「軸ある足元」 文:鳥山百合子
昨年のもうすぐ稲刈りを迎えるという頃、大型台風が高知県を直撃する予報が出た。お米を作っている友人に「台風が逸れるといいね。心配やね」と声をかけた。すると彼は「なるようにしかならんきね」。心配を笑い飛ばすように手を振って、彼は軽トラックで帰っていった。私は見送りながらその言葉の意味を考えていた。
11年前に土佐町に来てから、私はこの地の人の姿に感じてきたことがあった。それは『この地の人は共通した「何か」をもっている』ということだ。その「何か」が何であるのか。考え続けてきたその答えを、友人の言葉が教えてくれた。
大地を耕し種を蒔き、丹精込めて育てても思い通りにならないことがある。この地の人は、人間の力でどうにかできることとできないことがあることを身体で知っている。それは諦めというよりも、自然に身を委ねざるをえない時があることを知る人間の謙虚さ、そして、その中で生きるために何とかやりくりして切り抜けようとする人間の粘り強さであると思う。それは自身の経験から得たもの、そして、先人たちの汗水流し働く姿を見ながら身に付けてきたものだろう。その体感は、ちょっとやそっとでは揺るがない足元をつくる。地に足をつけた足元が、私はずっと羨ましかった。
内側の違和感
私は神奈川県西部のある町で育った。自然が色濃く残り、田畑を駆け回って遊んだ。
畦道の脇には水が湧き、クレソンが生え、どじょうが泳いでいた。田に積まれた籾殻の山に飛び込み、寝転んで夕焼けを眺めた。小学校へ向かう道の途中には一本の大きな桑の木が生えていて、紫色に熟した実を手のひらいっぱいに摘み、一気に口に放り込んだ。捨てられていた家畜用のとうもろこしの実をほぐし、何かを燃やしているドラム缶に投げ込んだらポップコーンが飛び出して心底驚いた。土の上を駆け回っていた頃の記憶は、鮮明で懐かしい。
小学校高学年の頃、遊んでいた場所に重機が入った。桑の木は切られ、田畑は埋め立てられて住宅地になった。次第にそういった場所は増えていき、いつの間にか街全体を変えていった。
学生時代は満員電車で学校へ通った。運良く窓際に立てたら移り変わる外の景色をぼんやりと眺め、時には押し潰されそうになりながら息を押し殺して立っていた。あの頃、私は何を見て、何を考えていたのだろうか。振り返ってみれば、私はこの頃から、自分の内側にもやもやとした違和感を感じるようになっていた。
終点の新宿駅に到着すると押し出され、追い立てられるように駅のホームを歩いた。足元はいつもどこか知らない場所を歩いているかのようだった。四方八方店が並び、物やネオンや情報が溢れ、もっともっとと突きつけられているようだった。多種多様な選択肢があるはずなのに私は何を選びたいのか、何がしたいのかわからなくなっていた。そんな状況を何とかしなくてはと焦り、周囲と自分を比較して落ち込んだ。笑いながら内側では笑っていない、内側と行動が一致していない自分を感じていた。
働き始めても、親になってからも、その違和感は姿形を変えながら積み重なっていった。その違和感の正体を見ようとすることは怖く、正直に言うと、考えることから逃げていた。考えることを後回しにしたつけは必ずやってくる。いつの間にかそれは幾種類も幾重にもなり、いい加減に内側の整理が必要になっていた。
違和感を整理する
土佐町で暮らし始めて11年目になる。ここ数年で、長年抱えてきた違和感を感じることは少なくなってきたように思う。それはなぜか?
まず、移りゆく四季折々の自然の姿や、その中で暮らす人たちとのやりとりが私の内側に大きな影響を与えたようだった。
耕された土から立ち昇る蒸気に春を感じる。鮎泳ぐ川に飛び込み、耳元で水の粒が弾ける音を聞く。黄金色の田に稲穂を揺らす風の通り道を見つける。四季の営みの元、食べるものを作り、生きる人たちがいる。この土地で生きる知恵と技術を持ち、土地のものを上手に利用し工夫して暮らす。
私にはそういった知恵も技術もないが、地に足をつけて暮らす人たちを身近に感じることは心強く、喜びだった。そう感じる自分への違和感は1ミリもなく、とても気持ちよいものだった。
人間は人間である前にまず生物であって、命の源である自然の中に暮らすことは思っている以上に大きな影響を与えていると思う。幼い頃見た小さな湧水や甘酸っぱい桑の実、橙色の夕焼けの広がりを私は忘れたことはなかった。人間は土から離れない方がいい。その体感を改めて得たことは、抱えていた違和感に風穴を開けてくれた。暮らしている地を好きだと思えることは、本当に素晴らしいことだ。
そしてもう一つ。長年の違和感は、内側の「本当」の部分に蓋をして自分を誤魔化していたから生じていた。その気付きは大きかった。意外とシンプルな答えなのに、それが分かるまで随分と時間がかかってしまった。
違和感は放っておかない方がいい。気付いた違和感に気付かないふりをしていると、あったことを無かったことにする癖がつく。もし違和感を感じたら立ち止まり、それが何であるのか考えることが大切だと思う。すぐにその答えが分からない時もあるだろう。でも一番大事なのは自分の感じたことを適当にあしらったり、無かったことにするのではなく、ちゃんと見ようとすることだ。それは自身の足元を確かめることでもある。絡み合っていた違和感を一つずつ解きながら着いた先には、ちゃんと自分の足元があった。
足元はここにある
けれども、日々流れてくるソーシャルメディアやテレビ等の情報の渦に巻き込まれそうになる時がある。そんな私を救い上げてくれるのは、いつも「人」だ。
土佐町田井地区で理髪店を営んできた西森五明さん(P49)。今回の撮影を「今までの生き様を残しておくためにいいかもしれんね」と引き受けてくれた。
昭和7年生まれの澤田三月さん(P45)は、洋裁を勉強するため列車や船を乗り継ぎ、何十時間もかけて東京まで通ったという。「辛いこともたくさんあったけど、でも今はよかったなあって。人の気持ちがわかるようになった。無駄なことなんて一つもないわね」。
人生の先輩方がふと話す言葉は、柔らかで強い。曇りないその言葉はその人の佇まいと不思議なほど一致している。地に足のついた方と向き合うたび、私の足元が今どこにあるのかを感じる。
私たちは、スマートフォンやパソコンの画面上の情報ややりとりだけでわかった気になっていないだろうか。
私の足元は自身の元に、そして向き合う人との間にある。これからも、それは変わらない。