「あなたと出会えた奇跡を記す」 文:鳥山百合子
岡林敏照さん・美智子さんというご夫妻がいる。
現在、敏照さんは91歳、美智子さんは87歳。敏照さんは土佐町の山間部の黒丸地区出身で、美智子さんは土佐町の隣の旧土佐山村(現高知市)生まれ。お二人は、1952年に結婚してからずっと黒丸地区に住んでいた。
敏照さんの生業は林業。まだチェーンソーなどない時代、鋸(のこ)と釿(ちょうな)で木を切り、斧で枝を打っていた。「山を切って、焼いて、稗を蒔く。そのあとは小豆、大豆、そして三又を植えたのよ。当時の人たちはそうやって生きてきた」。
牛を引きながら、歩いて3里(約12km)の石原地区へ買い物に行き、黒丸の人たちの配給米を牛の背に載せて帰ってきたという。敏照さんは「16歳の時に終戦を迎えて、戦争に行かずにすんだ。国のやり方ひとつで人の人生が変わってしまう。戦争だけはいかん」と言った。
現在は、病院に通うため、土佐町の中心部である田井地区にも家を構えている。週に3日ほど、車で1時間かけて黒丸の家に行き、畑仕事をするのが楽しみなのだそうだ。
「畑にいると生命力が蘇ってくる。姿は見えなくても、ここにわらびがあって、ウドがあって、って。自分の中に畑が入っているようなもの」と美智子さんは話す。
石川が岡林さんご夫妻の撮影(P50 )をする日、私も同行した。黒丸地区のアメガエリの滝のそばにある吊り橋のたもとで、お二人と待ち合わせをした。吊り橋は遊歩道をしばらく歩いたところにある。歩き始めてハッとした。道の草が刈られたばかりだったのだ。私は、ご高齢のお二人が歩く道の状態を確認していなかったことに気付いた。誰が草を刈ってくれたのか?その人の顔はすぐに思い浮かんだ。自分の至らなさを痛感しながら、お二人が待つ橋まで歩いた。雨上がりのあとの草は刈られてもみずみずしく、キラキラしていた。
間に立つ人
草を刈ってくれたのは、黒丸地区の地区長である仁井田亮一郎さんだった。私はいつも「亮さん」と呼んでいる。今までとさちょうものがたり編集部は、亮さんに大変お世話になってきた。お二人の撮影をしたいと相談すると、間に立ち、連絡を取ってくれた。亮さんは撮影の日に合わせて、お二人の足元が危なくないよう、草を刈ってくれていたのだった。
亮さんは、黒丸地区の人の健康状態や様子をよく知っていて、まるで自分の家族のことであるかのように話す。後日、美智子さんが言っていた。「亮一郎さんは、私らが田井に家を構えたあとも、たびたび家を訪ねてきては、 “元気かよ〜” と声をかけてくれる。なかなかできることじゃない。人間を大事にする人じゃ」。そして、「私らは集落のことはもうできん。亮一郎さんから(写真の撮影のことを)頼まれて、何か少しでも役に立てるのなら、と思って引き受けたのよ」と話してくれた。
重ねてきた歴史
撮影は、緑輝く瀬戸川を背景に行った。そこはお二人が毎日のように歩いていた場所だった。緊張していたのか初めはぎこちない笑顔だったが、石川が声をかけながら撮影するうちに、リラックスした表情を見せてくれるようになった。
撮影が終わり、車を置いた場所へ戻るために階段を上る。先頭は敏照さん、そのあとに美智子さんが続き、私はその後ろを歩いた。道の途中、敏照さんが幾度となく振り返り、美智子さんを見つめていた。そして、安心したように前を向き、また歩き出す。一瞬、時が止まったように思えた。慈しみに満ちたそのまなざしは、お二人が重ねてきた歴史を物語っていた。
岡林さんご夫妻の写真を見て、誰よりも喜んだのは亮さんだった。写真を手にして嬉しそうに笑い、「よかった」。そして、「ありがとう」と言った。亮さんと岡林さんご夫妻が積み重ねてきた信頼関係が存在しているからこそ、この一枚の写真が成り立っている。
石川は「撮影はその人の存在を認める行為」だと言う。今、あなたがここにいること。あなたと出会えたということ。あなたとの出会いはかけがえのないものであること。亮さんは、今まで大切に育んできた関係の一片を石川に預けてくれたのだった。
物語を記す
撮影から数ヶ月後、岡林さんご夫妻の田井のお家へ伺った。棚には家族の写真が飾られ、その真ん中には、石川が撮影した写真があった。
写真を見ながら敏照さんが言った。「黒丸の遊歩道は、黒丸の人たちが作ったんだ」。数十年前、町から頼まれた仕事だったそうだ。これまで何度となく歩いてきた道は、敏照さんをはじめ、黒丸の人たちが鍬で掘って作った道だったのだ。
一枚の写真の奥には、黒丸という山深い場所で生きてきたお二人の持っている物語があった。写真を撮ることは、その人の紡いできた物語を記し、引き継いでいくことでもある。
幸せな仕事
今まで、土佐町のこどもから人生の大先輩まで多くの方の撮影をさせていただいた。2018年7月に発刊した「とさちょうものがたりZINE02号」に友達の姿を見つけ、「僕もとさちょうものがたりに出たい!」と自らポストカードのモデルになってくれた子もいた。石川が土佐町で撮影を始めてからこれまでの間に、鬼籍に入った方もいる。生前から写真を額に入れて飾ってくれていたその人は、いつも座っていた場所で今も微笑んでいる。
あなたがここにいること。あなたがここで生きたこと。その証である一枚を喜んでくれる人がいる。
「幸せな仕事をさせてもらっている」
石川は常々そう話す。
誰もがたった一度のかけがえのない今を生きている。つい忘れてしまいがちだが、人生の持ち時間は限られていて、誰もが生と死の間にいる。
だからこそ、この広い世界の中で、あなたと出会えた奇跡を記す。一枚の写真には、その意味がある。
岡林敏照さん・美智子さんの写真はこちらです。