昨年末、実家に帰省するため、高知龍馬空港から飛行機に乗り、窓から眺めた空はどこまでも高く、青く、澄んでいました。眼下の海はいくつもの波がさざめいては光り、その変わらぬ繰り返しが眩しくて目を細めました。山頂が白く染まった稜線が見え、連なるように緑深い山々が続いていきます。その谷間に道があり、家があり、街がある。そこには人の営みがあります。遡れば、山谷を自ら歩き、道を切り拓いた人たちがいただろうことにも思いを馳せました。
この空はどこまでもつながっていて、辿っていけば世界中どこへでも行くことができます。世界は広く、美しい。一方、この同じ空の元、ロシアによるウクライナ侵攻は続き、日本では元首相が殺害され、新興宗教団体の言動がより明るみに。度重なる値上がりに生活は圧迫され、コロナ禍の終わりも見えず。争いや憎しみ、行きどころのない閉塞感の感触に息苦しさを感じていました。
でも、土佐町での暮らしの中に救われるような瞬間がいくつもありました。近所で顔を合わせた人との「おはよう」や、晴れた日に交わした「いい天気ですね」といった何気ない一言。「元気にしてる?」「大丈夫?」という相手を気遣う言葉。ある日、玄関先に届けられていた野菜。届けてくれた人に「ありがとう」とお礼を伝えること。その出来事がどんなに嬉しかったか。驚くほど目の前の風景が違って見えました。
争いや憎しみを生むのも人間であれば、救うのも人間なのだと感じています。そして、その人間自身を助けてくれるのは、特別なことではなく、日々の何気ない、さりげない日常なのかもしれないと今思っています。そして、その日常こそが、人間らしさなのではないかと。
いいこともしんどいことも、楽しいことも悲しいことも、全部ひっくるめた中で何を支えに生きていくかというと、一見当たり前のような日常なのではないか。だから、当たり前のように毎日を送れるような社会であることが大事なのだ、とそんなことを考えた新年でした。
難しく考えすぎるのではなく、格好をつけるわけでもなく、人間らしい言葉を発し、行動する。当たり前を、何気ないことを大事に。そのことを忘れずに、この町での2023年を過ごしていきたいと思います。