私の一冊

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

さてさて、私の1冊「風の谷のナウシカ」第2部。随分と間が空いてしまいました。あいすみません。

前回は2巻の続きまでだったので、そこからを語っていきたいと思います。

2巻には、アニメにも出てくる有名なシーンがあります。王蟲の幼生をおとりに使う場面です。原作ではペジテ市の残党の作戦ではなく、土鬼がクシャナの軍を殲滅するために用いる作戦です。しかもこの作戦はトルメキアの皇子もしくは王から、クシャナ暗殺の為に意図的に土鬼にリークされた情報によるものです。ナウシカは犠牲を減らそうと、土鬼の戦艦から脱出し味方に伝えに行きます。しかし、怒りに猛る王蟲の方が早く、クシャナ直属軍は、コルベット1機を残して壊滅。クシャナ自身もクロトワの機転によって何とか難を逃れます。ナウシカは全ての惨状を見て、王蟲の幼生を救い王蟲の怒りを鎮めようとします。クシャナは嵌められたことに怒り、部下を失ったことに深く悲しみ、己の髪を断ち餞として上空から投げ捨てます。口元は唇を食い切らんばかり、歯を割らんばかりです。私には過剰な感情を捨て、冷静で冷徹な指揮官になろうと、更に悲壮な覚悟をしているようにみえます。そこにナウシカが王蟲を助けるため、メーヴェで乗り込んできます。土鬼の服をきていたナウシカが情報を流したのではないかと、クシャナは疑いますが、"ドルクはあなたが南下してくるのを開戦前から知っていた。時間をかけねばあの罠ははれないわ。"というナウシカの一言で考えを改め、王蟲の幼生救出に手を貸します。そこでアニメのシーン'金色の野に降り立つ~'という場面が登場するわけです。アニメでは風の谷の大ばば様が、見えない自分の代わりに子供に風景を描写させ、古の伝承を思い出し涙を流すのですが、原作では土鬼のマニ僧正と傍付きの少女ケチャがその役割を担っています。

ここで注目したいのが金色の野の下で、ナウシカを見上げるクシャナの表情です。どう表現したらいいのか分かりませんが、深く驚いているようにも、呆然としているようにも、何かの疑問に対して考えを巡らせているようにもみえます。しかし、ナウシカとクシャナが関わって行く中で、印象深い一コマでもあります。清く優しい(ようにみえる)ナウシカが金色の野にいて、それを影になった地上から見上げるトルメキアの(=血みどろの)白い魔女。相対的な構図が少し痛々しく感じるのは私だけでしょうか。でもそこに王蟲の癒しの力を持つ光る粉が降り注ぎ、私の心も少しは慰められるのです。描かれ方は違えど、話す言葉は違えど、表裏一体のようなナウシカとクシャナは、ここで強く結びつくのではないでしょうか。

さて場面は少し進んで、ナウシカは王蟲と心を通わせ、これより南の森(土鬼領)が助けを求めており、そこに王蟲が向かうことを知ります。王蟲はそれ以上のことは明かさず、"北へオカエリ"と伝え去っていきます。ナウシカはここで決めたのでしょう。このままクシャナに従軍し、何が起ころうとしているのか確かめると。土鬼は囮に王蟲の幼生を使っていましたが、ナウシカの見立てでは推定12回は脱皮している王蟲の幼生を腐海から奪ってくることは不可能であり、そこに何かがあると確信していました。そして腐海中の王蟲たちが動き出していることは、『大海嘯』の予兆ではないかと推測します。

ナウシカは1人で従軍し、ミトたち城おじは風の谷へ戻りました。ミトはナウシカの推測と意思を、族長であり父のジルに伝えます。また、辺境諸国の族長が集められ、そこで『大海嘯』の詳しい説明が、辺境いちの大年寄りである、大ばば様からなされます。

・『大海嘯』とは突如として腐海が沸きかえり押し寄せることを言う。王蟲を始めとした蟲が主に怒りを理由に我を忘れ、大集団となり襲いかかる。飢餓を理由に死ぬと、体に付着していた腐海の植物たちが一斉に発芽し、新たな腐海を形成する。

・『大海嘯』は『火の7日間』のあと3回おこり、最後は300年前内紛状態であったエフタル王国を滅ぼした。それは20日間エフタル王国全土に及び、多くの命、住むことのできる場所、伝わっていた奇跡の科学技術が失われた。今腐海のほとりに住む辺境諸国の人々は、その末裔であり王を頂かずトルメキアの同盟国(属領)になった。蟲使いたちは内戦時に王蟲を殺し、硬い外皮を調達していた武器商人の末裔であり、『大海嘯』のあと腐海に暮らすようになった。

この説明通りであれば、『大海嘯』が起きれば蟲もヒトも動植物も多くが死にます。ジルはナウシカの為にガンシップを使い、師であるユパを探すよう、ミトに命じます。そして"おろかなやつだたったひとりで……世界を守ろうというのか……ナウシカ……"とその身を案じながら息を引き取るのです。その表情は少し誇らしげにも、また少し後悔しているようにもみえます。腐海に生きるものは石化の病にかかります。もしかしたらジルの表情は、長い間に染み付いた表情なのかもしれません。

場面は変わり、ユパはセラミック鉱山の街で腐海に向かう船を探しいていました。セラミック鉱山といっても、宇宙船の残骸を切り出して使用しており、今はトルメキア戦役のおかげで特需状態です。ユパは、何故か蟲使い達が鉱山に出入りし、土鬼皇帝貨を使っていることに疑いを持ち彼らを船に潜入します。そこで見たものは、培養液らしきものに浸されたなにかの欠片でした。蟲使いたちの本拠地に潜入したユパは、土鬼僧正たちの密会と蟲使い達との商談を目撃します。(その中にはマニ族もいました。)更に王蟲が培養されていることを確信し、戦慄します。しかし、蟲使いの蟲に見つかり、密会の現場に躍り出てしまいます。土鬼と蟲使いがた襲いかかってくる中、マニ族のなかから1人の戦士が立ち会いを臨んできます。戦う中、マニ族の戦士が自分はペジテのアスベルであり、助太刀すると耳打ちします。2人は戦いの途中でうまく培養層を破壊し機械を壊し、マニ僧正とケチャと共に脱出しようとします。しかしそこに王弟ミラルパが登場します。マニ僧正は勝てないと悟りながらもミラルパを相手取り、念動力で戦いユパ達を逃がします。そしてマニ族に虐げられてもめげず生きることを説き、古き予言にある青き衣の人が大地との絆を結び人々を導くだろうと激励します。ミラルパはその者の名を知ろうと更に攻撃を仕掛けますが、マニ僧正はナウシカの名を言わずその身を楯にしてユパ達を逃がします。マニ僧正の強い思念は、遠くナウシカの心に届きます。"僧正さま!?お別れ……なぜ!?"突然のことにナウシカはマニ僧正の元に思念をとばそうとしますが、そこには超常の力をもつミラルパがいます。ミラルパにからめとられそうになったその時、マニ僧正の最期の力がナウシカを守ったのでした。ナウシカは王弟ミラルパの思念体を'生きている闇'と評しました。

今後ナウシカはその闇と光、蟲と人間、生と死の狭間を歩んでいきます。

それではまた3巻が書き終わるまで、今しばらくお待ち下さい。

 

矢野ゆかり

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私の一冊

川村房子

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「対岸の彼女」 角田光代 文藝春秋

私って、いったいいつまで私なんだろうとおもう小夜子。子どもの頃も、高校、大学に入っても、結婚し3歳の娘をもつ母親になっても、人とうまく付き合えない。娘も同じで公園に行っても砂場の隅でポツンとしている。買い物に出てもブラウスが高いのか安いのかわからなくなっている。娘のこと、自分の事を考えて働きにでることにする。

一方薫は子どもの頃からかわった子であり、中学に入っていじめにあい学校に行けなくなった。高校は引越しをして入った。そこでもいろんなことがあった。本当にいろんなことが…。大学を出て、そして掃除代行の会社をたちあげ、そこに採用された小夜子。そこからもドラマははじまる。

女の人を区別するのは女の人だ。既婚と未婚、働く女と家事をする女、子のいる女といない女。立場が違うということは、時に女同士を決裂させると。そういえば結婚して子どもが欲しくてもできなかった友人が「子どもの話しがでるから行かない」と同窓会には顔をみせなかった。悪気はなく、なにげに姑の愚痴や子どもの話しは出る。それで傷つく友がいた。それでもみんないろんな事を乗り越え日々の暮らしを続けている。

子どもがいてもかわいい孫がいても、友達の存在はなによりもありがたく感謝している。

川村房子

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私の一冊

西野内小代

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「どんなことからも立ち直れる人」 加藤諦三 PHP新書

学生の頃この作者の本に励まされたこともあり、年齢・経験を重ねた今、心にどう響くかと思い読み始めました。

困難を認識し、問題を解決へと導く力について述べられています。

「無償の愛」とはよく使われる言葉ですが、やや抽象的で実体をよくつかめない場合もあるかと思います。

この本では具体例をあげる事により、自身の存在の確立を強く説いています。

「人は変えられない、自分が変わろう」

西野内小代

 

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私の一冊

石川拓也

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「三体」 劉 慈欣 (著), 立原 透耶 (監修), 大森望 光吉さくら ワンチャイ (翻訳) 早川書房

三体。この風変わりなタイトルは、古典力学用語の「三体問題」から来ています。

三体問題ってなんですか? この本を読んだ直後はわかった気になったのですが、今となってはよくわからなくなりました。生粋文系には難しい単語です。

これは中国で発表された中国人の作家によるSF小説。中国では2,000万部売れたそうです。桁が違う。

中国産SF小説、テーマは地球外生命体(作中では三体人)との交流です。

話の本筋とはずれますが、中国産SF小説の場合、舞台は中国。主役は中国人。

これは考えてみれば当たり前のことですが、ウルトラマンの怪獣がいつでも日本に現れるような、世界征服を目論むショッカーがなぜか北関東の小さな町で活動していたりする事実とか、そんな設定を当然のものとして受け止めて育ってきた自分にとっては新鮮な発見でした。

どこの国の人でも、やはり自国を中心に物語を作る。

中国産SF小説を読んで初めて自分が持つその虚構に気づいた僕は、ハリウッド映画などに影響されすぎているのかもしれません。

 

 

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私の一冊

古川佳代子

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「どんなかんじかなあ」 中山千夏文,和田誠絵 自由国民社

以前勤めていた高知こどもの図書館では「世界のバリアフリー絵本展」を開催していました。

これは世界各国で出版された「バリフリー絵本:障害があるなしに関わらずだれもが楽しめるように工夫されている本」を実際に見て、触って、読むことができる毎回好評を博した企画展でした。 その関連企画として、国内で出版されているバリフリー絵本を調べて可能な本は購入し、展示していました。そこで出会ったのがこの『どんなかんじかなあ』です。

小学生くらいの気のよさそうな男の子アップの表紙は何か楽しそうな雰囲気を醸し出していて『バリアフリー絵本』というお堅いイメージは感じられません。 男の子は目が見えない友だちがいて「どんなかんじかなあ」と目をつぶってみると、今まで聞き逃していたいろんな音に気がつきます。それで「目がみえないってすごいなあ」と感心します。

耳の聞こえないお友だちはどんなかんじだろうと耳栓をして過ごしてみるといろんなものがたくさん見えてきます。「きこえないって、すごいんだね」とまた感心します。 最後のエピソードにたどりついたとき、ドキッと心臓が跳ね上がり「ああ、そうだったの」と…。

機会があるごとに紹介してきた、そしてこれからも紹介していきたい一冊です。

古川佳代子

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私の一冊

鳥山百合子

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「かえりみち」 あまんきみこ作, 西巻茅子絵 童心社

この絵本「かえりみち」は、以前紹介した「とんとんとめてくださいな」と共に、お友達や大切な人に赤ちゃんが生まれた時に贈りたいなあと思う本の中の一冊です。

女の子が道で迷子になってしまい、こぎつねが一緒に家を見つけてくれます。ところが今度はこぎつねが迷子に…。そのこぎつねを今度はこぐまが助け、そのあと迷子になったこぐまの家をこうさぎが見つけてくれます。その日の夜、それぞれの人の顔を思い浮かべて眠るというお話。

土佐町には何人も「お話ボランティアさん」がいて、保育園や小学校へ行って子どもたちに絵本を読む取り組みをしています。私もその内の一人として保育園の子どもたちにこの本を何度か読んだことがあります。

次々と迷子になる動物たちや女の子が自分の家を見つけるたびに「ああ、よかった…」とホッとした顔をし、そして「ほんとうによかったねえ」と心底そう思っている表情の子どもたちを見て、目頭が熱くなったことは一度や二度ではありません。

ふとした親切が誰かの心を灯すことがあります。きっと、その灯りは次の誰かに手渡され、また次の誰かに届けられていく。人は大切な何かを交換しながら、贈り合いながら生きている。その小さな循環の存在を、今、確かにこの場所で感じています。

毎日の出来事、ゆく道々で出会う人やものごとのひとつずつを大事にしようと、あらためて気付かせてくれる一冊です。

鳥山百合子

 

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私の一冊

川村房子

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「いま、会いにゆきます」 市川拓司 小学館

妻が亡くなった。幼い息子と僕を残して…。

妻の最後の言葉は「雨の季節になったら戻ってくるから」と。そして「雨とともに訪れてあなたがしっかり暮らしているのを見届けたら、私は夏が来る前に帰ることにするわ」と。

僕の体内センサーは普通の人の数千倍の感度をもっており、とても暮らしにくい。記憶力も悪くていつもメモをとる。車の免許を取ることもバスに乗ることもできない。理解ある職場と素直な息子のおかげで、なんとか生活は続けられていた。

ある日、僕と息子はいつものように森に出かけた。雨が降り出し、そしてそこに妻がいた…。妻は亡くなったことを覚えておらず他のことも…。

息子と相談してそのことは無かったことにして生活をはじめる。妻は暮らしかたを丁寧に教えてくれた。今までの生活を忘れている妻に、出会った時からのことを話しながら、息子とともに一日一日を大切に過ごした。

夏が来る前のある日、妻はいってしまった。その後に届く手紙に知らなかった真実が…。

この本の帯に「きっと大切な人に会いにゆきたくなります」と書かれています。

私にも会いにゆきたい人がいます。

川村房子

 

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私の一冊

古川佳代子

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「空色勾玉」 荻原規子 徳間書店(初版:福武書店)

その昔、朝日新聞紙上に「ヤングアダルト招待席」という書評コラムがありました。そこで英米文学の翻訳家で本の目利きでもある金原瑞人氏が熱を込めて紹介されていたのが、荻原規子さんのデビュー作『空色勾玉』でした。

ファンタジ―が大好きで、金原さんの選書眼に一目置いていた私はすぐにこの本に飛びついたのですが…。いや~、面白かった!

英米のファンタジーに比べると日本のファンタジーってどこかドメスティックというかちょっぴり貧乏くさくて(失礼)もの足りないなあと思うことが多かったのですが、これは違いました。 古事記を下敷きに紡ぎだされた世界は、そこに流れる空気感、森羅万象すべてが違和感なく肌に馴染み、親しみ深く、言の葉の国に生まれてよかったと思いながら読み進めていきました。

対立する闇(くら)の一族と耀(かぐ)の一族、彼らが敬うそれぞれの神の思惑に翻弄される水の乙女・狭也(さや)と神の末子の稚羽(ちは)矢(や)。旅あり恋あり裏切りありの波乱に富んだ物語を心ゆくまで堪能し、ファンタジー好きの友だちに端から薦めていったことでした。

デビュー20周年の年に、荻原さんを高知こどもの図書館主催の講演会にお招きできたのは、ファン冥利に尽きる懐かしい思い出です。

古川佳代子

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私の一冊

鳥山百合子

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「もりのひなまつり」 こいでやすこ 福音館書店

のねずみたちに「森のひな祭りをしたいからおひなさまを連れてきてほしい」と頼まれたねずみばあさんは、おひなさまを連れて森へ向かいます。

「はるかぜ ふけふけ ヤーポンポン
めをだせ はなさけ ヨーポンポン
きょうはもりのひなまつり
ピーヒャラ ピーヒャラ ピーヒャラ ポン」

こどもたちとこの絵本を読む時、森のひなまつりで歌われるこの歌を、私はなかなか良い感じに歌えます(笑)

そして、絵本のお話とはまた違ったところで、一冊の中のあちこちに散りばめられているこいでさんの“遊びごごろ”を探すのがいつも楽しみです。

ねずみがしているどんぐりの首飾りを、いつのまにかおひなさまが首に下げていたことに気付いた時の驚きといったら!

その首飾り、最後は誰が手にするでしょう? ぜひ探してみてください。

こういったところからもこいでさんという人のお人柄や、世の中を見つめる眼のあり方が感じられて、何だかとても親しみを覚えます。

鳥山百合子

 

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私の一冊

西野内小代

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「ほがらかに品よく生きる」 斎藤茂太 新講社ワイド新書

劣等感は捉え方の問題であり、自信を持って受け止める。

不安が消えるように挑戦・努力する事によってチャンスとする。

年齢を重ねるという事は選択の範囲が狭くなるのではなく、やりたい事を絞り込んで行く過程であり、自分の世界を確立できる時期である。

等々ポジティブな方向へと思考を転換し、ストレスと上手に付き合うコツをサラッと気付かせてくれました。

西野内小代

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