私の一冊私の一冊

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

川村房子

「1日10分のごほうび」 赤川次郎, 江國香織他6名 双葉文庫

バックの隅にいれて持ち歩き、病院での待合やコインランドリーでの洗濯乾燥時などチョッとした暇な時間にページをめくります。

今はスマホの時代だけれど、何とも使いこなしきれないわたしには丁度です。

作家が替わっての短編小説。お気に入りだったり、はじめての出あいだったり、昔よく読んだ作家だったりで楽しく読みました。

今日は裏表紙に書かれている文章を紹介します。

「NHK WORLD-JAPANのラジオ番組で、世界17言語に訳して朗読された小説のなかから、豪華作家陣の作品を収録。亡き妻のレシピ帳もとに料理を始めた夫の胸に去来する想い。対照的な人生を過ごす女友達からの意外なプレゼント。ラジオ番組の最終日、ある人へ贈られた感謝のメッセージ…。小さな物語が私たちの日常にもたらす、至福のひととき。好評アンソロジー、シリーズ第二弾!」

第一弾 第三弾もあるようです。

 

私の一冊

鳥山百合子

「ともだち」 谷川俊太郎文 , 和田誠絵 玉川大学出版部

土佐町には「お話ボランティア」と呼ばれる人たちがいます。「お話ボランティア」とは、子どもたちに本を読むボランティアさんのことで、土佐町では約20年前から続けられている取り組みです。本を読むのは保護者やお孫さんもいる子育てのベテランの方々で、年齢層もさまざま。毎週水曜日の朝に小学校の各教室へ行き、それぞれの人が選んだ本を読みます。

私も参加していますが、子どもたちとのやりとりが楽しみな時間です。

先日、小学校3年生の教室で「ともだち」という本を読みました。短い文章と、わかりやすい絵。子どもたちは「うん、何だかわかる気がするな」という表情で聞いていました。

「ともだちなら いやがることをするのはよそう」
「なかまはずれにされたら どんなきもちかな」

問いかけるような一文が続きます。

「ことばつうじなくても ともだちはともだち」
「としがちがっても ともだちはともだち」

一緒に遊び、泣いたり笑ったり、ときにはケンカもして子どもたちは大きくなっていきます。8歳の娘を見ていても一見あっけらかんとした中に、少しずつ人間の複雑さを体験してるのだなと感じることがあります。学校という人が集まる場所で感じる実感や、友達や先生と過ごすことで味わう喜怒哀楽は、一つの大事な経験なのだろうなと思います。

学校に限らず、地域のおんちゃん、おばちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんといった世代を超えた「ともだち」がいるのもこの町のいいところです。褒められるのも叱られるのも、愛情あってこそ。町の人たちの子どもたちを見つめるまなざしは、あたたかです。

友達って何だろう?と聞かれたら、大人も言葉に詰まってしまうかもしれません。でもこの本に「ああ、こういうことかもな」と思った一文がありました。

「ともだちって そばにいないときにも いま どうしてるかなっておもいだすひと」

そういう人が一人でもいたら、きっといい。ともだちがいるのは、いいものです。

 

私の一冊

西野内小代

「クスノキの番人」 東野圭吾  実業之日本社

新刊として新聞で告知された時からタイトルが気になっていた。社会派サスペンスの作家さんが、クスノキの精霊でも扱ったファンタジーに挑戦したのかしら?と、とても興味を持った。案の定、売れに売れている様子。読み始めたら止まらない事必定!何も手につかなくなる、と購入を控えていた。

ある日、図書館の留守番をする事となり、棚から私を見つめているこの本をとうとう手に取った。止まらない、止まらない、もう買うしかない。その週末買い求め、次の日には読み終えた。

一人の訳あり年配女性と、長い間音信不通だった不幸のどん底の甥を中心に物語は展開。人の思いの強さ、感じ取る繊細さをクスノキとして具象化する事により、人間の繋がりの深さを綴った不思議な読み物だった。

紹介に「明日に希望を持てるように…」とありますが、温かい感情で満たされた読後感でした。

 

私の一冊

川村房子

「52ヘルツのクジラたち」 町田その子 中央公論新社

52ヘルツのクジラとは、他のクジラが聞き取れない高い周波数で鳴く世界で一頭だけのクジラ。

たくさんの仲間がいるはずなのに、何も届かない、何も届けられない。その為、世界で一番孤独だといわれている。

帯に書かれてなかったら、作者も題名にも素通りしていたかもしれない。

生きるのに疲れ、最果ての街にきた貴湖。そこで自分と同じ匂いのするしゃべることのできない少年と出会う。親からの愛情が注がれていない孤独な少年の匂いが、家族から受けた虐待の日々と重なってくる。

貴湖の持つタブレットを通して、クジラの歌声をきく少年。繰り返しの日々の中で少しずつ心を開いていく。

自分の人生を家族に搾取されてきた女性貴湖と、母に虐待された少年。彼らが出会い新たな物語がつむがれていく。

文体の読みやすさもあって一晩で読んでしまうほど。夜中に目もしぱしぱ。長男の嫁さんにすすめると「いっきに読んだよー」と…。

 

 

 

私の一冊

鳥山百合子

「季節のおうち寿司」 岡田大介  PHP研究所

「お寿司を作ること」。何だかちょっとハードルが高いな…と思いがちでしたが、この本は「いやいや、そんなことないかも!」と思わせてくれました。

手まり寿司やばら寿司、飾り巻き寿司など、華やかなお寿司たちの材料は馴染みあるものばかり。家にあるものでできる!と思えるのがまず良いです。そして何より良いのは、各材料が「適量」であること。これは、量は好き好き、適当でいいよ〜ということなので、目分量料理専門の私にはぴったりです。

まず作ってみたいのは「笹の葉寿司」。笹の葉に寿司飯をのせ、サケ缶やかぼちゃのペーストをのせて包む。笹の葉はこの辺りでは取り放題、他の具材でも作れそうです。

そしてもう一つは「ゆうれい寿司」。まずこのネーミングが秀逸!

山口県宇部市には「ゆうれい寿司」という名の郷土寿司があるそうで、具材を混ぜたりのせたりしていない真っ白な酢飯だけを型に入れて作るのだそうです。江戸時代の中頃から作られているとか。具材が全くない酢飯だけなのに、これは寿司だと言い切るのが潔い。昔はお米だけでもご馳走だったのでしょう。「ゆうれい寿司」、これだけで宇部市に行ってみたくなります。この本では酢飯に干し椎茸やにんじん、きゅうりなどの具材を重ね、その上に酢飯をのせてサンドイッチのように挟む作り方が紹介されています。

とさちょうものがたり編集部で製作した「高知の郷土料理」の動画に登場する、津野町の「田舎ずし」宿毛市の「きびなごのほおかぶり」も紹介されています。

「家で一緒にごはん食べよう!」と気軽に言える日が来るまで、いくつかお寿司を作れるようになっていたいです。もちろん、目分量で!

 

私の一冊

山門由佳

「サザエさん」 長谷川町子 姉妹社

先日、愛宕町にあるあたご劇場で「トキワ荘の青春」という映画を観た。久しぶりの大きなスクリーンに興奮しながら繰り広げられる「トキワ荘の青春」は、手塚治虫はじめ石ノ森章太郎、赤塚不二夫など、日本の漫画界のそうそうたるメンバーがまだ駆け出しの頃に住んでいたトキワ荘というアパートを舞台に、友情やおなじ夢をもった者同士の葛藤や苦悩、そして助け合いを描いた心にじんわりとくる映画だった。

時は昭和30年代。日本は戦後の復興を遂げ、生活は慎ましくも夢と希望に溢れた元気な時代。「サザエさん」もまた同時代に、日常の人間ドラマや世間の時事を風刺した4コマ漫画が朝日新聞で連載されていた。 今ではすっかり日曜日の顔となっているサザエさんだけれど、この4コマ漫画の「サザエさん」はもっとピリッとしている。あの穏やかなマスオさんもちょっぴり怒りん坊なことにもびっくりする。みんなが熱い。そして人情が深い。

『他人に迷惑をかけないように』じゃなくて、人が人をあてにしてお互いに困ったら助け合うのが普通とした雰囲気。 そこに人と人の強い繋がりを感じた。気軽にSOS、近くのひとに助けを求められるあたたかい環境。 醤油がきれたらご近所さんに貸して〜と言える間柄。

いいね!や画面越しのやりとりばかりの令和3年。人と人が面と向かって心を通わせ、話をすることにいいのかな?どうなのかな?といちいち戸惑い、こんなにも手の届かない贅沢品になってしまったとは。

この「サザエさん」を読んでいると、今の風潮、システムは本当にこのまま進みつづけて人類の幸せはあるのか?と思えてくる。

 

私の一冊

古川佳代子

「水を縫う」 寺地はるな著 集英社

日々のくらしのなかには、たくさんの「なのに」が存在しています。いわく日本人なのに(…)、外国人なのに(…)、高校生なのに(…)、男の子なのに(…)、女の子なのに(…)、親なのに(…)…。

男の子なのに刺繍が好きな高校男子の清澄(きよすみ)。女の子なのにかわいいものが苦手な水(み)青(お)。母親なのに子どもよりも仕事を優先するさつ子。父親なのに子どもっぽく頼りない全(ぜん)…。 お互いを思いやっているのに、うまく伝えられないもどかしさ。家族だからこその、決めつけや見くびり。

「なのに」に傷づけられながらも、自分の生き方を変えることはよしとしない家族の姿が、結婚を決めた水青をキーパーソンに描かれています。

章ごとに語り手(視点)を変えて語られる物語は、いつしか家族にしか織ることのできない複雑なタペストリーとなり、読み手に新しい家族の在り方を見せてくれます。

 

私の一冊

澤田みどり

「季刊高知 夏号」 クリケット

私の唯一、定期購読している冊子です。本の形は正方形で80ぺージ弱の、鞄にすっと入ってしまう大きさの冊子です。中身は…、高知県のエトセトラ。

夏号の特集は、高知のじまん宿。その他の話題も高知県の事だらけで、写真も綺麗だし、いろいろな人の話がどんどん出てくるし、ちょっと他の冊子より文が多いという印象もあるけど、大人の冊子という感じ?高知以外に住んだことの無い私の、高知愛を満足させてくれる一冊です。

どこで手に入るかというと、お馴染みの末広S.C田井店です。何と、発行・編集の代表N氏が高知市から車を走らせて、持ってきて並べている。
ただ今、夏号が出たばかり。表紙は高知の絵本作家イラストレーターの柴田ケイコさん。(夏号は海ガメのイラストが素敵)

お値段は税込440円。高知を愛する人には、ぴったりくると思います。

 

私の一冊

山門由佳

「ないた」 中川ひろたか作, 長新太絵 金の星社

泣いた。 泣くのがいちばん心の大掃除。 背負っていた気がかりや後悔や不安。 泣いたらすっきり。いい気持ち。 状況はなにも変わっていないのに。 またピカピカになった気持ちで頑張れる。 泣くことは自分が自分に戻る作業。

それにしてもうちの子はよく泣く。 泣かれれば泣かれるほど自分が母親であり大人であるという自覚と役割を押し付けられ、しっかりせねばと気持ちを奮い立たせて泣けなくなってくる。 それもまた悲しいか…泣。

この絵本のなかで、おかあさんが布団の中で泣いているシーン。
一おかあさんの おふとんにはいったとき、おかあさんの めから なみだが でた。 つーっと、まくらに ながれて おちた。 ないてるのって きいたら 「ううん」って、いった。

この情景だけで心が重なって泣きそう。何歳になってもわたしは泣くぞ〜!

でもこっそりひとりでね。

 

私の一冊

古川佳代子

「兄の名は、ジェシカ」 ジョン・ボイン著 原田勝訳 あすなろ書房

ある人の性的指向や性自認が大多数を占める人びとと同じでない場合、その人は差別や虐待の対象とみなされることがよくあります。まだまだ、LGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー)の人びとの権利が守られているとは言い難いですが、理解を促す素晴らしい文学が書かれています。今日紹介する物語もそんな作品の一つです。

大好きな自慢の兄ジェイソンが、トランスジェンダーだと告白した。弟のサムはどう受け止めてよいかわからないし、それは両親や周囲も同じこと。サムの目線から語られる告白以降の状況は、なかなか厳しい。

リベラルな政治家である母とその秘書である父は、LGBTやその他もろもろのマイノリティな存在を差別することは愚かしいことだと公言している。しかし、それが自分の息子のことになると、冷静に受け入れ偏見なく対応することは難しい。

その葛藤がリアルに表現されており、読み手にはストレスとなる部分もあるが、そこを逃げずに描いたことで深見のある作品となっている。特に、息子に付き添ってカウンセリングに臨んだ母親の「…私たちがどう思っているかは別にして、この件に関わっていたいのです。関わっていなくてはならないんです」という言葉は印象深い。

今はまだトランスジェンダーだと表明することには勇気が必要ですが、勇気など必要としない日をつくる責任は当事者だけでなく私たちも担っていることが伝わってくる物語です。