私の一冊

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

古川佳代子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「ボクの音楽武者修行」 小澤征爾 新潮文庫

音楽それもクラシックとなると門外漢で大した知識もないのですが、小澤征爾さんは大好きな指揮者です。

とはいえ、最初に小澤さんを知ったのはその華麗なる指揮から紡ぎだされる音楽ではなく、この旅行記でした。

唯一の財産であるスクーターとともに貨物船に乗り、辿りついたフランスをふりだしに、アメリカ、ドイツそして日本に帰国するまでの二年半の日々。その間の出来事が“世界の小澤”になる前の26歳の青年であった小澤さんによって素朴に記されています。そのなんのてらいもない、実直に綴られた文章のなんて魅力的なことでしょう。

読み終わって即レコードを買い求め、クラシック音楽を聞くきっかけをくれた思い出の一冊です。

古川佳代子

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「日曜俳句入門」 吉竹純 岩波新書

公募俳句大会へ趣味として応募する事に焦点を当てた入門書です。

やはりある程度の作戦は必要なようです。

以前購読していた新聞の俳壇への投句でホームレス歌人の入選が続いた時期があり、この人物を特定すべく何冊か本も出版され、社会現象にまで発展した事がありました。

この事についても若干触れられていました。

俳句の底辺は広い。

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

川村房子 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「すかたん」 浅井まかて 講談社

先輩に「浅井まかてがおもしろいよ」と教えてもらっても、歴史小説は別にしても「いやー時代小説はちょっと…」と手にとろうとしなかったけれど、図書館で借りてみた。これがおもしろくてはまってしまう。

藩士だった夫について江戸より大阪の地を踏んだ智里。その夫が急な病で亡くなり自活するしかすべがない。手習い所で雇われ師匠をはじめたが上手くいかず、その上、空き巣に有り金全部とられ、途方にくれていたところ、大阪でも指折りの青物問屋の若旦那清太郎に助けられ、住み込み奉公。

おっちょこちょいで遊び人だけれど、青物にかけては情熱を燃やし奮闘する清太郎に引き込まれ恋におちてゆく。

義理人情や、ユーモア、関西弁でのテンポのよさもいい。

川村房子

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「三猫俱楽部」 咪仔(ミー) 好猫工作室

2019年10月、瀬戸内アートブックフェアに出店した際に、隣にお店を出していた台湾のミーさんが自費出版した本です。鉛筆で描かれ、セリフは京都の友達が日本語に訳してくれたとのこと。

まっすぐな澄んだ目をした20代のミーさんが自分の作ったものを前に並べ、凛とした姿で座っていた様子は私の心に大きな影響を与えてくれました。猫が大好きな彼女が描く漫画やポストカード、パラパラ漫画。ポストカードには台湾のお茶や食べ物も描かれ、台湾を伝えたいという気持ちが伝わって来ました。ミーさんはスマホで台湾の名所の写真を見せてくれたり、私はつたない英語で「いたずらこねこ」という絵本を紹介したり、とても楽しい時間を過ごしました。

フェスティバルの後は福岡県で行われるというイベントに参加すると言っていたミーさん。

大きなリュックを担ぎフットワークは軽く、自分の作ったものを届ける旅をしている彼女から、いつのまにか忘れてしまっていた大切なことを思い出させてもらった気持ちがしました。

ミーさんどうしているかな?また会いたいです!

鳥山百合子

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

石川拓也

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「死んだかいぞく」 下田昌克 ポプラ社

とさちょうものがたりがスタート時からとてもお世話になっている絵描きの下田昌克さん。

とさちょうものがたりzineも、どんぐりやファーストなど障がい者支援施設と協働で行なっているシルクスクリーン事業も、下田さんの力なしでは実現しなかったことでしょう。

その下田さんが、新しい絵本を作りました。

その名も「死んだかいぞく」。

絵本だけど「死」。絵本だけど表紙が真っ黒でガイコツ。最初のページから、かいぞくが刺されて死ぬところから話は始まります。

帯にもあるように、この本のテーマは「死ぬとは?」。

死生観とは?命とは?肉体とは?生きるってどういうこと?

本当に大事なことは簡単な言葉で語られる。誰かが言っていたそんなことを思い出しました。

深海の青がとにかく妖しくきれいです。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

古川佳代子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「海がきこえる」 氷室冴子 徳間書店

今から35年ほど前に「子どもの本を語る高知大会実行委員会」という有志の会が発足し、15年ほど活動をしていました。これは年に一度、作家や絵本画家、編集者など子どもの本にかかわる方をお招きし、講演会および分科会を開催するというものでした。講師依頼、分科会内容の検討、ポスターや当日資料の作成、会場設営と当日運営…。どれも慣れないことでしたがだからこそ面白く、会の発足した翌年から十数年間、ほぼ毎年実行委員の一人として関わらせていただきました。
径書房の原田編集長さん、デビュー間もない坂東眞砂子さん、画家のスズキコージさん…。
たくさんの方が来高してくださいましたが、その中のお一人が氷室冴子さんです。北海道に生まれ育った氷室さんは高知の夏の暑さ、海や空の青さ、土佐弁の響きにいちいち驚き、興味を持たれ「ここに暮らす学生たちはどんなことを思い、恋愛するのか?」とついに、高知を舞台とした小説を書かれる決心をされたのでした。 そのロケハンに同行し、原稿執筆が始まってからは会話文の土佐弁変換などを手伝わせていただいたことは、今でも自慢です。

まだメールなどない時代でしたから生原稿がファクスで送られてきました。誰よりも早く、大好きな作家の原稿を読むことができるなんて夢のようでした。ファクスがピッと音を立てると胸が高鳴り、拓は?里伽子はどうなった?とノロノロと出てくる原稿にもどかしく思いながら原稿が印刷されるのを見ていました。 読み終わったころを見計らってかかってくる氷室さんからの電話には、毎回ドキドキしたものでした。なんか変なこと言ったらどうしよう、がっかりさせるような感想だったらどうしよう…。

でも氷室さんはこっちの気持ちを知ってか知らずか必ず「古川ちゃんにそういってもらえると嬉しいな~。いつもありがとねぇ。来月もよろしく~!」と機嫌のよい声を返してくれました。 一緒にロケハンにまわった場所のいくつかは、わたしの自宅のそばにあります。

あたたかな一月のある日、散歩がてらその海岸に行ってみました。誰もおらず聞こえてくるのは潮騒ばかり。「ああ、海がきこえる」と思いながらしばらく過ごしたことでした。

古川佳代子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

矢野ゆかり

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「ヒョウモントカゲモドキと暮らす本」 寺尾 佳之 (著), 大美賀 隆 (編集) エムピー・ジェー

「とさちょうものがたり」の中の「山峡のおぼろ」、窪内隆起さんの連載。私は窪内さんの話が大好きで、いつも更新を心待ちにしています。『風を切る鎌』の中で槍担ぎ(やりかたぎ)"の話が出てきましたが、私は祖母に"竿担ぎ(さおかつぎ)"と小学生の頃に教えてもらいました。祖母は私に土佐町の自然の多くを教えてくれ、また早明浦ダムに沈んだ自然豊かな故郷の話をしてくれましたが、今はその事も忘れてしまっているでしょう。ですから、私があの嵐の中で"槍担ぎ"を"竿担ぎ"と聞き間違えてしまったのか、また別の方言なのか今は分かりません。

大体4月上旬か3月末、土佐町には決まって春の嵐がやってきてのソメイヨシノの最後のひとひらまで散らしてしまいます。それこそ、私が祖母から"竿担ぎ"を教えてもらったのも、そんな桜の花びらが叩きつける日のことでした。祖母のお買い物にくっついて末広まで行った帰り道。二人とも自転車に荷物満載だったので、上野地区の桜並木の下で立ち止まって風雨を凌いでいました。空は明るいのに、竹がしなり、若葉を切り揉みする様な風、轟轟と音を立てる山野、目を開けて前を向くのが嫌なくらいの雨。それなのに祖母は全然気にしていないような顔をして、「春の嵐やねぇ」とほんわか笑ったのでした。私も笑って、(こういう山とか川とか風の自由さって大好きだ)と思いました。

さて、前座はここら辺で。

話はだいぶ変わりますが、今回の私の1冊は「ヒョウモントカゲモドキ」について書いていこうと思います。 私は生き物が好きです。植物や動物、魚類など飼育や観察、知識を深めることが趣味のひとつと言っても過言ではありません。と、いいますか、前座でもあるように自然が好きなのだろうと思います。

ヒョウモントカゲモドキとは、別名レオパードゲッコーとも呼ばれ、人気のあるペットです。とは言っても、エキゾチックアニマルと呼ばれる新しい分野のペットですので、知らない方のほうが多いと思います。蛇やトカゲと言った爬虫類、カエルやメキシコサラマンダー等の両生類、チンチラやテグー等のげっ歯類、フクロウやタカ等の猛禽類などが上げられるのではないでしょうか。

私がレオパードゲッコーに出会ったのは偶然でした。大学生の時、社会人になったら蛇を買うつもりでした。しっかり調べてから飼いたかったので下見に、高知にある爬虫類専門のペットショップ(実際にはエキゾチックアニマルが専門のようです)を訪れました。そして、ズキューンと一目惚れでした。笑ったようなお口とぱっちりお目目、ちょこちょこ歩く姿、様々な色と、ぷよっとした尻尾。日本のカナヘビには無いタイプのトカゲに私は魅力されたのでした。

その後、私が調べて分かったのは、レオパードゲッコーはとても飼いやすく、丈夫で、人にとって都合の良い生き物だと言うことでした。

・餌は人工飼料や冷凍コウロギ等でネットでもペットショップでも買える、最大でも30センチ程のケースで済む。

・ワイルドの個体は乾燥や飢餓に強く、水切れにも強い。一応ブリード個体もその特徴は継いでいるが、それほどでは無い。

・出身地は大体シリア、イラン、イラク、パキスタン、アフガニスタン、インドなどである。そのいずれも国際情勢が悪く、動物の輸出に厳しく、ワイルドの個体を手に入れることは難しい。

・国内外でブリードが進んでおり、モルフ=品種がたくさん作出されている。基本的に購入出来るのは国内ブリード個体である。

以上のことでした。つまり、私が見たのはレオパードゲッコーのブリード個体で何かしらのモルフだった訳です。ワイルドの個体は中東の厳しい砂漠地帯で生きている為か、相当生命力が強いようですが、ブリード個体はモルフの維持や新しいモルフの作出の為に交配され飼育される、もしくはペットとして飼育されるため、レオパードゲッコーと言ってもワイルドとブリードでは大いに隔たりがあるということでした。

社会人になり、私はスーパーマックスノーというモルフのレオパードゲッコーを飼いました。名前はぱち蔵です。餌は生きたコウロギが楽だったので、部屋でぱち蔵がゴソゴソ、コウロギかコロコロ音がしている状態でした。高知市内で生き物の音がないマンションで、何気なく心休まった記憶があります。

ぱち蔵は平均値よりも大きくなりました。心配になり専門店の店主さんに聞いてみると、ぱち蔵の祖父の代でジャイアントという大きくなる血統が入っていたのが理由がしれないということでした。どんな生き物でも、餌の与えすぎの肥満や、運動不足は短命の原因になります。運動させていると、必ず私の体の上に登ってモゾモゾしています。(懐いてくれてるのかなぁ…())と感情の分からない、笑ったような顔を覗き込んで見たりするのでした。

ペット。それは完全に人間のエゴの塊です。私は生き物が大好きで、ペットも色々な種類がいます。みんな私たち人間の為に、都合の良いように品種改良された子達です。彼らにとっての幸せ。考え始めると、自分の罪深さを感じてしまいます。私は彼らと一緒にいること、世話をすることが幸せなのですから。

テレビに映る可愛い猫、可愛い犬。見た目を優先したために、体に残った骨軟骨異形成症や股関節形成不全。乱獲によって数が激減してしまった種も数しれず、実際レオパードゲッコーも野生種は減っています。飼い主がおらず殺処分される生き物の数の多いこと。飼いきれず捨てる人の多いこと。それによって崩れる生態系の多いこと。

私たち人間の矛盾。命は平等と言いつつ、一方的に愛玩し、優先順位を付け、生き物の幸せを定義付ける。そういえば自然もそうです。植林だらけの森、頂点捕食者の不在、外来種や国内移入種によって改悪された遺伝的オリジナリティのない川や湖。それでも緑があれば、川が澄んでいれば、自然が豊かだと錯覚する浅はかさ。私はエキゾチックアニマルという新しい分野のペットを飼うことをきっかけにして、今までの人間の営みを考える契機を得たように思います。そして浅はかで愚かな私たちの出来ることは、これ以上の人間の価値観を何かに押し付けないことのみだと思いました。

私はペット達と一緒にいるのが幸せです。私の大きなエゴだけど、大事なペットたち、どうか幸せだと思いながら共に暮らしてください。私はそう祈りながら努力するしかありません。そして、一緒に居てくれてありがとうと、いつも思っています。

長くなりました、それではまたの機会に。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「世阿弥」 北川忠彦 講談社学術文庫

観阿弥・世阿弥と言えば、日本文化まで極まったお能の礎を築いた親子です。

私にとってのお能は特殊な世界の異なる文化としての認識しかなかったので、入り口だけでも知りたいと思い読み始めました。

難しい文献や専門用語で溢れるなか 「えっ!そうなの…」と思った事がありました。

「初心忘るべからず。」

この広く定着した言葉は世阿弥が芸論の中で初めて記した言葉だそうです。

初心の頃には初心の花があり、壮年期には壮年期の花があり、老年には老年の花がある。

読んで良かった!

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

西村美佐江

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「豆の上で眠る」 湊かなえ 新潮文庫

私はミーハーなので、ドラマ化されたり、映画化された作者の本が大好きです。湊かなえさんもその一人です。

たくさんある作品の中で、今回は「豆の上で眠る」を、ご紹介させて頂きます。

2歳違いの姉妹の姉が小学3年生の時、誘拐され、その2年後に戻ってきた。
妹はその日から、帰ってきた姉に違和感を抱きながら、大学生になった…。
ただの2年間の空白からの違和感では?

と思いながら読んでいるうちに、思いもよらない展開に最後まで一気に読んでしまいました。

ぜひ読んでみて下さい。

西村美佐江

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

川村房子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「誰かが足りない」 宮下奈都 双葉社

木でできた重厚な扉をあけると「いらっしぃませ」とあたたかな声がした。磨きこまれた床、初めてきたのに懐かしい店の名前は「ハライ」。予約をとるのもむつかしい店である。この店の予約をとろうとする六編の物語。

人は誰かを失い何かを失い続ける。誰かが足りない何かが足りない。

そう感じる時の寂しさも恐れも悲しみも絶望もズーッと続くわけではない。

希望はいろいろな所にあると教えてくれる。

川村房子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone