笹のいえ

笹のいえ

薪ストーブ稼働

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

記録を見ると、去年は10月半ばには点けていたうちの薪ストーブ。

今年はこの時期になっても火をいれられなかった。

屋外の煙突を断熱する作業がなかなか完成しなかったからだ。

煙突を二重にして間に断熱材を詰めると、排気が冷えにくくなり、薪の燃焼率が上がり効率良く燃えるようになる。

ストーブだけでなく、五右衛門風呂やかまどで薪を使う我が家で、薪はいくらあっても重宝する。周りを木々に囲まれている土地柄、薪となる木は比較的入手しやすい。が、使う量が少なくて同じ効果が得られれば必要な労力や時間を軽減でき、より長い期間薪人生を満喫できるはずだ。冬の間毎日稼働する薪ストーブの改良で、僕たちの暮らしはより快適になる。

ネットで検索して、ざっとした設計図を描き、使える部材があるか倉庫をウロウロし、友人に不要な材料がないか聞いて回り、無いものは購入する。少し作っては微調整し、インターネットで先輩の知恵をお借りし、また作業を進めて、、、とやっていたら完成が大幅に遅れ、いよいよ朝の冷え込みが強くなってきた。

朝起きてくる子どもたちに「父ちゃん、ストーブ、まだ?」と言われるたび、聞こえないフリをしていたが、それもそろそろ限界と言う11月上旬。なんとか設置にこぎつけた。煙突直径と燃焼の関係やより簡易な掃除メンテナンス方法など、すでに次回への改善点も見えているが、今回は時間切れ。これで運用してみよう。

試し運転をして問題がないことを確認。その翌日早朝、ストーブに薪を焚べた。

木が燃える良い匂いとパチパチと爆ぜる音で、僕の気持ちと身体がやっと冬仕様になった気がする。

僕の次に起きた長女が「あ、ストーブ点いてる!あったか〜い」とストーブに、身をピタリを寄せてきた。ひとりまたひとりと布団から出てくる家族がストーブの周りに集まる。薪の熱で温まった朝食を食べ、おしゃべりをして、それぞれ今日一日の支度をする。

いつもの冬の朝風景だ。

 

写真:朝四時過ぎ。前の晩に仕込んだパン生地を成形し、温まりはじめたストーブの近くに置いて、二次発酵を促す奥さん。今朝は美味しいパンが食べられそうだ。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

新米!

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

今年も無事お米の収穫ができた。

 

春、種を播いて苗を育て

梅雨来る前に、田植えして

夏汗を拭きながら、草取って

風に秋を感じつつ、稲刈りをして天日干し

 

振り返ってみると、今年も走り抜けた米つくりだった。

新米の入った米袋を縁側に積んでいく。

数を数えると、去年よりも少しだけ収量が多いみたいだ。

新米と聞くと心が躍るのは、日本人だからだろうか。

早速精米する。

普段は五分搗きにするが、今日はお祝いとばかり、白米に。

土鍋で炊いて、出来たてをいただく。

さっぱりとした甘さで、おかず無しでも充分満足な味わいだった。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

コンポスト

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

笹に引っ越してきたときから、コンポストを自作して使ってる。コンポスト、とカタカナで言うとなんだかお洒落なイメージだが、要するに堆肥場のことだ(余計わかりにくいかな)。暮らしで出た有機物を一か所に集めて、微生物や昆虫などに分解してもらうことで、自然に還す。その土を利用して野菜を栽培し、収穫し、食べる。自分たちが排泄したものもコンポストに入れて土に戻し、それがまた野菜を育てる栄養の一部になる。

うちでは刈った草や生ゴミ、排泄物などを積んでいる。数ヶ月に一回天地返しすると一年くらいで土に還る。分解しきった堆肥は土そのもので、嫌な臭いもしない。こんな小さな循環を身近で体験することで、自分が口にするものに興味を持ったり、環境負荷についても考えるようになった。

初代コンポストは、割いた竹で囲いをしただけの簡易なもの。これはこれで十分仕事をしたが、屋根が無いため土に含まれる養分が雨で流れてしまい、もったいないと思っていた。数年が経ち、側の竹が脆くなってきたため、新しく作ることにした。

ネットで見つけたこの重箱型コンポストを、うちにある端材で作る。

幅20〜25cmくらいの板をビスで留めて、底のない箱をいくつか組み立てるだけ。中身がいっぱいになったら箱を重ねていく。たまに適量の水や米ぬかを入れて発酵を促す。

使いはじめて三ヶ月ほど経った先日、天地返しをすることにした。

トタンで屋根をしていたので水分が足りず、かたい草や野菜の残渣などは思ったより分解が進んでいなかったが、地面に接していた部分は土になっていた。今後、水分量など調整して使い込んでいけば、良い堆肥が作れそうだ。

生ゴミや自分たちの排泄物を処理できるのは、ゴミの削減に大きく貢献してくれるが、問題もある。未発酵の時は臭いがすることと、ミズアブやハエなどの虫が発生してしまうこと。だが、住まいから離した場所に設置すればさほど気にならないし、生き物たちが渡貫家の循環に一役買って出てくれていると思えば嫌いになるどころか感謝しかない。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

くるみ

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

五月、我が家に子猫がやってきた。

友人が保護している子猫の里親募集投稿をSNSで見た長女が「コネコ可愛い、飼いたい!」と言い出したのがきっかけだ。

「子猫はいずれ大人の猫になるんだよ」と諭したのを理解したのか、してないのか、「大丈夫、ちゃんと世話するから」と自信満々の彼女を信じて引き取ることにした。

猫に詳しい友人は、うちに居る雄猫との相性を考えて、一週間のお試し期間を設定してくれた。七日間一緒に暮らして問題が無ければ、無事家族として迎えることができる。

やって来た三毛猫は生後一二ヶ月。先輩猫であるいねおがどう反応するか分からなかったので、室内に小さなゲージを作って飼いはじめた。うちの子どもたちは柵の前に群がり、よちよち歩きの幼猫に興味津々だ。

食事は哺乳瓶に入れ適温に温めた粉ミルクを与え、排泄は日に数回、布で刺激して促す。自分の妹弟もこれくらい甲斐甲斐しくお世話をしてほしいものだと思うほど、長女はマメに面倒をみていた。

一方、突如現れた雌の子猫をいねおは最初訝しがりながらも、数日のうちに気にも留めなくなり、普段通り行動するようになった。これなら大丈夫と、お試し期間を終えて、ゲージから解放された子猫。身体にある茶色い斑がそう見えるからという理由で、長女に「くるみ」と名付けられた。さらに数日して、格好の遊び相手と判断したのか、いねおにちょっかいを出すようになった。尻尾に飛びついたり、耳を噛んだり。いつか怒られるのでは無いか、とヒヤヒヤしている周囲の心配を他所に、年上猫として適当にあしらういねおとの様子は非常に微笑ましく、僕らも子猫の存在に癒されていくのであった。

笹の猫となってから数ヶ月。実はとてもお天馬であることがわかってきた。

障子は引っ掻き傷でボロボロ、蚊帳に突進して大きな穴を開ける等々。ときには、いねおと喧嘩かと思うくらい激しい取っ組み合いや追いかけっこをして家中を走り回る。最近では狩りもするようになり、どこからか大きなカエルや虫を捕まえてきては、家の中で追いかけ回している。

そんなわけで、うちはまた少し大所帯となった。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

出穂

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

8月10日早朝、いつもの田んぼチェックに行く。

田水は適量あるか、水漏れはないか、稲の生長は順調か、病気は出ていないか、蜘蛛や蛙などここに棲む生き物たちの様子はどうかなと畔を歩きながら観察する。

この日ひとつの株から稲穂が出ていたのを見つけた。出穂(しゅっすい)がはじまったのだ。

視線を遠くに移すと、あちらにひとつ、こちらにひとつという感じで、数株同じように穂が顔を出していた。空気を大きく吸い込むと、お米の花の独特な甘い匂いも微かに感じるから、すでに開花もはじまってるみたいだ。

数日後、同じ田んぼに行くと、より多くの穂が出ていた。出穂のスピードに驚く。

インターネットある人が「出穂前の稲は茎の元で穂の素ができて、妊娠状態になってる。だから出穂は出産のようなもの」と話していたのを聴いて、なるほどと思った。

出穂期を迎えた稲は、全てのエネルギーを穂に使うと言われている。穂を出し、花を咲かせて受粉し、実を熟させるためにこれまで蓄えた養分を利用する。それは、お母さんがお腹で胎児を育てる様子を彷彿させる。お米の粒が大きくなるにつれ、栄養を吸われた葉や茎、根は徐々に枯れていく。子孫を残すために力を使い果たして親は老いるのだ。それは子育てそのものだ、と自分の姿と重ねて思う。

お米は糧であると同時に種でもある。籾のまま保管し、翌年田に蒔けばまた芽を出して米をつくる。これもまた、遠い昔から、祖先たちが僕たちに繋いでくれた生命のバトンと一緒だ。いま僕がしていることはここで終わりではない。子どもの世代、孫の世代、そしてもっと先の未来に引き継がれていく。子の成長に一喜一憂し、日々子育てに悩む僕。目の前の稲に「それでいいんだよ」とそっと勇気づけられた気がする。

その後、穂は順調に増え、出穂期を迎えている。穂には可憐な白いおしべが見える。しかし、今年はこの時期には珍しい長雨となっており、受粉そして登熟がうまくいくか心配してる。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

コーヨー先生

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

「押忍!」

練習場の入り口で一礼して入る息子。

挨拶や返事は「押忍」。彼が週一回通っている、空手教室のしきたりである。

天井から空間を照らしてる水銀灯が懐かしい体育館には、すでに数名の人たちが集まっている。大人と子ども合わせて10人くらいの生徒に、教える師範はふたりいる。地域に長く続くスポーツクラブのひとつだ。

生徒たちが親しみを込めて呼ぶ「コーヨー先生」の本名は、西谷紅葉(にしたにこうよう)。実はうちの奥さんの従兄弟なのです。

六年前、当時静岡県に住んでいた紅葉と彼のパートナは移住先を求めて、笹のいえに三ヶ月ほど居候していたことがある。土佐町を拠点に四国内外のいろんな場所を訪ね、人生の新天地を見つけようという計画だった。

滞在が長くなるにつれ、周りに知り合いや友人ができた。あれよあれよと仕事や住まいを紹介してもらい、笹から車で15分ほどの地区に引っ越すことになった。ふたりが籍を入れたときは、友人たちと手作りのサプライズ結婚式して喜び合ったこともある。四年前には娘を授かって、地域の一員としてこの地に根を張り、広げている。

あるとき、空手教室で先生を探している、と紅葉に声が掛かる。

師範の資格を持っていたが、久しく空手から離れていた彼。迷った末、地域のためならばと一念発起して、このオファーを受けた。試行錯誤して続けて行くうちに口コミで生徒が増え、いまでは町外からも生徒が通う。また当初一箇所だった練習場所は、住民の希望で別の地区でも開催することになった。保育士の経験もある紅葉先生の指導は子どもにも好評で、練習は真剣ながらも時折笑い声が響き、生徒たちは楽しんでこのスポーツに慣れ親しんでいる感がある。興味のある人や保護者は見学が自由にできる。参加者の妹や弟が空手の型を真似してみたり、走り回ったりして和気藹々とした雰囲気だ。

うちで居候していたときはまさか同じ町に住むなんて思ってもみなかったけれど、親類として友人として、そして、同じ町民として付き合えることが嬉しい。農作業や力仕事など、事あるごとにコキ使って、、、もとい、とても頼りにしている。

 

写真:練習会場である石原地区体育館で。息子は昇級試験に合格し、黄色帯となった。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

反抗期

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

次男(6歳)がどうやら反抗期みたいだ。

こちらの小言に返事をしない

頼んでもぐずぐずして動かない

言い訳をする

など。長女長男には反抗期らしい反抗期はなかったと記憶しているので、最初は、どうも最近次男とのコミュニケーションがうまくいかないときがあるなくらいにしか感じていなかったけれど、そうかこれが反抗期というものなのかとしばらくしてから気づくことになった。

兄妹、特に四歳上のお姉ちゃんとよく口喧嘩になる。わたしの机にあるものを勝手に使うな、使ったおもちゃや読んだ本を片付けろ等々。喧嘩、と言うか、姉が弟に一方的にまくしたてることが多く、そのスピードも語彙も持ち合わせていない年下の彼は黙ってしまう。それを無視されたと思った姉がさらに怒るといった感じだ。

四六時中反抗してると言うわけでなく、普段は兄とふざけあったり、妹とごっこして遊んだり楽しくしてる。何かの拍子で「反抗期スイッチ」が入ってしまうのだろう。

ある日、ふたりでお風呂に入るときがあったので、最近の彼の態度について話をした。

次男にも思い当たるふしがあるようで、壁の一点をじっと見つめながら思い出すようにぽつぽつと話はじめた。彼には彼の都合なり、理由があっての行動だった。それがその場その場ではうまく言葉にできなかったり、説明がつかなかったりして、黙ったり言い合いになったりしてしまうのだ。

彼の話を聞き終わって、僕は何か気の利いたアドバイスを、と考えたが、口から出てきたのは「そうか、まあ確かにそう言う時もあるよな。分かるよ」という、彼の何倍も人生を歩んできた先輩としては説得力に欠ける言葉だった。けど、説教めいたことは言いたくなかったし、彼の言動を否定したくもなかった。これまで身に纏っていたものが窮屈になり、新しい服を探している彼に、僕が用意した「誰に似たスタイル」を無理に着せようとするのは気が引けた。何を着るのか、彼は自分自身でそれを選び取ることができる。

話し合いのあと、僕は(そして、たぶん彼も)少しすっきりした気分で浴室を出た。

が、おもちゃの片付けをせずにお風呂に入った彼をお姉ちゃんに指摘され、また叱られていた。

反抗期はもうしばらく続きそうだ。

 

写真:隣町にあるお気に入りの場所で。「何も身につけない」という選択もたまには良いかもしれない。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

五年目を迎えて

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

とさちょうものがたりがスタートしてから、五年目に突入したとの記事がアップされた。

立ち上げからはじまった、笹のいえでの暮らしを綴る僕の散文も同じ時間を経てきたことになる。これまでにアップした記事は、160くらい。はじめての投稿は、2017年6月27日。文字数93の短い文章だった。写真に写っている手の持ち主は、長男の玄人。当時五歳目前だった彼は、今月九歳になる。あれから、僕も四つ歳を取り、家族はふたり増えた。

僕たちの日常を綴った文章を、開始当初は「こんなの興味ある人いるのかなあ」と半信半疑だった。けれど、最近は「読んでるよ」と声掛けられたり、感想をメッセージやコメントでもらうことがあり、励みになっている。自分で書いておいて言うのもなんなんですが、うちでの出来事を他人様が知っているのはなんだか不思議な感じがする。僕の気ままな素人文に、読み手の大切な時間を費やしていただいていると思うと、少し気恥ずかしいような、申し訳ないような、でも有難いことだ。

ネタには事欠かない七人家族暮らしだが、毎日慌ただしく、落ち着いてパソコンに向う時間が取れなかったする。それでも、はじめての運営側とのミーティングで、「締め切りは無し!」の言葉にずっと甘えて、自分のペースでやってきたのも、続けてこれた理由のひとつだろう。

このサイトには、土佐町に多様に関わる人たちが登場し、彼らの物語を語っている。それは昔話だけでなく、現在進行の話題だったり、将来に向けての希望あるメッセージだったりする。そのストーリの積み重なりとともに、コンテンツにも深みが出てきた。四年前には想像もできなかったほど世の中が変わってしまったけど、僕もまた未来に語れる「ものがたり」をここに残せたらなと思っている。

読者の皆さん、いつも温かい目で見守ってくれているスタッフの百合子さんと拓ちゃん、ありがとうございます。これからも引き続き、どうぞ宜しくお願いします。

 

写真:この四年で増えた家族ふたり(と一匹)

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

日常の風景

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

この日、下校した長男が外にあるテーブルにランドセルを下ろし、宿題をはじめた。

日がだいぶ傾き、西の空が紅く染まりはじめる時刻。向かいの山の斜面に立つ木々は静かに西日を受けている。あらゆる色がゆっくりと褪せ、風が止み、耳に聞こえてくるのは鳥のさえずりと蛙や虫たちの声。

何かの作業をしていた僕は手を止めて、目の前にある、その場面に見入ってしまった。

僕らは、なんだか素晴らしい場所に暮らしているのだな。

この風景を、息子は大人になっても覚えているだろうか。

でも僕にとって感動的な情景も、物心ついたときからこの環境にいる彼にとっては当たり前の日常。父ちゃんの想いを説明しても理解されないだろう。

人生の一部を過ごすことになったこの土地と時間を評価できるようになるには、一度はここから離れることが必要なのかもしれない。そのときまで、まだあと数年掛かりそうだけど、大人になった彼と「そんな瞬間があった」ことを語り合いたいと思わせるひとときだった。

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone
笹のいえ

ごっこ

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone

次男六歳と次女三歳の好きな遊びのひとつは、「ごっこ」。

設定はそのときによりまちまちだが、家族設定、ヒーローもの、流行りの漫画やアニメを真似たものなどがある。この遊びがはじまるとき、たまにふたりは「父ちゃん、ごっこしよ〜」と誘いに来る。

しかし、僕はこの遊びが大の苦手だ。

まず、演じている自分を客観的に見てしまって、恥ずかしいと感じてしまう。それから、流行りのキャラクターの詳細を全然フォローしていないから話についていけなくて、ダメ出しされる。武器を使うときに発する効果音(シャキーンとかバキューンとか)を叫ぶのもちょっとアレだし、撃たれたとき大袈裟に倒れる演技も照れてしまう気持ちが大きい。本当はキャッチボールとか自転車漕ぐとか、そんな遊びの方が好きだ。

けれど、ごっこしようと言っている彼らの気持ちは、もうどうしたって100%ごっこ気分なので、変更は難しい。僕はああ憂鬱だなあ本当はやりたくないなあと思いつつも、子どもの希望を聞くのは親の役目だしと、付かず離れずこの遊びに付き合っていた。

しかし、やっぱり苦手なものは苦手。

なので、気分が乗らないときは、断ることにした。

子どもの遊びにくらい、適当に付き合ってやればいいのにと、もうひとりの僕が心の中で囁く。いやでもしかし、大人だろうが親だろうが、ときには断る勇気も必要だろうと別の僕が反論する。

思い切って断ってみると、子どもたちは最初グズっていても、そのあとは僕抜きの設定で自分たちで上手に遊ぶことが多かったりする。「親なのだから常に子どもの相手をせねばならない」「子どもの期待には応えるべきだ」と言うステレオタイプに縛られすぎていたのかなと思う。親だってできることとできないことがある、そう大きな声で宣言してもいいのではないだろうか。

 

写真:ついに補助輪なしで自転車に乗れるようになった次男。ドヤ顔でペダルを踏む彼の表情がカッコイイ。ところで、子どもたちは自転車のことを「ジテン」と呼ぶ。土佐弁なのかな?

Share on FacebookTweet about this on TwitterEmail this to someone