家族の一人が新型コロナウィルス陽性と診断された。12月に入ってから、町内の小中学校で新型コロナウィルス感染者が出ているという連絡網が毎日のようにラインで届いていたので気をつけてはいた。陽性と診断されたのは今回で2回目である。我が家は今年3月、私を含め家族の内3人が陽性になったのだが、お医者さんが言うには稀に何度も感染する場合もあるらしい。
これはあくまで私の体験なのだが、多くの人が新型コロナウィルスに感染している今この時のことを記しておきたいと思う。
まず病院へ
12月19日、家族の一人が朝から体調が悪いと言って学校を休んだ。その日の晩に発熱、翌朝病院に電話をして様子を伝えると、10時半に来てくれと言われた。行ってみると病院の駐車場には知っている人が乗った車が何台も停まっていた。
「ああ、あの人も検査にきたのかな」とか「あのおじいちゃん大丈夫かな」と、誰の車なのかが分かる分、色々な思いがよぎる。
車で待っていると病院の受付担当の人が来た。フェイスシールドと手袋をして、ジップ付きのビニール袋を持っている。少し窓を開けて名前を言い、体温や現状を説明する。窓越しに、袋の中へ保険証や診察券を入れた。感染するかもしれないという不安もあるだろうに、病院にやってくる一人ずつにこうやって丁寧に対応しているのかと思うと頭の下がる思いがする。
PCR検査
熱がある家族がPCR検査をすることになった。病院一階、一番奥の角の出入り口前に車を移動させる。そこには防護服を身に付け、フェイスシールド、マスク、手袋をしたお医者さんが待っている。
車の窓をお医者さんの手が入るくらい開ける。検査される方は口にマスクをしたまま鼻だけ出して、開いた窓からお医者さんの手が伸びてくるのを待つ。
PCR検査は以前経験済みなので、子供は既に顔をしかめている。PCR検査は、鼻の穴から長い綿棒のようなものを奥へ奥へとぐいぐい入れる。これがもう、涙が出るほど痛い。痛みに耐える悲痛な声…。そしてどうも今回はぐいぐいする時間が長い。念入りにやっているようで、もうどうかやめてやってくれ、と思ってしまう。やっと終わった時、子供は顔を膝に埋め、しばらく動かなかった。
ここは町で一番大きな病院で、治療や診断を求めて多くの人がやってくる。お医者さんはこうやって日に何度も検査を繰り返すのだろう。そして一人ひとりの状況に合わせて検査結果を説明する。ひっきりなしにやってくる人たちへの対応や治療だけでなく、通院・入院している患者さんもいる。一体いつまで続くのか、出口が見えないまま走り続けてもう3年、医療従事者の方々の体力的、精神的なご苦労を思う。
陽性と陰性
もう一人の子は熱はなかったが、咳が出ていたので検査をすることになった。検査と聞いてもう涙目になっている。同じように、ぐいぐいぐいぐい。長い検査だった。もういいんじゃないですか、と口にしかけてやっと終わった。しっかり検体を採取しないと、ちゃんとした結果が出ないのだろう。泣いて泣いて、ティッシュがなくなってしまった。車をまた移動させ、結果を待つ。待っている間、今後の段取りを考える。当面の買い物は一昨日したから大丈夫、灯油も入れておいてよかった。仕事は?学校は?各方面に連絡する。
そうこうしている内に出てきた結果は、一人は陽性、一人は陰性だった。
「お母さんもやっとこうか」
私もかなり咳き込んでいた。その咳き込み音を聞いたお医者さんが「お母さんもやっとこうか?どうする?」。
私は熱はなかったが喉が痛かった。もう既に家族に一人陽性者が出ているから「みなし陽性にもできるよ」と言われた。「みなし陽性」とは、新型コロナウィルス陽性者の同居している家族に咳や熱など症状がある場合、検査せずにその症状で感染していると判断することをいう。
「その様子だと、熱がないだけで多分感染してますよ」と言う。検査しないで済むなら…と迷ったがやることにした。その方がはっきりしていいと思ったのだ。
「じゃあいきますよ」
鼻右穴の奥。痛くて痛くてのけぞってしまい「逃げちゃだめ!」と言われる。「やり直し、もう一回」と次は左の奥へ。こちらの方は上手くいったが、ぐいぐいぐいぐい念入りな検査となって、目から綿棒の先が出ると思った程だった。やっと終わって、娘がハンカチをそっと差し出してくれ、余計泣けた。
私の結果は陰性だった。お医者さんは首を傾げ「陽性でも出ない場合もあるから。多分感染していると思う」。
何のための検査なのかと思ったが、検査は一つの目安になる。でも100%確実ではない。そういうことなのだと理解した。薬をもらい、1週間自宅療養・自宅待機をすることになった。
写真:家の窓から見た風景。自宅待機中に雪が降った。朝起きたら一面銀世界。高知市内では観測史上最高となる14㎝の積雪が観測された。
(「家族が新型コロナウィルス陽性に その2」に続く)