私の一冊

 

 

山の人、町の人。先祖代々住む人、都会から越してきた人。猟師さん、農家さん、森の人、職人さん、商店さん、公務員…。

人口4,000人弱の土佐町にはいろいろな人がいて、いろいろな人生があります。

土佐町のいろいろな人々はどんな本を読んでいるのでしょうか?もしくは読んできたのでしょうか?

みなさんの好きな本、大切な本、誰かにおすすめしたい本を、かわりばんこに紹介してもらいます!

(敬称略・だいたい平日毎日お昼ごろ更新)

私の一冊

石川拓也

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

『墨攻』 森秀樹  酒見賢一(原作) 小学館

「墨守する」という言葉の語源にあたる「墨家」 は、古代中国に実在した思想集団です。

乱世の世にあって、儒家や法家などと並んで活躍した時代もあったようですが、歴史の中でいつしか消滅していきました。

その思想は古代にあってとても稀有で、「兼愛公利(けんあいこうり)」と「非攻(ひこう)」を軸にしていました。

「兼愛」は「広く愛する」、「公利」は「自己中心的にならずに互いの幸福を増幅する」という意味です。仏教の「利他」に近いのかもしれません。

もう一つの「非攻」は文字通りの「攻めること勿れ」。平和主義の非戦論です。

「非攻」という思想を軸にして、墨家には高度な守城技術や築城技術が伝承していたそうです。つまり、守りの技術。自分たちから敵を攻めることはしないが、攻められた時には徹底的に守り抜くという姿勢です。

このマンガは、墨家の一員である革離が、趙軍に攻められている梁城に単身乗り込み、趙の大軍を相手に梁城を守るために手を尽くすというストーリー。

日中韓合同で実写映画化もされたので、そちらをご存知の方が多いのかもしれません。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

古川佳代子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「ぼくにだけ見えるジェシカ 」 アンドリュー・ノリス作, 橋本恵訳  徳間書店

コロナ感染防止対策に明け暮れた2020年。様々な事柄にコロナ禍の影響が感じられます。

なかでも子どもの自殺率が倍加したとのデータには、ただただ心が痛むばかりです。 大なり小なり、人は生きていく中で一度は「ここで命をたったら楽になれる…」と思うことがあるかもしれません。そんなとき、踏みとどまらせてくれるのは家族や友人の存在、あるいはお気に入りの本の中のひと言が、「あと一日だけ生きてみる」支えになってくれるかもしれません。

フランシスはファッションに興味がある男の子です。ところがそのことが校内みんなに知られて以来、フランシスは学校で孤立してしまいます。誰からも距離をおかれたフランシスに寄り添ってくれたのが、幽霊となったジェシカでした。見えないはずのジェシカの姿をフランシスだけは見ることができたのです。ファッションに興味があるフランシスを当たり前に受けいれ、その才能を評価してくれるジェシカのおかげでフランシスは少しずつ自信をとりもどしていきます。

そんなとき、また一人、ジェシカを見ることができる仲間ができます。ジェシカを見られる条件は?そしてジェシカが幽霊になったそのわけは?

毎日を精いっぱい生き延びている人たちにそっと手渡したい物語です。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

西野内小代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「そこにある山」 角幡唯介 中央公論新社

著者は、作家さんであり冒険家さんです。何冊か「とさちょうものがたり」でも紹介させて頂きました。

新聞でこの本の情報を見つけ早速ネット注文。ワクワクしながらページを開いた。ん?何か違う…?

私の想像していた内容とは遥か異次元のテーマでした。

「結婚」と「冒険」について哲学的に解明、結婚に至る心の動きや、北極に取りつかれてしまった現在の状況を冷静に分析、事の始まりと結果に至る因果関係を見極め、この作品において再確認しているような印象を受けました。

言葉の定義づけを理解するのに苦労しましたが、なんとなく著者の哲学思想にねじ伏せられた読後感です。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

古川佳代子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「これからの男の子たちへ 「男らしさ」から自由になるためのレッスン」大田啓子著 大月書店

雇用や大学進学、給与面など性差別による直接の不利益や影響を受けるのが女性であることから、性差別やジェンダー格差について語られるとき、その対象はもっぱら女性や女の子です。

では、男の子はのびのびと育っているかといえば、そうも言えないようです。 男の子もやはり「男らしさ」を求められ、周囲の大人やメディアの情報を通じて「男の子とはこうあるべき」と刷り込まれ、その影響により”男になって”いくのです。そして、そのような価値観を植え付けられた男性は、性差別的な考え方を身につけてしまうのでした。

とすれば、これから成人する男の子は、どのようなことに気をつけて育てればよいのか、という視点から編まれたのが本書です。性差別構造の強い社会に生まれた男性は、「男性である」だけで強い立場にあります。

これからの男の子や男性にはその強い「特権」を武器に、性差別や性暴力に積極的に対抗してほしいという著者の思いがひしひしと伝わってきました。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

矢野ゆかり

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

2021年、改めまして寒中お見舞い申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

さてさて~今回の前座は~

コロナ禍での新たな生活様式で、随分とのんびりとした年末年始でした。ただニュースのコロナの感染者の増加に一喜一憂していたのは、職業病なわけですが

私は数日間がっつりゆっくり寝正月でした。ここ数年、年末年始は体調が際立って悪かったのです。忙しない空気や雰囲気すらダメで、年末年始のテレビ番組等は、見ること聞くことすら苦痛でした。

氷枕と冷えピタを貼って、悪夢にうなされながら寝込んでいました。今年はそこまで酷くならずゆっくり出来たのは、近年稀に見ることでした!(ありがとう!神様!)

しかしながら、いつになったらコロナは収まるのやら。というか、収束ではなくて進化してってますよね?アヤツ。変異型何個あんねん!?というツッコミが頭の中で何回とびかったことか

軽く調べてもだいたい17種ほど変異があるようです。話題のイギリスとアフリカのもの以外に、変異体自体がたくさんあるということは、それだけ強毒性で感染力の高い変異型が今後出てくる可能性が高いということ。

母と、祖母のデイサービス用のマスクに祖母の名前を書きながら、そのうちナウシカのマスクみたいになったりしてね と話しているところです。ありえない話では無いですよね、ガスマスクを被って生活する「ネオ新生活様式」。風が良く通る田舎(辺境)の民だけが、ガスマスクつけなくて済むってオチですよね。

By the way.このお正月には私にとってとても嬉しいことがあったのです!『風の谷のナウシカ』は令和元年12月に新作歌舞伎になっていたのですが、NHKで前編後編で放送されることになっていたのです。

ちょうどテレビも買い替えたばかりで、即録画予約しました。実は令和2年の2月と3月とに香川で『新作歌舞伎 風の谷のナウシカ』ディレイビューイングに行っていたので、見るのは2回目になります。

アニメ原作でなく、漫画原作になっており、昼夜通し(6時間)の大歌舞伎でした。主演ナウシカ役は尾上菊之助、クシャナ役を中村七之助、アスベル役を尾上右近他、豪華なことこの上ないキャストでした。本水や獅子舞など、見応え十分で、女形の見栄の切り方も美しく手先足先まで美しい所作でした。特に中村七之助のクシャナ役はニヤニヤが止まらないほどハマり役でした。はぁ~。何遍でも観られる。

私の一冊を書くためにわざわざ去年見に行った『新作歌舞伎 風の谷のナウシカ』でしたが、私は純粋に原作の考察と、古典的解釈で新たに現されたナウシカの世界によって、新たな面から考察することが出来ました。そして、令和元年に『新作歌舞伎 風の谷のナウシカ』が作られ、私が(いつから書き出したか忘れましたが)『風の谷のナウシカ』を必死こいて書いている最中、コロナパンデミックで世界が変わったこの2020年に、アニメで年末に『風の谷のナウシカ』をみ、年始で『新作歌舞伎 風の谷のナウシカ』をみるのは因果めいたものがあると思います。

私は仕事で選書もしているのですが、『風の谷のナウシカ』を考察する著作もふえ、TwitterYouTubeといったSNSのインフルエンサーが『 風の谷のナウシカ』について考察しているのです。※私が私の一冊で書き出したのは、たまたまなので例外ですが

マスクをしないと出られない世界、今までと違う生活様式を強いられるということが、『風の谷のナウシカ』に注目を集める結果になったのでしょうか。『風の谷のナウシカ』をサラッと読んでいると、人が命に手を加える、人が命を弄ぶことを、強く否定しています。

2019年頃からSDGsや海洋汚染が声高に叫ばれ、プラスチックの汚染が人間にまで広がっていることが知られた時期ですので、私達のいきかたに転換点が来ているゆえかもしれませんね。

『風の谷のナウシカ』は人間の転換点の物語ですから。

さて、本編は6巻後半にはいりました。

場面は皇兄ナムリスの戦艦から始まります。囚われの身になっていたユパは、ヒドラの飼育室から何とか脱出します。その頃皇兄ナムリスは出陣の準備をしており、そこに弟ミラルパの亡霊をみます。

何かを探しているようです。その時ミラルパは雲の下にナウシカのいる飛行甕に気づき、もう大した力もないのにも関わらずナウシカに取り憑こうとします。森の人は、その危機的状況に気づき、見晴らしの良い山肌におろしてもらいます。

ここの会話で森の人はセルムだというがわかります。チヤルカはセルムにチククとナウシカを託します。セルムはチヤルカの戻るところを「修羅の庭」と表し、チククは「チヤルカもどると死ぬぞ」と呼びかけています。しかし、チヤルカはこれ以上の愚行の繰り返しを止めるため、命をかけて戻って行きました。

同じ山には別行動を取っていた、城おじ達やクロトワがいました。不意にクイが動き出します。クロトワはクイに無理やり乗せられ、ナウシカの所へ行き着きます。

そこでナウシカの目覚めをまつ、チククとセルムに会います。どういう状況か分からないクロトワですが、2人の尋常ではない様子と一向に目を覚まさないナウシカに言いようのない不安を覚えます。ナウシカといえば、セルムの呼びかけが呼び水となって、意識がハッキリします。この場面でのナウシカは年相応の女の子といった、若干幼いように描かれているように見えます。

意識がはっきりしたことでミラルパの亡霊に見つかってしまいましたが、胸に抱いていたテトがいないことに気づき、まとわりつくカゲを振り払います。その時、一緒にミラルパからもカゲを振り払いました。周りを見渡すと周りは、一面が骨片におおわれており、重い体を引きずり、ミラルパを支えながら必死に歩きました。すると行先に腐海があり、青年(セルム)がいました。怯えるミラルパもろ共ナウシカはその腐海に入りました。

その腐海は豊かな色彩でした。彼はこの森はナウシカの心の森であり、途中からは実際にある場所だといいます。彼はある秘密をナウシカと共有するために、心の森からしか行けないその場所に導いてくれました。それは腐海の尽きる場所。草木が茂り、水と土がある。青き清浄の地でした。ミラルパはよろこび鳥を追って消えてゆきました。ナウシカはそれをしっかりと確認すると、現実の世界に戻っていきました。

セルムは、青き清浄の地を汚さなかったナウシカに、腐海で共に生きないかと声をかけます。生命の流れに身を置くセルムと、個々の命に深く関わってしまう、人の世界を愛し愛されているナウシカは、共に行くことはありませんでした。しかし確かな絆が結ばれました。

ナウシカには、蟲使いから醜男(逞しい男のこと···古語)達が選りすぐられて守り人となっていました。更に勝手に留守にしたクロトワとクイを探してきた、城おじ達とも合流し、感動の再会になるのです。

そして、土鬼のトルメキア侵攻を阻止しようとチククと共にメーヴェで先に飛び立ちます。その後を守り人たちが健脚を生かして徒歩で、ミトとクロトワがガンシップで追うのでした。

さて、まだ6巻ですが、ここら辺から内容は7巻とまとめた方がわかりやすいので、ここで1度筆を置きます

次は6巻詰めから7巻からを書けたらいいかなと思います。

6巻もなんですが7巻は超ボリューミーなので、

遅筆の私がどれだけやれるか見ものですね…(¬)

最後に、末文になりますがお許しください。

祝いの時間もなく、先の見えない中で前を向いて走り続けている方々へ、心からの敬意と、感謝を。

いま苦しい立場にいる人々に、どうか思いつめないでと言いたい。

それでは、また。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

田岡三代

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「一億円のさようなら」 白石一文 徳間文庫

「え~?テレビを観る前に読んだら、テレビが面白くないろう?」との孫の言葉をしり目に、やはり先が急がれる私は読むのです。

テレビでは、俳優さんの目や顔の表情で、その時の心の流れを読みとるのだけど、本には当然のことながら言葉で書かれてあるので、その対比がおもしろい。

「多額の遺産を叔母から相続することとなった妻とと、その事実をずっと内緒にされていた夫との心のすれ違い」が描かれたこの本。

テレビでは、主演の上川隆也のゆるぎない演技が素敵でした。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

石川拓也

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

 

「へうげもの」 山田芳裕 講談社

「へうげもの」と書いて「ひょうげもの」 と読みます。「ひょうげる」という言葉の意味は「ふざける」とか「おどける」。現在でいう「ひょうきん」(これはこれで古いですが)に近いでしょうか。

ときは戦国。織田信長、豊臣秀吉に仕えた武将・古田織部を主人公として描いた歴史マンガです。

戦国時代の漫画といえばほとんどが「戦(いくさ)」や「武」をテーマにしたものですが、「へうげもの」は茶道や茶器、美術や建築など、戦国時代に花開いた「美」や「数奇」を中心に物語が展開していきます。

「へうげもの」(=ふざける者)は主人公である古田織部を表す言葉です。作中で躍動する古田織部の肩の抜けたふざけっぷりの人柄を指していながら、同時に「美」や「数奇」の方向性を指す言葉でもあります。

つまりそこには対比として飾り気のないストイックな美を愛した千利休がいて、古田織部は利休の弟子でありながら、もう少しヘンテコで不細工なモノ(=へうげもの)を好んだというのです。後世ではそれを文字通り「織部好み」と称します。

史実と創造が交差しながら濃密な物語が編まれていくので、とてもこの項では紹介しきれないのですが、楽しく読めると同時に深く勉強にもなるマンガです。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

古川佳代子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「ほんとうのリーダーのみつけかた」 梨木果歩 岩波書店

戦後75年。日本は戦争のない平和な国だといわれるけれど、実はそう思わされているだけではないのかしら、と時々不安になる時があります。そんなとき目に入ってきたのが本書のタイトルでした。

この不安な気持ちを平らげ、私を導いてくれるリーダーの見つけ方を教えてくれるのか、なんとありがたい!と読み始めたのですが、それは大きな誤解でした。そもそも、自分で考えることを放棄して「だれか」にすがろうとすることこそ「危うい」のだと、ガツンと叱り飛ばしてくれたのが本書です。

社会が急激に変化し前例のない時代に、それでも何とかして生き延びなくてはいけません。そしてそれは、あとあと悔み、眠れない夜となるような手段ではない生きのび方でありたいものです。

その道を一緒に歩いてくれるリーダーを、そしてもしも悔むような選択をしてしまったとしても一緒に耐えてくれるリーダーを、自分の中に育てていくことが「ほんとうのリーダーをみつけること」なのだと語りかけてくるのでした。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

矢野ゆかり

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「風の谷のナウシカ」 宮崎駿 徳間書店

ご無沙汰しております。

久方ぶり!ゆかりでございますよ。

さて、私事ですが、

詩の部門で高知県文芸賞を頂きました事をこの場を借りてご報告させて頂きます。それもこの「私の1冊」で色々な本に触れ、思考したこと、皆様のお力がこの賞に繋がったと思います。改めてお礼を申しあげます。

さてさて~今回の前座は~

実は我が家、最近屋外に薪ストーブを導入したのです!ぱんぱかぱーーーーん!!!焼き芋さいこー!!!

もちろん、薪ストーブが導入されたということは、生活サイクルに薪割りがインするわけです。

ほっそい折れそうな母が竹を割っていたりすると、(枝が枝折ってる~(笑))と面白がってからかうのが常です。

コロナもあるので土日は完全に家で、冬の仕事をしているのです。

本日私は持病で鬱々としていたのですが、「薪割りでもしたら??すっきりするかもよー」という母の言葉と、薪割りをする父のおしりの動きが妙にツボだったので、私も薪割りをすることにしました。

ここで話の流れ的に、私が下手くそでキャーキャーするはずなんですが、昔取った杵柄、剣道していたので。面打ちの要領で、バンバン薪を作りました!父も調子を乗ってじゃんじゃん木を持ってきます。結局、相当量薪を作ることができましたが、父のアシストあっての事ですね。

そしてスッッッキリして、仕事をしようと思ったのでしたー。本当は1225日の金曜ロードショー、「風の谷のナウシカ」に間に合わせたかったんですけどね!ちゃんちゃん。

きっと風の谷でも薪割りは日々の仕事なんでしょうね。

さて、

今回の本編の前にスペクトラムという言葉について、りぐってみようかと思います。スペクトラムとは連続性という意味です。Google先生でスペクトラムと検索してみると、自閉症スペクトラムがトップに出てします。

他にあげられる言葉は性スペクトラムですね。自閉症スペクトラムは説明していたら、大学の期末レポート並になるので、割愛。性スペクトラムは簡単なのでご説明をば。性スペクトラムとは男性と女性はかっちりと区別されたものではない事を説明しています。

DNAから連続しており、限りなく女性に近い男性、限りなく男性に近い女性、両性などetc.、元来の考えを覆すものです。私も中学生のころ、私って本当にXXなのかな?女の子らしいことできないし、XXYとかなのでは?!!と思ったものです。実際にはそういう女性や男性がいる訳ですが。このような話をするのは、ナウシカという存在が一騎当千という猛々しさ、数々の武勇、それに反して思慮深く柔らかな心、全てを包む優しさ、両極端な部分があるからです。(母性もあるのではという声はまたひとうんちくあるので、今度ということで)

さて、本編は6巻にはいりました。 冒頭は、チククがナウシカの気配を察知できなくなり、チヤルカと共にナウシカがいるであろう、粘菌の集合地点に向かいます。

そこで蟲使いたちが、ナウシカのメーヴェを持っているのを見つけ地上に降ります。蟲使い達は新しい森で、新しい縄張りを決めるため、森の人の指示で13氏族メーヴェをめぐって諍いになる間際、森の人が現れます。森の人は蟲使い達に尊ばれる人々です、チククとチヤルカは何とか事なきを得たのでした。そしてチククと森の人は念話をし、共にナウシカを探しに行きます。

道中、チヤルカは森の人の不思議な青年に、あの巨大な粘菌はいったいどこへ消えてしまったのです…”と聞きます。

青年は”………粘菌もいます 中略”  もう大きな群れにはならないでしょう  王蟲の森を食べて混じり合い落ち着いたから…   ”中略”  粘菌は自分の食べた木々の苗床になって食べ尽くされます 食べるも食べられるもこの世界では同じこと  森全体がひとつの生命体だから……”  と答えます。

人間が世界の調和を崩すと森は大きな犠牲を払ってそれをとりもどします   そのためこの千年森はいよいよ広く深くなっています と続けます。

あまりの事にチヤルカは涙をうかべ歯を食いしばり、

何という愚行をわれわれは………”

と深い後悔と悔恨で涙が止まらない様子です。

チヤルカはすごい人です。ただの僧兵から王弟や国への忠臣ぶりをかわれ、今の地位にいます。臨機応変な対応や、知らない知識を貪欲に吸収しようとする姿など、理想的な上司だと思うのです。国を愛し、人々を愛し、初めは僧会の教えという凝り固まった概念がありましたが、今はただ1人の人間として命に向き合っています。この人間性が私はとても好きで、チヤルカは好きな登場人物の1人です。

さて一方、蟲使い達は森の人に集められ、新しい森(新しい腐海)の誕生を祝い、子孫に伝えるため、森に1番初めの日が差すのを待っています。

チクク達はテトの気配を頼りに、ナウシカを見つけようとしていました。ナウシカは、王蟲によって死を免れていました。王蟲はナウシカに漿を含ませ、瘴気や腐海の毒気から守りましたが、彼女に意識はありません。本当は彼女は王蟲と共に行ってしまいたかったのですから。ナウシカを何とか見つけたチククと森の人は、初日を浴び、猛烈な勢いで伸び始めた腐海の中から何とか脱出したのでした。

蟲使い達は日差しによって爆発的に緑になっていく腐海を見て、喜び、若衆達は踊ってすらいます。そこへ漿をまとったナウシカを連れた森の人が現れます。彼らはそこに神をみます。

ある部族の蟲使いは言います。

森の人よ   このお方は人の姿をした森です  両界の中央に立たれておられます  どうか私共にこの方をお与えください  部族の守り神にいたします

彼らは土鬼や諸民族から蔑まれ疎まれ、森と人との境界に立つナウシカは、そこに指した光のように見えたのでしょう。

森の人は、今のナウシカの状態を説明しました。ナウシカが王蟲と心を通わせていたこと、心の深淵に至ったこと、深淵の岸辺に今も佇み、そこからこの世に戻ってこれるかは彼女自身の力や思いであること。森の人は判ってほしい 私達に見守らせて欲しいと言います。しかし頭に血が上ってしまった状態の彼らには届きません。仕方なくその場から離脱するのです。

森の人は軽率でした 彼等に見せるべきでなかった かわいそうに 今ごろみな泣いているでしょうと哀れみ、後悔します。そう、彼は念の力や腐海との繋がり方など、ナウシカとよく似ています。そして、今後のキーマンの1人になってきます。

6巻半ば、今年はここで終わりに致します。

良いお年をお送りくださいませ。

さて、今回はここらへんで!

次回もがんばるぞ。(遅くてごめんなさ~い(涙))

次は6巻後半からを書けたらいいかなと思います。

最後に、末文になりますがお許しください。

祝いの時間もなく、先の見えない中で前を向いて走り続けている方々へ、心からの敬意と、感謝を。

いま苦しい立場にいる人々にエールを。

それでは、また。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
私の一冊

鳥山百合子

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「くんちゃんとふゆのパーティー」 ドロシー・マリノ作, あらいゆうこ訳 ペンギン社

今日はクリスマス。サンタさんからのプレゼントを心待ちにしていた子どもたちは、どんな顔をして朝を迎えたでしょうか。

これは、クリスマスが近くなると毎年読みたくなる一冊。こぐまのくんちゃんが「雪を見てみたいから、冬ごもりするのはもう少し待ってほしい」とお母さんにお願いします。お母さんはその言葉を聞いて、冬ごもりを先延ばしに。雪に覆われた森のなかで、森の動物たちが食べものがなくて困っていると知ったくんちゃんは、木に食べものを吊るしてあげます。その周りを飛び交う鳥たちのうれしそうなこと。羽を羽ばたかせている音が聞こえてきそうです。

この本は、以前幼稚園で仕事をしていた時、担任をしていたもうすぐ小学生になる学年の子どもたちに贈ったものです。「幼稚園に遊びにきたサンタさんがこの本をプレゼントしてくれた」という演出を他の先生と考えました。絵本を包んだ紙に色鉛筆で「Merry Chiriatmas!」と描いたこと、英語で書かれているその文字を見て「サンタさんが来てくれたんだ!」と信じていた子どもたちの姿を思い出します。今からもう20年前のことです(!!)。

ページを開くたび、くんちゃんの姿と子どもたちの姿が重なり、なんとも言えない懐かしさを感じます。ささやかなことかもしれませんが、私にとっては、今もはっきりと思い出せる大切な出来事です。

2020年のクリスマス。きっと、この日の先に、まだ見ぬ未来があるのだと思えます。それを信じ、大切な人たちやものごとを見つめていきたいと思っています。

 

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone