とさちょうものがたり

土佐町のものさし

【番外編】ブータン・GNHレポート No.1

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 土佐町の新しい指針を作る過程を追う「土佐町のものさし」、今回は【番外編】として、GNHの産みの親であるブータンのGNHの現状を、とさちょうものがたり編集長である石川がレポートします。

 

1.  GNHコミッション

 

さあ、ここからはGNH関連の人物や取り組みなどを、ブータンの風景などとともに紹介していきます。

順不同で、独断と偏見により石川が紹介したい順に書いていきます。

まずはGNHコミッション(GNHC)

これがティンプーの中心にほど近い、GNHコミッションの建物。

いきなりGNHの総本山のようなところに来てしまいました。

GNHコミッション」はブータン政府の政策が、GNHに基づいた策定がなされているかというチェック機能を持った国権の最高機関です。

GNHの哲学に則した、ブータン全国民にとっての「幸福度の促進」を目指す公的な機関なのです。

 

GNHコミッション入り口。ちなみにブータンの建築物は全て伝統的な外観を保つように義務付けられています。

GNHコミッションのデチェン・ペルモ(Dechen Pelmo)さん。

 5ヶ年計画とブータン・ビジョン2020

 

ブータン政府は、1961年より5年毎に 「5カ年計画」(“The 5 Year plans of Bhutan”) を作成し、それを指針にして国を運営しています。

2018年にその11番目の計画が終了し、2019年度から新たに12番目の「5カ年計画」が始まります。

その5ヶ年計画ももちろんGNHに則ったものであり、それぞれがGNHの理念をどう具体化するかという指標です。
またブータンには1999年に策定した長期ビジョン、通称「ブータン・ビジョン2020」があり、これには都市部と地方部の格差是正、貧困削減、産業振興等が大きな目標として設定されています。

2020年までの目標設定ですね。

 

そういった5年ごと、20年ごとの大きな流れの中で、GNHコミッションは特にGNH(国民総幸福度)をどのようにブータンに浸透させていくか、またはどうGNHの理念と現実を噛み合わせていくかという観点で仕事をしている機関です。

いわばGNHの運用面と言ってもいいかもしれません。

 

第12回5カ年計画 12 FIVE YEAR PLAN 1 NOVEMBER, 2018 – 31 OCTOBER, 2023

Bhutan 2020 : A Vision for Peace, Prosperity and Happiness  Part 1

Bhutan 2020 : A Vision for Peace, Prosperity and Happiness  Part 2

 

  GNHインデックス

 

ブータンのGNHは、GNHインデックスという指標を使い、GNHアンケート調査(前回は2015年に実施)の結果をこれにより分析発表しています。(Center for Bhutan Studies & GNH

GNHインデックスによると、前々回のアンケート調査に比較して、前回のものは例えば‥

  • 身体的な健康は上昇⤴︎
  • 精神的な健康は下降⤵︎
  • コミュニティへの所属意識は下降⤵︎

というような結果が出ているので、この結果に沿った現実的な施策やプロジェクトを行っていくという考え方です。

 

2015年ブータン幸福度調査報告書 A COMPASS TOWARDS A JUST AND HARMONIOUS SOCIETY | 2015 GNH Survey Report 

 

  政策のチェック機能 ポリシー・スクリーニング・ツール

 

またGNHコミッションは幸福度の観点から見た政策それぞれのチェック機能も担っています。

ポリシー・スクリーニング・ツール(Policy Screening Tool)というのがそれにあたり、22種類のチェック項目が、各4点満点で設問されています。

 

上の図のように、1. ストレス 2. 文化 3. 身体的運動‥‥とチェック項目が22個あり、それぞれ4点満点で採点する

 

つまり全てにおいて4をもらえれば、88点満点になります。これを閣僚とGNHコミッションのメンバーの15人〜20人で検討し、66点以上取れればその政策はオッケー!ということになります。

66点以下の場合は策定者に差し戻され、修正のうえ再度のチェックになります。

これはGNHがどうしても「理念」の話であるが故に、どうやって現実的に効力を持たせるかという点においてとても大切なことだと、個人的には思います。

正直に言えば、今回ブータンにはるばる来た理由もそこにあります。

「幸福になった方がいいよね〜」というようなことは、誰でも口で言うことはとても簡単なことな訳です。

「より幸福になりたい」という思いも全人類で共有できるものでしょうし、言えばある程度の共感は得られる。

ただそのために、じゃあ何をどうやっていくのか、が難しい。現実とどのようにぶつかっていくのか、どうしたら言いっ放しにならないで現実的な行動に繋げられるのか、そういった観点からGNHの運用面を知るためにブータンまで来たのです。

そしてこのポリシー・スクリーニング・ツールも、現実とGNHを噛み合わせるための仕組みのひとつと言えるでしょう。

 

 政策(ポリシー)のチェックとプロジェクトのチェック

 

GNHコミッションのデチェン・ペルモさんによれば、政策(ポリシー)のスクリーニングは上記のような仕組みで行っているのですが、その政策に付随する形となる具体的なプロジェクトまではスクリーニングを行っていないということ。

「そうね、プロジェクト単位でもスクリーニングはすべきだと私も思います」

そうデチェン・ペルモさんは話していました。

今後のGNHコミッションの動きとして実現するかもしれません。

 

 

 GNHとビジネス

現在、新たな動きとしてGNHコミッションが取り組んでいるのが「GNH サーティフィケーション (GNH Certification)」と呼ばれる、ビジネスにおいてGNHの観点を当てはめていく仕組み。

これは2018年より稼働し始めた新しい取り組みということです。

ブータンで新たなビジネスを始める際にこの認証を受ける必要があり、この認証はGNHの価値観にそのビジネスが沿っていることを証明するものだそうです。

 

 いきなり堅い話になった!

このブータン・GNHリポート、第一回からいきなり堅い話になりました。

書いている当人もちょっとツライ。。。頭がついていかない。。。

ブータンのGNHのことを見聞きするためのブータン行なので、これはこれで必要なのですが、ずーっとこんな調子でいったらぼくの頭が爆発してしまう。。。

次回は、もう少し柔らかい記事にすることを誓います!!

 

パロ近郊の村での1枚。女の子は「キラ」と呼ばれる民族衣装を日常的に着ています。

 

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 おかげさまで1115枚! みなさまありがとうございました!

とさちょうものがたりと障がい者就労支援施設どんぐりのシルクスクリーン事業がスタートして早1年、いろいろと試行錯誤や小さな失敗を経験しながら、1年間で以下の表のような成果となりました。

これもひとえに、温かい笑顔で(ときにきびしく)応援してくださった方々、そして商品のひとつひとつを購入していただいた方々のおかげです。

本当にありがとうございました!

とさちょうものがたりとどんぐりから、特大の感謝をお伝えしたいと思います。

 

画像 名称 枚数
土佐町 x 下田昌克ポロシャツ 402
  高知大学地域協働学部ポロシャツ 8
  大豊町社協ポロシャツ 132
   ・れいほく博ポロシャツ  30
 ・土佐町小6年生運動会Tシャツ  46
   ・湖畔マラソンTシャツ  238
   ・土佐町ハッピ(産業振興課)  10
   ・野中祭ハッピ  50
・川田ストア駅伝チームTシャツ  43
  ・下田昌克Tシャツ  52
 

トートバック(Edition)

16
  トートバック(マチ付き) 50
・トートバッグ(ブルー) 30
   ・エプロン 8
合計 1115枚

 

 2019年度の新作をお楽しみに!

そして昨年もやりました「土佐町オリジナルポロシャツ」、今年もまた新たな絵柄で新作を販売します!

背中の絵は、もちろん絵描きの下田昌克さん、印刷はどんぐりのメンバー。

もうまもなく詳細を発表いたします。お楽しみに!

 

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くだらな土佐弁辞典

ばあ

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【副助詞】

〜ぐらい(位)

▼使用例:

「ばあちゃんは、そればあのことしっちゅう」
(ばあちゃんはそれぐらいのこと知ってる)

「友だちは2時ばあに来る」
(友だちは2時ぐらいに来る)

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土佐町の高須に綿々と伝わる古歌「土佐柴刈り歌」。

田んぼに混ぜ込む柴を刈るときに歌ったものとして、現在にも伝わっています。

今回、歌い手のおひとりである池添博喜さんに、カメラの前での歌唱をお願いしました。

この歌の起源となった民話(前編後編)とともに、ぜひあわせてご覧ください。

 

歌:池添博喜 制作:とさちょうものがたり 録音:Laura Harpio-Kark  佐々木理世

 

 

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土佐町ストーリーズ

土佐柴刈り唄 後編(高須)

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ここでこの柴刈り唄のモデルとなった話を一つしてみようかのう。

江戸時代の終わりの頃、高須の台という所に常右衛門と言う、部落の世話をようやっておいでた人がおった。
ある日、笹山を越えて高知へ行く途中、土佐山村の菖蒲と言う所でお兼と言うべっぴんさん(美人)に出合おたそうな。

それからというもの常右衛門は、“寝ては夢、起きてじゃうつつの幻の”だったかどうか定かではないが、とにかく一目惚れをしたそうじゃ。そんで、どうしても自分の女房にしとうなって、口説きに行ったと。

そしたらお兼が答えて、「百晩ここまで通うて来たらおまさんの言うとおりにしちゃる。」言うたそうな。

そんで常右衛門は、次の日から笹山を越えてお兼の所へ通うことにしたそうじゃ。
今でこそ車があるが、当時のこと頼りになるのは自分の足だけで、それも険しい坂道で、片道約三時間はかかったであろうから、並大抵のことではなかった。

家族にも内緒で、仕事が終わるとすぐに出掛けて、朝方には誰にも気付かれぬように帰って来る毎日が続いた。

家族のもん(人)も、えらいぞうりがちびるがおかしいと思いよったと言うことじゃ。

ある日には、途中で子連れの猪に出合い、それを次の日おおかた言いかけて、ばれたらいかんので

「笹山には子連れの猪が………おりゃせんやろうかねえ。」

言うてごまかしたと言う話もあるそうな。

やがて九十九日通った晩のこと、お兼が「おまんさんは九十九日も通うて来たんで明日は来んでも来ることはわかっちゅう。」言うて常右衛門の熱心さに打たれて、めでたく結婚し、仲良く暮らしたいうことじゃ。

 

「土佐町の民話」より 池添好幸

 

土佐柴刈唄

無形民俗文化財  昭和四十一年五月十七日 町指定

《歌詞》

田肥ノー よしよやれ
よしよやれ た肥
ヨイショー ヨイショー
田肥よしよやりや ユホー
実がやどる
ハア ヤレショー ヤレショー (以上繰り返し)

来いとノー 誰が言うた
笹山こえて
ヨイショー ヨイショー
露に御袢の ユホー
紐ぬれた


来いでノー 来いでと
待つ夜は 来いで
ヨイショー ヨイショー
待たぬ夜に来て ユホー
門に立つ


鮎はノー 瀬に住む
鳥や 木にとまる
ヨイショー ヨイショー
人は情の ユホー
蔭に住む

朝のノー 露草に
刈り込められて
ヨイショー ヨイショー
鳴いて上るは ユホー
きりぎりす

柴刈れノー 草刈れ
やれ はげめ
ヨイショー ヨイショー
今年や米取ろ ユホー
嫁も娶ろ

俺がノー 土佐の
柴刈り男
ヨイショー ヨイショー
鎌の光でユホー
山へ行く

行きはノー 朝星
帰りは夜星
ヨイショー ヨイショー
昼は利鎌の ユホー
星が飛ぶ

土佐はノー よい国
南をうけて
ヨイショー ヨイショー
年にお米が ユホー
二度とれる

今年やノー 豊年
穂に 穂が咲いて
ヨイショー ヨイショー
道の小草も ユホー
米がなる

 

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土佐町ストーリーズ

土佐柴刈り唄 前編(高須)

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むかしむかし、まだ化学肥料のないじぶん(頃)には、五、六月になるとサッーと萌え出た、やりい(やわらかい)柴を刈って肥料として田んぼに入れよりました。

牛を使ってこなし、水を張った田んぼに柴を刈って来て入れ、鉈でこいつを二十センチメートルぐらいに叩き切りよりました。

田んぼの中でやったんで、下が泥ですろう。ボッシャン、ボッシャン頭から泥だらけになって叩き切るわけですらあ。

六月じぶんじゃったら、田んぼに柴を置いただけじゃなかなか腐らんですがねえ。
そんでオアシ言うて大きな障子の枠みたいに組んだ下駄をこしらえて、叩き切って拡げた柴をザンブリザンブリ踏んで行くわけですらあ。

柴刈りは男も女も家族総出でやりよりました。それから季節労働者を雇うたりもしよりました。
大栃の菲生(にろう:現在の香北町)あたりからもだいぶ来よったがねえ。

柴を刈るのも、田んぼで叩き切るのもどっちも重労働じゃった。刈った柴は、三束ずつくくって、六束をサス(突き刺し棒)で担うて来ましたのう。

一日刈る量は普通「一日六荷(一荷は六束)」と言いよったが、一反(約十アール)には二十荷ばあ入れよったろう。
よけい入れる場合もあって田んぼの水が見えんば入れることもありましたねえ。

こうした重労働の中で、「柴刈り唄」は、山のこっちでも向こうでもお互い励まし合うという格好で唄うたもんですのう。

「土佐町の民話」より 池添好幸

 

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くだらな土佐弁辞典

かまん

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 かまん

【承認・許可】

〜してもいいか?

〜してもいい

▼例文

「後でかまん?」

「かまん、かまん」

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みんなのアルバム

校庭にて

写っている人
  • 日時不明

  • 場所相川小学校

  • 撮影者不明

  • 投稿者とさちょうものがたり

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相川小学校にあった古いアルバムから1枚。

校庭でしょうか、みなさんの背後に二宮金次郎像が見えます。

先生方かな?と思いますが、どうでしょう。

年代や日付、どなたなのかはまったくわかりません!

心当たりのある方がいらっしゃったら、ぜひご一報くださいね。

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とさちょうものづくり

こうほう とさちょう

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またまた時間の経ったご報告になってしまいましたが、土佐町の広報「こうほう とさちょう」2018年12月号の表紙と裏表紙です。

「土佐町ポストカードプロジェクト」で撮影した2枚の写真、表紙は安吉にある三宝山高峯神社で12月の初頭に開催される神祭の際に、宮司の宮元千郷さんの後ろ姿を撮影させていただきました。

裏表紙はさめうらダム湖。ダム湖ならではの静謐な湖面を撮影しました。

もうすぐみなさまのお手元に届く頃です、という記事にするべきところ、みなさまのお手元にとっくに届いています、というタイミングになってしまいました。すみません!

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土佐町ストーリーズ

掛穂の由来(石原)

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いつの頃からかはっきりわからんが、芥川主水と言う人がおったそうな。
猪や猿が多く、作物にわるさをするんで、山の中に小屋を作って毎晩追い払ったそうな。

ある朝のこと、小屋の棟から大きな足が下がってきたと。主水がこれを弓矢で射ろうとしたところ、

わしは三宝山に仕える者じゃが、この山の大神は、作物の豊作を願う神であるので
もうここに来る事はない

と告げ、鐘、太鼓を響かせて去って行った。
主水は伏し拝んですぐに家に帰り、再び小屋を作ることはなかったと言うことじゃ。

さて、その秋は、猪や猿の害も少なく豊作じゃった。
それでその初穂を山頂の大桧に掛けてたてまつったそうな。
それから毎年大みそかの夜に掛穂をするようになったと言うことじゃ。

またその後にこんな話もある。

ある年の秋、安芸郡の小作百姓の藤右衛門が、稲刈りを始めたところ、いつもの年の半分にも足らん実入りじゃった。
刈り入れはそのままにしちょいて、早速、加地子米(田んぼのかわりに地主に払う米)を減らしてくれるように
地主にたのみに行ったんじゃが、地主はうんと言わざった。

困った藤右衛門は初穂と新しい鎌を持って、三宝山に参詣し、刈り残した稲がどうか実って下さいとお祈りした。すると社殿から老人が現れ、

わしは山の神じゃが願いごとは確かに聞いた

と言うて、鎌を片手に大空へ消えていった。

それから、はるばる帰り着いた藤右衛門はその足で早速様子を見に行ってみると、
なんと稲穂は深く垂れて満作になっちょったと言うことじゃ。

それを伝え聞いて安芸郡から参詣する人も多くなったそうじゃ。

町史

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