この地に暮らす人々のたくさんの興味深い物語を、この小さな町は抱えているに違いない。
私はこの魅力的な場所と人々の一員となったのだ。
私が初めて高知のこの町に降りたのは2018年11月14日のこと。静謐で同時に毅然とした山峡に包まれた、自然の美しさとうららかさに、私は即座に魅了された。
私は桂月の蔵元である松本さん(編集部注:土佐酒造株式会社代表取締役・松本宗己氏)の誘いによりこの町を訪れ、蔵人の一人として、献身的で熟練した作り手たちと共に仕事ができる素晴らしい機会を与えられた。
ここに到着した翌朝5時。作り手たちの温かな歓迎があった後、気がつけば酒造りの手伝いをしている自分がいた。
どうしてこの60歳のカナダ人が、故郷から遠く離れたこの場所で酒造りをしているのか?
我ながら夢ではないかと頬をつねってみたくなる。
酒の醸造が生み出され、育てられ、そして開花したこの国に私もいれること。そしてこの素晴らしい文化的遺産の一部に私もなれること。それは私にとって現実化した夢という他ない。
ここに来る以前の私は、2010年以来ヌグネ・エウ(Nøgne Ø)・ブリュワリーというノルウェーの酒造企業で、日本酒の醸造家をしていた。「裸島」という銘柄の日本酒を作っていたのだ。
しかしノルウェーのクラフトビール市場の変化により、ヌグネ・エウは難しい経費削減の局面に立たされた。そのとき会社が注力しなければならなかったのは、基幹商品であるビール製造部門の維持であり、そのために日本酒醸造部門は永久的に閉鎖されたのだ。
ヨーロッパで初の日本酒醸造部門が終わりを迎えた光景は、とても悲しいものだった。
しかし私の場合はことわざが言う通り。「ひとつのドアが閉まるとき、別のドアは開いている」。
幾人かを通して松本さんと知り合い、彼は私が桂月に来て仕事ができるように動き始めたのだ。
この冬の寒い日々ー良酒の醸造に適した日々ーに仕事をしている間、私の酒造りの夢は生き続けた。
私は桂月の人々と共に働くことに喜びを見出し、彼らの倫理的な仕事と調和のとれた環境にインスパイアされ続けた。調和とは、偉大な酒を作るために必須なものである。
日本酒醸造の技術、手仕事、そして文化を学ぶことはとても面白くエキサイティングだ。ノルウェーで唯一の日本酒醸造家として独りで働いていた頃は、そういったものの本当の源泉からは遥か遠くにいたということだ。
また、初日から土佐町の人々は温かく、心地好く私を迎えてくれたことにも気づいていた。ここでは本当に我が家のように寛げると感じている。
3月半ば。
今年最後の一樽を仕上げた最終日は甘くも苦い瞬間だった。1年分の大いなる達成を成し遂げ、「私もその一部である」という感情と共に湧き上がる、アドレナリンに満たされた悲しみのカケラ。今季の醸造の日々は終わりを告げた。
今はもう春で、私はここで6ヶ月目を迎えている。
現在は、今季の酒が貯蔵タンクの中でパーフェクトな瞬間を待っている。酒米と水の味わいと芳香が、醸造のアートとクラフトマンシップと出会うことで美しいシンフォニーとなるその瞬間を。
そして今、忙しい酒造りの日々は過ぎ去り、私はこの愛すべき町を散策し楽しめる時間を心待ちにしている。