土佐町ストーリーズ

白髪神社

7件のコメント

    • 鳥山百合子

      山下さま、町史では「本山町沢柿内」となっているため、そのままこちらに記述しています。

    • 鳥山百合子

      山下さま、コメントありがとうございます。町史では「本山町沢柿内」になっているため、そのまま記述しています。

  1. kk

    澤柿内は沢ヶ内の古名です。そもそもはここが白髪明神が最初に祀られた地だと言われています。後に交通の便が悪いということで白髪村(現 宮古野)へ遷座されました。

    • 鳥山百合子

      そうなんですね、教えてくださってありがとうございます。自分が暮らす地のことを知るのは面白いですね。

  2. とおりすがり

    白髪神社の由緒によると「森氏が故地の近江より氏神を勧請した」とありますが、最初期に白髪神が祀られた形跡があるのは長徳寺(現在の若一王子社付近)の鎮守であった「白我社」であり、森氏が土佐へ来る数百年前なので、そもそも白髪山の神であったものに、森氏による(統治者としての)箔をつけるための物語が付け加えられたものではないかと思います。この手の習合はよくあることなので。そして次に古いのが奥白髪冬ノ瀬にある小さな社で、白髪神の神像や神鏡を収めた羽釜が安置されていたことから江戸時代以前は羽釜大明神と呼ばれておりました。その後「参詣難儀」との理由で田井そして白髪村(現宮古野)へ遷座され、沢ケ内にも分霊されました。ちなみにこの沢ケ内白髪社の別当(江戸時代以前の神仏習合の時代に神社を管轄していた寺院)が今の中島観音堂こと普門院観音寺です。そして本宮である宮古野白髪社の別当は現在南川に現存する百万遍で有名な大谷寺です。白髪信仰は嶺北固有の信仰とも言えるもので、上記のように地域全体の歴史と深く関わりのある話がゴロゴロ出てきますので、興味があれば是非調べてみてください。長文失礼しましたm(_ _)m

    • とさちょうものがたり

      興味深いコメントありがとうございます。なるほどなるほど。(統治者としての)箔をつけるための物語が付け加えられたりということは、世界中でありそうなことですね。そして文献も少ない時代のことは、本当の意味での事実はもう手が届かない、想像するしかないものですね。そういったことも含めて、長い年月をかけて人の心が作り上げてきた習俗風習は奥深く興味が尽きません。また教えてくださいませ。

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