前回記事のアップが九月中頃だったから、二ヶ月半以上振りの更新となる。そして気がつけば、今年もはや残り一ヶ月を切ろうとしている。
夏からこっち、思い返してみると、毎日いろんなことがあった。長女とふたり旅したり、子どもたちの運動会やスポーツ競技を観戦したり、台風で家が三日間停電したこともあった。
田畑では夏野菜の撤収や秋冬野菜の準備、稲刈り、大豆の刈り取りなど、野良作業も盛り沢山だった。いや、過去形ではなく、いまもやるべきことはたくさんある。
毎年春前に、だいたいのスケジュールを組んでその通りに進めようとするが、予想外の出来事などによって、じわじわと遅れだし、間に合わないスケジュールに右往左往することが常だ。そのしわ寄せを次の春までにどうにかリセットして、新しいシーズンを迎える。まあ僕がリセットできていなくても、春は強制的にやって来るわけだけど。
今年は計画より二週間ほどずれ込んでいる感じだ。もはや予定通りにいかないことのほうが多いので、少々のことは笑って済ますようになった。反省をしないから同じことでつまずく。つくづく進歩がないな、と自分で思う。
それに比べて、地域の人たちは毎年予定を順当にこなしているようにみえる。
特に自然との付き合い方が上手だなあといつも感心させられる。
例えば、予定していた作業が荒天などで変更せざるを得ない場合、せっかく用意した機具を一旦片付けなければならないし、声を掛けていたお手伝いたちがリスケした日に集まれるとは限らない。僕なら、どうにかして当初予定していた作業ができないかと頭を抱えるところだ。
しかし、そんな場面でも、
「じゃあこうしよう」
と、こともなげに予定変更する。
プランAがダメなら、プランBを。それがダメなら、また考えようというふうに。
それは、人間の思い通りにならない自然との「自然な」付き合い方のように見える。自分の力が及ばない大きな存在に対しての、畏れや期待、諦めを何年も何世代も経験した先にある対処法なのかもしれない。加えて、地域に根付いている繋がり(結)によって、そのときそのときの柔軟な対応が可能なのだ。
彼らと交流したり一緒に作業することで、その何十年何百年続く知恵や技術を垣間見ることができるのは、本当にラッキーだ。
写真:夏ごろ、直径5mのトランポリンがやって来た。最初に長女が熱望し、「五人兄弟の一年分の誕生日プレゼント」とすることに兄弟間で合意し、手に入れた。組み立てた日から、子どもたちは毎日飽きもせずジャンプしてる。やってみると、これがなかなかの運動量で、僕はすぐ息があがってしまう。子どもたちはときに暗くなっても跳ね続けたり、雨の日もびしょ濡れになりながら遊んでる。屋外なので、メンテナンスは誰がやるんだ、台風の時はどうするんだ、とブツブツ言っていた僕だが、二歳になる末娘までも楽しそうに跳ねている姿を見て、いつもの呪文を心で唱える。
「まあどうにかなるか」