私の一冊

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

石川拓也

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「聖の青春」 大崎善生 講談社

10年か20年以前に読んだ本ですが、ふと思い出したので紹介したくなりました。

松山ケンイチ主演で映画化もされたのでご存知の方も多いかもしれません。「聖の青春」この本が原作です。

タイトルの「聖」とは村山聖。とんでもなく強かった将棋棋士。羽生義治と並び称され、ただ幼少期からずっと腎臓の病を患い、30才に届かずして亡くなった夭折の天才と言われています。

その村山聖の人生を追ったのがこの本。自分の人生が長くないことを小さな頃から自覚して、おそらくそれが理由で駆け抜けるように生きていったような印象があります。

この本は難しい内容ではないので、小学校高学年以上だったら楽しめると思います。

たまに村山さんの実際の棋譜が出てきます。それがまた芸術的というか、閃きの輝きというか、羽生さんの棋譜でもたまに感じることがありますが、棋譜が「美しい」。

将棋が少しでも解るとさらに深くおもしろくなる本でもあります。

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私の一冊

川村房子

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「ふしぎな駄菓子屋銭天堂2」 廣嶋玲子 偕成社

路地の奥にある小さな店。古びたたたずまいの店で「銭天堂」の看板がかかっている。

「なにかお探しでござんすか?」声をかけるのは、小山のように大きくてどっしりしているうえに、大きな古銭柄をあしらった赤紫の着物で迫力満点。髪は真っ白だけど、福々しい顔にはしわがなくつややかな店主。

そしてそこにはひょんな事から迷い込んだ幸運なお客さんがやってきて、今、一番欲しいものがびっくりするほど安い値段で手に入る。

盗み名人になりたい者には「怪盗ロールパン」、病気を治せる人になりたい女の子には「ドクターラムネット」など。

これらにはみな但し書きがついていたり、店主から言葉かけがあったりするけれど、夢中で気がつかない。願いがかなえられると図にのってしまって墓穴をほってしまうことも。

幸運に恵まれるか否かは本人しだい。

もう一度と思ってその店を探しても二度とみつからない。

他に「ミュージックスナック」や「しっぺがえしめんこ」など6編からなっている。シリーズになっていて10巻以上。

「子どもさんから大人の人まで読んでいますよ」と図書館の時久さんがすすめてくれました。楽しく読めます。

川村房子

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私の一冊

西野内小代

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「アグルーカの行方」 角幡唯介 集英社

第35回講談社ノンフィクション賞を受賞。

「空白の5マイル」「雪男は向こうからやって来た」「極夜行」「アグルーカの行方」。この4冊でノンフィクション部門での賞をほぼ全て手にしているそうです。

1845年にジョン・フランクリン率いる探検隊129人全員が北極圏で死亡した。同じ風景を体験しようと計画された彼らと同じルートを辿る60日間の旅の記録です。

今回の探検も壮絶極まりないエピソード満載です。

「アグルーカ」とはイヌイットの言葉で「大股で歩く男」を意味するそうです。

元ジャーナリストらしい丹念な事前調査、資料の収集そして探検家としての豊富な知識に裏打ちされた作品です。

西野内小代

 

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私の一冊

古川佳代子

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「どろぼうの神さま」 コルネーリア・フンケ著 細井直子訳 WAVE出版

カナダのプリンスエドワード島、アイルランドのパブ、イギリスのパディントン駅…。訪ねてみたい場所は色々あるのですが、イタリアの水の都ベネツィアもそんな場所の一つです。

「どろぼうの神さま」というタイトルに惹かれて本棚から抜き出すと、目に飛びこんできたのは、水色の空を背景に黒い不思議な形の仮面をかぶった少年の姿。足の下には石造りのライオン…。「あ、ベネツィアだ~」。本の分厚さに少したじろぎながらも、読んでみることにしました。

それぞれに理由を抱え、家を飛び出し、廃墟となった映画館でくらしている子どもたち。彼らを統率し生活を支えているのは、どろぼうの神さまと名乗る謎の少年スキピオ。子どもの楽園のような心躍る冒険の毎日が、リアルな街の風景描写によって現実感をともなってぐいぐいと迫ってきます。そして最後に用意されたアッと驚く仕掛けに茫然。

気がつけば500ページ近くある作品を一気に読んでしまっていました。

古川佳代子

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私の一冊

川村房子

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「木のみかた   街を歩こう、森へ行こう」 三浦豊(森の案内人) ミシマ社

亡くなった夫は木を育てるのが大好きだった。ふくれっつらをする私を気にすることもなく、一本千円もする杉の苗木を買うこと等、いといもしなかった。

この本はたまたま図書館でみつけた。

森は木がたくさん生えている場所のことで、山は大きく隆起している地形のことを指すという。

華のある木は桐、共感できる木は山桑だという。子どもの頃、近所の畑そばにあって食べた記憶のあるあの桑の木らしい。

原始の森の王は京都下鴨神社の椋の木。二億年前からいるのは銀杏の木等など。

私の思っていた木の本とは違ったけれど、ちょっと見方がかわりました。

ちなみに、案内人がすすめる四国の森は、エメラルド色の川が流れる石鎚山の麓面河渓(愛媛県久万高原町)とまるで巨大な神殿巨木杉の魚梁瀬千本山(高知県馬路村)だそうです。又行く機会があったら違った見方ができそうです。

川村房子

 

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私の一冊

西野内小代

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「座右の書『貞観政要』」 出口治明 角川新書

副題にあるように中国の古典「貞観政要」について分かり易く解説してくれているリーダー論です。

未来は分からないのだから過去から学ぶしかなく、よい古典に接する事、歴史を学ぶ事の重要性が説かれています。リーダーのみならず、一般的な人間関係にもとても参考になるかと思います。

観察力・知識力・経験力が判断力を養う。積極的な生き方が勧められています。

西野内小代

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私の一冊

鳥山百合子

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「死んだかいぞく」 下田昌克 ポプラ社

2020年2月に下田さんが土佐町に来てくれた時、出版されたばかりの「死んだかいぞく」にサインをしてくれました!

目の前で描かれるクジラや魚たち。下田さんの世界です。

「死んだかいぞく」を初めて広げた時に何より驚いたのは美しい海の色でした。酔っ払って刺された海ぞくが深く沈んでいくにつれ、海は緑がかった青からあい色、むらさき、黒色へ…。

実は一年前、2019年の1月にも下田さんが土佐町に来てくれた時に「今、この絵本を作っているんだ」とスケッチを見せてくださったのですが、それがこの「死んだかいぞく」のスケッチでした。鉛筆で描かれていた白黒のスケッチが、一年後の今、鮮やかな一冊の本となって目の前に現れました。

下田さんが描き、色を重ねた海や魚たちが、下田さんがこの絵本と向き合った軌跡を伝えてくれているようで、絵本を広げてはただただ見入ってしまいます。

鳥山百合子

 

*今年2月に下田さんが来てくださった時の様子はこちら!

下田昌克さんが土佐町にやって来た!2020年(1・2日目)

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私の一冊

古川佳代子

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「赤毛のアン」 モンゴメリ著, 村岡花子訳 新潮文庫

好きな本は何度でも読み返します。何度読んでも全く飽きないから「好きな本」なのかな?

『赤毛のアン』を初めて読んだのは抄訳版で小学生の頃だったと思います。それから今までにいったい何度読み、何冊買い換えたことか?いろいろな方の翻訳で読みましましたが、一番ぴったりきたのは村岡花子さん訳の新潮文庫版。マリラ&マシュウはカスバートではだめで、クスバートでなくてはならないのです。

子どものときはアンにあこがれ、アンのようなしゃべり方を真似たりしていましたが、大人になってからのお気に入りはマシュウ。穏やかで懐が広く内気なマシュウは、私にとって愛すべき大人の理想像です。

古川佳代子

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私の一冊

矢野ゆかり

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「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

さてさて、私の1冊「風の谷のナウシカ」第2部。随分と間が空いてしまいました。あいすみません。

前回は2巻の続きまでだったので、そこからを語っていきたいと思います。

2巻には、アニメにも出てくる有名なシーンがあります。王蟲の幼生をおとりに使う場面です。原作ではペジテ市の残党の作戦ではなく、土鬼がクシャナの軍を殲滅するために用いる作戦です。しかもこの作戦はトルメキアの皇子もしくは王から、クシャナ暗殺の為に意図的に土鬼にリークされた情報によるものです。ナウシカは犠牲を減らそうと、土鬼の戦艦から脱出し味方に伝えに行きます。しかし、怒りに猛る王蟲の方が早く、クシャナ直属軍は、コルベット1機を残して壊滅。クシャナ自身もクロトワの機転によって何とか難を逃れます。ナウシカは全ての惨状を見て、王蟲の幼生を救い王蟲の怒りを鎮めようとします。クシャナは嵌められたことに怒り、部下を失ったことに深く悲しみ、己の髪を断ち餞として上空から投げ捨てます。口元は唇を食い切らんばかり、歯を割らんばかりです。私には過剰な感情を捨て、冷静で冷徹な指揮官になろうと、更に悲壮な覚悟をしているようにみえます。そこにナウシカが王蟲を助けるため、メーヴェで乗り込んできます。土鬼の服をきていたナウシカが情報を流したのではないかと、クシャナは疑いますが、"ドルクはあなたが南下してくるのを開戦前から知っていた。時間をかけねばあの罠ははれないわ。"というナウシカの一言で考えを改め、王蟲の幼生救出に手を貸します。そこでアニメのシーン'金色の野に降り立つ~'という場面が登場するわけです。アニメでは風の谷の大ばば様が、見えない自分の代わりに子供に風景を描写させ、古の伝承を思い出し涙を流すのですが、原作では土鬼のマニ僧正と傍付きの少女ケチャがその役割を担っています。

ここで注目したいのが金色の野の下で、ナウシカを見上げるクシャナの表情です。どう表現したらいいのか分かりませんが、深く驚いているようにも、呆然としているようにも、何かの疑問に対して考えを巡らせているようにもみえます。しかし、ナウシカとクシャナが関わって行く中で、印象深い一コマでもあります。清く優しい(ようにみえる)ナウシカが金色の野にいて、それを影になった地上から見上げるトルメキアの(=血みどろの)白い魔女。相対的な構図が少し痛々しく感じるのは私だけでしょうか。でもそこに王蟲の癒しの力を持つ光る粉が降り注ぎ、私の心も少しは慰められるのです。描かれ方は違えど、話す言葉は違えど、表裏一体のようなナウシカとクシャナは、ここで強く結びつくのではないでしょうか。

さて場面は少し進んで、ナウシカは王蟲と心を通わせ、これより南の森(土鬼領)が助けを求めており、そこに王蟲が向かうことを知ります。王蟲はそれ以上のことは明かさず、"北へオカエリ"と伝え去っていきます。ナウシカはここで決めたのでしょう。このままクシャナに従軍し、何が起ころうとしているのか確かめると。土鬼は囮に王蟲の幼生を使っていましたが、ナウシカの見立てでは推定12回は脱皮している王蟲の幼生を腐海から奪ってくることは不可能であり、そこに何かがあると確信していました。そして腐海中の王蟲たちが動き出していることは、『大海嘯』の予兆ではないかと推測します。

ナウシカは1人で従軍し、ミトたち城おじは風の谷へ戻りました。ミトはナウシカの推測と意思を、族長であり父のジルに伝えます。また、辺境諸国の族長が集められ、そこで『大海嘯』の詳しい説明が、辺境いちの大年寄りである、大ばば様からなされます。

・『大海嘯』とは突如として腐海が沸きかえり押し寄せることを言う。王蟲を始めとした蟲が主に怒りを理由に我を忘れ、大集団となり襲いかかる。飢餓を理由に死ぬと、体に付着していた腐海の植物たちが一斉に発芽し、新たな腐海を形成する。

・『大海嘯』は『火の7日間』のあと3回おこり、最後は300年前内紛状態であったエフタル王国を滅ぼした。それは20日間エフタル王国全土に及び、多くの命、住むことのできる場所、伝わっていた奇跡の科学技術が失われた。今腐海のほとりに住む辺境諸国の人々は、その末裔であり王を頂かずトルメキアの同盟国(属領)になった。蟲使いたちは内戦時に王蟲を殺し、硬い外皮を調達していた武器商人の末裔であり、『大海嘯』のあと腐海に暮らすようになった。

この説明通りであれば、『大海嘯』が起きれば蟲もヒトも動植物も多くが死にます。ジルはナウシカの為にガンシップを使い、師であるユパを探すよう、ミトに命じます。そして"おろかなやつだたったひとりで……世界を守ろうというのか……ナウシカ……"とその身を案じながら息を引き取るのです。その表情は少し誇らしげにも、また少し後悔しているようにもみえます。腐海に生きるものは石化の病にかかります。もしかしたらジルの表情は、長い間に染み付いた表情なのかもしれません。

場面は変わり、ユパはセラミック鉱山の街で腐海に向かう船を探しいていました。セラミック鉱山といっても、宇宙船の残骸を切り出して使用しており、今はトルメキア戦役のおかげで特需状態です。ユパは、何故か蟲使い達が鉱山に出入りし、土鬼皇帝貨を使っていることに疑いを持ち彼らを船に潜入します。そこで見たものは、培養液らしきものに浸されたなにかの欠片でした。蟲使いたちの本拠地に潜入したユパは、土鬼僧正たちの密会と蟲使い達との商談を目撃します。(その中にはマニ族もいました。)更に王蟲が培養されていることを確信し、戦慄します。しかし、蟲使いの蟲に見つかり、密会の現場に躍り出てしまいます。土鬼と蟲使いがた襲いかかってくる中、マニ族のなかから1人の戦士が立ち会いを臨んできます。戦う中、マニ族の戦士が自分はペジテのアスベルであり、助太刀すると耳打ちします。2人は戦いの途中でうまく培養層を破壊し機械を壊し、マニ僧正とケチャと共に脱出しようとします。しかしそこに王弟ミラルパが登場します。マニ僧正は勝てないと悟りながらもミラルパを相手取り、念動力で戦いユパ達を逃がします。そしてマニ族に虐げられてもめげず生きることを説き、古き予言にある青き衣の人が大地との絆を結び人々を導くだろうと激励します。ミラルパはその者の名を知ろうと更に攻撃を仕掛けますが、マニ僧正はナウシカの名を言わずその身を楯にしてユパ達を逃がします。マニ僧正の強い思念は、遠くナウシカの心に届きます。"僧正さま!?お別れ……なぜ!?"突然のことにナウシカはマニ僧正の元に思念をとばそうとしますが、そこには超常の力をもつミラルパがいます。ミラルパにからめとられそうになったその時、マニ僧正の最期の力がナウシカを守ったのでした。ナウシカは王弟ミラルパの思念体を'生きている闇'と評しました。

今後ナウシカはその闇と光、蟲と人間、生と死の狭間を歩んでいきます。

それではまた3巻が書き終わるまで、今しばらくお待ち下さい。

 

矢野ゆかり

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私の一冊

川村房子

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「対岸の彼女」 角田光代 文藝春秋

私って、いったいいつまで私なんだろうとおもう小夜子。子どもの頃も、高校、大学に入っても、結婚し3歳の娘をもつ母親になっても、人とうまく付き合えない。娘も同じで公園に行っても砂場の隅でポツンとしている。買い物に出てもブラウスが高いのか安いのかわからなくなっている。娘のこと、自分の事を考えて働きにでることにする。

一方薫は子どもの頃からかわった子であり、中学に入っていじめにあい学校に行けなくなった。高校は引越しをして入った。そこでもいろんなことがあった。本当にいろんなことが…。大学を出て、そして掃除代行の会社をたちあげ、そこに採用された小夜子。そこからもドラマははじまる。

女の人を区別するのは女の人だ。既婚と未婚、働く女と家事をする女、子のいる女といない女。立場が違うということは、時に女同士を決裂させると。そういえば結婚して子どもが欲しくてもできなかった友人が「子どもの話しがでるから行かない」と同窓会には顔をみせなかった。悪気はなく、なにげに姑の愚痴や子どもの話しは出る。それで傷つく友がいた。それでもみんないろんな事を乗り越え日々の暮らしを続けている。

子どもがいてもかわいい孫がいても、友達の存在はなによりもありがたく感謝している。

川村房子

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