はじめまして。田井の三島地区でぶどう園ミシマファームを夫婦で営んでいる山中こずえです。
私たちのことを「とさちょうものがたり」のwebマガジンに掲載させていただくことになりました。記事を読んでいただいて少しでも私たち家族のことやミシマファームのことを知ってもらえたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
初回の今回はまず私の亡き父、山中義雄についてお話しします。
〜父・山中義雄①〜
山中義雄は私、山中こずえの父でありミシマファームの創業者でした。
父は三島地区で生まれ、三島地区で育ち、7年前に三島地区で亡くなりました。本当に自分が住んでいる地元、土佐町が大好きな人でした。
もともと山中家は大川村の出身で、元の実家はダムの底に沈んでいる「旧大川村役場」の隣でした。父の祖父の代から三島地区へ移り住んだと聞いています。
父は実娘の私から見てもほとんど怒ったところを見ないくらい温厚な性格で、人と話をするのが大好きな人でした。ですからいつも誰かかれか家に人が来る賑やかな家でした。
父は絵を描いたり詩を書いたりするのが好きで、今も家に父が描いた絵や詩をしたためた色紙が数多く残っています。
若い時はJAの職員でしたが、時間に縛られるのを嫌っていたせいもあったのか早くにJAを退社してしまいます。
そして、単身静岡へ行くことになりました。
行った先はぶどうの研究所。
そこで当時はまだ日本でもそれほど出回っていない「巨峰」を中心にぶどう栽培の研究をしていたそうです。
もともと父は本を読むのが大好きで、好きなことにはとことんのめり込んで勉強熱する性格でした。ぶどうの事もかなり調べていたようで、父の書斎だった部屋の書棚を見るとぶどうの研究本が沢山並んでいます。
そこで何年かぶどうの研究をしたのち、1960年に実家の三島地区の裏山を開墾して葡萄畑にしてぶどうの木を植樹しました。
「ぶどう園ミシマファーム 」の始まりの瞬間です。
しかし、当時はぶどうを栽培する人は誰もいない時代だったので周囲の人は心配していたそうです。
しかし、そんな周囲の心配をよそに毎日ひたすらぶどうに向き合う父・義雄でした。
〜続く〜