「森の叫び」 中谷正人 「森の叫び」刊行委員会
私の主人、秀昭が亡くなって今年でちょうど10年。
亡くなった直後、それまで秀昭が闘ってきた三十年の軌跡を惜しんでくださった仲間の方が、「森の叫び」と題して、本を発行してくださいました。
「山は、木材として使われることによって守られる。」
「共に想う=共想」
よく秀昭が口にしていた言葉を、苦しくも、燃焼しつくし共に過ごした日々を、少し時を置いた今、改めて思い返しています。
著者名
記事タイトル
掲載開始日
山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。
人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。
土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?
みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!
(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)
「スイッチ」 西澤保彦 光文社
梅雨時、すっきりしないお天気が続きます。
この作品の舞台は高知で安芸や春野、はりまや橋と、身近な場所がでてくると頭の中の地図に再現されます。
時は昭和52年、婚約者に会いに高知を訪れた22歳の菜路充生。彼女の都合で、一人でホテルに泊まることになったその夜、銀色の奇妙な雨にうたれ意識を失ってしまう。目覚めた時、ボクの体は別の人格に乗っ取られていた。
体の中には二人の存在があり、22歳のボクと53歳になった僕。体を自由にできるのは53歳の僕。ボクには記憶のない31年。妻とは離婚したという。人生の輝く時期をうばわれ、喪失感に苦しむボクを、今度は連続殺人事件が襲う。
ミステリアスな作品でした。作家のあとがきも楽しんで読みました。
「(昔の)ku:nel」 マガジンハウス
「昔の」ku:nelが面白い。 ku:nel(クウネル)は2002年にアン・アンの増刊号として創刊された。 2015年の11月号を最後に突如リニューアルされ、現行のku:nelはまったく雰囲気の異なる雑誌になってしまった。 なんとも不思議な歴史をもつ雑誌。 2015年11月号までの「昔の」ku:nelは、むしろ「今の」時代に合っている感じがする。
内容を読んでいて、何度も表紙を見て発行された年を確認。 あまりにナウすぎて驚く。 昔のku:nel、最先端をいってたのか…!
今流行りのキャンプもDIYも自然との共生、なんならマスキングテープのよさまでとっくに伝えていた。預言書の如し。
味のある写真と、物語を読んでいるかのような文章でやさしく語りかけるように。 『ほんとうにこころゆたかになれる生活とは?』 その答えのヒントとなるであろうアイデアが、そこかしこに散りばめられている。
いきなり終了してしまった悲しき「昔の」ku:nel。 最終号には、太陽光で料理をするおばあちゃま。当時御年84歳。 やっぱり最先端いってる!
「高知の近代文学さんぽ 照射と影」 高橋正 高知新聞総合印刷
自分の想いとは裏腹でも、人生で一つの区切りが出来た時、人は、次のステップへ行く方法を模索するものなのですね。
私も、次をどう生きて行こうかともがいていた時、その道のひとつに、高知市で開かれている文学学校への参加がありました。
夕方、仕事を終え、すぐさま友人二人と車に乗り込み、一年位通いましたが、思いのほか、ハードルの高い勉強会という事もあり、昼間の仕事の疲れもあり、私はほとんど居眠りばかりしていたように思います。
でも、その時出会った先生が、友人を通して著書を送ってくださいました。
それが、この「高知の近代文学さんぽ」。今年、卒寿を迎えられた高橋正先生のひたむきな文学研究に触れ、今一度、自分を振り返った書です。
「きみに読む物語」 ニコラス・スパークス アーティストハウス
10代の夏に巡り会ったブルーカラー育ちの若者とエリート階級の娘。理不尽な別れがあっても、若者は一途に愛を貫いた。離れて暮らした苦しい年月。そして偶然の導きによる再会。その後の平凡で幸せな日々。
数十年後、妻は病にかかり、日々の記憶を忘れてしまう。記憶をなくした妻に、毎日読み聞かせるのは、二人が出会い、別れ、そしてまた恋に落ちた現実のラブストーリー。
文中に「わたしはありふれた人間だ。ごくふつうの考え方で、ごくふつうの生活を送ってきた。記念碑などないし、名前もすぐに忘れられるだろう。でも、わたしには全身全霊をかたむけて愛する人がいる。いつでも、それだけで十分だった。」と…。
優しい純愛小説。著者の妻の63年間連れ添った祖父母の実話に基づいた作品で、2005年海外小説第1位に選ばれました。
「年齢は捨てなさい」 下重暁子 幻冬舎
淋しさ→感情
孤 独→ひとりで生きていく覚悟、自由を道連れ
・孤独から逃げようとしても追い詰められるだけ、いいことも悪いことも受け入れる。それが年を重ねるということ。
・時間は今から未来へと向かう、という当たり前の事実に気づき前向きの人生を歩む。つまり、過去への時間を考える事は逆算人生であり、後ろ向きの生き方になりがちである。
・自分を自らの手で管理し、自分で決めたことには必ず従う、責任は全て自分にある。そうする事により、うまく回り始める。
・年だからと言わない、心も身体も醜くなる。
心に残った文章の一部を紹介させていただきました。80代の作家さんの言葉だけに、心に響きます。
「きんこん土佐弁あいうえお」 村岡マサヒロ 高知新聞広告局
高知県民は、みんな知っている!漫画「きんこん土佐日記」。高知新聞に毎日連載されていて、朝、新聞を開いたら真っ先に読みます。
この本は、2014年、高知新聞に掲載された「きんこん土佐弁あいうえお」を切り取って貼り付けた「帳面」です。記憶は定かでないですが、「帳面」は子どもが通う小学校を通じてもらった気がします。毎日、土佐弁4コマ漫画を切り抜いて帳面に貼る。漫画で大体わかる土佐弁の意味が、「帳面」で答え合わせができるようになっています。
なんて粋な取り組み!
ますます「きんこん土佐日記」と高知新聞が好きになりました。
神奈川県出身の私は方言らしい方言を知らずに育ち、学生時代、新潟県や長野県出身の友人がふと漏らす方言をとても羨ましく思っていました。
今、高知の人たちのネイティブ土佐弁を日々耳にしながら、その人が何を言っているのかはほぼわかるし、私も土佐弁らしきものは話している気がします。でもまだまだ修行の身。「きんこん土佐日記」のたくみ君やおじいちゃん、おばあちゃんのように自然に使いこなせるようになりたい!
その土地の言葉があることは、実にゆたかなことです。
高知に来て本当によかったと思っています。
「脳には妙なクセがある」 池谷裕二 扶桑社
常日頃、無意識にとっている行動や感情の持ちようは、実は脳のなせる技である。相談する時される時、すでに脳の中では結論が出ている。
私にも思い当たる経験があります。
以前住んでいた所での事。とあるお店でTシャツを物色していると、若干若めの奥様がやおら近づいてきて、「どちらが私に似合っていると思いますか?」とのたまう。
白がメインか、青がメインの色かという違いだけでした。
その方は、青色が好きで青色のお洋服が多いとおっしゃっていました。
たまには違う色もいいんじゃないかと思い「白はお顔に映えますが…」とお答えしました。
でもその方は、一瞬困惑の表情そのまま「今回は見合わせます」と言って帰られました。
今思うと、彼女の脳の中では、青色推しがすでに決定していたのでしょうね。
脳波を調べると、感情が発動する前に脳がすでに反応しているそうで、結局心は脳なのかと推測しています。
こんな脳を設計したのは誰?
私にとって答えの出ない永遠の謎です。
「よあけ」 ユリー・シュルヴィッツ作・画 瀬田貞二訳 福音館書店
かなしいかな、わたしは両親に絵本を読んでもらった記憶がない。 きっと読んでもらったことは絶対にあるはずなんだろうけど、記憶がないのだから仕方がない。 だから、絵本の世界の楽しさを知ったのはわが子をもってから。
おそまきながら知った絵本の世界は、たのしくも美しくもあり、そのすこしの文章と魅力的な絵のシンプルさに度肝を抜かれた。
詩集も絵本も想像力を掻き立てる。 すこしだけのことばと絵。 その圧倒的な情報量の少なさに焦りすら感じる。
この「よあけ」もまた、ただおじいさんとその孫が湖のほとりで一夜を明かすだけの物語なのに、ひとつひとつの場面が静かで美しくて豊かな時間が流れているのが伝わってくる。
いいなぁ、こんなの。
ただそれだけの感想しか浮かばない。