界に生きていくことになるのでしょうか

本編に戻ります。あと少しですのでお付き合い下さい。

墓所の主は「人類はわたしなしには亡びる」と言い、ナウシカは「それはこの星がきめること」と返し、命を光と呼ぶ墓所の主に「ちがう いのちは闇の中のまたたく光だ」と言い放ちます。ヴ王も「朕は墓守にはならんぞ お前には仕えん 自分の運命は自分で決める」と同調します。墓所の主は彼らを殺そうと攻撃しますが、ナウシカは瀕死のオーマを呼び、主を倒すのでした。オーマも同時に力尽き、ナウシカに看取られて死んでいくのでした。

さて、ここでもちょっと。私、ヴ王が好きなんです。クシャナの敵役として「毒蛇の中の毒蛇」と称される冷酷なヴ王ですが、物語の各所には彼が王たる所以が見られます。クシャナやナウシカとは違うカリスマ性を持っている人物なのです。それを証拠にヴ王は、もっと早くナウシカに会いたかったと言い、ナウシカを庇って死にます。もしも、もっと早くナウシカがヴ王と出会っていたら、トルメキアと土鬼の戦はなかったかも知れません。しかし、この戦がなければナウシカがこの世界の真実に気付くこともなかったと思えば、運命を感じさせるものがあります。そんな物語を作る宮崎駿に、計り知れぬ何か強い意志を感じたのでした。

そして、ナウシカの「いのちは闇の中のまたたく光だ」というセリフ、深い感銘を受けました。まず初めに、私が思い描いたのは、母親の体内で羊水に浮かぶ赤ちゃんのイメージ。さらに目を閉じても、チカチカと光る太陽の残影。夜中の街灯に蛍の光。まったき光がいのちなのではなく、清と濁があり、光と闇両方抱えるものこそいのちなのだという視点は的を得ていて、様々なことに共通するだろうと思います。また、またたいている、というのが、いのちの多様性や変化を表していて素敵だと思うのです。

墓所の主の死後、ナウシカ達は彼女を追ってきたクシャナや、チチクにで迎えられます。その光景は、焼けただれた大地が朝日に照らされ金色にひかり、ナウシカの衣服は墓所の血によって深い青にそめられ、蟲使い達が喜びの舞を踊っていました。「その者青き衣を纏いて金色の野に降り立つべし」と同じだと、チヤルカ達は涙を流していました。

そしてナウシカは言います。「生きねば。」と。

辛くても苦しくても、血を吐いても、生きねばと。

そしてこの出来事は、子々孫々と伝えられてゆくことが語られ物語は終わります。

私達は現代において様々な状況に置かれています。一個人として、家族や地域社会という単位で、職場で、SNS上でといった様々な側面を持ち、そして多種多様な生き方をし、自然とのかかわりも色々です。ナウシカの言う「生きねば。」は、自分が自分でいることに疲れた時、ふと原点に戻らせてくれる、そんな言葉です。結局、私達は生き物なので、生きることが最も尊く、かつ難しいことなのだと思います。

前を向いて生きる。辛くても。

そう思わせてくれる物語が、『風の谷のナウシカ』という物語なのではないでしょうか。

長い話でしたが、これで終わりになります。

少しでも『風の谷のナウシカ』の魅力が伝えられたら、幸いです。

コロナ禍の中で働く全ての人にエールを。

闘病中の方や後遺症に悩む人にエールを。

亡くなった方に弔いを。

それでは、また。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「禅シンプル生活のすすめ」 枡野俊明 三笠書房

精神的な迷路に迷い込んでしまいそうな時のために、心に留めておきたい言葉が集合しています。

例えば、

★「不安」のほとんどは、あなたの心が勝手につくり出しているもの。不安に実態などないのです。

★わざわざ自分から心配の迷路に迷い込み、悶々とするなんて、もったいない。目の前にある現実に目を向け、一歩、歩を進めましょう。

★「決断力」というのは、自分を強く信じる力なのです。肩の力を抜き真摯に歩み充実した一日を過ごす、今を生きることが何より大切!

力強く励まされます。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

山門由佳

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「げんきなマドレーヌ」 ルドウィッヒ・ベーメルマンス 福音館書店

きっと有名なマドレーヌちゃん。でもあんまりわたしはきみを知らなかったけれど、この一節を読んで一気にファンになりました。

「ねずみなんか こわくないし、 ふゆが すきで、スキーも スケートも とくい、 どうぶつえんの とらにも へいっちゃら」

まぁ動物園の虎は怖くないにしても。 ねずみにびくびく怯えて、寒い冬にも背中を丸めて完全に負けちゃうわたし。 ねずみが怖くないなんて!冬が平気だなんて! 『姐さん!』と呼ばせていただきたいくらい。

そんな勇敢で格好良いマドレーヌちゃんはパリのカトリック系の寄宿舎で暮らしている。 優しいミス・クラベル先生に見守られながら、さまざまな人物との交流や騒動の様子をパリのあちこちの風景と素朴なタッチで描かれた絵が素敵。 このページ、額縁にいれて飾りたい〜。 めくるたび何度もそう思う、絵が魅せるお気に入りの「絵本」です。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

川村房子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「ギフト」 日明恩 双葉社

室戸での法事があったとき、お茶碗にこれでもかというほどの山もりのごはんをおまつりしてといわれ、庭先の隅においた。それは、その辺りにうろついている餓鬼のための供養だと教えてくれた。

この小説はある事件がきっかけで退職した元刑事と、幼い頃より死者が見える少年があることで知り合っていく。人目をさけて生活している二人。少年は幼い頃より死者がみえた。少年の前に現れる死者である老女は、頭とからだの左側がぐちゃぐちゃに砕け、血まみれの姿で。7歳の時に池に落ちて死んでしまった少女は、生まれたばかりの弟が心配で19年たっても、ずぶぬれの姿で、この世に留まっている。少年に触れていると死者が見える。

その他にも様々な事情で、この世に留まる死者の未練と謎を二人で解き明かしていく。

昔、文中にもある「シックスセンス」という映画を見た時、その大どんでん返しに息をのみ、誰かに話したくてたまらなかったことを思い出した。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

山門由佳

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「はじめてであう小児科の本」 山田真 福音館書店

この本は子供が病気になったとき、まず一番にひらく本だ。

とにかく頼りになる。 お医者様がおうちにいらっしゃる感覚なくらいに、子供のかかるたいていの病気や対処法は載っていることはもちろん、文調からも【安心感】をお届けしてくださる。

何度、お世話になったことか‥ 孫の代まで引き継ぎたいと思える本。 そして子育て家庭に、一家に一冊。 強力推薦いたします。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

『「失敗」の日本史』 本郷和人 中央公論新社

時代は変化し、文明は進化しようとも、人間の本質、本能、欲望に大した変化はなく、対象が少々異なる程度、歴史は繰り返す。

歴史に名を残した武士や大河ドラマ等で大々的にとりあげられる代表的な戦などについて、何故勝って当然の陣営側の負け戦となってしまったのか、誇張ともとれる状況などを筆者の知識や詳細な資料を元に謎解き風に解明している。

少人数で大群の今川軍に勝利し、今川義元をも討ち取ったことで有名な織田信長の「桶狭間の戦い」が人数的な誇張なのか、そして今川義元は何故生き延びる事を考えずに討ち取られたのか、納得のいく数字をあげ、当時の勢力図も考慮し、考察している。この伝説が太平洋戦争においても大国アメリカに勝利できるという刷り込みになったと指摘する。

因みに、今川義元は何としてでも生き延び、時の熟すのを待つべきであり、徳川家康(伊賀越え)や織田信長(金ヶ崎の退き口)のように、なりふり構わず逃げなかったことが最大の失敗であると述べられている。

歴史を学ぶことは未来への教訓であり、受験の暗記科目ではないと痛感。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone