私の一冊

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

川村房子

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「一切なりゆき」 樹木希林 文藝春秋

とても味のある女優さんだったことはいうまでもなく、言葉のひとつひとつがユーモアがあって楽しくて力強い。

『亭主と顔を合わせるのは年に一回か二回。スーツを新調したいというから付き合ったら「お前もなんか買え。お店の人にも生活があるのだから」って怒るの。3万円しか財布に無くても100万円使う。人のお金と自分のお金の区別がつかないだけで私よりずっとノーマルな人です』

そう思って言いきれるのが不思議。

「全身ガンなの」とはテレビでも聞いたことがある。ガンは逃げたって追いかけてくるのだから、やっつけようとすれば自分の体もへたばっちゃう。だから逃げることもせず、やっつけもできないからそのまんまいるって感じ。

私にそんなことできる??大声で泣き叫びながらあがいて戦う。力尽きてしまったとしても。

母から娘への言葉として「おごらず、他人と比べず、面白がって平気に生きればいい」。

その言葉が、心に残る。

川村房子

 

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

ご無沙汰しております、ゆかりです。今回書こうとしている物語が、あまりにも超大作、且つ、長編の名作で二の足をふんでおりました。作者の有名さもさることながら、ある映画の原作でもあります。

「風の谷のナウシカ」、原作漫画は宮崎駿。実は映画にするため原作として漫画を書いたのですが、映画は原作7巻の内2巻までの内容しかありません。更にその2巻の内容と映画とはほぼ別物です。「風の谷のナウシカ」のアニメはほとんどの日本人が1度は目にしたことがあるでしょう。しかし、原作は?どうでしょう。読んでみてわかったことは、とにもかくにも、宮崎駿氏という物語りの紡ぎ手は(他の作品群もそうですが)、膨大な知識に基づく想像力と激情といったエネルギーの坩堝なのだということです。

今回は自分でこれを書くと決めたものの、胸がいっぱいになりすぎてまとまりません。ですので「風の谷のナウシカ」という1つの物語を私なりにわけて書いていきたいと思います。今回は1巻と2巻です。

ジブリ作品の特徴のひとつだと思いますが、どんな端役の人物にも人生を歩んできたという描写があります。それは死に際の声であったり、目付きであったり、言葉で説明するよりも雄弁に人柄を表現します。主人公であるナウシカの描写は、まるで著者が彼女自身になったかのように克明に描写されます。そのため読者もナウシカ自身になったかのように怒りに燃え、喜び、慈しむことができるのだろうと思います。「風の谷のナウシカ」についての世界観は大体分かると思いますので、割愛します。ですが、現存する菌類・粘菌の生態や、自然のサイクルをモデルにした"腐海"と、中世ヨーロッパぐらいの文化度という世界観も、読者に違和感を与えず物語に没入させる物語のつくりだと思います。

「風の谷のナウシカ」の中に、私の好きなシーンはあまた星のごとくありますが、1巻ではP49からp67あたりが、かなり濃く印象に残っています。このシーンのポイントは"ナウシカが己のもつ感情の激しさに気づいたこと"なのではないでしょうか。P61で剣を構えるナウシカを見てユパは以下のように表現しています。"これがあのナウシカか……攻撃衝動にもえる王蟲のようにのように怒りで我を忘れている"。腐海を愛で、風の谷の住民を愛す心優しい彼女を知り、彼女の師でもあるユパにとって相当な衝撃だった事が、表情からも見受けられます。そして次のページで、彼女はトルメキアの重装備の親衛隊騎士を相手に圧倒的戦闘センスで翻弄します。長剣で戦斧をかわし、足場にして上に間合いをとり、騎士の脊髄に短剣を突き刺します。そして地面に着地し、なんと「フッ」と笑みを浮かべるのです。そして着地した返す力で「とどめ!!」と首を狙って踏み込むところで、ユパが仲裁に入るのです。剣士の命である右腕1本を犠牲にして。そこで初めてナウシカは我にかえることができます。初めてトルメキア第四皇女クシャナと出会うのはこの場面です。この巻ではアスベルとの出会いや、王蟲と深く心を通わせるシーンが印象的です。

次に2巻。ここではアニメにはない、物語上とても重要なポイントがあるので解説しておきます。また、他の説明が必要な点についても補足しておきます。

・トルメキア王国。首都はトラス。現国王はヴ王。3人の王子と前王の血を引くクシャナ。王位継承は多くが簒奪によってなされてきた。腐海のほとりの辺境諸国は同盟国だが、自治権の保証と引き換えに事実上は属領であり、戦時は招集令によって族長が参戦する盟約がある。

・土鬼(ドルク)、正式名称:土鬼諸侯国連合。首都は聖都シュワ。神聖皇帝である王兄ナムリス、王弟ミラルパが頂点に君臨するが、超常の力をもつ王弟ミラルパが実権を握る。父王の代からある宗教を利用し、政教一致となっている。皇帝領、7つの大侯国を主に計51の国から成り立っている。各国の族長、官僚、科学者なども僧会という宗教団体に属している。族長は僧正の地位に着く。

さて、広がる腐海のために、現在この国々はお互いを併合しようと戦争を繰り広げているわけです。2巻ではナウシカとアスベルが腐海の底から脱出した際に、土鬼のマニ族と出会います。戦闘になる訳ですが、実はここからアニメの王蟲が押し寄せるシーンに繋がっていきます。この巻で気に入っているシーンがあります。P36~P37の部分です。アスベルの思い切りの良さは痛快で、ナウシカを逃がした時に抱きつかれてぽかんとする描写は滑稽で(怒ったマニ族の戦士にボコボコにされていますが(笑))、状況は切迫しているのにあまり死の影がみえないのも好きです。そしてマニ僧正はナウシカを下記のように評します。"ほほほ まるでツバクラメ(おそらくツバメのこと)のように いってしもうたな イイ子じゃ……やさしさと猛々しさが混然として奥深い"マニ僧正は盲目ですが超常の力があり、ナウシカと心を通わせていました。彼女の中にある強い怒りの心や衝動と、親しみや慈悲や愛する心を感じていたのでしょう。

  どうしてナウシカはこんなに魅力的なんでしょう?

彼女は迷い惑いますが、己を偽らない。かと言って己の思うまま、自分勝手に生きている訳でもありません。彼女の背には様々なものが乗っています。族長として負う風の谷の民の命、戦場で守りたい命・失わせたくない命、心通わせる王蟲や虫たちの命。そして命を奪うことの業。そして腐海の生まれた意味を知りたいという彼女自身の命題。彼女は全ての責任を放棄しません。もがきながらも、その背にあるものをこぼすまいと足掻く姿は物語を読むこちらが辛くなります。しかし、彼女は笑顔を忘れません。たとえそれが心からのものでなくても、自分を奮い立たせるように微笑みを浮かべるのです。だからこそ読み手も何とか、彼女の旅路についていけるのではないでしょうか。

ただ、書評という点で彼女と歩みを見るためには、時間をかけて必死においかけておいかけていくものでした。やっとここまで追いつけました。またここから一生懸命がんばります。

矢野ゆかり

 

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私の一冊

石川拓也

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「ネパール・インドの聖なる植物」 著者:T.C マジュプリア 訳者 西岡直樹 八坂書房

 

土佐町に移ってくる少し前の数年間、インドに頻繁に行っていた時期がありました。

グジャラート州というインド北西部の、友人となったあるインド人家族を訪れるため、年に2、3回は飛行機を乗り継ぎ訪問していました。

ラオさんというその友人の家に寝泊まりさせてもらい、長い時には1ヶ月や2ヶ月インドで過ごしていたので、これは旅というよりかはホームステイに近いものだったかもしれません。

お父さんのバーラット、お母さんのプラティマ、姉のクルッティ、弟のダムルー。

とても仲の良い家族の中で、僕も家族の一員として暖かく遇してもらい、クルッティの結婚式があった際には弟のダムルーと共に「新婦の兄弟」として出席しました。

そんな訪問を繰り返していた最中、別れ際にお母さんのプラティマが手渡してくれたのがルドラークシャという木の実をつなげた数珠。

「これはあなたを守ってくれるから」と言いながらぼくの手首に巻いてくれたのです。

帰国後、ルドラークシャが一体なんなのか知りたくて読んだのがこの本。

ヒンドゥー文化が数千年の間、大切に紡いできた植物への考え方がとても詳しく解説されています。

ルドラークシャの項によると、ルドラークシャ(ジュズボダイジュ)はヒンドゥ文化の中で非常に重要な植物であるとのこと。

古伝説を紐解くと、ルドラークシャは主神シヴァ自身である。シヴァ神は別名ルドラという。数珠に使われる種子は神聖で、縁起がよく、それを見ただけでもたいへんなご利益があるという。

お母さんのプラティマは「これを身につけていたら健康になる。高血圧も治る!」と力説していましたが、ヒンドゥの伝説の熱量からするとそれもどうやら真実であり、なによりもプラティマのその気持ちをうれしく感じたのでした。

 

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私の一冊

古川佳代子

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「武士道シックスティーン」 誉田哲也 文藝春秋

幼なじみのHちゃんが高校入学と同時に剣道部に入部した時はとてもびっくりしました。才女で小柄な彼女と剣道とが結びつかなかったのです。けれども彼女は暑い夏には分厚い胴着に汗をしたたらせ、寒い冬も裸足で早朝練習をこなし、剣道部をまっとうしたのでした。

剣道のどこが彼女を魅了したのか?と不思議だったのですが、この『武士道シックスティーン』を読んで、剣道部に入ってみたかったかも、と思いました(いえ、無理ですが…)。

宮本武蔵を愛読する熱血武道少女・磯山香織と超のんびりで剣道を始めたのは日舞の延長という甲本(西荻)早苗。 この二人が同じ高校の剣道部に入部するところから始まる物語は痛快で、二人の距離感の微妙さは絶妙。

なんども笑わされながら最後の50ページはティッシュが手放せない大逆転の展開!

出会えたことが嬉しくなる、愛おしい王道の青春小説はいかがでしょうか。

古川佳代子

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私の一冊

川村房子

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「エレベーター」 ジェイソン・レナルズ 早川書房

図書館で新書が入り、アメリカで10賞も受賞したとのことですすめられ借出。

ページをめくると横書きでまるでポエムの様な書き方。作者の紹介欄を読んでみるとやっぱり詩人でした。

15歳のウィルはドラッグや殺人は日常茶飯事の街で射殺された兄のかたきを討つため、兄の残した銃を持ってエレベーターに乗り込んだ。

7階から降りる階ひとつひとつの短い時間に出会う人々。死んだ伯父、死んだ父親そして大好きだった兄も…。はてさて結末は…。

短い時間で読み終えられます。是非図書館で借りてみてください。

川村房子

 

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私の一冊

鳥山百合子

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「大家さんと僕」 矢部太郎 新潮社

この本を読んだ時、初めて一人暮らしをしたアパートの大家さんのことを思い出しました。

大家さんは昔野球をやっていたという背の高いおじいさんと、ちょうどこの漫画の大家さんのようにメガネをかけた小柄で上品なおばあさんのご夫婦でした。

アパートは大家さんの家の敷地内にあり、大家さんの家と隣同士に建っていました。出かける時も帰ってきた時も大家さんの家の前を通らなければいけないのですが、その小道に面した大家さんの家の窓辺には厳格そうな顔をしたおじいさんが大抵机に向かって座っていて、私が通るたび、にこりともしないで手を振ってくれるのです。そのたびになぜか、ああ、ちゃんとしなければ…と思ったものでした。時が経つにつれて少しずつ仲良くなり、初めて笑顔を見せてくれた時はとても嬉しかったことをよく覚えています。

家賃の支払い方法は銀行振込ではなく、毎月月末、私の名前の入った通帳のような形の「領収證」を持って大家さんの家に家賃を払いに行きました。家賃を払うたび、おばあさんがいつもおまけを用意していてくれて「ちょっと待ってね〜」と奥の部屋へ戻り、ポッキーやおせんべいといったお菓子や「いただきものなのよ」と言って果物を手渡してくれるのでした。そして玄関先でおしゃべり。毎月一回のそれを楽しみに、私は大家さんの家のチャイムを鳴らしていました。あの時は気づいていませんでしたが、何気ないこのような出来事が、繰り返される毎日にそっと色を添えてくれていたのだと思います。

「大家さんと僕」は、ずっと忘れていた大家さんのことを思い出させてくれました。その大家さんの元で過ごした3年間は楽しくもあり寂しくもあり、自分自身を見つめる時間でもありました。通り過ぎていったあの日々は、間違いなく今の私に繋がっていると実感します。

今この時も、あと何年か経った時「ああ、このことと繋がっていたのか」とわかる時が来るのでしょう。その時が来るまで、今できることをひとつずつやっていこうと思います。

鳥山百合子

 

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私の一冊

古川佳代子

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「想像ラジオ」 いとうせいこう 河出書房新社

小説家、タレント、作詞家、俳優…。様々な肩書を持ついとうせいこう氏の小説には、不思議な浮遊感があるように思います。

東日本大震災から2年後の2013年3月11日に発行された本書は、いとうさんらしいテイストはしっかりありながら、深く心に染みる鎮魂の物語でした。「想像」という電波を使って「あなたの想像力の中」だけで聞こえるというラジオ番組が、深夜2時46分、DJアークによって突然始まります。アークがいるのは海沿いの小さな町を見下ろす杉の木のてっぺん。彼も震災により命を落としているらしいのですが…。

たくさんの方が亡くなりましたが、その死は数で語るべきものではなく、一人ひとりの死であることを忘れてはなりません。一人ひとりの死を悼み、死を忘れるのではなく、死とともに生きていくことの難しさと大切さが静かに伝わってくる作品です。

古川佳代子

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私の一冊

川村房子

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「大家さんと僕  これから」 矢部太郎 新潮社

お笑い芸人のカラテカの矢部太郎さんが大家さんとの生活を書いた漫画。

ほのぼのとしたやりとりに、クスクスと笑わされながら読んだことがあったのですが、大家さんが亡くなった後に書いたという「これから」。

木造一軒家の二階を間借りしており、そこの大家さんは高齢で小柄で上品。「ごきげんよう」と挨拶し、お買い物は伊勢丹でという。生まれながらにしてお嬢さんのまま過ごしてきた大家さんと作者のやり取りが絶妙。

大家さんが入院しもう戻ることはできないだろうと知った。悲しい気持ちのなか、先輩が「大家さんはただ下ってるんやない。ゆっくりと景色を楽しみながら下ってるんや。急いだ登りでは見えなかった景色を違う角度からゆっくり見てるんや」と。

なるほど…。

そういう年のとり方。いいですねえー。

川村房子

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私の一冊

石川拓也

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「SLEEPING BY THE MISSISSIPPI」 著者:Alec Soth   発行:Steidl

アメリカ人写真家アレック・ソス(Alec Soth)の写真集です。

アメリカのミシシッピ川流域の、そこに住む人々や風景を大判カメラで撮影した一冊です。

異論もあるかもしれませんが、僕はアレック・ソスの肩の力が抜けたやる気のなさが好きです。やる気のなさと言うと語弊があるかもしれませんが、強い感情や緊張感や超絶技法とか計算され尽くした構図とか、そういうのナシで、「そのまま撮りました〜」みたいな感じ。

これを自分に置き換えると、できそうな気がしてできないので好きなのです。

ゆるいリズムと低いトーンで心地よい音楽が流れているような写真集です。

 

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私の一冊

川村房子

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「コンビニ人間」 村田沙耶香 文藝春秋

大学を卒業して何度か面接を受けるがしっくりこず、コンビニのバイトを続けている古倉恵子36歳。

子どもの頃から、自分の行動や考えが周りとうまくかみ合わず、変わっている子と云われてプライベートな会話もなく一人過ごした。

家族や努力して得た大学時代の友人の言葉に合わせようとしても、云うことなすことがかみ合わない。

コンビニのバイトで、はじめてこの場所が正常な自分の世界だと信じられ、毎日を安らかな眠りに誘い込んでくれる。

ひょんなことで知り合った男性は一緒に住んでいるというよりは飼っている状態。全くなにもしないもちろん職業もなし。それでも男性と住んでいるということでホッとする家族がいる。

迷惑をかけられどうしの男性の妹からの電話に、

「ほら、私達って動物だから増えたほうがいいんじゃないですか。交尾をどんどんして人類を繁栄させるのに協力した方がいいと思いますか?」

「勘弁してくださいよ・・・・あんたらみたいな遺伝子残さないでください。それが一番人類のためですんで」

私ならどう云うろう。もし家族にもったらどう対処するろう。答えは出ない。

川村房子

 

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